2024年05月31日
育て真っ赤な唐辛子!

ベランダのプランターボックスに唐辛子の種を蒔いたところ、小さな青い芽がニョキニョキと無数に出て来た。種は通販で購入したものなので、この芽が成長すれば夏から秋にかけて、ベランダは赤い唐辛子の実でいっぱいになるはずだ。そうなれば採り放題の食べ放題(?)になるのだが、ちょっと不安材料もある。というのもこのプランターボックス、昨年まで名前不詳のツユクサに似た雑草が繁茂していたので、その種が残っていた可能性もあるのだ。つまり置き土産というやつ。まさか、そんなことはないとは思うんだけどねえ…。
まあ、この芽が唐辛子かツユクサかハッキリするまで、もう少し成長を待つしかないが、楽しみといえば楽しみではある。ただし筆者はズボラな性格なので、まめに水やりしたり肥料をやったりというのがどうも苦手。成長したら放っといて、勝手に育ってくれればそれが一番だ。調べてみると、唐辛子の辛味成分は「カプサイシン」が主体らしいが、これは土壌の環境が栄養不足や乾燥などで悪化すると、ストレスがかかって増える傾向があるという。どうやら痩せた土地からは、かえってピリッと辛い唐辛子が生まれるらしい。これは「家貧しくして孝子あらわる」ってことかな?
このカプサイシン、身近なところでは真っ赤な「一味唐辛子」でおなじみだ。筆者にとっては、うどんや蕎麦など麺類に欠かせないお供だが、食欲増進はもとより食べた後の汗で、体がスッキリした感じになるのがまた良いんだよね。つまり爽快感ってやつだ。これはカプサイシンの摂取でアドレナリンの分泌が活発になり、血流が良くなった結果として体温が上昇。そのまた結果として、発汗が促されるというメカニズムのようだ。因果はめぐるカプサイシンだが、なんだか体に良さそうで嬉しい奴じゃないか。
ただし、カプサイシンすなわち真っ赤な色素というのは、どうも素人の勘違いらしい。なぜなら同じナス科トウガラシ属の食べ物で、色が真っ赤になるパプリカや赤ピーマンはちっとも辛くないものな。そうなんだよね。これらに共通する赤い色は、「カプサンチン」という別の色素成分によるものなのだ。このカプサンチンを主成分にした色素は、「パプリカ色素(トウガラシ色素)」と呼ばれ、お菓子や飲み物など種々の飲食物の着色に使われているらしい。赤いゼリーがちっとも辛くないのは、そのせいなんだな。黄身がやたらと赤い卵があるのも、ニワトリの餌にパプリカを与えているからで、ちなみにトウモロコシを多く与えれば黄色くなり、コメを与えれば白くなるのだという。へえ〜、知らなかった!
ということは、真っ赤な唐辛子はカプサイシンとカプサンチンという、まったく別の成分を併せ持つことになるわけだ。カプサイシンは前述したように辛味成分で、胃腸で吸収されると血液で脳に運ばれ、中枢神経を刺激してアドレナリンの分泌をうながす。それによりエネルギーの代謝を高め、脂肪を燃焼し、血行を良くするのだという。筆者のような脂肪のたまりやすい人間には、カプサイシンは涙が出るほどありがたい成分なんだな。ようし、今年の夏は筆者ももっと辛いものを食べて、念願のダイエットを成功させなければ…。といっても、あまり辛過ぎると舌が痺れるけどね。
もう一方のカプサンチンは赤い色素成分だが、こいつがスゴイのはただの着色料にとどまらないところ。なんと優れた抗酸化作用を持ち、悪玉コレステロールが酸化されるのを防ぎ、善玉コレステロールを上昇させる働きがあるのだとか。善玉コレステロールは、血管に溜まったコレステロールを掃除する作用があるので、老化や動脈硬化の予防に有効らしい。おまけに脳血管の病気や心臓病などの、生活習慣病の予防にも効果があるというから、こうなると今までカプサンチンを知らなかったことが、筆者は恥ずかしい。ああ、普段からもっと赤いものを食べときゃ良かったよ。
辛味成分のカプサイシンと色素成分のカプサンチンの、両方をそなえた唐辛子は、知れば知るほど健康に良いスーパーフードだったのだな。もともとこの唐辛子は南アメリカが原産地で、それをかの地から持ち帰り世界中に広めたのは、ご存知のコロンブスだと言われている。この人、他にもいろんなものを持ち帰っているなあ。で、めぐりめぐって16世紀の中頃に、ポルトガル人が日本に鉄砲を持ち込んだとき、この唐辛子も同時にやって来たという説がある。まあ、鉄砲の件は筆者も知っていたけど、唐辛子については諸説があり真相はどうも分からない。事実だとすればこの1543年は、鉄砲と唐辛子という日本人にとって重要な二つの物が、同時に伝来した記念すべき年ということになるが…。
ともあれ、筆者がプランターに蒔いた唐辛子の種は、まだ芽が出たばかり。これから夏の陽を浴びてスクスクと成長し、秋あたりには真っ赤な実をいっぱいにつけてくれれば嬉しいのだが。なんたってスーパーフードだからね。ただし筆者の唯一の気がかりは、あの芽が唐辛子ではなくツユクサのものだったらということ。まさか、そんなことはないとは思うんだけどねえ…。
2024年03月30日
春の野は食の宝庫?

世の中いよいよ春めいて来て、眠っていた生物が目を覚ます季節だ。寒さに縮こまっていた筆者も、なんだか心ズキズキワクワク、つい外に飛び出したくなるから不思議なのだ。やっぱり、日差しが伸び気温が暖かくなる春は、光り輝く〝生命の季節〟なのだろう。この変化にまず敏感に反応するのが草や木などの植物で、若芽・新芽がすでに至る所に顔を出している。これらは、見た目も美しいうえに食べても美味いので、むかしから人間たちの食用に供されて来た。
有名なのが百人一首にある光孝天皇の、「君がため 春の野に出でて 若菜摘む 我が衣手に 雪は降りつつ」という和歌。古代の貴人たちも春先の寒い中、野っ原に出て若菜なんか摘んでいたのかな。まあ、むかしは今みたいに野菜の種類も豊富ではなかったはず。野草や山菜の若い芽を摘んでは、せっせと食用にしていたのだろう。ただし、当時の料理法には天ぷらも炒め物もなかったから、汁に入れたりおひたしにしたりが主流だったのかも。と言っても、醤油も味の素もドレッシングもない時代、筆者にはあまり美味そうにも思えないのだが…。
そういえば筆者がこの春先、何度かおひたしにして食べたのが、川の土手に咲いたハマダイコンの花。こいつの蕾のままの茎を、散歩ついでにゴッソリ摘んでは持ち帰り、たっぷり出汁をかけて、ありがたく頂いたというわけだ。なんといってもこれ、土手一面が真っ白になるほど群生しており、そのままにしておくのは勿体ないのでね。ハマダイコンはダイコンが野生化したものと言われ、見た目は白いナノハナといった感じだろうか。なので、毒などの心配はない。味の方だが、ちょっぴり苦味があるものの非常に美味で、まさに春の味。おかげで筆者もしばし、古代の貴人の気分に浸ったというわけだ。
草の芽といえば、フキノトウも顔を出す頃だろうか。フキといえばあの長い茎を連想するが、茎と呼ばれる部分は実は「葉柄(ようへい)」といい、葉っぱと地下にある茎をつなぐものらしい。これは知らなかったね。この地下茎から、春になってニョキッと顔を出すのがフキの花の芽、つまりフキノトウなのだ。筆者は新鮮なフキの煮物や、キャラブキなどは好物なのだが、実をいうとフキノトウはまだ食したことがない。なぜなら、ちょっと苦味の強いイメージがあって、あまり食指が動かないのでね。しかも、買うとけっこう高いし…。むろん、誰かタダでくれる人がいれば、喜んで挑戦するつもりだが。
それより、驚くべきなのはフキノトウが近年、ガン治療の分野から注目されていることだ。斯界の研究グループの発表によれば、フキノトウに多く含まれるペタシンが、ガンの増殖と転移を強く抑制することを発見したという。しかもペタシンは、抗ガン効果が顕著なのにもかかわらず、副作用がないという超優等生。おまけにこのペタシン、人工的に大量合成できるため、新しい抗ガン・転移阻害薬の開発も期待されるのだという。まさに夢のような話じゃないか。フキノトウにそんな秘めた力があったとは、お釈迦さまでも知らなかったはず。人は見かけによらぬものだが、春の新芽の中には、他にもスーパーパワーを持ったものがあるのかもしれない。
しかしこうなると筆者は、やっぱりタラの芽の話をしたくなる。あれはだいぶ前に仕事で、山梨県の富士急ハイランドの近くに行ったときのこと、地元の店で夕食に食べたのがタラの芽の天ぷらだったのだ。とにかく、あれは美味かったね。しかも山国だけに、量のまあ多いこと。ビールのつまみとして頼んだのだが、いまでも思い出すほど強く印象に残っている。タラの芽は山菜にしてはアクも少なく、食べやすい食材なのだ。「山菜の王様」と呼ばれるのもむべなるかなで、さらには植物繊維はむろんのことビタミンB群、ビタミンC、カリウムなど、体に良さそうな栄養素も豊富。タラの木は棘だらけで近寄るのも危険なのに、芽の部分が優良食品というのが不思議といえば不思議だ。小林一茶の俳句に「たらの芽の とげだらけでも 喰はれけり」がある。
でもまあ、われわれの最も身近な草といえば、そこら中どこにでも生えているヨモギだろう。筆者はこのヨモギの入った草餅が好物なのだが、香りが良い上に食物繊維も豊富なので、日本人に一番人気の食べられる野草かも知れないね。フーテンの寅さんでお馴染み、葛飾柴又の帝釈天への参道には、名物の草餅を出す店が並んでいる。なにしろ、帝釈天(題経寺)のすぐ隣は江戸川の土手で、ヨモギがわんさか生えている。こうしたヨモギの新芽を摘んで蒸したあと、乾燥させると「よもぎ茶」の茶葉になるという。これにお湯を注げば、日本産ハーブティーの出来上がりだ。
筆者はこの「よもぎ茶」をまだ飲んだことがないが、YouTubeに作り方を紹介した動画があった。見れば意外に簡単そうなので、今度作って飲んでみようかと思っている。なんたって材料のヨモギは、そこら中で手に入るからね。このよもぎ茶には、免疫力向上や消化促進、アンチエイジングなど、さまざまな効能があるらしい。ホンマかいなという気もするが、もともとヨモギは万能薬として知られ、お灸で使うモグサの原料にもなる薬草だしな。信じる者は救われる。ほかにも探せば、春の野には体に良さそうな若芽・新芽が、ゴマンとあるのではなかろうか。
2023年06月30日
美味いものはいつ食べる?

最近は日本のフルーツサンドが外国人の間でも人気のようだが、この前見たYouTubeの動画では、各国の女性がイチゴサンドを食べる様子を映していた。まあ、どこの国でも若い女性は、こういうフンワリした甘いものが好きなんだな。面白かったのはその食べ方の違いで、人によってイチゴを先に食べてしまうタイプと、最後の楽しみに取っておくタイプと、二つに分かれるのが興味深かったね。これは国籍に関係なく、その人の性格によるものなのだろう。
筆者はもちろん、美味いものは最後に食べるタイプ。イチゴサンドはちと遠慮するとしても、栗羊羹の栗や天ぷら蕎麦の海老天は最後まで残しておいて、フィナーレにガブリと頂くのが好きなのだ。その方がしばらく美味さの余韻を楽しめるし、また食べたいという次へのモチベーションにも繋がるというもの。ケチ臭い食べ方と言われようが、筆者は子供の頃からこれが好きなのだから仕様がない。だいいち、先に美味いものを食べてしまうと、あとに楽しみが残らないと思うんだけどね。
思うに、先に美味いものを食べてしまうタイプは、子供の頃に比較的恵まれた家庭で生まれ、ケチ臭いことを考えなくても、次々と美味いものが出て来る環境に育ったのかも知れないな。つまり、イチゴサンドのイチゴを先に食べたら、残ったパンの部分は無理に食べなくても良いという考え方だ。ケチケチしなくても、美味いものはいくらでも出て来るとなれば、子供の頃から気っ風のいい食べ方が自然と身に付くのだろう。これはこれで悪くはないと思うが、美味い部分だけを食い散らかすような食べ方をすると、世間から親のしつけを問われることになりそうだ。
反対に最後まで美味いものを取っておくタイプは、良くいえば計画的、悪くいえばケチで貧乏臭いとなるのだろう。筆者などはこれにピッタリだが、まあ金持ちじゃない家庭に育った以上、自然とそうなったのも仕方がない。もっとも美味いものが最後に待っているのだから、フィナーレに向けて気分は盛り上がるし、結果として食べ方も計画的で丁寧になる。むろん、食べ残しなどはトンデモナイ。もし美味いものを最後まで取っておいて、いよいよのとき満腹で食べ残したとしたら、世間からはアホと笑われるだろうな。筆者などはそうならないよう、食べ方には気をつけている。
ただし、美味いものを先にという食べ方は、弱肉強食の自然界では理にかなっているようだ。なにしろマゴマゴしていると、美味いものをいつ競争相手に奪われるか分からない。その前に自分の胃袋に入れてしまうのが、サバイバルの絶対条件なのだろう。例えば、草原の王者ライオンはシマウマなどを倒したとき、いちばん先に大人のオスやメスが食らうのは内臓の部分だ。そこは柔らかく、ビタミンなどの栄養が豊富と来ている。つまり、彼らにとってはいちばんのご馳走なのだ。そして残された筋肉などにかじり付くのが、子供のライオンという順番になっているらしい。生存競争は厳しいねえ。こうなると筆者のようなケチ臭いタイプは、どうやら自然界では生き残って行けなさそうだ。
ちなみに人間にとって、焼肉屋で最高のご馳走はロースやヒレといった柔らかな肉の部分で、モツと呼ばれる内臓はそれより下という格付けになっている。つまりわれわれは筋肉が大好きで、本当は栄養価の高い内臓を格下扱いしているわけ。ライオンが聞いたら目を剥いてうなりそうな話だが、美味いものの定義は動物によって違うということか。そういえば、モツの中でも腸のことを「ホルモン」と呼ぶが、一説ではこの語源は大阪弁の「ほるもん」だという。あちらでは捨てることを「放(ほ)る」と言うが、つまり肉屋では牛や豚の腸はもともと捨てるものだったことから、その名が付いたという説だ。これもやっぱり、ライオンが聞いたら目を剥く話だろうな。もっとも、安くて美味いホルモンは筆者も嫌いではない。
しかし、美味いものを最後に食べるには、それまで誰にも奪われないという、前提条件が必要になる。兄弟が多い子供ならまわりは敵だらけだし、自然界の動物もまた同じはず。なので人間だったら一人っ子、動物だったら敵の来ない場所を知ってる生き物が、断然有利となるだろう。なにしろ最後に食べようと取っておいた肉を、その直前に横取りされたらたまったものじゃあない。その点、ヒョウなどは捕らえた獲物を木の上まで引っ張り上げ、そこで悠々と食べるという習性を持っている。高い木の上なら、ライオンやハイエナの横取りを気にせず、じっくり食事が出来るわけだ。高みの見物をしながらの食事は、きっと極上の味がすることだろうな。その気持ち、筆者にはよく分かる。
もっとも、美味いものを最後まで取っておいても、食べてみたらガッカリということもよくある。当て外れという奴だが、この場合はショックも大きい。大事に取っておいた天ぷら蕎麦の海老天が、いざ食べてみたら衣ばかりで中身がショボかったときなど、誰もが人間不信に陥ることだろう。こんなことなら最初に食べて、ショックを和らげときゃ良かったと…。なので、美味いものを最初に食べるか、最後に食べるかの判断は、自己責任ということにしておこう。
2022年11月30日
食べて驚く意外なモノ

