2012年01月31日
新聞はどこへ行く?

最近、筆者はちょいと引越しをしたのだが、こういうとき新しい住まいにすぐにやって来るのが、新聞の勧誘員とNHKの集金人だ。どこで調べるのかは知らないが、彼らの嗅覚の鋭さは本当に敬服に値する。まさか四六時中、町内をパトロールしているわけでもアルマーニ。とにかく、町の新参者を目ざとく見付けては、ピンポンとインタフォンのボタンを押す彼らの仕事ぶりは、まさに外回りの鑑とも言うべきだろう。
これでも若い頃、けっこう血の気の多かった筆者は、よく彼らと口論をしたりしたものだ。特に新聞の場合は、景品などをエサに強引に契約を取ろうとする相手のやり方が気に食わず、売り言葉に買い言葉で、かなり激しいやり取りをして追い返したこともあったなあ。もっとも、あの頃は「新聞は、インテリが作ってヤ◯ザが売る」といわれた時代で、向こうもひとクセふたクセある人間が多かった。
断ると態度を豹変させてこちらをジロリと睨みつけたり、契約した覚えがないのに勝手に契約させられていたりと、とんでもない勧誘員がいたのも事実だ。中には人相・態度とも100パーセント、ヤ◯ザ屋さんという人物もいたが、その場合はひたすら低姿勢でお帰りを願うしかなかったね。一度などあんまり相手の態度がヒドいので、頭にきて後でもよりの交番に電話したところ、「そんな奴は、丸太ん棒でぶっ叩いてやればいいんだよ!」と、逆にお巡りさんにドヤされたこともあったっけ。
まあそんな筆者も、さすがに年齢とともに知恵がつき角がとれ、だんだん断り方のコツも分かって来た。あるいは、勧誘員のオジサンたちとの年齢差がなくなるにつれ、向こうも生活のため商売をしてるんだからと、共感の目で見る余裕が出て来たのかも知れない。とにかく多少クセのある古株が来たとしても、うまく納得させて、最後は笑いながらドアを閉められるようになってきた。彼らは記事や社説の内容を突っ込まれると、意外にアッサリ引いてくれるのだ。
以上は筆者が東京に住んでいたときの経験だが、むろん佐賀に移って来てからも新聞の勧誘員はやって来た。だが向こうに比べれば、こちらの勧誘員は拍子抜けするほど紳士的だ。おまけに、来訪の回数自体がとても少ない。これは大人しい佐賀県人の県民性ゆえなのか、それとも時代が移り世代が交代し、業界の方針が変わったせいなのか──。よく分からないが、有り難いことに東京に比べて佐賀ではいまのところ、新聞の勧誘で嫌な思いをしたことは一度もない。
で、そんな筆者の元に、久しぶりにピンポンと勧誘員がやって来たというわけだ。ドアを開けると、いきなりビール券が差し出された。むろん、慣れているこちらは手を出さない。その手は桑名の焼きはまぐりだ。するとY新聞の者ですがと言いながら、今度は読売ジャイアンツのスタジャンを手渡そうとする。それも断ると、じゃあというわけで今度はSBホークスのスタジャンだ。う〜んこれってなんだか、昭和の時代からちっとも変わらない手法なんだよなあ…。
相手はなんとか契約を取付けようと必死に売り込むが、むかしからさんざんバトルを経験して来た筆者にすれば、それは悲しくなるほど旧態依然なやり方だ。なんだか三八式歩兵銃で太平洋戦争を戦った、日本の旧陸軍みたいにも見えて来る。それでも長引くのは面倒なので、筆者は引導を渡すべく丁寧にこう告げたのだった。「新聞は電子版を契約して、インターネットで読んでますので──」。この言葉は効く。ガックリと戦意を喪失する相手の顔には、ちょっと同情さえしたくなったほどだ。でも、悪いけどもう時代は変わったんでね…。
