2008年07月28日

炎天下の祇園祭り

しかし、いったい今年の暑さはどうなっているのだろう? 27日に行われた恒例の小城祇園夏祭りを見に行ったのだが、まあ午前中から日差しの強いこと。いくら“夏祭り”とはいうものの、この頭上から照り付ける熱線攻撃はただ事ではない。山鉾のスタート地点である下町に着いた時点で、すでに筆者のTシャツは汗まみれだった。

熱中症を避けるため、とりあえず水分補給だ。自販機で冷たいお茶のボトルを買い、さっそく胃袋に流し込む。しかし、筆者のようなただの呑気な見物人がこれだから、山鉾に乗ったり太鼓を叩いたりする子供たちや、その山鉾を引っ張る大人たちはさぞ大変だろうなあ。などと心配しているうちに午前10時頃、勢揃いした上町・中町・下町の山鉾3台が、一直線の通りを須賀神社に向かってスタート。



太鼓を打ち鳴らしながらゆるゆると北上する山鉾を追って、筆者も歩道をゆっくりと移動する。見物人の数はさほど多くはないが、見守る町の人々は誰もがみな楽しそうだ。小城羊羹や冷たい水の無料サービスがあったり、道行く人に団扇が配られたり、ホスピタリティも行き届いている。

筆者も羊羹を頬張り、貰った団扇で涼んだりしたが、おかげでけっこう楽しめた。何より町中がこの祭りを大切にし、一体となって参加している感じが伝わって来て、とてもいい。このあたりが、長い伝統を持つ祭りの良さなんだろうな。



ところで、そもそもこの祇園祭とはいったい何の祭りかと調べてみたら、その始まりは平安時代の貞観11年(869)京の都に疫病が流行した際、66本の鉾を立て祇園の神を迎えて災厄が除去されるよう祈ったことから、だとか。祇園の神とはスサノオノミコトと牛頭天王が習合したものらしい。なるほど、スサノオや牛頭天王のような恐ろしげな神仏の力で、疫病を起す怨霊を退散させるということか。毒をもって毒を制すわけだ。

小城の祇園社は、約700年前に千葉胤貞が関東から下向して小城の町を造ったとき、京の祇園社(現八坂神社)から分祀勧請したもの。当時「御霊会(ごりょうえ)」と呼ばれていたこの祭りも、そのとき一緒に小城に持ち込まれたのだろう。疫病の流行は京でも小城でも、やっぱり同じように恐ろしいものなあ。ちなみに小城の祇園社は、明治期に須賀神社と名を変えている。



肌がヒリヒリする直射日光のもと、正午頃に3台の山鉾は無事、須賀神社前にゴールイン。祇園川の川面にひとしきり太鼓の音が鳴り轟き、やがて静かになった。目の前が真っ白になるようなこの暑さの中、下町から中町・上町を経てここまで山鉾を引っ張って来た町衆の皆さん、汗だくでお疲れさまでした。



それにしても驚いたのは、道路の片側を行く車の数の多さだ。本来、静かな小京都の古式床しい神事であるはずの、祇園祭りの山曵き。なのに、実情は次々と押し寄せる車を避けながらの、危険で慌ただしいイベントになっている。これにはあらためて、現代の小城が車社会であることを実感させられた。

まあ、交通整理に活躍したお巡りさんも大変だったろうが、山鉾に降臨した神様もきっと、道路の中央を進めないジレンマをジリジリ感じたことだろう。見ている側もちょっとイライラだ。車に依存する人々の気持ちも分からないではないが、しかし年に一度の町を代表する祭りの時くらい、時間限定で車を完全に乗り入れ禁止にして、この通りを“歩行者天国”ならぬ“山鉾天国”とするわけには行かないのだろうか。その方がもっと盛り上がると思うのだが?  


Posted by 桜乱坊  at 16:03Comments(0)小京都

2008年07月18日

もうすぐ祇園祭り

7月ももう半ばを過ぎ、来週からは学校も夏休みに入る。今年は猛暑の訪れが早かったせいか、すでに夏の盛りを迎えたような気がするが、子供の感覚からすれば夏はこれから始まるのだろう。やれやれ、この暑さがあとどれほど続くのかと思うと、大人の方は少し頭がクラクラする思いだ。

小城の夏はむかしから、須賀神社の祇園祭りでひとつのピークを迎える。ピークといっても祭りの後も暑さは続くのだが、やはり何か一つの山を越したような気分が町には広がる。──とまあ、筆者の子供の時分はそれほど、祇園祭りは派手やかで大きな祭りだった。

その恒例の「小城祇園夏まつり」が今年も、7月の26日(土)から27日(日)にかけて行われる。祭りを実行する上町・中町・下町の人たちは、そろそろ気分がソワソワし始めているのだろうか。近年は少子化の影響で山鉾に乗る子供が少なくなり、見物人の数もパッとしないようだが、ぜひ頑張って盛り上げて欲しいものだ。

