2022年09月30日
ヨーロッパ映画の苦い味

筆者は最近、映画館に行く機会がめっきり減ってしまった。なにしろ佐賀は映画館の数が極端に少ないので、観に行くとすれば車かバスか電車に乗って、遠いシネコンまで出かけるしかない。これがけっこう億劫なのだ。かつて東京に住んでいた頃は、巨大な街のあちこちに映画館があり、ブラリと気軽に行くことが出来た。買い物のついでにちょっと立ち寄ったり、打合せと次の打合せのあいだの時間潰しに入ったり、ときには終電を逃してオールナイトの上映館で夜を過ごしたり…。筆者にとって本来、映画館とはそんな存在だった。なので、♫は〜るばる行くぜ映画館へ〜、という面倒なプロセスはどうも気が滅入るのだ。
そんな出不精の映画好きの強い味方が、かつてはビデオテープだった。それがDVDになりブルーレイに進化し、近ごろそれらに取って代わったのがインターネットによる配信だ。いや~、時代は変わるもんだ。なんたって電話線のおかげで、自宅で映画が観られるようになったのだから、かのグラハム・ベルも腰を抜かすはず。これなら、佐賀のような田舎に住んでいても何の不便もない。その恩恵で筆者も自宅のイスにひっくり返って、じっくり映画を楽しめるようになったわけだが、ありがたい世の中の到来じゃないか。
ネット配信の良いところは、メニューの数が多い点だろう。とにかく、邦画も洋画も新作から旧作まで、いろんな作品を自分で選んで観ることが出来る。佐賀の映画館ではまず上映されないような、レアな映画だって探せば出て来る。そこがまた面白い。筆者の楽しみは、あまり話題にならなかったような作品の中から、シブい名作を見つけ出すことで、これだ!というものに巡り会ったときは、道で大金を拾ったような気分になる。ただしハズレに当たったときは、時間を返せこのヤロー!と叫びたくもなるが…。
最近、筆者がハマっているのは、ヨーロッパ映画だ。これが実に奥が深い。まあ、ひとくちにヨーロッパ映画と言っても、フランス映画もあればイギリス映画もあり、ドイツ映画だってイタリア映画だって健在だ。また北欧の映画も、捨てがたい独特の味を持っている。総じて言えることは、世界を席巻するアメリカ映画に比べれば、それぞれ国ごとに違った個性があり風味があるということだ。しかもこの個性や風味には、長い歴史を経て来た絶妙なスパイスが利いている。そこが魅力なのだ。アメリカ映画が大通りに立つ電飾ギラギラの巨大デパートだとすれば、ヨーロッパ映画は迷路の奥に点在する謎めいた専門店といったところだろうか。
たとえば、アメリカ映画に慣れた目でヨーロッパ映画をみると、感じるのは雰囲気の暗さだ。まず、空の色が暗い。これは緯度の関係もあるのだろうが、ヨーロッパの空はどことなく暗く重い。とくに北欧の映画は昼間でも薄暗く、それが画面全体に重苦しい陰影を与えている。筆者が4本観たデンマーク映画『特捜部Q』シリーズは、過去の迷宮入り事件を再捜査する特捜部を描いたものだったが、明るく晴れた空はどこにも出て来なかったな。おまけに、主人公の刑事も暗い過去を持つ無口な男。いや暗い過去を持つのは犯罪者たちも同じで、そこからは階級差別や移民問題、貧富の差など、ヨーロッパが抱える病巣が透けて見えるのだ。つまり何もかもがひどく暗い。だけど、この暗さに慣れてしまうと、病み付きになるんだよね。
暗い空に荒れた海、そこに荒涼とした原野や古い城が加われば、まさにこれヨーロッパ映画だ。何気なく見始めたフランス映画『燃ゆる女の肖像』は、そんなシチュエーションで展開する作品だが、登場人物がなぜか女性ばかり。ひょっとしてこれはと思っていたら、やはりそっちの方に話が進み、女どうしの激しい恋が燃え上がるという筋書きだ。ただし、アメリカ映画のような野暮な性描写などはなく、二人の女性の感情を押し殺した短いセリフのやりとりと、絵画のような映像美が印象的な佳作だった。それが映画に品を与えていたが、やっぱり演技は抑制的なのが良い。しかしこういう耽美的なものは、やはりフランス映画に限るなあ。
ドイツ映画『コリーニ事件』は、富豪を殺害したイタリア人・コリーニの弁護を引き受けた、トルコ移民の子である若い弁護士が主人公だ。ここでも移民への差別や、旧ナチスの戦争犯罪といった、ドイツが引きずる社会問題が影を落としている。単純に見えた殺人事件の裏には、この国ならではの深い傷が隠れているというわけ。また、ポルトガル映画『カルガ 積荷の女』は、売春組織による女性の人身売買を描いたものだが、ここにも貧困や差別、暴力といった、ヨーロッパの抱える病巣が描き出されていた。とにかくこの殺伐とした絶望感は、アメリカや日本の映画では絶対に描けないものだろうな。
ヨーロッパ映画を観て感じるのは、どれもセリフが抑制的で音量も控えめということ。だいたいが、静かな映画が多いのだ。アメリカ映画みたいに、やたらと大声を出したり怒ったりという場面は少ないし、日本映画のような説明的長ゼリフもオーバーな演技もない。淡々とリアルに物語は進行し、やがてその先に皮肉で悲劇的なラストが待っている。なので、ドラマチックな展開やド派手なアクションが好きな人には、少し退屈に映るかもしれないな。だが、その退屈さをガマンして乗り越えると、最後にアメリカ映画では感じられない、複雑で味わいの深い感動を得ることが出来るのだ。
といっても必ずしも、ハッピーエンドが待っているわけではない。ヨーロッパ映画のいちばんの特徴は、ラストが甘くないところだろう。いや、甘くないというよりけっこう苦い。だがその深い苦味の中に、煮ても焼いても食えないヨーロッパの本質があり、捨てがたい余韻があるのだ。ビールだってウイスキーだって、苦味があるからこそ美味いはず。ハッピーエンドが好きな人は、コーラを飲みながらアメリカ映画を観ればいい。これはどっちが良いというわけではなく、ラストの苦い味をしばらく引きずりたい人には、ヨーロッパ映画がオススメということだ。実は甘いお菓子も大好きな筆者なのだが、この秋は苦味のきいたヨーロッパ映画をしばらく楽しみたい。