勧誘員がアッサリと帰って行った後、筆者は少し複雑な気分になった。そして、こう思った。いまどき、景品に目がくらんで新しく新聞を購読する人間が、はたしてどのくらいいるのかな──と。なにしろ、若い奴らは新聞を読まなくなっている。おまけに、世の中はすでにインターネットの時代だ。最新のニュースは常にウェブ上を行き交っているし、筆者のように契約すれば、日々の新聞記事をそのままパソコン画面で見ることも可能なのだ。しかも月ごとの購読料は、その方が格段に安いと来ている。
こうなると膨大な紙資源や印刷コスト、また輸送や配達などの手間ひまを費やして、毎朝、読者の元へニュースを届けるというビジネスモデルが、もはや時代にそぐわなくなっているのは明白だ。そのツケが高い購読料に跳ね返っているのなら、それは本末転倒と言うべきだろう。読者が求めているのは情報であって紙の束ではないのだし、それに古新聞が風呂や七輪の焚き付けとして重宝された時代は、とうに終っているのだから──。
そんなことを考えると、かつてバトルを繰り返した勧誘員の連中が、筆者にはちょっと懐かしく思えて来た。彼らもたぶん一つの時代を、けっこう懸命に生きたのだろうし、なんてね…。いや、筆者も大人になったものだ。それにしても新聞という巨大メディアは、これから一体どこへ行くのだろうか?
2012年01月07日
空の大怪獣ラドンと西海橋
新しい一年が始まった。大震災に原発事故、加えて政府の対応も失敗だらけで、まるで良いことのなかった昨年だったが、今年は無事息災と行きたいもの。人間、生きる為には何ごとも切り替えが大切だ。明るい一年とするために、筆者もスカッと気分の晴れる場所へ行きたくなった。

そんなわけで正月早々訪れたのが、長崎県佐世保市にある景勝地・西海橋。ここを選んだのに別に深い理由などはないが、まず初詣での参拝客で混雑する神社仏閣などは避けたかったのと、とにかくスカッと展望の開ける景観を見て気分を一新したかった。それともう一つには、筆者のお気に入りのある映画の舞台を、この目で確かめてみたいという以前からの願望もあったのだ。で、まあこの際だし行ってみるかと決めたってわけ。
その映画とはズバリ、東宝の特撮ものの傑作『空の大怪獣ラドン』。1956年公開のこの映画には、物語の舞台が全て九州ということもあり、筆者は子どもの時分から不思議な親近感を抱いて来た。何といっても怪獣ラドンが生まれたのは阿蘇山近くの地底の大空洞だし、大暴れして破壊する都市は福岡市の天神地区だ。前半の舞台となる小さな炭鉱町の様子などは、当時の佐賀県民にはどこか見慣れた風景だったに違いない。♪生まれも育ちもまるまる九州たい〜、という村田英雄の唄のような怪獣、それがラドンなのだ。
そのラドンが阿蘇から舞い上がり西に向かい、自衛隊のF-86Fセイバー戦闘機の追跡を受けながら、最初に破壊する巨大な人工構築物こそ、佐世保市にある西海橋だったというわけだ(佐賀県はなぜか素通り…)。当時のこの橋は、完成したばかりの新観光スポット。映画では、大急ぎで退避する観光バスの姿なども挿入されている。東宝のスター怪獣の標的となるには、ここはもってこいの存在だったのだろう。
寒風の中はるばる実地検証にやって来た筆者も、まあ物好きといえば相当物好きだが、しかし来てみてやはり良かったね。西海橋は映画の通りの雄大さと美しさを兼ね備えた、見事なアーチ式橋脚だったのだ。むろん周辺の景色も素晴らしい。きっとここをロケハンで訪れた当時の撮影スタッフも、思わず「こりゃ行ける!」と叫んだに違いない。