何といってもこの祭りは歴史が古い。鎌倉時代末期に関東から小城にやって来た、領主の千葉胤貞により始められたといい、藩政時代には鍋島家に受け継がれ、「見事みるには博多の祇園、人間みるには小城の祇園」とうたわれたこともあるというから、相当なものだ。現在の小城の状況を考えると、ほんまかいな?という気もするが、歴史が古いことは間違いない事実だろう。

歴史が古い証拠に、この祭りは小城の中でも上町・中町・下町だけで行われる。これは、祭りが鍋島家の手で再スタートした江戸時代のはじめ、祭神である祇園社の前にはこの三つの町しか存在しなかったからだ。今の小城公園を中心とした城下町が出来上がるのは、もっと後の時代のこと。だからこの祇園祭りは、小城という町の歴史を語るうえで、最も重要な祭りということになる。

祭りにはそれぞれの町ごとに計三つの山鉾が登場するが、中でもユニークなのは下町のものだろう。ここの山鉾は他と違って、毎年新しくゼロから作られるところが珍しい。筆者は一度この製作工程を覗かせてもらったことがあるが、丸太に竹にワラや縄といったシンプルな材料だけで、町の有志が見事なチームワークで作り上げて行くさまに、おおいに感心したことを覚えている。あれは、学校の課外授業で見学させても、子供たちのいい勉強になるんじゃないだろうか?



そんな下町の山鉾を乗せる台車はいま、小城公園東側の松屋の堀に静かに浮かんでいる。ここだけはガッシリと丈夫なものが必要なため、毎年作り直すというわけには行かないのだ。なので、巨大な木製の土台と車輪はひび割れを防ぐため、祭りの日以外はバラバラにされ、一年中こうしてじっと水中に待機しているというわけだ。

夏雲を映した水面に浮かぶこれらの土台や車輪は、いま何を考えているのだろうか。「もうすぐ俺たちの出番だなあ」などと、ふるふる心を震わせているのだろうか。さっきまで亀が甲羅を干していた土台は、ただ黙って空を眺めているばかり。ともあれ、もうすぐ“祇園さん”の祭りがやって来る。だから暑いんだなあ。

  


Posted by 桜乱坊  at 21:22Comments(2)小京都

2008年04月20日

角館の桜はこれから

日本各地にある小京都のひとつに、秋田県の角館がある。“みちのくの小京都”とも呼ばれる美しい古都で、正しい町名は秋田県仙北市角館町。ここの観光協会が発行しているメルマガが筆者の元に届いたが、それによると当地ではこれから桜の花の見頃を迎えるらしい。日本列島はやはり南北に細長い。

ここの桜は、武家屋敷通りの「しだれ桜」が有名で、時代劇のセットのような黒板塀の続く通りの両側に、巨大な桜の古木が見事な枝を垂らしている。それらが満開の時期を迎えると、武家屋敷通りはまるで絵のような風景になる。なので通りには観光客が溢れ、静かな町がおおいに活気づくのだ。

メルマガによると、今年の角館の桜まつりは4月19日から5月5日までだとか。つまり4月の下旬から5月のゴールデンウィークいっぱいということなのだが、実はこの町の桜は二度楽しめる仕組みになっている。一度目は前述した武家屋敷通りのしだれ桜、そしてそれからやや遅れると、今度は桧木内川の土手に植えられたソメイヨシノの並木が花をつけるのだ。これがまたすごいんだなあ。



筆者が初めてこの町を訪れたのは、今からもう20年ほど前の4月末のこと。映画「思えば遠くへ来たもんだ」の舞台の町を見に、当時住んでいた東京から東北新幹線やローカル線を乗り継いで、ぶらり遊びに行ったというわけ。残念ながらそのときは、すでに武家屋敷通りのしだれ桜は終っていたが、その代わり桧木内川堤の桜並木がちょうど満開の時期を迎えていて、その美しさに思わずため息をついたことを思い出す。なにしろ、同じ月の初めに隅田川の桜を満喫したばかりだったから、二度財布を拾ったような気分だったのだ。

そんなわけで今年も角館では桜まつりの期間中、武家屋敷のしだれ桜と桧木内川の並木がライトアップされ、4月26日からの土・日・祝日は武家屋敷通りが歩行者天国になるという。近ければぜひ北国の桜を見に行きたいところだが、やはり佐賀から秋田まではちと遠過ぎるなあ。なので、やはりネットで見物することにしよう。http://kakunodate-kanko.jp/blog/

ただし同観光協会の危惧は、ことしの開花が予想以上に早いこと。このところ当地では高気温が続き、武家屋敷通りのしだれ桜はすでに8分咲き、桧木内川は4分咲きなのだとか。桜まつりの最後まで花が保つかどうかが、どうやら地元の心配のタネらしいが、これも地球温暖化のせいだとすれば、やっぱり二酸化炭素の罪は深いということになる。  


Posted by 桜乱坊  at 11:15Comments(0)小京都

2008年04月15日

小城が失ったもの

このところ夕方の散歩のついでに、近くの図書館をよく利用している。筆者のねらいは主にDVDだが、場所柄かお堅い名作映画やドキュメンタリーなどが多いので、その中からなるべく面白そうな奴を探して借りてくる。で、最近見付けて気に入っているのが、NHKの関連会社で制作した『日本の旅─小京都』というシリーズだ。