外食などをすると、食べた料理に意外なモノが入っていて、驚いたりすることがある。いい例が、酢豚に入ったパイナップルだ。だいぶ以前、筆者が入ったちょっとお洒落な中華料理店で、これにぶつかった。ランチの酢豚定食を食べていたところ、豚肉やタマネギなどに混じって「ん?」と驚く甘い食材が入っていたのだ。それがパイナップルと気づくまで、そう時間はかからなかったが、これがご飯のおかずなの?と、意表を突かれたのは間違いない。もっとも、油で炒め甘酢で絡めてあったから、味の方はちゃんと美味しかったけどね。
聞くところでは、パイナップルに含まれる酵素の働きで、肉のタンパク質が分解されて柔らかくなるのだという。また糖質、脂質が多い酢豚にパイナップルが加わることで、代謝をサポートしてくれるのだとか。なるほど、単に奇を衒ったわけではなく、ちゃんとした理由があったんだな。ただしこれ、日本人コックのちょっとしたアイデアではなく、中国の清代の頃から料理人はすでに使っていたらしい。当時のかの国でパイナップルは、めったに手に入らぬ高級食材。つまりパイナップル入りの酢豚は、来賓をもてなす高級料理だったというわけだ。
同じ甘い食材でやはり「ん?」と思ったのは、某カレー専門店で食べたベジタブルカレーに、レーズンが入っていたときだったなあ。このときも筆者は、意表を突かれた感じがしたものだ。まあ、レーズンパンなら分かるけど、カレーライスとレーズンを同時に口に入れると、どうしても舌の方が混乱する。なので最初は戸惑った筆者だったが、食べているうちにじきに慣れてしまった。あの甘いツブを噛み砕くたび、塩味に飽きた舌が喜んでいるのが分かった。人間の舌はあんがい適応力があるようで、しまいに筆者はどこか中近東か西域あたりの店で、カレーを味わっている気分になったっけ。
そもそも、甘いフルーツを料理に使うことは罷りならん、という法律は世の中に無いらしい。考えてみれば、リンゴ入りのポテトサラダや柿の白和えなどは、あんがいポピュラーな家庭料理だし、レストランではメロンを生ハムで巻いたものを食べたことがある。もっとも、生ハムメロンは酒の席に出てきた料理だったけどね。あのときは、甘いメロンと塩っぱい生ハムが口の中で混ざり合い、奇妙なハーモニーを生むのが意外だったな。聞くところでは、世間にはイチジクの生ハム巻きというものもあるらしいが、筆者はまだ出会ったことがない。何でも生ハムで巻けば良い、というものでもないと思うんだが…。
だが、野菜は塩分で味付けして料理に使い、甘いフルーツは食後のデザートという考え方は、人間が勝手にこしらえた固定概念かも知れないな。だいいち、野菜だって砂糖で味付けすればデザートに早変わりする。日本では小豆を砂糖で煮込んで、餅や饅頭のアンコとして使うのが当たり前だが、豆を煮込み料理の具材と考えている外国人は、これを見てビックリするようだ。「オー、アンビリバボー!」。だが、食べてみて二度ビックリで、最近は大福餅の美味さにファンになる外国人も多いらしい。何ごとも食べてみないと分からないもの。筆者も大福餅や羊羹は好物なのだ。
そんな外国人がさらにビックリするのが、コンビニでよく見かけるフルーツサンド。柔らかい食パンに、生クリームとイチゴやパイナップル、メロンなどのフルーツを挟んだ、日本生まれのサンドイッチだ。筆者はまだこれも食べたことがないが、主食なのかお菓子なのかよく分からないのに、全国で静かなブームになっている不思議な商品らしい。そもそもサンドイッチはイギリス発祥の、パンにハムや野菜を挟んで食べる簡易食。トランプをしながら食事が出来るようにと、サンドイッチ伯爵が考案したものと言われている。この人物、食事の時間も惜しむほどの、よほどの賭博好きだったらしい。
なので、サンドイッチを主食の一つと考えている外国人は、日本で出会ったフルーツサンドに目をシロクロのようだ。何といってもパンの間に、甘い生クリームとフルーツが収まっている。やはり「オー、アンビリバボー!」だろうね。ところが、これを食べた彼らはあまりの美味さに「オー、マイ、ガー!」。ユーチューブには、フルーツサンドを初めて食べて感動する、彼らの動画がいくらでもアップされている。見てビックリ、食べて納得、というやつだ。考えてみれば、パンに生クリームにフルーツだから、ケーキの一種と言えば言えないこともないが、見た目がサンドイッチというところが、彼らの常識外だったんだろうな。
そこで思い出すのが、アメリカ生まれの巻き寿司・カリフォルニアロールだ。なんと寿司の具材にアボカドが使われており、今度は日本人がビックリさせられた。「冗談はやめろよ!」。なにしろ日本の伝統料理と、熱帯生まれの果実の取り合わせだから、初めてそれを聞いた日本人はやはり頭を抱えたね。しかしこのカリフォルニアロールが、アメリカ人を寿司に目覚めさせたとすれば、筆者もいまさら否定する気はない。というか、アボカドはワサビ醤油と意外なほど合うので、食べてみればけっこうイケるんじゃなかろうか。まあ、その気はないけど。しかし地球が狭くなった現代では、これからも意外な食材の組み合わせから、常識破りの料理がどんどん生まれることだろう。たとえば、ドリアンと鮒寿司とくさやの和え物とかね…。
2022年07月31日
美味いものが食べたい

日本を訪れる外国人観光客にも、お目当てのものが色々あるようだ。その中でよく聞く声は、日本の食べ物を食べることだとか。彼らにとって日本での食事は、大きな楽しみの一つらしい。和食はユネスコの無形文化遺産に登録されたほどだし、いまや世界中が日本の伝統的食文化に高い関心を持っている。食材は新鮮だしヘルシーだし、おまけに見た目は美しいし──とね。だがそんな理屈は横に置いても、和食に限らず日本には多種多様な食文化が花開いている。
なにしろお金さえあれば、寿司に天ぷら、すき焼きにしゃぶしゃぶ、うなぎの蒲焼や和牛ステーキなど、いくらでも高級料理が楽しめる。お金のない人も街を歩けば、牛丼やカレーのチェーン店から、うどんや蕎麦といった麺類の店、また町中華のラーメンに餃子、居酒屋のおでんに焼き鳥など、安いメニューがより取り見取りだ。つまり、どこに行っても美味いものが味わえるというわけ。しかも日本は北から南まで細長く、郷土料理も種々様々ときている。
日本の食べ物に詳しい外国人ユーチューバーが言うには、日本は都会から田舎まで美味いものの宝庫だそうだ。それも高級料理店はもちろんだが、そうでない庶民的な店に入っても、ちゃんと美味いということが感動的らしい。われわれ日本人の感覚からすれば、高い店だろうが安い店だろうが、金をとる以上は美味いものを出すのが当たり前。だが、どうも外国はそうではないようだ。高い店が美味いものを出すのは当然として、安い店はまあそれなりの味というのが、どうやらむこうの常識らしい。なので、日本で安くて美味い店に出くわすと、彼らはいたく感動するんだとか。
日本の料理が外国人を感動させるのは、やはり料理人の腕が良いということだろう。そこからはものづくりに拘る、日本人特有の職人魂が見えて来る。安かろうが高かろうが、とにかく味にこだわる頑固な職人が、日本にはたくさんいるからね。一流店のシェフや板前さんから、町のラーメン屋のオヤジまで、完璧を目指す精神はみな同じ。仕事場は神聖なる道場であり、道を極めるためには人生を賭けるという、まるで刀鍛冶みたいなプロフェッショナリズムが、そこにはありそうだ。好きなんだよね、日本人はこういうのが。
テレ東で放送しているドラマ『孤独のグルメ』には、そんな無名の職人たちが何人も登場する。主人公の井之頭五郎が商談に出かけた先で、たまたま見かけた店に入るというストーリーだから、出て来る店はたいてい大衆食堂とか町の中華屋、洋食屋などだ。番組ではそうした実在する店で、コツコツ地道に働く隠れた名人にスポットを当て、あたたかな視点で紹介している。誰もが誠実で真摯に味に向き合っているところに、筆者などはいつも感心するのだ。ただし、観ているうちに腹が減るのがちとツライけど…。
だが何といっても、日本の料理がどれも美味いのは、料理人が出汁(だし)に拘るからだろう。出汁──つまり、うま味だ。世界中で日本の料理人ほど、出汁に拘る人々はいないんじゃなかろうか。なにしろ、この「うま味」を世界で初めて発見したのは、日本人の化学者・池田菊苗博士なのだ。池田博士は1908年に昆布の煮汁から、うま味の素であるL-グルタミン酸ナトリウムを抽出したわけだが、これを製品化したものが筆者も愛用する「味の素」。甘味、酸味、塩味、苦味に次ぐ第五の味「うま味」は、そのまま「UMAMI」として世界でも使われるようになった。
もっとも「うま味」の発見以前から、日本の料理人はいろんな食材から出汁が取れることを知っていた。前述の昆布からはグルタミン酸を、鰹節からはイノシン酸を、またシイタケからはグアニル酸をという具合に、自分の経験や先人の教えなどから、上手に出汁を取っては料理に活かしてきたのだ。つまり伝統的に、日本の料理はまず出汁ありきということ。これはプロの料理人に限らず、ふつうの家庭でも同じことだろう。毎朝食べる味噌汁も、冬場に囲む寄せ鍋も、そもそも出汁がなかったら始まらないのだ。
かつてチェルノブイリ原発の爆発事故の後、放射性物質を体外に排出させる作用があるとして、味噌が日本からヨーロッパに輸出されたことがあった。筆者には当時の、泣きそうな顔をして味噌汁を飲む、むこうの子供達の映像が印象に残っている。あのとき可哀想だと思ったが、いまから考えればきっとあれには、出汁が入ってなかったんだろうね。そりゃマズいはずだ。外国人に味噌を送るんなら、鰹節も一緒に送ってあげないとな。
まあ、こんな〝出汁の王国〟日本だから、和食はもちろんのこと洋食だろうが中華だろうが、厨房の板前さんもコックさんも、腕によりを掛けて出汁をとっているはず。動物性に植物性と、様々な食材にはそれぞれのうま味が含まれている。どんな食材からどんなうま味を引き出し、どう調合するかが料理人の腕の見せどころだ。職人魂で日々研鑽を重ねている彼らのおかげで、日本中どこに行ってもわれわれは美味いものが食べられるというわけ。外国人には、そこが感動的なんだろうね。
2022年04月30日
激辛料理と日本人