映画ではこのアーチの下の海面にラドンが突っ込み、やがて反対側の海面から再び空中へ飛び上がることになっている(吊ってあるワイヤーが丸見えだが)。後を追う自衛隊機もこのアーチの下をくぐるわけだが、ここは映画の中でも特に迫力に満ちた場面として、筆者の印象に残っている。いわば見せ場の一つだ。橋のスケール感がラドンの巨大さと自衛隊機の小ささを際立たせ、自然と人間との相克をシンボライズしているように見えるのがいい。
橋はその後、反転上昇したラドンのソニックブームにより真ん中からグニャリと折れ曲がるが、現在も橋のその辺りに立つと、手摺や鉄骨などには修復工事の跡がかすかに見て取れる。きっと当時は、突貫工事で大変だったんだろうなあ…(そんなこたないっ!)。とにかく映画を見た後ここに立つと、不思議な気分を味わえることは請け合いだ。
そんなわけで西海橋の現在の姿を確認して気分がスカッとした筆者は、寒風に耐えながら歩いて橋を渡り、反対側のたもとにあるレストランで昼食をとったのだった。そこで食べた海鮮丼はそこそこ美味かったが、なにより窓の外の景観は最高のご馳走だったね。ただし、少し気になることもいくつかあった。
一つはお正月だというのに、ここでの観光客の少ないこと。レストランのお客もまばらなら、土産物売場もまたまばら、広大な無料駐車場もガランとしたままなのだ。いくらこの時期は神社仏閣に人が集中するとはいえ、西海橋だって有名観光地のはずじゃあないの。書き入れ時にこの様子では、人ごとながら心配にもなるというもの。
そこでもう一つ気になったのが、どこを探しても辺りにラドンの「ラ」の字も出て来ないことだ。まあゴジラやモスラほどではないにしろ、ラドンだっていちおう名の売れた東宝映画のスター怪獣のはず。そのラドンが破壊したご当地の西海橋で、これを商売に活用しないのはあまりに勿体ない話だと思う。
東宝の怪獣ファンは今でも国内外に大勢いるはず。せめて橋のたもとに「ラドン記念碑」を建てるとか、土産物屋にラドンせんべいやラドンチョコ、あるいはフィギュアやキーホルダーを並べるとか、話題作りはいくらでも出来るんじゃないのかね。映画会社とのタイアップで、ここでDVDを販売するなんていうアイディアもあって良い。とにかくこのままでは、せっかくの観光資源が泣くというもの。ラドンファンの筆者としては、西海橋はむかしも今も人気観光スポットであり続けてほしいのだ。

帰りは長い遊歩道を歩き、西海橋のすぐ西側に2006年に出来た新西海橋を渡って元の駐車場へ。新旧二つの橋はすぐそばを並行しているため、それぞれからお互いの美しいアーチ式のフォルムをじっくり眺めることが出来る。撮影には最高で、こんな場所も珍しいんじゃないのかな。ラドンの新作映画が出来たあかつきには、この新しい橋もぜひソニックブームでひん曲げて貰いたいものだ。

そんなわけで正月早々訪れたのが、長崎県佐世保市にある景勝地・西海橋。ここを選んだのに別に深い理由などはないが、まず初詣での参拝客で混雑する神社仏閣などは避けたかったのと、とにかくスカッと展望の開ける景観を見て気分を一新したかった。それともう一つには、筆者のお気に入りのある映画の舞台を、この目で確かめてみたいという以前からの願望もあったのだ。で、まあこの際だし行ってみるかと決めたってわけ。
その映画とはズバリ、東宝の特撮ものの傑作『空の大怪獣ラドン』。1956年公開のこの映画には、物語の舞台が全て九州ということもあり、筆者は子どもの時分から不思議な親近感を抱いて来た。何といっても怪獣ラドンが生まれたのは阿蘇山近くの地底の大空洞だし、大暴れして破壊する都市は福岡市の天神地区だ。前半の舞台となる小さな炭鉱町の様子などは、当時の佐賀県民にはどこか見慣れた風景だったに違いない。♪生まれも育ちもまるまる九州たい〜、という村田英雄の唄のような怪獣、それがラドンなのだ。
