2020年08月31日

大空を自由に飛ぶ夢

残暑見舞い

先日、友人たちに残暑見舞いを送ったが、今年の暑さはいったいいつまで続くのだろうか。日本気象協会の予想では、全国的に厳しい残暑となりそうで、まだしばらくは熱中症対策が欠かせないようだ。最近のニュースを見ていると、一日あたりの死者数ではコロナで亡くなる人より、熱中症で亡くなる人の方が多く、前門の虎より後門のオオカミの方が恐ろしい。筆者も水分をよく摂り、外出時は帽子を忘れないようにしないとね。

ところで、筆者が作成した今年の残暑見舞いには、ある模型飛行機のイラストを使わせて貰った。その名前も「カラス型飛行器」。空中にフンワリと浮かぶ黒い機体に、涼しさのイメージを重ねたわけだが、これは筆者がこのごろ読んだ、吉村昭の小説『虹の翼』からヒントを得たものだ。吉村昭といえば記録文学の名手であり、筆者の好きな作家の一人。歴史上の人物や事象を徹底的に調べ上げ、極力フィクションを交えず、精緻な文体で小説化することを得意とした。この小説の主人公も二宮忠八という実在の人物で、実は彼こそ「カラス型飛行器」の設計者だったというわけ。

それまで筆者は知らなかったが、二宮忠八は明治時代の飛行機の研究家として、知る人ぞ知る存在だったのだ。世の中、どうも未知の偉人が多過ぎるなあ。なにしろこの人、ライト兄弟が世界初の飛行機を飛ばす十数年も前に、独学で航空機の原理を研究し、模型飛行機を製作していたのだから立派。で、その最初の完成機が「カラス型飛行器」。これはゴム動力のプロペラ機で、明治24年(1891)に日本で最初の飛行実験に成功している。ちなみにライト兄弟の初飛行は1903年。

二宮忠八は現在の愛媛県八幡浜市の生まれで、少年の頃から頭脳優秀。家が貧しかったため自作の凧を売って、お金を稼いでいたという。その後も空への憧れやみ難く、志願して入った陸軍の野外演習での休憩中に、カラスが滑空して飛ぶ姿を見て飛行機の原案を思いつく。このあたりが、ボーッと休んでいる他の兵士とは違うところだ。人間、注意力さえあれば、ヒントはいたる所に転がっているんだな。

むろん、空を飛びたいという願望は、洋の東西を問わず人類がみんな持っていた。天才レオナルド・ダ・ビンチも、人間が空を飛ぶことは可能だと予言している。だがむかしの人々が考えたのは、鳥のように巨大な翼を羽ばたかせて飛ぶこと。これはどだい無理な話だった。なにしろ鳥の胸筋は全体重の六分の一なのに、人間の胸筋は百分の一に過ぎず、強靭さがまるで違うのだから。したがって、二宮忠八が飛行機の原案を考えた時代は、空に浮かぶ飛行船こそ実用化されていたものの、自由自在に空中を飛べる機械など、世界中のどこにもなかったのだ。

カラスの滑空から固定翼を、竹トンボからプロペラを思いついた忠八が、苦心のすえに設計し製作した模型飛行機が、前述した「カラス型飛行器」だった。プロペラを回す動力は、なんと医師が使う聴診器のゴム管。そして明治24年4月29日の夕方、人気のない丸亀練兵場でついに初飛行に成功する。地上を離れた模型は10メートルほど飛んで着陸。これは1871年、フランスのアルフォンス・ペノーが飛ばした、世界最初の動力付模型飛行機から、遅れること20年目の成功だった。だが模型飛行機で満足しないのが、二宮忠八の偉いところだ。

こうなればいよいよ人間が乗る飛行機を、空に飛ばしたくなるのが発明家魂というもの。忠八は次に人間の搭乗を目指した、大型の「玉虫型飛行器」を設計し、陸軍の上層部に図面を提出する。プロペラを回す動力は、軍の協力で開発するつもりだった。このとき「ようし、分かった」と提案が通っていたら、世界初の飛行機は日本陸軍が飛ばしていたかも知れないな。だが、時はまさに日清戦争の最中の明治27年(1894)、上申書を読んだ司令部参謀の長岡外史は、忙しくてそれどころじゃない。陸軍による飛行機開発は、あえなく不採用となった。どうも軍人は頭が固いのだ。

それでも諦めない忠八は明治30年(1897)、独力での開発を目指して軍を退役、研究開発費を稼ぐため民間企業に身を投じる。やっぱり人間は、これくらいの執念がないとダメなようだ。だがようやく資金も溜まってきた頃、1903年にアメリカ人のライト兄弟による初飛行成功、という新聞記事を読みガックリ。世界に先駆けての飛行機の開発は、外国人に先を越されたのだった。人生をかけての挑戦が挫折した彼の無念さは、察するに余りある。

それにしても周囲からは変人扱いされ、孤独な戦いを強いられた忠八と、飛行機への研究熱が高く、政府からも多額の賞金が出た欧米とでは、ずいぶんと環境が違ったものだ。欧米人たちは競って研究に励み、その結果としてライト兄弟の成功に繋がった。このあたり、斬新な発明を奨励し次々と挑戦する彼らと、保守的な思考に固まりがちな日本人との違いが、表れているような気がするなあ。気の毒な先駆者・二宮忠八だが、せめてもの救いは近年「日本の航空機の父」という評価が高まり、海外でもその名前が知られるようになったことだろうか。筆者も今度カラスを見たら、飛び方を観察してみようかな…。  


Posted by 桜乱坊  at 12:00Comments(2)身辺雑記