よく日本人は辛いものが苦手だと言われる。たしかに同じアジアでも周辺の国々と比べると、日本には伝統的に辛い料理が少ない気がする。すぐ隣の朝鮮半島には赤唐辛子タップリの料理が多いし、中国料理にも激辛ものがたくさんある。これが東南アジアやインドあたりに行けば、料理とは辛いのが当たり前とか言われそうだ。あっちの国の人々は、唐辛子をボリボリかじったりするからなあ。
考えてみれば日本を代表する料理って、すき焼きにしろ天ぷらにしろしゃぶしゃぶにしろ、辛さとはほとんど無縁なのだ。いやいや、寿司や刺身にはワサビが付きものという人もいるが、あれは辛いというより鼻にツンと来るタイプだから。唐辛子や胡椒などをふんだんに使った、口や食道や胃の中が火事になるような、近隣国の料理に比べれば、ワサビなどはひと時の清涼剤みたいなもの。本当の激辛料理はトイレにまで追いかけて来るから、胃腸の弱い日本人には厄介なのだ。
そういえば筆者が若いころ、仕事の打ち合わせに出かけた会社でのこと。打ち合わせが終わり昼になったので、先方の友人二人と食事に行くことになった。で、連れて行かれたのが一軒のカレー専門店。くだんの二人が頼んだのは、なんと辛さが最高ランクのカレーだった。負けるもんかと筆者も同じものを頼んだが、さすがにこれはキツかったね。だが、ニヤニヤしている二人に弱音を吐くのもシャクなので、ガマンして平気な顔で一皿食べ終えたのだった。ただし、しばらく経ってトイレに行きオシッコをしたとき、尿道にビリッと電流が走ったのには驚いた。いや~、あれは体が震えるようなショックだったなあ。
そうそう、筆者がかつて台湾に行ったときも、けっこう辛い料理を連日食べたっけ。そして、旅行の日程が終わり最後の日に案内されたのが、わりと庶民的な台北の台湾料理店。ジューシーな小籠包など、そこで食べたものはどれも美味かったが、調子に乗って激辛料理などもパクパクと食べてしまった。やがて台北から帰国の飛行機に乗った筆者の、腸の具合がおかしくなり始めたのは、羽田からのモノレールが浜松町に着いた頃だったかな。そこから、当時住んでた千葉県の柏市に電車で帰り着くまで、筆者がどれほどの艱難辛苦を耐え忍んだことか…。なにしろヤバかったのだ。そこから得た教訓は、激辛料理は食べるときは美味いが、後がちと怖いということ。
ちなみに、唐辛子の辛味成分として知られるのがカプサイシン。ある学者の研究によれば、人が唐辛子を食べて頭痛・腹痛・下痢などの症状を起こすのは、体がカプサイシンの刺激を火傷と間違えたことによる反応だとか。なるほどね、そうだったのか。まあたしかに唐辛子のピリッと来る感じは、火傷の瞬間のアチッという感覚と似ているものな。なので胃腸のことを考えるなら、カプサイシンの大量摂取は控えた方が良さそうだ。ただし少量のカプサイシンは適度に胃を刺激し、胃液や唾液の分泌を活性化させ、食欲を増進させてくれる。やはり筆者などは焼き鳥やうどんに、少しだけ一味唐辛子をかける程度にしておこう。
もっとも、日本人も慣れれば激辛料理に耐性が出来る。辛いカレーも毎日食べていれば、辛さを感じなくなるというわけだ。今では街に、激辛が売り物のラーメン屋やカレー屋は珍しくなく、またタイ料理店や韓国料理店、中国料理店などに入れば、激辛のうまい料理がいつでも食べられる。しかもそうした店はけっこう人気があるのだ。辛いものが苦手だった日本人も、すっかり味覚が変化し、胃腸が丈夫になったということだろうか。そういや東京には、ありとあらゆる外国料理の店がある。日本人の味覚への貪欲さは、底がないのかもしれないなあ。
こうした辛い料理が生まれる要因は、いくつかあるのだろう。一つはやっぱり暑い国々のように、肉や魚の腐敗防止や臭い消しのため、香辛料が必要だったことが考えられる。もう一方で寒い国では、血行を良くし体を中から温めるため、香辛料を活用した料理が生まれたのだろう。前者の代表がインドやタイのカレー料理なら、後者の代表は韓国のキムチチゲかな。なので、気候が温暖で新鮮な海の幸や山の幸が豊富に手に入る日本には、辛い料理が発達しなかったのかもしれないね。まあ、生魚料理に付き物のワサビや、九州から生まれた柚子胡椒、新潟県のかんずりなどもあることはあるが、これらは料理の薬味にすぎないものな。
ところで、唐辛子の入った辛い料理を食べると、つい水を飲みたくなるが、これはどうやら逆効果らしい。辛味成分のカプサイシンは水には溶けず、かえって口の中に広がってしまうのだとか。効果があるのは牛乳やヨーグルトなどの乳製品で、カプサイシンを溶かして口の中から流してくれるそうだ。他にも砂糖や油脂を使ったデザートは、辛さをマイルドにしてくれるのだという。そう言えば中国料理店の辛い麻婆豆腐を食べた後は、デザートの杏仁豆腐がバカ美味いし、タイ料理の最後にはタピオカの入った甘いココナツミルクが食べたくなる。なるほど、世の中はうまく出来ている。やっぱりデザートは、必要から生まれたものだったのだな。
2021年10月31日
おにぎり無双物語

秋らしい清々しい日が多くなると、ついリュックに弁当を入れてピクニックに出掛けたくなる。そんなときのメニューはおにぎりが一番だ。筆者が子供の頃は「握り飯」と言ったものだが、最近は「おにぎり」が一般的になっている。同じものを「おむすび」と言う人もいるが、九州人はあまりそうは呼ばないなあ。イメージとしては、何となく「おにぎり」がしっかりした三角形で、「おむすび」は丸っこい可愛い形を連想させる。これは筆者が子供のころ紙芝居で見た、お伽話『おむすびころりん』の影響だろうか…。
何といっても、晴れた空の下で食べるおにぎりの味は格別だ。別にヤマザキのランチパックでも良いのだが、やっぱり日本人はしっとりした米の味に惹かれるんだよな。海苔で包んだものを手づかみで頬張ると、いくらでもモリモリ食べられるから不思議なのだ。それでも、近ごろウエストを気にしている筆者は、2個くらいにとどめるようにしているが、友人の女性画家は創作に取りかかる前に、3個ほどペロリとたいらげるらしい。おにぎりはエネルギーの素でもあるんだな。
おにぎりの具のスタンダードといえば、やはりシャケか梅干しかおかかだろう。いやいや、昆布の佃煮やタラコも捨てがたい。だがコンビニに行けば、もっと多くの種類のおにぎりが並んでいる。調べてみると、コンビニおにぎりの人気ナンバーワンは、どうやら断トツでツナマヨということらしい。なるほどね、食べやすく味と香りの良いツナと、万能ソースのマヨネーズが手を結べば、天下無双のコンビというわけか。むろん筆者もこれには納得だ。
コンビニおにぎりは種類が多いのが特徴だが、中には意外な具が入ったものもある。焼肉入りは筆者も食べたことがあり、なかなか美味かったが、これは韓国料理の影響だろうか。またベーコンエッグや、煮玉子が丸々入ったもの、オムライス風のものなど、商品棚はもうまるで百花繚乱といったおもむきだ。これらには、おにぎりというわが国の伝統食の中に、外国の具材をも貪欲に取り入れ、新しい食べ物を創作して行く、日本人の〝良いとこ取り〟精神が凝縮されているようだ。
しかし、ここで筆者はちょっと変わった具材を紹介したい。それは何かというと、ラッキョウだ。海苔で巻いたご飯の中に、甘酸っぱく塩味のきいたラッキョウが数粒入ったおにぎりは、噛むと口の中でパリパリとした歯ざわりが弾け、もう海と田んぼと畑の恵みが混じり合った極上の味がするのだ。しかもラッキョウ独特の香りは、食欲を増進させる効果もある。筆者はむかし住んでた街のおにぎり専門店で、飽きずによくこれを注文して食べたっけ。異国風おにぎりもいいが、やっぱり日本人には純和風が心に染みるのだ。
聞くところによれば、最近は外国人の間でもおにぎりファンが増えているのだとか。アニメなどで主人公が食べているのを見て、興味を持ったという外人さんも多いらしい。なにしろ、世界的な日本食ブームのおかげで、彼らの海苔への抵抗感ももはや過去のもの。日本のコンビニに行けば、いろんな種類のおにぎりが1ドル程度の値段で買えるし、食べてみたら美味い米と海苔の風味と具材の味がミックスして絶妙の味だし、そりゃあ誰だって好きになるわけだ。ただし、包装されたパッケージのフィルムを開くときは、彼らもちょっと苦労するようだが…。
現在ではパリやサンフランシスコ、モスクワといった、海外の大都市でもおにぎりを売る店があり、地元の人々の間で徐々に人気が広まっているという。おにぎりはサンドイッチと同じで、片手でも食べられるうえ持ち運びに便利。店で食べてもいいが、テイクアウトして公園などでのんびり食べることも出来る。おまけにヘルシーでグルテンフリーだし、具材を選べるところも魅力的だ。こうなると肥満を気にするあちらの女性層に、人気が出るのも頷ける。ひょっとしていつかおにぎりが、〝第二の寿司〟として世界でブームを巻き起こす日が来るのかもしれないな。なんたって、寿司に比べりゃ格安だもの。
ネットをググっておにぎりの歴史を調べてみたら、意外にもルーツは弥生時代まで遡るという。作っていたんだな、弥生人も! 石川県のチャノバタケ遺跡で発見された炭化米は三角形をしており、もち米を蒸して固めたあと焼いたものらしい。つまり、焼きおにぎりの大先輩ということか。携行食だったのかお供え物だったのかは不明だが、どちらにせよ弥生人も粘り気のある日本米の特質を利用して、せっせとおにぎり作りに勤しんでいたことになる。「ちょっとこれ、形が悪いなあ」とか、そんな会話を彼らも交わしていたのだろうか。
だがおにぎりが重宝されるのは、兵士の携行食として使われるようになってからだとか。何と言っても「腹が減っては戦は出来ぬ」。戦場に向かう大勢の兵士に飯を食わせるには、作っておいたおにぎりを竹の皮か何かで包んで、それぞれに持たせてやるのが最も効率的だ。鎌倉時代に朝廷方と幕府方が戦った「承久の変」で、幕府軍兵士に兵糧として梅干入りおにぎりが配られ、これをきっかけに梅干しが全国に広まったといわれるが、まさにこれはノーベル賞級の大発明。おかげで、飯のおかずになり腐敗防止にもなる梅干しは、現在もおにぎりの具の絶対王者として君臨し続けている。しかし、最初に考えた人はエラいねえ。
おにぎりが弁当として定着したのは江戸時代から。これは世の中が平和になり街道が整備され、人々が自由に旅をする時代が訪れたということ。そう言えば映画の『座頭市』でも、旅人の市さんの好物は白いおにぎりだったな。海苔巻きおにぎりが発明されたのは元禄時代らしいが、これも梅干しおにぎりと並ぶ大発明。こちらの考案者にも、ぜひノーベル賞を贈りたいもの。ということは江戸時代中期には、すでに現在のおにぎりの基本形が出来ていたわけだ。これぞまさに大ロングセラーだが、日本人にかくも長く愛されるおにぎりには、きっと日本の魂がギュッと詰まっているのだろう。
2021年09月30日
それを言っちゃあおしまいよ

「酒の席で政治と宗教の話題はタブー」という忠告は、誰もが聞いたことがあるだろう。まあ、たしかに楽しいはずの酒の席で、マジメな顔をして無粋な政治や宗教の話をされると、そこには気まずい雰囲気が漂うものだ。なぜなら、政治的な思想信条や信じる宗教などは人によってマチマチで、絶対に譲れない一線というものを、誰もが心の中に持っているはずだから。なので、酔った勢いで説教がましいことを言ったりすると、長年の友人を失ったりする。それを言っちゃあおしまいよ、という奴だ。
筆者にも以前、20年来付き合った一人の東京の友人がいた。酒の好きな寂しがり屋だったが、ある晩、酔ったこの男から掛かってきた電話の相手をしているうち、話はしだいに政府批判の方にシフト。今日はしつこいなと少々辟易していたら、筆者の嫌いな政治家をベタ褒めし始めたので、ついにこちらもキレてとうとう大声を出してしまった。最後はなんとか双方丸く収まったはずだったが、感情のシコリは残ったまま。で、その友人との付き合いも、それっきりになってしまったというわけ。
酔いから覚めて向こうも後悔したろうが、かと言ってこちらから低姿勢に出る筋合いはない。以来、互いに意地を張り合った格好で、友人関係は終わりを迎えたのだった。筆者的にはもう何のシコリもないけれど、向こうも政治的スタンスは譲れないはず。つまらない話だが、大人同士の友情が壊れるときなんて、えてしてこんな風に、酒が絡んだ些細なことから始まるのかもしれないな。やっぱり人間、飲んでも慎みを忘れちゃいけないよね。
酒といえば、映画の世界でも有名な話がある。三船敏郎と仲代達矢の二人は、黒澤明の映画でもたびたび共演した名優どうしだが、ある事件をきっかけに不仲になったと言われている。それは五社英雄監督の、『御用金』という時代劇映画の撮影中のこと。主演の仲代は共演してくれた先輩の三船に気を遣い、ロケ先の宿で毎晩のように酒の相手をしたという。ところが普段はマジメで繊細で良い人なのに、酔うと乱れるのが大スター・三船の悪いクセなんだとか。
ある晩、飲みながら演劇論や監督論を語り合ううち、酔った三船が仲代の恩人のことを口撃したからさあ大変。キレた仲代はとうとう手にした台本を、三船に投げつけてしまった。烈火のように怒った三船は宿を飛び出し、翌朝の一番列車で東京に帰ってしまったという。結局、三船が撮影に戻ることはなく、彼の役は中村錦之助がなんとか引き受けて、映画は無事に完成した。ところが公開されたこの映画が大ヒット、その興収で撮影の中断による損害を取り戻したというから、世の中は皮肉に出来ている。三船と仲代はその後手打ちをしたようだが、二人が共演することは二度となかった。なんだかもったいない話だ。
そういえば、『たかじんnoばぁ~』というテレビ番組の収録中に大喧嘩をしたのが、司会役の大阪の人気タレント・やしきたかじんと、ゲストの江戸っ子落語家・立川談志。ともにプライドの高い東西の才人どうしだ。この番組は、バーのマスターのたかじんが酒を出しながら、ゲストの話を聞き出すというもの。毒舌で鳴らした二人がうまく噛み合えば、それまでにない面白いトークが広がったはずだったが、結果は悪い方に出てしまった。まあこれ、初めから無謀な企画だったのかもしれないが…。
なにしろ、たかじんは自称〝大の東京嫌い〟で知られ、一方の談志師匠は東京の落語界でも型破りの男。トラとライオンを同じ檻に入れたようなもので、二人は酔いが進むにつれ徐々に険悪ムードに。始まった下ネタトークに、談志が「品のねえ番組だなあ」とケチをつけると、たかじんが「なんやねんコラァ!」と激昂。まるで映画の『アウトレイジビヨンド』みたいな、関東弁と関西弁の罵り合いに発展したあげく、たかじんが灰皿を投げつけて収録は中止になってしまった。やっぱり、モノを投げつけちゃあおしまいよ。これなども酒のせいで二人は、せっかくの出会いをフイにしたことになる。
もっとも、台本や灰皿を投げつけるうちはまだ良いが、これが昔の武士の喧嘩ともなると相当にアブナイ。なにしろ、双方が腰に刀を差している。『決闘!高田馬場』で有名な歴史上の事件も、もとはといえば伊予・西条藩の菅野と村上という、二人の武士の酒の席での口論から始まったようだ。「決闘だ!」ということになったが、当時はその場に助っ人を頼むのは普通のこと。味方の少ない菅野のため助太刀したのが、同じ堀内道場に通う剣客・中山安兵衛だった。つまり二人は同門の間柄。安兵衛はこの決闘で、当事者の村上を始め3人を斬ったといわれているが、お陰でのちに赤穂藩の堀部家の婿養子に迎えられ、堀部安兵衛として『忠臣蔵』のスターの一人となった。
この話は当時、よほどセンセーショナルな事件だったと見え、瓦版では尾ひれがついて「18人斬り」と喧伝されたり、後世の芝居などで様々に脚色されたりしている。有名なのが、菅野が安兵衛に助太刀を頼みに行った際、留守だったので書き置きを残して決闘の場へ赴くというもの。酒好きの安兵衛が酔っぱらって帰宅してこの文を読み、大急ぎで高田馬場に駆けつけるという、まるで『走れメロス』のようなストーリーになっている。「ばあさん、水だ、水をくれ!」は、三波先生の歌謡浪曲の名セリフだ。ここでも酒が物語の重要なカギになっているが、やっぱり良くも悪くも、人間のドラマには酒というものが不可欠なのだろう。ただし、飲んで乱れるタイプはご用心。
2021年08月31日
「ミカド」になったポッキー

