2021年01月31日

ヒーローの名は鎮西八郎為朝



つい先日見たNHKのニュースでは、佐賀県上峰町が作ったPR動画「鎮西八郎為朝」が大人気だという。そこで子供の頃から為朝ファンの筆者は、さっそくYouTubeで検索して覗いてみた。すると意外や意外、ロックバンド「ユニコーン」の歌とともに、馬鹿に爽やかで好青年の為朝がアニメで登場。まるで時代劇のイケメン俳優のように、カッコ良く画面の中を疾走していたっけ。そのせいか再生回数は、もう少しで170万回という驚くべき数字を示していた。

アニメはドラマの予告編のような作りだったが、そこにはちゃんと町の名所案内も盛り込まれており、宣伝効果はかなりあったんじゃなかろうか。いまの時代、若い世代は為朝なんか知らないはずだが、やっぱりアピールがうまく行けば、彼らも乗って来るんだな。何と言っても「鎮西八郎為朝」は日本の歴史上、最も強くて最もドラマチックな生涯を送った英雄の一人だ。しかも数々の伝説に包まれている。その為朝が上峰町にゆかりがあったとは、筆者も知らなかったけどね。

筆者が最初に為朝に惹かれたのは、小学生のときに読んだ『保元・平治物語』だったかな。子供向けに書かれた本だったが、とにかくそこに出て来る二人の若武者が気に入ったのだ。「保元の乱」で大活躍するのが鎮西八郎為朝なら、その後の「平治の乱」で大暴れしたのは悪源太義平。血の関係でいえば為朝は、義平にとって叔父に当たる。二人に共通するのは母は遊女ながら源氏の御曹司で、かたや九州こなた関東の田舎育ちの暴れん坊ということだ。しかも共に朝廷の権力争いに巻き込まれ、敗れて悲運のヒーローとなったところに、子供だった筆者はドラマを感じたってわけ。

特に為朝の方は常人離れした伝説に包まれており、〝英雄〟という呼び名がピッタリの人物だ。父は源氏の棟梁・六条判官為義で、為朝はその八男坊。身長2メートルを超える巨人にして強弓の使い手で、弓手である左手が右手より12センチも長いという、とんでもない肉体を持っていた。生まれつき乱暴者だったので、父により九州に追放されたが、たちまち当地を平らげ自ら鎮西八郎を名乗ったというから、まさに九州育ちのスーパーヒーロー。保元の乱(1156)では老いた父を助けるため御所に参上したが、このとき敵対した側にいたのが兄の左馬頭義朝(義平の父)だった。

この乱の戦いで為朝は、先制攻撃の夜討ちを献策。あえなく却下されるとその夜に、今度は敵方が逆に夜討ちをかけて来た。「だから言ったのに」と愚痴ったかどうかは知らないが、そこは天下無双の豪の者。自慢の強弓で次々と敵を射殺して大暴れ、たちまち平清盛の軍勢を蹴散らした。何しろ放った矢が前の武者の体を貫通し、後ろの武者に突き刺さったと言うのだから凄まじい。続いて攻め寄せた兄・義朝の軍にも一歩も引かなかったものの、多勢に無勢で次第に劣勢となり、ついに敗れて近江の国へと落ち延び、そこで為朝は捕らえられた。しかし武勇を惜しまれ死罪にはならず、肘の筋を切られて伊豆大島への流罪で済んだのは、この男の悪運の強いところ。

実は為朝伝説は、ここからが面白い。流人生活が続くうち肘の傷も癒えた為朝は、再び暴れ始めていつの間にか伊豆七島の支配者に。さすが実力者は違うのだ。だが直訴を受けて攻め寄せた追討軍を前に、最後は観念し自害して果てたと伝えられる。ただしこの話には続きがあり、密かに八丈小島を脱出した為朝は、舟で小笠原海流に乗り南下し、ついに琉球に上陸したというから驚きだ。大里按司の娘を娶った為朝は子をなして、その子・為敦が初代琉球王・舜天になったのだという。ホントか嘘かは分からないが、沖縄には現在「源為朝上陸記念碑」というものもあるらしい。やっぱり為朝伝説はいまも生きてるんだな。

こうした為朝伝説の火付け役になったのが、江戸時代に書かれた曲亭馬琴の読本『椿説弓張月』。これは保元の乱での為朝の活躍ぶりに、琉球王朝建国秘話の創作を交えて小説化したもので、江戸の庶民の間で大ヒットしたようだ。この小説には為朝が八丈島から痘鬼(疱瘡神)を追い払ったという挿話があり、実際に江戸の町では為朝が疱瘡除けの神様になったという。天然痘ウイルスさえ退治する、スーパーヒーローのご利益は大したものだ。ちなみに『椿説弓張月』は昭和になって、かの三島由紀夫の台本で歌舞伎化もされたが、こうなったら筆者もぜひ一度、ナマの舞台を観てみたいね。

兎にも角にも、波乱に富んだ生涯を送った鎮西八郎為朝。彼が若き日を過ごした佐賀県には、いまも各地に為朝伝説が残されている。最初に紹介した上峰町の鎮西山は、彼が拠点にしていた場所だと言い、地名などに関する様々な逸話があるようだ。また武雄市と有田町の境にある黒髪山は、為朝による大蛇退治の伝説が有名だ。このとき死んだ大蛇のウロコを運んだ牛が、重さのため鼻をついて動かなくなった場所が、武雄市の牛鼻山善念寺。同じく小城市の牛津の地名も、大蛇のウロコを運んだ牛車の牛が動かなくなったため、そこにウロコを祀ったのが由来だという。探せば他にもまだまだあるだろう。

思えば今から850年ほども前に生きた一人の男が、現在までその名を轟かすというのが凄すぎる。同じ源氏の伝説的ヒーローでも、義経がどこか陰気な影を引きずっているのに比べ、為朝はどこまでも陽性で豪快でスケールがデカい。チマチマしていない。日本の歴史の中では、まさに型破りの英雄と言って良いだろう。NHKの大河ドラマも、もう同じような人物ばかりあれこれ捏ねくり回すより、たまには為朝のような破天荒なヒーローを扱って欲しいね。  


Posted by 桜乱坊  at 12:13Comments(1)身辺雑記