2021年06月30日
本当に怖い話

そろそろ暑くなって来ると、テレビやネットのテーマには怖い話が多くなる。聞くところでは、世の中には心霊スポットだとか地縛霊だとか、そこへ行けば霊が現れると言われる場所があるようだ。廃屋、殺人現場、あるいはホテルなどの事故物件…。これはその土地や建物などから離れられず、霊がとどまっているかららしいのだが、向こうもよほどそこに執着があるのだろう。もっとも、筆者はこれまで見たことがないんだよなあ、そんな霊というものを。
思えば筆者も過去に仕事の出張やプライベートなどで、ずいぶん全国あちこちのホテルや旅館に一人で泊まったが、夜中に何かが出て来たことは一度もなかった。だいぶむかし、栃木県の塩原温泉にある某老舗旅館に泊まったときも、夜中に一人で川のそばにある露天風呂まで、崖に沿った暗く長い外階段を降りたことがあるが、そのときも何もなかった。ただ、崖の途中にある湯治客用のボロボロの廃屋が、ちょっと気味が悪かっただけ。それでも、何かに出くわしたということはなかったね。
地縛霊などこの世にいないのか、それともこちらの霊感がゼロなのか…。そもそも筆者は、地縛霊の存在というものを信じていないのだ。そこはまあ、確固たる自信がある。というのも、筆者が以前住んでいたのは東京都の墨田区で、そこは大正12年(1923)の関東大震災で約10万人、昭和20年(1945)の東京大空襲で同じく約10万人、計約20万人の人々が焼け死んだ場所だったのだ。特に東京大空襲は米軍による周到な準備のもと、下町の一般市民を雨あられの焼夷弾で、一夜にして焼き尽くした作戦だった。そのとき地上は、おそらく阿鼻叫喚の火炎地獄と化していたことだろう。
つまり、犠牲になった多くの人々は恨みを呑んで死んで行ったわけ。筆者はそんな悲惨な歴史のある土地の上で毎晩寝ていたのだが、この世に地縛霊というものがあるのなら、夜ごと枕もとで幾万の霊の声を聞いたはずなのだ。「熱い~、助けて~」とね。ところが、まったく何も出て来ない。そんな経験はゼロだったなあ。このように墨田区でビシッと鍛えられたお陰で、筆者は地縛霊などこの世に存在しないという確信を得たわけだ。
そもそも考えてみれば、われわれが住んでいる土地には、それぞれに長く堆積した歴史がある。今は平和そのものの場所でも、そのむかしは誰かの墓だったかも知れないし、凄惨な殺し合いがあった合戦場や、罪人が首を斬られた刑場だった可能性もある。要は、探せば何でもありなのだ。そんなことが皆無だった清浄な場所といえば、よほど歴史の古い神社か宗教的な聖域くらいなものだろう。なので地縛霊などを気にしていたら、長い歴史のある日本には住んでいられないことになる。
ただし、筆者も地縛霊を信じてはいないが、怖い思いをしたことはある。もっとも、映画の中の話だけどね。それはスタンリー・キューブリックがスティーブン・キングの原作を映画化した『シャイニング』だ。インディアンの墓場の上に建てられた山のホテルが舞台で、ひと冬の管理人を任された一家が、無人のホテルで死ぬほどの恐怖を味わうという物語なのだ。主演のジャック・ニコルソンが徐々に狂って行く様を、演技とは思えないほどのリアルさで見せてくれるが、これはホラー映画の最高傑作とも言えるんじゃなかろうか。とにかくあの顔が恐ろしい。むろん真の主役は、地縛霊に取り憑かれたこのホテルなのだが…。
そういえば『シャイニング』の完結編と銘打って、2019年に公開されたのが『ドクター・スリープ』という映画だったっけ。同じくスティーブン・キングの原作で、こちらの監督はマイク・フラナガンなる人物。筆者も期待して観に行ったのだが、まあ見事なほどのB級ドタバタホラーでがっかりした記憶がある。監督が違えばこうも違うものかという好例のような映画で、逆にキューブリックの鬼才ぶりを際立たせてもくれたけどね。これは地縛霊というより、ゾンビ映画の部類に入れた方が良さそうだ。お陰で筆者はちっとも怖くなかった。
筆者がこれまでお尻の底からゾゾーッとしたのは、まだ学生だった頃に下宿で、ただ一度経験したある出来事だったな。これは正真正銘、実際にこの身で経験したこと。それはある夜、勉強中だったか読書中だったか忘れたが、筆者は部屋の電灯をつけたまま机で居眠りをしていた。ふと夢の中で聞いたのは、窓ガラスをコンコンと叩く音。目が覚めて寝ぼけまなこで時計を見ると、深夜の3時頃だっただろうか。カーテンもない窓で、磨りガラスの外は真っ暗闇。筆者は思わず「はい」と答えていた。返事なんかしなきゃ良かったんだけどね。
そのとき窓の外に立っているらしい誰かが、はっきりこう言ったのだ。「この写真の人を知りませんか?」。それは女の声だったが、婆さんの声ではなかったね。筆者は驚いて少し強くこう言った。「明日にして下さいよ、何時だと思ってるんですか!」。すると相手は「はぁい」と消え入りそうな声で答え、それきりいなくなったようだった。筆者は突っ立ったまま、それからどれくらいの時間そうしていただろう。気がついたとき、ゾゾーッと身体の芯から震えが来たのを、よく覚えている。あれはいったい誰だったのか、今でも分からない…。
それは一人の女の狂気だったのか、行き場のない情念だったのか? いずれにしろ深夜に他人の窓ガラスを叩くなど、常人のやることではない。しかも相手は女だものなあ。事実は小説より奇なりだが、今でも気になるのは「この写真の人」だ。死んだ自分の子供、行方知らずの肉親、去って行った恋人──いろいろ想像は出来るが、そこからは何やら暗い物語が浮かび上がる。こうして見るとやっぱり本当に怖いのは、地縛霊より生身の人間の狂気や情念の方なんだろうな。