「11月までにあと3キロ痩せましょうね」。先日、筆者が掛かりつけの医院の女医さんに言われた言葉だ。説明によれば、なんでもこれは特定健診の結果による市の保健指導とかで、メタボリックシンドロームの予防と改善が目的だという。おかげで、筆者は好物のチョコレートを控えることになり、ここ最近はまるで口にしていないのだ。しかし、これではちょっと寂しい。やっぱり、ネットやテレビや読書のお供にチョコレートがないと、大人だってなんか物足りないんだよなあ。
むかしから筆者は、仕事をしながらチョコを食べるのが好きで、その美味さとリラックス効果を大いに享受して来た。特に気に入ったものは、気軽につまめて指先が汚れないタイプ。例えば外側を砂糖でコーティングした粒状タイプとか、スティックの先っぽをチョコで包んだタイプなどは、よそ見しながらでも食べられるのでとても便利だ。中でも後者の代表格、江崎グリコの「ポッキー」にはずいぶんとお世話になった。なんたって木枯し紋次郎の爪楊枝みたいに、口にくわえながら動いたり考えたりしゃべったり出来るのが、我ながらカッコ良い(バカだなあ)。しかもまた、美味いから後を引くんだよね。
このポッキーは海外でも人気で、現在は世界の約30カ国で販売されているらしい。商品名はもちろん「Pocky」だが、中国では漢字で「百奇」と書くようだ。これでポッキーと発音するのだろうか。しかしもっと不思議なのが、ヨーロッパでの商品名「MIKADO(ミカド)」だ。筆者は以前からこの名前に疑問を感じていた。まあ確かに日本製のお菓子だから、日本風の名前をつけたいという気持ちも分からなくはない。それにしても高級菓子とも言えないポッキーが、何ゆえ日本の天皇を意味する「帝(ミカド)」なのか? それを考えると夜も眠れなくなる。
答えを教えてくれたのが、最近たまたま読んだ一冊の本だった。それは猪瀬直樹著『ミカドの肖像』というノンフィクションで、一口で内容を言えば近代日本の天皇家やその制度について、あらゆる角度から光を当て考察したもの。筆者的には近代以前の天皇について、まるで触れてないのが不満だが、読み応えは十分以上だったね。猪瀬氏の調査範囲はおそろしく広く、ロックバンドからプリンスホテルの用地買収、はては三島由紀夫にまで至るのだ。実はその中に、「ミカドゲーム」なるものについての考察があった。ヒントはここにあったというわけ。
「ミカドゲーム」とは、ヨーロッパで人気の卓上ゲームで、焼き鳥の串みたいな長さと太さの、41本の竹のスティックを使って遊ぶもの。スティックにはそれぞれ王とか女王、ミカド、サムライ、マンダリンなどのランクがある。それらを盤の上でバサッと山状に積み、他の棒を動かさないようにしながら順番に一本ずつ抜き取って行く、極めてシンプルなゲームのようだ。他の棒が少しでも動いたら次の人と交代なので、手先の器用な人ほど沢山抜き取れるというわけ。もちろん集めた本数の多い者が勝ちとなる。どうやらポッキーのヨーロッパ名「MIKADO」は、このミカドゲームのスティックに由来しているらしいのだ。
では、日本ではまるで知られていないこのゲームが、何ゆえ「ミカドゲーム」と呼ばれたのだろうか? 日本人としては気になるところだ。猪瀬氏の『ミカドの肖像』によれば、そこには欧米で現在も人気のあるオペレッタ『ミカド』の存在があるという。オペレッタ(喜歌劇)『ミカド』──はて、そんな演目など聞いたこともない、という人も多いだろう。ところがこのコメディは、1885年にW・S・ギルバートとA・サリバンという二人の英国人が作ったもので、同国ではむかしも今も喜劇の代名詞なのだという。試しにYouTubeを調べてみたら、現在の舞台映像がいくつもアップされているから驚いた。
そこでこの動画を覗いたところ、筆者は二度ビックリしてしまったね。何というか、それはあの『蝶々夫人』でさえ腰を抜かすような、日本のようで日本でない怪しげな東洋が舞台の、トンデモ喜劇だったのだ。登場するのは、珍妙な格好をしたサムライや公家や女たち。むろん出演者は、日本人もどきの格好をした白人ばかり。ふざけやがってと筆者も思ったが、猪瀬氏によればもともとこのオペレッタは、英国の伝統的な貴族社会を風刺したもので、その舞台としてたまたま遠い東洋のミカドの国が選ばれたのだとか。日本にすればとんだ迷惑だが、架空のお伽話だからと言われればそれまでだ。まあ、ジョナサン・スウィフトが『ガリバー旅行記』で、架空の国を舞台に英国社会を風刺したのと同じ手法なのだろう。
初演の1885年といえば日本では明治18年で、さすがに当時の駐英日本大使も上演差止めを求めたらしい。なにしろこのオペレッタに出て来るミカドは、残虐な独裁者として描かれている。神聖なる天皇陛下を笑いものにするとは、と日本大使が抗議するのも当然だが、当時の日本は英国人からみれば、近代化して間もない東アジアの野蛮な小国だったのだろう。あえなく抗議は却下され、かくして上演された『ミカド』は大ヒット。その後は英国のみならず欧米各国でも上演され、現在に至るというわけ。困ったものだ。
「ミカドゲーム」はかつて「ジャックストロー」と呼ばれた遊びだったらしい。「ジャック・ストロー」とは、実は英国で1381年に起きた農民一揆の首謀者の名前。この残虐な首跳ね男のイメージが、やがて同じく残虐な東洋の独裁者・ミカドに重なり、「ミカドゲーム」になったのではというのが猪瀬氏の見立てだ。が、もしそうだとすればオペレッタ『ミカド』の罪は重い。筆者もこれまで、ずいぶんグリコのポッキーを口にして来たが、ヨーロッパでは「MIKADO」と呼ぶ、なんて単純に喜んでばかりもいられない。日本についてのおかしな誤解は、ほかにも探せば世界中にゴマンとありそうだ。
2021年07月31日
美味いソーメンの食べ方

暑い夏にはどうしても食欲が落ちる。で、そんなときはどうしても、ツルツルッとすすれる冷たい麺類が食べたくなる。何しろ噛まずにそのまま呑み込んで、喉越しを味わうのが快感なのだ。まるでヘビみたいだが、この喉で味わうという感触がまた捨てがたい。これは餅などにも言えることで、そういえば佐賀県の白石町には、有名な「餅すすり」という風習がある。湯につけた餅を噛まずにすするという食べ方で、ときどき窒息して死ぬ人も出る危険な荒技だが、喉で美味さを味わいたいという気持ちは何となく理解できる。
冷たい麺類といえば、筆者のファーストチョイスはざる蕎麦だ。蕎麦猪口のつゆに冷たい蕎麦をひたし、一気にズズッとすするときの快感は何ものにも代えがたい。天麩羅の添え物があれば、もう言うことなしだ。セカンドチョイスは、やっぱりざるうどんかなあ。こちらは蕎麦よりかなり太いが、そのぶん喉越しも手応え十分。おまけに鰹ダシのつゆもいいが、胡麻味噌のつゆでもいけるところが良い。呑み込みにくいときは軽く噛めば、小麦粉の風味を楽しむことも出来るものな。そして筆者にとり、〝第三の男〟がソーメンということになる。
ソーメンが3番目なわけは、やはり蕎麦やうどんに比べてあまりに細く、さらには淡白で消化も早いため、なんとなく物足りなさを感じるからだ。とりあえず腹はふくれるが、充実感はいま一つという感じだろうか。少なくとも以前まではそうだった。だが筆者は最近になって、自分のソーメンの食べ方が間違っていたことに気づき、考えを改めることにしたのだ。この歳になって、ようやく知ったお前の魅力というわけだが、思えばずいぶん遠回りをしたもんだ。ソーメンよ許してくれ、アーメン。
間違いのその1は、ソーメンの茹で時間だった。筆者はそれまで、ソーメンとは柔らかいものという先入観に囚われ、長く茹ですぎていたのだ。そのため出来上がったものは、いつもグニャリと柔らかく、シャキッとしたコシがなかった。つまりソーメンを、九州の柔らかいうどんと混同していたんだな。ある日この間違いに気付いた筆者は、箱に同封された説明書どおり、茹で時間をキッチリ2分にして氷水に冷やし食べてみた。すると、その美味さにビックリポン! 目から鱗とはこのことだ。コシのあるソーメンは、それまで筆者が食べていたものとは別物のようなキリッとした食感で、喉越しも最高なのだった。ソーメンの命はコシだったというわけだ。
間違いのその2は、ソーメンの盛り付け方だ。実は長いこと筆者は、ソーメンとは氷水を入れた容器に浮かべて、そいつを箸ですくって食べるものだと思っていた。まあ見た目も涼しげだからね。ところが実際は、これだとソーメンが水っぽくなり、鰹ダシのつゆもしだいに水で薄味になる。これじゃ最初と最後では美味さも違って来るし、ソーメンも実力を発揮しづらいはず。そこで氷水の容器ではなく、ざるやお皿に乗せ水気を絞って食してみたところ、やはり筆者は感動の美味さを味わうことが出来たってわけ。またまた目から鱗が落ちたのだ。やはりソーメンと家電の説明書は、しっかり読むべきものなんだな。
ちなみに同じ麺類でも、蕎麦やうどんは「手打ち」なのに対し、ソーメンが「手延べ」なのは、製法が異なるからだ。例えば手打ち蕎麦は、蕎麦粉に小麦粉と水を加えよくこねたものを、麺棒で平たく伸ばし包丁でサクサクと細く切って作る。手打ちうどんは小麦粉に塩と水を混ぜ、よくこねた後しばらく寝かせ、やはり麺棒で平たく伸ばし包丁で麺状に切って作る。この場合の「打つ」とは、刀鍛冶が鉄を叩いたり伸ばしたり鍛えたりして、「刀を打つ」のと同じような意味らしい。なるほど、麺を打つのと刀を打つのは、どこかで通じる男っぽい職人芸なんだな。どうりで手打ち蕎麦も手打ちうどんも、断面にエッジが利いてて喉越しがシャープなわけだ。
一方、手延べソーメンは作り方がまるで違う。小麦粉に塩と水を混ぜ、よくこねるところまではうどんと同じだが、違うのはここからで、丸い棒状にしたものに食用油を塗りながら、引っ張って徐々に細く延ばして行くわけ。そのとき、何と言っても凄いのがグルテンの力だ。小麦粉と水をこねると生まれるグルテンは、しばらくするとまるでチューインガムのような粘りを発揮する。手延べソーメンは、このグルテンの驚異的な粘り強さを利用して、幾度もの工程をかけ極限まで細く延ばして作られる究極の乾麺なのだ。そのため、ソーメンの断面は角のない円形で、喉越しもツルッと滑らかなのが特徴だろうか。
同じ製法で作られるものに手延べうどんがあるが、手延べソーメンとの違いは麺の太さだ。あまり知られていないが、日本農林規格(JAS規格)には、「乾めん類品質表示基準」というものがあるらしい。これによれば(機械麺の場合)、ソーメンの太さは直径1.3mm未満とされており、これより太い直径1.3mm以上1.7mm未満はひやむぎ、1.7mm以上はうどんと分類されるのだとか。筆者がたまに貰ったりするあの「揖保乃糸」には、直径0.65~0.70mmという極細のソーメンもあるが、これなどはもう日本が世界に誇れる乾麺の芸術品じゃないのかな。
ところで筆者のように腹の出た人間には、ソーメンは低カロリーでダイエットに良いという噂が気になる。これは本当だろうか? 調べて見ると同じ量の場合、ソーメンのカロリーは白飯より低くうどんより高いのだとか。うどんより高いというのは意外だが、それでも白飯より低いのはやはりダイエットに効果があるということだ。ようしこうなったら筆者も今夏、ソーメンでダイエットに挑戦してみようかな。ただし、喉越しを味わうため噛まずに呑み込むと、今度はついつい食べ過ぎてしまい、そうなれば逆効果になってしまう。結局、美味いソーメンはダイエットにとり諸刃の剣ということか…。
2020年09月30日
新米を食べる前に