そのラドンが阿蘇から舞い上がり西に向かい、自衛隊のF-86Fセイバー戦闘機の追跡を受けながら、最初に破壊する巨大な人工構築物こそ、佐世保市にある西海橋だったというわけだ(佐賀県はなぜか素通り…)。当時のこの橋は、完成したばかりの新観光スポット。映画では、大急ぎで退避する観光バスの姿なども挿入されている。東宝のスター怪獣の標的となるには、ここはもってこいの存在だったのだろう。
寒風の中はるばる実地検証にやって来た筆者も、まあ物好きといえば相当物好きだが、しかし来てみてやはり良かったね。西海橋は映画の通りの雄大さと美しさを兼ね備えた、見事なアーチ式橋脚だったのだ。むろん周辺の景色も素晴らしい。きっとここをロケハンで訪れた当時の撮影スタッフも、思わず「こりゃ行ける!」と叫んだに違いない。
映画ではこのアーチの下の海面にラドンが突っ込み、やがて反対側の海面から再び空中へ飛び上がることになっている(吊ってあるワイヤーが丸見えだが)。後を追う自衛隊機もこのアーチの下をくぐるわけだが、ここは映画の中でも特に迫力に満ちた場面として、筆者の印象に残っている。いわば見せ場の一つだ。橋のスケール感がラドンの巨大さと自衛隊機の小ささを際立たせ、自然と人間との相克をシンボライズしているように見えるのがいい。
橋はその後、反転上昇したラドンのソニックブームにより真ん中からグニャリと折れ曲がるが、現在も橋のその辺りに立つと、手摺や鉄骨などには修復工事の跡がかすかに見て取れる。きっと当時は、突貫工事で大変だったんだろうなあ…(そんなこたないっ!)。とにかく映画を見た後ここに立つと、不思議な気分を味わえることは請け合いだ。
そんなわけで西海橋の現在の姿を確認して気分がスカッとした筆者は、寒風に耐えながら歩いて橋を渡り、反対側のたもとにあるレストランで昼食をとったのだった。そこで食べた海鮮丼はそこそこ美味かったが、なにより窓の外の景観は最高のご馳走だったね。ただし、少し気になることもいくつかあった。
一つはお正月だというのに、ここでの観光客の少ないこと。レストランのお客もまばらなら、土産物売場もまたまばら、広大な無料駐車場もガランとしたままなのだ。いくらこの時期は神社仏閣に人が集中するとはいえ、西海橋だって有名観光地のはずじゃあないの。書き入れ時にこの様子では、人ごとながら心配にもなるというもの。
そこでもう一つ気になったのが、どこを探しても辺りにラドンの「ラ」の字も出て来ないことだ。まあゴジラやモスラほどではないにしろ、ラドンだっていちおう名の売れた東宝映画のスター怪獣のはず。そのラドンが破壊したご当地の西海橋で、これを商売に活用しないのはあまりに勿体ない話だと思う。
東宝の怪獣ファンは今でも国内外に大勢いるはず。せめて橋のたもとに「ラドン記念碑」を建てるとか、土産物屋にラドンせんべいやラドンチョコ、あるいはフィギュアやキーホルダーを並べるとか、話題作りはいくらでも出来るんじゃないのかね。映画会社とのタイアップで、ここでDVDを販売するなんていうアイディアもあって良い。とにかくこのままでは、せっかくの観光資源が泣くというもの。ラドンファンの筆者としては、西海橋はむかしも今も人気観光スポットであり続けてほしいのだ。

帰りは長い遊歩道を歩き、西海橋のすぐ西側に2006年に出来た新西海橋を渡って元の駐車場へ。新旧二つの橋はすぐそばを並行しているため、それぞれからお互いの美しいアーチ式のフォルムをじっくり眺めることが出来る。撮影には最高で、こんな場所も珍しいんじゃないのかな。ラドンの新作映画が出来たあかつきには、この新しい橋もぜひソニックブームでひん曲げて貰いたいものだ。