2016年07月23日
「ゴジラ展」を観て来た

先日の日曜日、福岡市美術館で開催中の特別展「ゴジラ展」を観て来た。この展覧会は7月29日から公開される久々の和製新作映画、「シン・ゴジラ」に合わせてのプロモーションのようだが、それにしてもやはりゴジラ人気は大したもの。美術館の2階は大勢の入場者でひしめいていた。
しかし中には「美術館でゴジラだって?」などと、イチャモンを付ける向きもあるだろう。まあ確かに人類の文明を破壊する凶暴なゴジラは、絵画や彫刻を静かに鑑賞する美術館の雰囲気には馴染まない。だが、考えてみればゴジラは映画という複合的カルチャーから生まれた、メイドイン・ジャパンの世界的大スターなのだ。そして映画には造形や映像といった美術的要素が含まれ、そのストーリーは時代を照らす文明批評でもある。つまりゴジラは人間の創造力のたまものなのだな。こう考えればゴジラと美術館は、きわめて相性のいい組合せとも言えそうだ。
会場内に入ると、あらためて人の多いのに感心。筆者も含めて子供から大人まで、熱心なゴジラファンが通路を埋め、誰もが肩を触れ合わせ目を光らせながら展示に見入っていた。1954年公開の初代ゴジラから平成版までの一連のポスターをはじめ、制作時の絵コンテ、美術用の設計図やイラストなどのパネル展示から、実際に撮影に使われた着ぐるみ、小道具、ミニチュア模型などの実物展示まで、内容は多岐に渡りなかなかの充実ぶり。じっくり見て回ると、お腹いっぱいの満足感を味わえる。
中でも筆者が感動したのは、中央部分にケース展示されたオキシジェンデストロイヤーの実物。初代ゴジラを海底の泡に葬った、芹沢博士発明の恐怖の最終兵器だが、まさにあの実物がいま目の前にあるのかと思うと、筆者も思わず興奮してしまったよ。傍らには博士がこれを身につけて海底に潜ったという、古色蒼然たる潜水用ヘルメットもあり、ますます興奮。つまり興奮の2乗だ。今やこれらは映画史に永遠に記憶される、立派な歴史資料と言うべきだろう。

あと、各代ゴジラの着ぐるみもそれぞれ比較展示してあったが、その巨大さと精巧さには思わず感心した。いやこれ、肌のイボイボといい背中のトゲトゲといい、実に良く出来ている。この大きな着ぐるみの中に人間が入り、海中から上陸し、ノッシノッシと街を歩きビルを破壊し、ときにはライバル怪獣と戦ったりするのだから、中の人も大変だ。ゴジラの魅力の一つはその動きの人間臭さにあるわけだが、その陰には中で汗まみれになって熱演する、スーツアクターの存在があったというわけ。ちなみに近寄ってジッパーを探してみたが、筆者にはどうもよく分からなかったな。
この展示の中では、歴代ゴジラの肉体の変化が一覧出来るようになっている。ゴジラは作品ごとに体のサイズが変わったり、デザインが微妙に変わったりしているのだ。まあ破壊の対象である都市の様相も、時代とともに変化しているのだから、これは仕方がない。ただちょっと筆者が気になったのは、顔の変化だ。初代ゴジラの耳のある怖い顔の頃は良かったが、映画のコメディ路線化とともに目の大きなカエル顔となった。平成以降は監督が代わる度にコロコロ顔付が変わり、ときには白目の座頭市になったり、あるいはキツネのように口がとんがったり…。制作陣も創意工夫をしているのだろうが、主役の顔をイジるのは大概にして貰いたいと思ったね。
展示場の一角には撮影スタジオも設けられており、希望者はそこでゴジラと記念撮影が出来る仕組みになっている。これは博多湾に現れたゴジラのシーンと、恐怖におののく市民のシーンを別撮りして、クロマキー合成するというもの。もちろん筆者もグリーンの背景の前で、大いに驚いた顔で撮ってもらったが、合成した画像はなかなか真に迫っていた。筆者の演技力も捨てたものではない。帰りには、展示場を出た所にあるグッズ売場で、完全保存板というゴジラの解説書を一冊購入。お陰で充実の時間を過ごせたが、筆者のゴジラ研究は今後もさらに続くのだ。
ゴジラは三船敏郎と並ぶ、日本映画界が生んだ世界的大スターですね。
しかも三船と違って何度でも再生し、新作が作れるところが強味です。
初代ゴジラ誕生から60年以上が経ちますが、この先またどんな映画が出来るのか、私も楽しみにしています。
ゴジラの魅力は、人類が創り上げた文明を破壊する、強力なブーメランという点にありますね。つまり、帰って来た憎めない不良息子。造形の原点も着ぐるみなので、動きに人間臭さがあり親近感があります。
むかしはわりと「ゴジラ」というあだ名の人が多かったような気がしますね。
小学生の時に、松尾山に遠足に行きました。そこで昼食をとり、その後は江里山の「はってんさん」までの工程でしたが、強制でなく帰りたい者は帰って良かったので、別府からの転校生だった小生はクラスのみんなになじみがなく、母親一緒にと松尾山から家路につきました。今思えは、「はってんさん」に行っていたら、この小説が理解できたと存じます。小城にいる間、江里山には一度も登りませんでした。遊びに行っても岩蔵止まりでした。とりとめもない感想ですみません。
かね」と言われて小城の本町は賑やかな通りだと実感しました。今、岩蔵ってどこだったかイメージがわきません。松尾より奥で江里口より手前だとは思います。岩蔵の友達に電話したら、「昔と変わっていないよ」とのことでした。変ったのは高速インターの松尾とか、岩蔵にも遊歩道ができたということだそうでした。小城の本町も電柱を失くし、通りも広げて小城市らしくしたのは目にしました。小城を舞台にした映画も制作に入るそうで喜ばしいことですね。