早いもので佐賀平野はいま稲刈りの季節だ。ついこの前、麦畑が水田に姿を変えたと思ったら、もう稲穂がたわわに実っているのだから、季節はあっという間に移り変わる。こうなると早く新米を食べたくなるのが人情だが、筆者の口に入るのはいつになるのかな。なんたって新米は独特の甘みがあって、とにかく美味いからねえ。
筆者などは炊きたての美味い飯があれば、おかずは高菜漬けだけでも十分イケる(野沢菜漬けでも良いが)。他には辛子明太子だけでも良いし、ビンに入った海苔の佃煮だけでもOKだ。あと、納豆ご飯というのも良いねえ。つまり炊いた白米というのは、それ自体に甘味や旨味があるので、ちょっと塩気のあるおかずさえあれば、いくらでも食べられるのだ。ハイキングで食べる梅干しのオニギリなんか、極上の味がするものなあ。ああ、日本人で良かった!
もっとも、いくら美味いからといって白米ばかりという、偏った食生活を毎日続けていると、脚気になるので注意が必要だ。まあ、最近はあまり脚気という言葉を聞かなくなったが、これは少し前までは結核と並んで、日本人の国民病とも言われた恐ろしい病気なのだ。何が恐ろしいと言って、死に至る病いなのだから恐ろしい。しかもこの病い、白米食が普及した江戸時代から始まり、明治から大正・昭和にかけて多くの日本人が罹患したが、その原因が長いこと分からなかったという厄介者だ。正体が見えない敵ほど怖いものはない。
では白米食と脚気はどういう相関関係にあるのか? ズバリその答えは、脚気がビタミンB1の欠乏症だということ。そもそも日本人が玄米を常食していた時代は少なかった脚気患者が、白米を食べるようになって急増したのは、玄米に含まれていたビタミンB1が精米により失われてしまったためだった。つまり、玄米を精米すると美味い白米になるが、これは同時にビタミンB1を捨てるということ。脚気は〝ぜいたく病〟というわけだ。なので江戸の将軍様や諸大名・富裕商人に始まり、一般武士や町人などに白米食が普及するにつれ、脚気患者は徐々に増えて行ったんだな。
ただし、副食でビタミンB1を摂取していれば、脚気になることもなかったはず。やはりタクアンの尻尾や梅干しなど、粗末なおかずで白米をたらふく食べるという、日本人の貧しい食習慣が患者急増の要因だったのだろう。貧乏人は栄養のバランスなんか、考える余裕もないもんな。こうして明治から大正期になると、日本の軍隊では悲惨な現実があらわになる。当時の日本軍は、陸軍も海軍も白米食が中心だった。貧しい地方出身の兵士にとって、白米がたらふく食べられる軍隊の食事は魅力だったのだ。結果、陸軍も海軍も脚気に罹る兵士が続出したが、まさか白米食が原因とは夢にも思わなかったはず。
だが海軍では軍艦の遠洋航海ともなると、水兵が脚気に罹ることは大問題だ。明治15年から10ヶ月の練習航海に出た「龍驤」では、乗員378名中169名が脚気におかされ、23名が死亡するという大事件が起きた。しかも脚気の正体がつかめない。この難問の解決に当たったのが、高木兼寛というイギリス留学経験者で、海軍の軍医だった人物。日本海軍はイギリス海軍をモデルにしていたので、医学の方もイギリス式だったんだな。高木は様々な試行錯誤の末、脚気の原因が白米偏重の海軍の食事にあることを突き止める。
そこで高木の提案により明治17年、「龍驤」と同じ期間で同じコースを航海する「筑波」乗員の兵食に、白米食の他にパン食を、また肉やミルクといった栄養のある副食を取り入れた結果、脚気患者の数は激減し死者の数はゼロとなった。高木の実験は成功したのだ。これにより海軍の食事は、白米に麦を混ぜるなど大きく改善され、以後、脚気患者の数はめでたく大幅減。やっぱり食い物には、気と金を使わなきゃダメってことか。
一方、海軍と対照的だったのが陸軍で、こちらは頑固に白米主義を主張し続けた。海軍の医学がイギリス式だったのに対し、陸軍が範としていたのはドイツ医学。ドイツ留学帰りの軍医や東大の学者たちは、高木説を根拠のないものとして激しく批判した。なんたってドイツは細菌学の先進国であり、その薫陶を受けた医学者たちは、脚気は細菌によるものと考えたんだな。その一人がかの有名な森林太郎(鴎外)で、彼は陸軍の軍医として高木に厳しい非難を浴びせていた。
ところが明治27〜28年の日清戦争では、海軍の脚気による死者が0だったのに比べ、陸軍では戦死者977人に対し脚気による死者は4064人という、えらい数字になっている。続く明治37〜38年の日露戦争では、海軍の脚気患者87名、死者3名に対し、陸軍では戦病死者3万7200余人中、脚気による死者は2万7800余人という、さらに背筋の寒くなるような数字なのだ。これはもう完全に海軍の勝ちだろう。さすがの陸軍も、白米偏重の食事が脚気の原因だと気づいたようだが、ガンコな森林太郎は最後まで自説を曲げなかったらしい。エリートのプライドという奴だろうか。
米ぬかからビタミンB1を発見し、脚気がその欠乏症だと突き止めたのは、農学博士の鈴木梅太郎だった。明治44年のことで、思えば長い道のりだったわけだ。米ぬかに着目した鈴木博士はさすがだが、考えてみれば精米しない玄米さえ食べていれば、日本人も脚気に悩まされることはなかったはず。脚気とは、日本人が自ら招いた文明病だったんだな。罪深い白米だが、されど白米は美味い。筆者もおかずの栄養を考えながら、有り難く新米をいただきたい。
2020年03月31日
幻の味よ、もう一度

先日、甥っ子の車で嬉野方面にドライブし、途中で武雄市の「ゆめタウン」に立ち寄ったときのこと。食品売り場で甥っ子が購入したドリンクを見て、筆者はちょっと驚いた。いやいや、深い感慨を覚えたと言った方が良いだろうか…。なんとそのドリンクは、「ドクターペッパー」だったのだ。「おいおい、お前は生きてたのか!」。まるで忘れていた旧友に、何十年ぶりかで再会したような、そんな気分を筆者は味わったのだった。
甥っ子の話では、ドクターペッパーは武雄の「ゆめタウン」でしか手に入らないのだとか。つまり佐賀県ではレアもの。その真偽のほどはともかくとして、さっそくコップにおすそ分けして貰って、筆者もそいつを飲んでみた。まさにウン十年ぶりの味。飲むと同時に、頭の中で「ドクターペッパー!」という、懐かしのテレビCMソングが流れたね。で、味の方だが、こんなに甘かったっけ?というほど甘かった。もっとも筆者にとっては、記憶の彼方から甦った思い出の味だったけど。
ドクターペッパーが、日本で発売されたのは1973年。だが、この甘さのせいか独特の風味のせいか、当時の日本ではそれほどヒットしなかったようだ。なんと言ってもコカコーラやペプシコーラという、炭酸飲料の強敵が先行していたし、見た目もコーラとそっくりだったのがマイナスだった。なのでその後、自販機などからも徐々に姿を消し、いまではすっかり“幻の飲み物”になってしまっていたのだ。筆者はすっかり日本から消えたとばかり思っていたが、ドッコイちゃんと生きていたんだな。関東圏や沖縄では割と手に入りやすいというから、いまでもそれなりに需要があるのだろう。頑張ってくれよ、ドクター!
そうそう“幻の飲み物”といえば、そのむかし筆者は「リボンコーラ」というものを飲んだ記憶がある。そんなバカな!と、いまでは誰も信じてくれないだろうが、いや確かに飲んだ覚えがあるのだ。そこでネットで調べてみたところ、おお、ついに証拠が見つかった。ポッカサッポロという会社のウェブサイトの中に、同社の「リボンブランド」の歴史を紹介するページがあり、そこにちゃんと「リボンコーラ」があったのだ。筆者も飲んだのは一回きりだったので、この商品あまりパッとしないまま消えたようだが、パクリ…いや、国産コーラでアメリカ勢にチャレンジした、同社の意気込みだけは評価したいね。味の方はあまりよく覚えてないが、まあ、普通のコーラだったような気もするな…。
だが「リボンブランド」といえば、やはり有名なのは「リボンジュース」だろう。「リボンちゃん、リボンジュースよ!」という、可愛いアニメの女の子が登場する、むかしのテレビCMがいまでもYouTubeにアップされているが、その当時はずいぶん人気のある商品だった。5~6倍に薄めて飲むという濃縮型ジュースで、サッポロビールが販売していたようだ。だがJAS法の改正により、果汁100%でないものをジュースと表記できなくなったため、その後は濃縮タイプのものを除いて、「リボンオレンジ」などに表記が変わったらしい。その濃縮タイプもすでに生産を終了したようで、リボンジュースもやはり“幻の飲み物”の仲間入りをしてしまった。ちなみにリボンオレンジや、マスコットキャラクターのリボンちゃんは、いまも健在のようで筆者も安心した。
“幻の飲み物”ならぬ“幻の食べ物”となると、わが記憶回路はさらに加熱する。若い頃、インスタントラーメンを常食にしていた筆者にとって、忘れられないのが九州ラーメン「よかとん」の登場だった。なにしろ当時、東京に住んでいた筆者は、インスタントの豚骨ラーメンの出現を待ち望んでいたのだ。あの頃の東京はいまみたいに、豚骨ラーメンがポピュラーじゃなかったからね。なので1980年頃に、ばってん荒川さんのテレビCMとともに、サンヨー食品から「よかとん」が発売されたときは、死ぬほど嬉しかった。キターッ! さっそく購入して食べてみたが、スープにはコクがあり本当に美味かったな。ああ、それなのにどういうわけか、その後「よかとん」は東京のスーパーから徐々に姿を消して行き、いまでは佐賀でさえ全く見なくなってしまった。オーイ「よかとん」、お前はどこへ行ったんだ?
まあ、インスタントラーメンの世界は、新商品が生まれては消える弱肉強食のジャングルだから、一度食べたきりで消えてしまったものはゴマンとある。筆者の記憶の中でいちばん古いのは、「劉昌麺」という明星食品から出たラーメンだったかな。これは劉昌という名の中国人のコックさんが開発したもので、袋の中には粉末スープの他に、ナマの四川味噌が入っている画期的なものだった。ただし確かに美味かったけど、値段がちと高いのが難点だったね。あと、美味かったのでは、ハウス食品の「楊夫人(マダムヤン)」も記憶に残っている。台湾の美人女優さんのCMについ誘われて、筆者は一度だけ食べてみたが、パッケージといい値段といい高級感のあるラーメンだった。
「劉昌麺」も「楊夫人」もすでに“幻の食べ物”だが、「劉昌麺」のナマ味噌入りというアイデアは現在じゃ普通だし、「楊夫人」の高級ラーメン路線もいまでは珍しくない。そういう意味では両者とも、時代の先を行き過ぎたのかも知れないな。先述した「よかとん」だって、インスタント豚骨ラーメンの先駆けとして、もう少し東京で頑張ってればメジャーになれたのに、と惜しい気がする。やはり美味いだけでは、大ヒットに結びつかないところが、この食品の難しさだろうか。そう考えてみると「チキンラーメン」みたいに、何十年も命脈を保っているヒット商品というのは、けっこうなスグレものなんだな。
さて、こうなると“幻のガム”で話を閉めようか。消えたガムもいろいろあるはずだが、筆者の記憶に残っているのは、やはり紅いパッケージに包まれたニッキ(シナモン)風味の憎い奴、「デンティーンガム」だ。これはむかし駅の売店等に必ず並んでいた商品で、それまでのロッテのガムなどと違い、一粒が小さく甘みの少ない大人味のガムだった。粒が小さいのでモグモグと噛む必要もなく、さり気なく口を動かすだけという感じが、自分でも何となく大人っぽくて気に入っていた。オレってカッコ良いな〜とね。筆者も仕事や旅行で電車に乗るときなど、よく売店で購入したことを思い出す。
この「デンティーンガム」はニューヨーク生まれで、現在もアメリカでは売られているようだ。なぜか日本ではまるで見かけなくなってしまったが、どうも日本人はガムは甘いもの、という先入観が強過ぎるのだろうか。ネットで調べてみると、あの懐かしいパッケージは変更されたようだが、通販で購入しようと思えば出来ないことはないようだ。とは言え、値段はそれなりにお高くなる。こうなるとどこかの物好きな商店が輸入して、日本で販売してくれるのを期待するしかない。はたして筆者に、ドクターペッパーとの再会のような日は、訪れるのだろうか…?
2019年12月31日
植物油でコレステロール対策