これは「全国京都会議」に加盟している、50市町ある日本各地の小京都を1話ずつ紹介するもので、全部で5枚のDVDに収められている。1枚に10話ずつが手際良くまとめられており、1話10分で全編通せば100分。ちょうどいい長さなので途中で飽きることもなく、シリーズをこつこつ1枚ずつ借りて来ては、じっくり夜などに観て楽しんでいる。一度にまとめて5枚ではないのは、一回に借りられる枚数に制限があるのと、楽しみをジワジワ持続させるためだ。

このシリーズの中には、佐賀県からは「伊万里」と「小城」が名を連ねている。どちらも佐賀を代表する古都だが、筆者としてはやはり小城の扱い方が気になった。一つは何といってもわが郷里だからだが、もう一つは、この町がはたして「九州の小京都」の名に恥じぬよう撮られているのか、おおいに心配だったから。なにしろ近年、変貌著しい小城の町だものなあ。



結果から言えば編集の勝利というのか、さすがはプロの腕。須賀神社や清水の滝という絵になるシーンから入り、円通寺や星巌寺などの古寺で小城の歴史を案内、最後に銘菓・小城羊羹の製造過程を簡潔に紹介してジ・エンド。10分の中に小城のエッセンスがうまく詰め込まれており、いかにもしっとりとした山あいの古都という映像に仕上がっている。まあ、このDVD自体が約10年前の制作ということもあるが、そこにはまだ小京都らしい面影を残す小城の町が、たしかに息衝いていた。表層的といえば表層的なのだが、やれやれちょっと安心。

ただ、残念なことがひとつ。このDVDには同じ小京都として、その他の町の姿も紹介されているのだが、彼らにはあっても小城だけに無い顕著なものがある。それは城下町らしい家並みだ。町家にしても武家屋敷にしても、筆者が子供の時分にはまだ十分残っていたはずの家並み。それらが今では、ほとんど小城から失われている。

同じ九州の小京都でも「知覧」や「日田」「飫肥」などに比べれば、その差は歴然だ。あちらにはちゃんと町家や武家屋敷の美しい家並みが今も残っており、町ぐるみで大切に保存されている。しかも観光の名所として、目玉の一つにもなっている。いいなあ。その風景を見ているだけで、筆者は羨望を禁じ得ない。

そうなのだ。後悔先に立たずとはいうものの、彼らには残ってなぜ小城には残らなかったのか──。そこのところを小城に生まれた人間も、いま住んでいる人間も、もう一度襟を正して考えるべきなんだろうな。  


Posted by 桜乱坊  at 10:35Comments(0)小京都

2008年03月24日

深川家の曵き家

はたして巨大な古民家が動くのだろうか──。そんな素朴な疑問を持ちながら3月22日、筆者は小城町上町にある深川家の曵き家工事見学会に行って来た。深川家は「九州の小京都」小城を代表する古民家で、江戸時代末期に造り酒屋として建てられたという、長い歴史を持つ建物だ。



で、見学会の始まる午後2時に現場を訪れた。なんと、来て見てビックリ。建物は既に正面から見て右に12メートルほど、すっぽりと移動しているではないか。動くものなんだなあ、家って。

この建物は国登録有形文化財に指定される貴重なもので、小京都らしい町家を次々に失った小城にとっては、残された数少ない財産の一つなのだ。今回の移動計画は、建物の前の県道が拡幅されることに合わせ、2メートルほどセットバックするというもの。3月に始まった工事は、移動した建物を江戸期のようにきれいに修復して、10月に完成予定だという。



工事のやり方はまず、建物を右側に動かした後、基礎石を2メートル後方に移し替え。その後、建物を後方に2メートル動かし、最後に左に移動させ基礎石の上に乗せて完了。壁や柱、建具などの化粧直しはその後になるという。本当に大工事なんだなあ。



現場では約40台の油圧ジャッキで床下を持ち上げ、移動用の板に乗せたコロで、そろりそろりと動かすという手法がとられていた。数十トンもの重さの建物だが、コロに乗せて曵くのは人力だというから驚いた。このやり方で、半日で建物は12メートル右に移動したのだという。コロは偉大なりだ。



現場の監督さんの説明によれば、こうした曵き家はかつて江北町あたりでは、炭鉱の坑道掘削による地盤沈下から逃れるため、けっこう事例が多かったとのこと。しかし最近ではこうした大掛かりな工事は珍しいようで、そのせいか放送局や新聞社などの取材も多かった。マスコミからも注目されているようだ。

持ち主の深川さんのお話では、完成後はこの建物を町の人が集まるコミュニティの場にしたいとのこと。素晴らしいアイディアだ。何といってもこの建物は、小京都・小城のシンボルのひとつ。町の人も行政も知恵を集めて、この家を中心にした町おこしにぜひ着手して欲しいものだ。古都・小城の再生はここから始まると信じたい。  


Posted by 桜乱坊  at 11:43Comments(0)小京都