先日、筆者は久しぶりに最寄りのクリニックで、血液検査を受けて来た。注射針を腕に刺されるときのコワさや痛さは、子供の頃から少しも変わらないが、これも自分の健康のためだから仕方がない。看護師さんも、テキパキ手際よくやってくれた。だがそれにしても、もっと簡単で痛みもなく血液を採る方法はないもんかな…。
検査の結果は、日々のウォーキングの成果もありおおむね良好だった。ただし、クリニックの女医さんに指摘されたのが、コレステロール値がちょっとだけ高いということ。おかしいなあ、そんなはずはないんだが…。しかし数値がしっかり出ているから、どうしようもない。で、そのときアドバイスされたのが、EPA(イコサペント酸)という不飽和脂肪酸を、食事などから摂取するようにということだった。
EPAとは聞き慣れない言葉だが、青魚などに多く含まれる脂肪酸で、血液中のコレステロールや中性脂肪を低下させる、健康の強い味方だという。なので、アジやサバなどの青魚を毎日食べれば良いそうだが、まあ漁師ならともかく、一般人はそういうわけにもいかないよな。また、高純度EPA錠剤というものも勧められたが、これはちょいとスルーさせて貰った。いくらお医者様の勧めでも、高いサプリは安易に買わないのが筆者の方針なのだ。
そこで次善の策として勧められたのが、植物油の荏胡麻(えごま)油と亜麻仁(あまに)油というもの。これを熱を通さず、ナマでいろんなものに掛けて食べれば、効果があるのだという。油に含まれるα-リノレン酸が体内に入ると、EPAやDHAに変化するらしいのだ。おお、なんと素晴らしい話…! だがちょっと待てよ。荏胡麻油と亜麻仁油とは、どこがどう違うのだろう? また、荏胡麻油と胡麻油は同じじゃないよな…。無知な筆者はそこであぶら汗をかきながら、これらの油について調べてみた。
まず荏胡麻油とは、シソ科の1年草である荏胡麻のタネを搾った油らしい。韓国料理店で、よく焼肉を大きな葉で包んで食べさせたりするが、あのシソの葉によく似たものが荏胡麻だという。一方、ゴマ科の1年草がおなじみの胡麻だ。両者は名前はよく似ているがアカの他人の関係というから、これはサガン鳥栖とユベントスみたいなものか。前述したように荏胡麻油は熱に弱く酸化しやすいので、1日に小さじ1杯を目処にナマで食するのが正しいらしい。ただし、シソのような香りがあるわけではないようだ。
ちなみに、胡麻から採った胡麻油が含むリノール酸は、体の中でAA(アラキドン酸)に変化し、やはりコレステロール値を低下させる働きがあるという。おまけに胡麻油は、香りが良くて熱にも強いのが最大の特長だ。つまり中華料理の必須アイテム。じゃあ胡麻油でも良いじゃんとなりそうだが、こちらは摂りすぎると炎症を引き起こすという説もあるので、過剰摂取は避けた方が良いらしい。もっとも、油っこい胡麻油はそうそう大量には食べられないけどね。
じゃあ亜麻仁油とはいったい何者なのか? 実はこれ成熟した亜麻のタネを搾って採る油で、ドビュッシーの名曲『亜麻色の髪の乙女』のあの亜麻だ。これは亜麻の茎を加工した繊維から来ており、西洋人の茶色がかった金髪のことをいうらしい。ただし亜麻はアマ科の1年草で、悪名高いクワ科の大麻と付き合いはない。亜麻仁油にもα-リノレン酸が含まれており、成分自体に荏胡麻油と大きな違いはないらしい。熱に弱く酸化しやすいのも同じだが、そもそも違う種類の草の実なので香りはずいぶん違うようだ。
そう言えば体に良い油として知られるものに、オリーブ油(特にエクストラヴァージン・オリーブオイル)がある。オリーブ油には主にオレイン酸が含まれているが、リノール酸やα-リノレン酸も少量含まれているらしい。このオレイン酸もまたコレステロール値を下げる効果があり、酸化しにくいうえ加熱料理も無問題。なので、新鮮な魚介類にオリーブ油を組み合わせた地中海料理は、理想的な健康食と言えそうだ。また、オリーブ油には種々のポリフェノールが含まれており、抗酸化作用や美白効果など様々な効能があるという。じゃあオリーブ油でも良いじゃん…。
こうして見ると、植物油にはα-リノレン酸にリノール酸、オレイン酸など、いろんな種類の不飽和脂肪酸が含まれている。そして、どれか一つだけが体に良いというわけでもなさそうだ。重要なことは、それらは人間の体内で合成することができないため、食事によって摂取しなければならないこと。まあ、それもこれもコレステロール対策。なので筆者も高価なもの安価なもの取り混ぜながら、バランス良くそれらの植物油を摂れば良いのだな。要は人間、あちこち浮気も必要ということだ。
2019年10月31日
大事にしたい箸の文化

テレビを見ていてちょっと気になることがある。それはバラエティなどで、タレントがものを食べる場面でのこと。彼ら彼女らの中に、箸の持ち方がおかしな人間をたまに見かけるのだ。お節介とは分かっているが、筆者はこれが気になって仕方がない。いい年をした大人が、まるで幼児のような箸の持ち方をして、危なっかしい手つきで食べているのを見ると、どうにも腹が立ってしまうのだ。
これは親がきちんと躾けなかったせいなのだろうが、箸の持ち方くらいちょっと練習すればすぐに身につくはず。筆者だって幼少の頃、親に矯正されてちゃんと持てるようになった。あと、幼稚園でも箸で豆をつまむゲームをさせられた記憶があるなあ。ちゃんと箸を使えないと、豆をつまむのは難しい。こんな風に幼い頃にしっかり教育されれば、誰だって箸くらい普通に使えるようになる。それをサボった親のおかげで、大人になった美人タレントが、テレビでとんだ恥をかくというわけだ。ああ、親の責任は重い。
もうひとつ気になるのが、和食を食べる外国人へのインタビュー。美味しそうに食べている彼らに向かって、決まって言うインタビュアーの言葉が「箸の使い方がお上手ですね」。これ、褒めているつもりなのだろうが、相手によっては失礼とも取れる言葉だ。初めて和食に挑む田舎出の観光客ならいざ知らず、和食に慣れている外国人なら、「箸くらい普通に使えるさ」と思っているだろう。例えば日本人が外国のレストランでの食事中に、「ナイフとフォークの使い方がお上手ですね」と言われたら、「馬鹿にすんな!」と言いたくもなるはず。テレビのインタビュアーも、ちょっとは考えて欲しいね。
まして和食は、いまや世界でもポピュラーな料理。箸を使える外国人など、珍しくもないはずだ。いつだったか筆者がむかし読んだ雑誌に、日本文学者のドナルド・キーン氏が次のようなことを書いていたなあ。曰く、日本人はふだん平気な顔でナイフとフォークを使ってステーキなどを食べるくせに、外国人が箸を使って和食を食べていると不思議そうな顔をする、と。まったくキーン先生のおっしゃる通り。この矛盾に気がつかないのがおかしい。外国人だってちょっと練習すれば、誰だって箸くらい使えるようになるのだ。
そんな箸の正しい使い方だが、YouTubeで検索すればいくらでも指南する動画が出て来るので、心許ない人は一度試してみると良い。要は、エンピツを普通に持てれば問題はないはず。ただし、エンピツの持ち方が変な人も稀にいるのが、この世の中の広いところ。調べてみたらYouTubeには、エンピツの持ち方を教えてくれる幼児向け動画もあるので、心許ない人はそこから入った方が良いかも知れない。何ごとも、幼児からの基礎教育が大事だということだな。
ところで、日本の食卓では家族それぞれ自分用のマイ箸を使い、お父さんがお母さんの箸を使ったり、孫がおばあちゃんの箸を使ったりはしない。いくら家族でも、それはちょっと気持ち悪いもんな。ところが同じ箸文化を持つ中国や韓国では、そういうことはないらしい。個人用の箸は決まっておらず、家族用の箸をみんなで共用するのだとか。まあこれ、習慣の違いと言えばそれまでだが、家族それぞれの皿に料理が用意される日本と、大皿にデンと盛られた料理を、みんなが箸を伸ばして食べる中国などとの、食文化の違いがベースにありそうだ。
なので日本の箸は中国や韓国に比べれば短く、先になるほど細くなっている。で、木製の箸にはそれぞれの色に漆塗りが施されているので、誰のものか一目で分かるというわけ。また、先が細いのは魚の身をほじくったり、骨を取ったりするのにとても都合が良い。むろんご飯は茶碗を片手に持って、一粒残さず食べなければならない。何ごともコンパクト志向できれい好きで、細かい仕事が得意な日本人の気質が、箸ひとつにも表れているようだ。
そこへいくと筆者の思い出の地、香港や台湾でもそうだったが、中国の箸はかなり太くて長く先も尖ってはいない。材質は象牙や木製だったものから、最近はプラスチックが主流となったようだ。前述したように、大皿の料理を各自が突っついて食べるため、軽くて長くて丈夫な箸が必要とされるのだろう。また自分の箸で家族や客人に料理を取ってあげるのも、彼の国では愛情や友好の印らしい。なので、その場合も長い箸が便利ということになる。まあ、日本人からすればそれはちょっという気もするが、国によってマナーもそれぞれなのだな。
韓国の箸の長さは、ちょうど日本と中国の中間あたりらしい。どういうわけかこの国の箸は金属製で、現在はステンレスが主流のようだ。この根底には、かつて上流階級の人々が使っていた金の箸への憧れがあり、時代が下って庶民も価格の安いステンレス製を使うようになったのだとか。韓国の食事の特徴は、箸とスプーンの両刀を使うこと。ご飯とスープはスプーンで食べ、おかずは箸で食べるのが基本だという。日本のように茶碗を持って食べることはせず、卓上に置いた碗のご飯を、スプーンでグチャグチャに混ぜて食べる。そう言えば以前、筆者が焼肉屋で石焼きビビンバを食べたとき、店のオバサンがもっとよく混ぜろと言っていたなあ。
調べてみると、世界の食事方法は大きく三つに分けられ、そのうち箸を使う地域は3割だそうだ。で、残りはナイフ・フォークを使う地域が3割、手指を使って食べる地域が4割らしい。中でも箸食は、清潔で手軽で最も便利な食事方法だろう。遠足の弁当に箸がなかった場合でも、木の枝二本があれば用が足りるもんな。箸が使えるということは、つくづくありがたいと思う。
そう言えばそのむかし、筆者がパリのホテルで見たテレビで、お母さんと女の子が登場するアニメがあったっけ。どうも絵のタッチと言い色使いと言い、日本のアニメっぽい感じがしたが、筆者はいま一つ確信が持てなかったね。なにしろ、登場人物が話す言葉はフランス語。だが、そのお母さんが料理をする場面を見たとき、ああこれは日本製アニメだと得心が行った。なぜなら、彼女は箸を使ってサラダを作っていたから。そのとき筆者は、ちょっぴり嬉しかったのを覚えている。やっぱり日本人は箸を大事にしたいものだ。
2019年08月31日
いよいよカボチャの季節

神奈川県に住む絵の好きな友人から、カボチャを描いたハガキが届いた。丸い盆の上に大きな白いカボチャが置いてあり、その周りを数個のミニトマトが囲んでいる。なかなか味のある絵だが、欲を言えば絵の周りになんか言葉でも書いて欲しかったね。武者小路先生みたいに「仲良きことは美しきかな」とか、よくある絵手紙みたいに「笑顔に勝る言葉なし」とかなんとか。もっとも筆者はカボチャといえばすぐ、山梨県で食べた「ほうとう」の味を思い出すのだが…。
カボチャはちょうど今ごろ、夏の終わりが収穫の時期だが、採れたてのものは甘みがなく、あまり美味くないと言われている。つまり夏に採れたカボチャは、しばらく貯蔵することで、甘くなって旨味が増すらしい。なので秋や冬の少し寒くなった時期に、「ほうとう」のような鍋物や、シチューなんかに入れるとピッタリなんだな。冬至にカボチャを食べる習慣も、もとはそこらしい。熟成して甘みを増し、ビタミンやカルシウム・鉄分などをたっぷり貯えたコイツは、厳しい冬を乗り越えるための健康食品というわけだ。
カボチャはむろんウリ科の植物だが、どういうわけか味や食感はウリっぽくない。キュウリやスイカ、ゴーヤーなど他のウリの仲間が一様に、水分の多いサッパリしたものばかりなのに比べ、カボチャはひと味もふた味も異質なのだ。煮たり蒸したりしたときのホクホクした食感や甘みは、まるで栗かイモを食べているようであり、またボリューム感もたっぷり。目をつぶって食べると、蒸したカボチャとサツマイモは、あんがい区別がつかないんじゃなかろうか。やはり、どうもウリっぽくない。
なもんだからウリのくせにカボチャは、すり潰してケーキやポタージュの材料になったり、ときには和菓子の餡に使われたりもする。それもこれもホクホクしてコクのある、独特の甘みと食感のせいなのだ。この甘みやコクは、クリームやチーズなどと混ぜると上品な洋食となり、煮付けたり味噌汁に入れたりすると庶民的な和食の味になる。前述したように筆者は、カボチャの入った山梨県の「ほうとう」が好きだ。彼の地の店で何度か食べたことのある、味噌汁に溶け込んだカボチャと味の染みた熱いほうとうは、筆者にとり最高のアンサンブルだったね。
もっとも、この甘さが苦手という人も中にはいるだろう。カボチャはどちらかと言えば女性の好物で、俺はどうもなあという男は多い。外見はゴツくて男性的なくせに、中身は甘くて女性向きというギャップが、カボチャの持つ魅力だろうか。そんな甘いカボチャは、薄く切って天ぷらに揚げるとけっこうイケるのだ。ざる蕎麦の脇に添えて、キュッと冷水に締まった麺をすすった後、濃い麺つゆに揚げたてのコイツを浸して食べると、世の中が違って見えるからあら不思議。イモの天ぷらほど胸につかえないので、サクサクと食べられる。カボチャと蕎麦は相性が良いのだ。
意外な食べ方としては、カレーの具に入れるという手もある。ピリリと辛いカレーと、熟成してコクのあるカボチャはあんがい合う。ただしあまり大量に入れすぎると、カレー全体が甘くなり、お子様カレーになってしまうので要注意だ。また煮詰めすぎると身が溶けてしまって、皮だけが残るという悲惨なことにもなりかねない。ジャガイモと同じで食感を楽しむなら、カボチャは入れるタイミングが重要なのだな。
ところでカボチャにもいろんな種類があるようだが、友人が送ってくれた絵のモデルは、調べてみるとどうやら「白皮砂糖南瓜」という種類のものらしい。西洋カボチャとはひと味違う日本カボチャの一種で、ネットリした甘い肉質が特長のようだ。なんたって「砂糖南瓜」というくらいだものな。見た目も普通のかぼちゃに比べれば、白っぽい褐色の皮がいく筋にも割れてモリモリ盛り上がり、面白い形をしている。友人がつい絵筆を取りたくなった気持ちも、分かるというものだ。
ちなみに、こうしたわれわれが普段食べるカボチャを、英語では「スクワッシュ」と言うらしい。えっ「パンプキン」じゃないの?と思う人もいるだろうが、どっこい違うようだ。「パンプキン」はハロウィーンのランタンに使われる、あのオレンジ色をした丸っこいカボチャのことで、西洋カボチャや日本カボチャなど、ひっくるめての総称は「スクワッシュ」が正しいらしい。なんだか「スクワット」みたいで、筆者などはつい膝の屈伸運動をしたくなる。
もっとも、「スクワッシュ」と言う呼び方は英国や北米の話で、同じ英語圏でも南半球のオーストラリアやニュージーランドでは、カボチャはやっぱり「パンプキン」らしい。ややこしくて困るが、日本のスーパーでよく見かけるのはニュージーランド産なので、やっぱり「パンプキン」で良いのでは…? ちょっと笑えるのは、北米などで売っている西洋カボチャの中に、「カボチャ・スクワッシュ」と言う名の種類があることで、こうなるともう何が何だか分からない。
日本名の「カボチャ」の由来は、16世紀頃に東南アジアのカンボジアから伝わったから、と言われている。どうりで漢字で「南瓜」と書くわけだ。またカボチャには別名も多く、関東では「唐茄子」、関西では「南京」などとも呼ばれる。落語の「唐茄子屋政談」が、上方では「南京屋政談」になるわけだ。いずれにしろカボチャには、今でも遠い南国からやって来た珍品の味わいがあり、そこがまた庶民に愛される所以かも知れない。
2019年06月30日
佐賀平野の水田に思う

佐賀地方もようやく雨が降り、カラカラの水不足は何とか解消されそうだ。いや~、今年の梅雨入りは遅かった。見渡せば佐賀平野は田植えの終わった水田が広がり、涼しげな風景になっている。これがちょっと前までは、黄金色の一面の麦畑だったのだから、何だか不思議な気もするなあ。水田の水は暑い夏にはどんどん蒸発するので、そのぶん大地の熱を冷ましてくれる。青々とした夏の田んぼに涼しい風が吹くのは、この冷却効果のお陰なのだ。
考えてみれば、それまで畑だった土地に水を引き、浅い沼地にして稲を植え、収穫するまで育てるのは大変な手間ひまだ。しかも人工の沼地なのだから、常に水を入れて維持管理しなければならない。何しろ水が涸れたら稲はアウト。日本人はこの作業を、はるか数千年前から連綿と続けて来たってわけだ。稲作こそ日本を支えて来た原動力なのだな。農家の皆さん、ありがとう!
しかし、こうした水稲耕作はいつの時代から始まったのだろうか──。イメージ的には弥生時代の印象が強いが、実は縄文時代の晩期にはすでに行われていたらしい。今から約2700年前の遺跡といわれる唐津市の菜畑遺跡からは、炭化米や土器に付着したモミの痕跡、また水田跡や用水路、それに石包丁・石斧・田下駄といった農具類が発見されている。縄文人も稲刈りなどをやってたわけだ。そういえば筆者もだいぶ前に唐津に行ったとき、「末盧館」という資料館でこの遺跡に関する展示を見たことを思い出した。あそこはけっこう重要な遺跡だったんだな。クソ、もっとじっくり見ておけば良かった…。
もっとも稲作自体はさらに前の、今から約6000年前に伝わったと推定されている。ただしこちらは陸稲(熱帯ジャポニカ)と呼ばれるもので、水田耕作ではなく畑で育てるところが特長だ。手間ひまかかる水田をいちいち作る必要がなく、種モミを直に畑に蒔くだけで済んだため、当時はこれが主流だったんだろうね。しかし陸稲は水稲(温帯ジャポニカ)に比べると味や収穫量で劣るため、やがて両者の立場は逆転することになる。水に恵まれた日本列島で、やはり人々は味が良くて収穫量の多い水稲の方を、自然に選んだということなのだろう。
では、日本列島には自生しない熱帯性植物の水稲(温帯ジャポニカ)は、いったい何処から日本に伝わったのか。まず原産地は中国の長江中・下流域とする説が有力だ。長江下流の浙江省寧波の遺跡からは、約7000年前の水田跡が発見されているというから、スタート地点はここと考えられる。で、この稲と栽培方法がはるばると、縄文時代晩期の日本に伝わったルートについては、いくつかの説があるらしい。
ひとつは長江流域から北上し、山東半島から黄海を渡り朝鮮半島の南部を通って、九州北部へ伝わったとする説だ。最近の研究で、朝鮮半島南部まで縄文人が来ていたことが分かっているので、彼らが持ち込んだことも十分考えられる。なぜ半島南部かというと、実は半島北部では菜畑遺跡より古い水田跡が見つかっていないらしい。まあ、もともとあっちは寒冷地で、熱帯性植物の稲は育ちにくいのだろうか。唐津と半島南部なら島伝いに行けば遠くはないし、これは説得力のある説ではある。
もうひとつは、長江下流域から東シナ海を通って、ストレートに北九州に伝来したという説だ。なにしろ東シナ海からは、対馬海峡を経て日本海へと入る対馬暖流が流れている。この流れに乗って舟で行けば、長江下流からあんがい速く北九州に着くのかも知れないな。最近では朝鮮半島経由説より、こちらの説が有力だとも言われているようだ。中国の研究機関では、水稲はこうして日本から朝鮮半島に伝わったという説が有力なようだが、素人の筆者にはどうも分からない。三つ目は、中国南部から沖縄・南西諸島を経て、黒潮に乗り南九州に伝わったとする説だが、いつか沖縄や南九州あたりで最古の水田跡などが見つかれば、これもにわかに脚光を浴びそうだ。
いまのところこれらの説の決定打は出ていないが、いずれにせよ大陸から始まった水稲耕作が、海を渡って日本列島に伝わったことは間違いない。やがて弥生時代になり水稲は、西から東へと日本列島に広がって、古事記が編纂された8世紀頃には、わが国は「豊葦原の瑞穂の国」になっていたのだろう。これは豊かな葦原のように、みずみずしく美しい稲穂が実る国という意味。人々の努力で水田が広がり、日本は豊かな国になったんだな。現代も次々と品種改良が進み、我々はますます美味い米が食えるようになった。やっぱり筆者も飯を食う前には、最初に水稲を運んで来た人々に感謝をするべきだろうか。
2019年05月31日
佐賀の土産は何が良い?

先日、所用で久しぶりに東京に行って来た。筆者にとっては、舞い戻ったという感じだろうか。4泊5日の短い旅だったが友人宅を泊まり歩き、多くの仲間たちと会って楽しい酒を飲んで来た。やっぱりむかしの仲間とは話が通じ合うし、会話にもテンポがあって良い。合間にはブラリと古巣の墨田区のスカイツリーから、隅田川を渡って浅草まで歩いてみたが、いや~外国人の多さには驚いたね。道を歩く半数以上が日本人じゃないという状況は、かなり異様な感じだったなあ。
今回、向こうに行く前に筆者がちょっと迷ったのが、土産に何を持って行こうかということ。何しろ久しぶりのことだし、向こうで待ってる友人たちも多い。佐賀らしさ満点で美味しくて、しかも程良い価格のものでなくてはならない。特に泊めてもらう友人宅には気を使う。男同士なら焼酎のボトルをドン!で済むだろうが、何しろ食事や風呂や寝具のお世話をしてくれるのは、友人の奥さんだ。なのでこういう場合は、奥さんの喜びそうなものを選ぶ必要がある(これ大事!)。となるとやっぱり、甘いお菓子ということになるんだなあ。
まあ、こんなときは「小城羊羹」が定番なのだろうが、羊羹の難点はズシリと重たいこと。渡す相手が1人ならさほど問題はないが、今回みたいに5人分となるとエライことになる。荷物が重い旅行は移動が大変だからね。そこで考えたのが、羊羹みたいにソリッドなものではなく、適当に中に空気と水分が含まれていて重からず軽からず、しかも佐賀らしい美味しいお菓子は何かということ。軽さだけなら中身が空気の「逸口香」に限るが、あまり軽すぎては相手にバカにされそうだもんな。
そこで選んだのが、村岡屋の「さが錦」。これならネーミングがまず佐賀らしいし、見た目も味も申し分なしだ(筆者も好物)。しかもお茶にもコーヒーにも合うところがスグれている。そこで3人用に16個入りの箱をそれぞれ包んでもらい、残りの2人はひと口サイズの羊羹の小袋詰めということにした。もっとも、3つの箱だけでもかなりの大きさと重さになり、持って行くときは結構大変だったけどね。さいわい「さが錦」の評判は上々で、口にした奥さんたちは大変喜んでくれた。やはり女性を喜ばせることは何より大事なのだ。
重からず軽からず佐賀らしい美味しいお菓子といえば、「丸ぼうろ」もその代表格だろう。重さだけなら水分が少ない分「さが錦」より軽いはず。外側がやや硬く、中がサクッとしたドライなカステラといった風味で、むかしから佐賀県人に愛されて来た伝統菓子だ。しかも1個ずつが円盤状になっており、カステラよりはずっと食べ易い。筆者はこれまで東京への佐賀土産として、「丸ぼうろ」をよく持って行ったものだが、評判は悪くなかったなあ。ただし、佐賀県人が思っているほどこのお菓子、向こうでは知られてないのが意外だったけど。
佐賀は他にも甘いお菓子がいろいろと豊富だ。なんたって「シュガーロード」だもんな。だがお土産に持って行くなら、やはり佐賀らしさが重要なポイントになる。つまりオリジナリティ。いくら美味くても、どこにでもあるようなクッキーや饅頭では、有り難味も薄れるというものだ。その意味で残念なのが、小城特産の冷たいお菓子「ブラックモンブラン」だ。県民ならみんなが知っている、竹下製菓のアイスキャンディだが、こればかりはそう簡単にお土産にという訳にもいかない。アイス菓子の悲しき定めだが、東京の友人に食べさせたらきっと喜ぶことだろうに。
お菓子以外で佐賀らしい土産といえば、やはり独特の海産物ということになるのかな。これはけっこう珍しい物が多い。いの一番に思い浮かぶのは、やっぱり「松浦漬け」だろうか。なんたって鯨の鼻筋の軟骨を、甘く味付けした酒粕に漬け込んだという、珍味中の珍味だ。食べるときは酒粕ごと、軟骨をコリコリ噛み締めて食べる。以前、これをもらった東京の人が、酒粕を洗い流して食べたという話を聞いたことがあるが、まあ奈良漬けと勘違いしたんだろうね。同系のものに、やはり貝柱や海茸を漬け込んだ「竹八漬け」があるが、これらはなべて酒粕ごと食べるのが基本だと、事前にレクチャーする必要がありそうだ。
珍しい物といえば、有明海の海産物にはギョッとするものが多い。中でも土産にやめといた方がいいのは「ガニ漬け」だろう。これは有明海の干潟に住むシオマネキという蟹を、甲羅ごとすり潰して塩や唐辛子で味付けしたもの。熱いご飯の上に乗せて食べればそれなりに美味いが、これが出来るのは佐賀県人だけだろうなあ。知らない人がこの瓶詰めをもらっても、中に泥が入っているとしか思えないはず。つまり、泥の瓶詰め。いくらカルシウムや鉄分が豊富だと説明しても、「コノヤロー!」と怒鳴られるのがオチというものだ。
有明海産の最も恐ろしい土産といえば、やっぱり「ワラスボ」の干物に尽きるだろう。何しろこいつはエイリアンだ。とにかく見た目が尋常じゃあない。ウナギのように細長い体だが、目は退化し鋭い歯を持つ大きな口だけが飛び出した、悪魔のような姿の魚なのだ。それを干物にして食おうというのだから、佐賀県人は恐ろしい。そのむかし冗談半分で、これを東京の友人に土産として持って行ったことがあったが、彼は必死になって食べたと言ってたなあ。あのときは悪いことをしたものだ。筆者はとうてい怖くて食えません。
となると、佐賀の土産でもっともポピュラーで、無難で軽くて持ち運びも便利な優等生は、「有明海苔」ということに落ち着きそうだ。まあこれならどこの家庭の奥さんも、喜んでくれるんじゃないのかな。なんたって海苔といえば有明で、佐賀県は生産枚数がダントツの全国ナンバーワン。黄門様の印籠ではないが、相手に「恐れ入りました!」と言わせる効果はありそうだ。で、奥さんが喜んでも今ひとつ物足りなさそうなダンナには、天山酒造の焼酎「小城」のボトルを手渡せば良いだろう。有明海苔をつまみのハイボールは、ちょっとした贅沢というものだ。
2019年01月31日
偉大なる大根おろし

冬の野菜の代表格といえば大根。とにかくこの季節、ブリ大根やおでんなどの煮物には欠かせないし、みそ汁の具にも最高だ。また、薄く切って大き目の空きビンなどに詰め、自家製の酢漬けを作ったりするのもグー。とにかく安くて美味くて調理が簡単という、庶民の味方の王道を行くのが、大根という万能野菜なのだ。
中でも筆者が好きなのは大根おろし。誰が最初に考案したかは知らないが、大根をおろし金で摺って半固体状にした人は、歴史的な功労者と言えるだろう。何しろそのままでは硬くて食べにくい大根を、簡単な加工でドロドロの状態にして、手軽に食べられるようにしたのだから。おかげで健康な人も病人も、歯のある人もない人も、ありがたく大根を食することが出来る。煮たり焼いたり炒めたりという、面倒な手間などは不要なのだ。
筆者はこの大根おろしに納豆を混ぜて「おろし納豆」にし、ご飯にかけて食べるのが大好きだ。納豆の代わりにチリメンジャコを混ぜて、「ジャコおろし」にしても良いし、金のある人は「イクラおろし」も良いだろう。また柔らかい餅にからめて「からみ餅」にすると、いくらでも食べられる上、胃もたれしなくて済む。なぜ胃にもたれないかというと、大根おろしにはジアスターゼという消化酵素が含まれているから。このジアスターゼが炭水化物の消化を助けてくれるので、胃の弱い人も大助かりというわけだ。
また、大根おろしの辛味の成分であるイソチオシアネートには、殺菌や解毒・消炎の作用があるらしい。なるほど、秋刀魚などの焼き魚の脇に大根おろしが添えられているのも、そんな理由があるからなのだな。聞けば聞くほどこいつはスグレモノだが、ただし、ジアスターゼもイソチオシアネートも熱には弱いらしい。なので、一緒に含まれているビタミンCも併せて、大根おろしは生で食べるのが体に良い食べ方のようだ。
しかし、日本人にとって食卓の万能脇役である大根おろしは、いったいいつ頃から食べられるようになったのか…? その前に大根について調べてみると、どうやらこいつの原産地は、地中海沿岸や中東あたりと言うではないか。それがユーラシア大陸に伝わって広まり、遥かむかしの弥生時代に、現在の中国から渡来したらしい。やっぱり安くて美味くて健康食品の大根は、古代の人々にも人気があったのだろう。しかし、冬の食べ物のイメージが強い大根のルーツが、暖かな地中海沿岸や中東とは意外な話だ。
奈良時代に完成した『古事記』や『日本書紀』には、仁徳天皇が怒って家出した皇后の磐之媛(いわのひめ)を、迎えに行って読んだ歌が記されている。「つぎねふ 山城女の 木鍬持ち 打ちし大根(おおね) 根白の白腕 纏(ま)かずけばこそ 知らずとも言はめ」。つまり、大根の根のように白い腕で私を抱いてくれたお前なのに、何でそんなに知らん振りするの、という妻をなだめる歌なのだが、大根のように白い腕というところが艶めかしい。仁徳天皇もさぞや浮気を後悔されたことだろう。
そんな大根を、摺りおろして日本人が食べるようになったのは、定かではないが、一説では室町時代あたりからとも言われている。どうも醤油が普及する前の調味料代わりとして、納豆やそばや干物などにかけて食べていたようだ。その名残りなのか今でも、大根おろしやその搾り汁で食べる「おろしそば」が、福井県あたりの名物になっている。美味そうだが、筆者はあまり辛いのはちょっと苦手なのだな。
江戸時代中期を過ぎると、大根は白米、豆腐と並んで「江戸三白」と呼ばれるほど、白い食材の代表格になる。つまり安くて手軽な庶民のご馳走だ。この頃には大根おろしもポピュラーになり、屋台のファストフードである、天ぷらのつゆに欠かせないものになった。何しろ屋台の七輪では火力が弱いため、天ぷらもサクッとは揚がらない。その油っぽさを緩和させ、食後の胸焼けを防ぐものこそ、ジアスターゼをたっぷり含んだ大根おろしというわけ。また、刺身や焼き物といった魚料理には、毒消しも兼ねた添え物として、この時代に定番になったようだ。なんたってイソチオシアネートだもんな。
こうした歴史をたどって、現代でも大根おろしはさらに活躍の場を広げている。ステーキに大根おろしとポン酢をかければ「和風ステーキ」になるし、これを豚カツにかければ「おろし豚カツ」になる。また、スパゲティなどのパスタに絡めた「和風パスタ」も、最近ではポピュラーだ。大根おろしとオリーブオイルのコラボなど、まるで異種格闘技戦じゃないの。それもこれも大根おろしが、どこまでもフレキシブルな奥深さを持っているから。シンプルで口当たりが優しくて、いろんなものと混ぜても邪魔にならない上、健康にも良い大根おろしこそ、永遠の万能調味料ではなかろうか。
2017年12月25日
九州生まれの柚子胡椒

テレビの料理番組などで近頃、薬味として柚子胡椒がちらほら登場するのを見掛けるようになった。それも東京キー局制作の番組などでだ。筆者としていや九州人としては、これは素直に喜ぶべきことだろう。おお、お前もようやく東京で知られるようになったのかと、まるで売れなかった役者の成長を見るような気分と言えば、少しは分かり易いだろうか。
何といっても柚子胡椒は九州ではメジャーな香辛料。ワサビと同じように刺身や焼き魚にちょいと乗せたり、またお吸い物に入れて風味を楽しんだりと、どんな料理に組み合わせても実力を発揮する万能選手だ。佐賀などではおそらく一家にひと瓶、この柚子胡椒の瓶詰めが常備されているはずだ。なかったらその家には説教をしたい。とにかくこいつは出来る奴。筆者が見た料理番組では、パスタ料理の風味付けとしてこの柚子胡椒が使われていたが、なるほど近頃ではこういう使い方もするんだな、と感心したものだ。
柚子胡椒の何が良いと問われれば、もちろんそれはあのピリッと辛い刺激と柚子の香りのミックスと答えたい。なにしろ柚子胡椒は、青唐辛子と柚子の皮をすり潰して塩と混ぜたもの。この舌に残る辛さと鼻腔に広がる芳醇な柚子の香りが、料理を美味しくし食欲をそそるというわけだ。なので料理本来の味や香りを損ねない程度に、ほんのちょっぴり使うのが正しく上品な使い方。どこかの国の料理みたいに、辛ければ良いってもんじゃあない。ちなみに九州では唐辛子のことを胡椒と呼ぶので、この商品名が付いたってわけ(胡椒もまた胡椒と呼ぶけどね…)。
しかし、思えば筆者が東京に住んでいた十年ほど前まで、まだ柚子胡椒も向こうでは影の薄い存在だった。一度どこかのスーパーの棚で見掛けた様な気もするが、おそらく向こうの客は何じゃこれ?だったのではなかろうか。というか、筆者が東京でこいつを入手したことは一度も無かった。なので正月に佐賀に帰郷した折など、向こうに持って帰る土産の必須アイテムがこれだった。佐賀駅で買いそびれた時は、乗換えの博多駅で必ず買って帰ったっけ。何しろ小さな瓶入りなので、コートのポケットに入れれば荷物にならない。しかも開封した後も、冷蔵庫の中でいつまでも長持ちする。いや、これほど重宝する土産もなかったなあ。
また持ち運びに便利なので何個か購入し、向こうの友人たちにもよく佐賀土産として配ったものだ。ただし、そんなときは必ず説明が必要だったね。この薄緑色のペースト状のものがどんな食品で、どういう使い方をすれば良いのか、ちゃんと教えてあげないと彼らはピンと来ないようだった。筆者は一度、友人の奥さんにどんな料理に使ったのか尋ねたことがあったが、そのときの答えにはちょっと驚かされたな。なんと、海苔の佃煮みたいにご飯に乗せて食べたと言うのだ。言われてみれば確かに、柚子胡椒の中には塩がタップリ入ったものもあるので、きっと彼女はダイエット食としてちょうど良いと思ったのだろう。しかしなあ…。
そんな九州の万能薬味の柚子胡椒だが、商品として売られているものは大分県産が多い。わが家にある瓶詰めのラベルを見ると、これも大分県の会社が作っている。どうやらこいつの発祥地は、同県の日田市という説があるようで、ここは柚子の産地らしい。そういえばだいぶ前の連休に、同市の小鹿田焼の里に遊びに行ったとき、農家の自家製柚子胡椒が売られていたのを思い出す。筆者はそれをひと瓶買って帰ったのだが、思えばあれも塩がタップリ入っていて塩っぱかった。柚子胡椒の原形は、こうした農家の人たちが柚子と青唐辛子と塩をふんだんに使って作った、ワイルドな味だったのかも知れないな。
むろん佐賀あたりでも自宅に柚子の木がある農家などは、自家製の柚子胡椒を作ったりするようだ。筆者のところにもたまにそうした自家製の貰い物が、知り合いの手を経て回って来ることがある。が、中には柚子の香りよりとにかく刺激と、青唐辛子を無茶苦茶に大量投入したものもあり、うかつに汁物に入れるとエラい目に遭ったりする。柚子胡椒も作り手の好みで、辛みや香りや塩気の優先度が違うようだ。まあ、タダの貰い物なので文句は言えないが、それでもこいつが切れると口が寂しくなるんだよなあ。
そんな柚子胡椒も今では九州を飛び出し、日本各地でも知られるようになったらしい。まあこいつの強味は前述したように、辛みと香りと塩気の3拍子が揃っていること。ワサビのように日本料理の薬味として添えるも良し、また洋風の肉料理やパスタやドレッシングソースなどの隠し味として使うも良し。つまり、何でも来いの万能性を備えているところに、無限のポテンシャルを感じさせるのだ。なのでこのまま行けばいずれ、九州人が思いもしなかったような使われ方をして、日本中で大ブレイクする可能性だってありそうじゃないか。
ネットショップで試しに調べてみたら、柚子胡椒風味の醤油やポン酢はむろんだが、マヨネーズにソースにドレッシングがあり、お菓子では柚子胡椒味の柿のタネやクラッカー、さらにキットカットに飴などが登場している。また瓶詰めやチューブの他に、粉末式柚子胡椒もすでに全国で販売されているようなので、今後はそれらを使った新作料理なども生まれて来るはずだ。こうなると柚子胡椒も九州特産とは言ってられなくなりそう。あるんだなあ、伸びシロが。もっとも筆者が一番好きなのは、九州産の甘い醤油にこいつで、シンプルに鯨の刺身を食べることなのだが。
2017年06月12日
枇杷の実のなる季節

前回、楽器の琵琶の話を書いたばかりでナンだが、この季節どこを歩いても枇杷の実がスズナリだ。住宅街の庭にも農家の畑のそばにも、オレンジ色のプリンとした丸い実が木全体を覆うように実っている。それはまるで、あの南方風の木が産み出したたくさんの卵のようにも見える。で当然、筆者などはそこを通る度に口にヨダレが溢れるというわけだ。何といっても、大きな種をプッとはき出しながら食べる熟れた枇杷の実は、甘くてジューシーで美味いからね。
庭などにこの木がある家などは、きっと食べるのに大変だろうなと思う。なにしろ果実の数がハンパじゃないし、放っておけば腐ってグチャグチャになり、下の地面はエラいことになる。だからこの季節は、枇杷の実を貰うことがけっこう多い。腐ったり野鳥のエサにするくらいなら、誰かに上げて喜ばれた方がマシだもんな。筆者も先日これを貰って食べたばかりだが、思えばみんな学校や職場などで、誰かが自宅から持って来た枇杷を食べた経験があるんじゃないのかな。
筆者にとって枇杷の実は子供の時分、近所にあるものを勝手にちぎって食べるおやつだった。そう、美味い木の実は勝手にちぎって食べるに限る。言わば「初夏の枇杷の実、秋の柿の実」が、子供にとって季節の“二大おやつ”だったのだ。だいいちこの二つの木は、近所のいたる所にあったからね。枇杷は特に高木でもなく、子供の手の届くところに豊富に実をつけてくれる、優しい木だった。むろん、他人の家の木の実を勝手にちぎっているところを見付かれば、大人にコラッ!と叱られたものだが、そんなスリルも含めて盗んだ果実は極上の味がしたものだ。
子供の頃からそんな体験をしているので、筆者などは果物屋で売ってる枇杷を買おうとは思わない。これは柿の実やイチジクの実なども同じだが、どうも頭の中に“あれは元はタダだから”という、サモしい根性が刷り込まれているからだろうな。なので佐賀の田舎の果物屋では、リンゴやバナナやパイナップルなど外国由来のフルーツに比べれば、枇杷などはあまり売れないんじゃなかろうか。「格好ば付けても、アンタは元はタダやろうもん!」と、佐賀のオバちゃんも心の中では思っていそうだ。
だが実際は、商品の枇杷の実はけっこう手間ひまが掛かっているはずだ。だいいち売られている奴は、実が格段にデカイもんな。摘果して、袋掛けして、肥料をやり、大事に育てられた枇杷の実は、きっと生産者にとっては可愛いわが子のようなものなのだろう。それに病気や虫害だって心配しなけりゃならないし。枇杷だって素人が思うほど簡単に育つわけじゃないんだよ、と農家の人は言いたいことだろう。まあそりゃそうだ。
筆者がこれまで見た枇杷の実で一番デカかったのは、千葉県の房総半島の富浦という町で売っていたものだった。ここは半島の南端をドライブ中にふと立ち寄った、名産が枇杷の実という町だったが、とにかく直売所の店頭の箱に並んだオレンジ色の果実が、あまりに大きいのにビックリしたのを覚えている。何というかそれはこれまで見たこともない、Lサイズの鶏卵ほどの大きさの枇杷の実だったのだ。あれは実に美味そうだったなあ。自称“房総半島評論家”としては、そのときぜひ買って食べるべきだったのだが、ちとお値段が高過ぎて断念したのを今では後悔している。
そう言えば、枇杷の葉には薬効があるようで、房総半島では枇杷の葉のお茶も売っていたっけ。あれは日蓮聖人誕生の地という、千葉県の天津小湊にある誕生寺を参拝したときのこと。筆者が土産物屋で試飲したのが「びわ茶」なるものだった。そのときは別に飲みにくさを感じることもなく、普通のお茶と同じ感覚で飲んだのだが、後で聞けば枇杷の葉にはアミグダリンというガン治療にも使われる成分があるようで、また他にもタンニン、サポニン、クエン酸などの有効成分があるという。どうやら枇杷の葉は古くから、中国やインドで病を治す薬として重宝されて来たようなのだ。そうと知ってればあのとき買ったものをと、筆者はやはり今になって後悔している。
そんな枇杷だが、どう見てもあの木の姿形は南方風で、日本の樹木の中でひときわ異彩を放っている。調べてみたらやはり原産地は中国南西部といい、「枇杷」の語源はあの実の形が楽器の「琵琶」に似ているからだとか。言われてみれば、へえそうかなあという感じだ。日本には古代に伝わったようだが、主に本州南部から四国・九州にひろく分布しており、やはり暖かい地方が好きなようだ。枇杷の実の主な産地が九州の長崎県や、千葉県の黒潮流れる房総半島、それに四国の香川県など、温暖な地域ばかりなのもなるほどと頷ける。
しかし散歩をしていて感じるのは、今ちょうどあちこちにスズナリの枇杷の実を、誰も収穫しようとしてないこと。さあ食べてくれと言わんばかりに実った果実が、虚しく手付かずのままになっている状態は、筆者として気になってしょうがない。ヤキモキさせられる。かといって、良い年をした大人が盗み食いをするのもマズいもんなあ。まあこの飽食の時代、今さら枇杷など食べなくてもという地主が多いのかも知れないが、そんな人にはつい説教をしたくなる。枇杷の実は美味いのだ。食べないのなら、せめて近所に配ってくれよ!