2022年06月30日

冗談が通じない

冗談が通じない

あまりテレビを観ないので、エラそうなことは言えないが、最近はどうもこれといったお笑いタレントが少ないような気がする。筆者が言うのは、話の面白さについ引き込まれ、さんざん笑わされた後、さすがだなあと感心させるような、そんなタレントのことだ。つまりセンスが良くて頭の回転が速く、面白いネタをまるで手品のように次々と取り出してみせては、自分はすまし顔でそっぽを向いている…。こう言うと、まるでかつての立川談志師匠みたいだが、筆者の好みはそんな江戸風のお笑いだ。

逆にあまり好きじゃないタイプというと、関西系のコテコテしたお笑いだろうか。声が大きく身振り手振りが大仰で、ネタはさほどでもないが、とりあえず関西弁のノリの良さに乗って、パターン通りの味付けで笑わそうというやり方だ。これ、最初は面白いが筆者などはすぐに飽きてしまうんだよね。特に嫌いなのが、顔で笑わせようとするタイプで、これはズルイというものだ。そこへ行くと関西の芸人でも、桂米朝師匠などは品があって話芸も芸術品だったし、松本人志のとぼけたアドリブ芸も味があって捨てがたい。

もっとも、他人を笑わせてそれを商売にするというのは、凡人にはとうてい不可能なこと。よほどの才能と努力がなければ、その世界でメシを食うことなど出来はしないはずだ。われわれ一般人だって、日常会話で他人を笑わせるには、それ相応のネタやアドリブや話のうまさが必要になる。それが出来るようになれば〝面白い人〟と呼ばれるが、出来なければ〝普通の人〟として聞き役に回るしかない。まあ〝普通の人〟も、世の中的には必要なのだが。

ところで佐賀県人は、どうも「クソ真面目」というのが通り相場らしい。これは、佐賀にずっと住んでいれば分からないが、他県に出たときハタと気がついたりする。いわば県民性というやつだ。最近は、はなわやエガちゃんやどぶろっくのような、佐賀県出身のお笑いタレントが東京で活躍しているが、彼らの笑いの根底にも「クソ真面目な佐賀県人」を逆手に取った、田舎者の自虐性が秘められているような気がする。まあ、それだけ彼らもしたたかということだろう。

筆者も初めて東京に出て行った学生のとき、友人から「お前はクソ真面目だ」とよく言われたものだ。つまり向こうが軽い冗談を言っても、ついクソ真面目な答えをしてしまい、座を白けさせてしまったりしたからね。いまでは筆者も、冗談には冗談で切り返すことを心得ているが、あの頃はそれがカルチャーショックだったなあ。これもやっぱり、佐賀の「葉隠」文化の影響なのだろうか。佐賀のスタンダードが、東京のスタンダードではないと知ったときは、筆者もちょっと考えてしまったね…。

しかし「クソ真面目」なままでは、人間関係もうまくいかない。そこで筆者も、ない知恵を絞って考えた。まず山上たつひこのギャグ漫画を熟読し、山上流ナンセンスギャグの習得に努めたのだ。これはけっこう勉強になったっけ。それから当時はラジオの深夜放送の全盛期で、「オールナイトニッポン」でDJをやっていたのが、タモリとビートたけしの両巨頭。この番組には他にも有名タレントが多数出演していたが、何といってもタモリ・たけしという、二人の天才の話は抜群に面白かったね。筆者は彼らのギャグや喋り方などからも、ずいぶんと影響を受けたものだ。

こうして刻苦勉励・艱難辛苦のすえ、田舎者の筆者もようやく東京というカオスの中で、人並みに軽い冗談のやり取りが出来るようになった。ただしこの場合、冗談はあくまで軽くアドリブの利いたものが重要で、家を出るときから考えて来たようなものではダメ。当意即妙のこうしたジャブのやり取りをしているうち、「お主、出来るな」と相手も認めてくれるというわけだ。ことほど左様に、冗談の分かる男になるのは難しい。ふう、たいへんだ…。だが〝面白い人〟と呼ばれるようになれば、人間関係も大いに広がり、仕事や友人との付き合いも楽しくなる。

ところが、世の中はうまくいかないもの。長い東京生活を終えて佐賀に帰った筆者が、現在感じていることは、まわりに冗談が通じないということだ。すました顔で冗談を言い、相手を笑わせるのが得意ワザの筆者だが、佐賀ではどうもこれがうまく伝わらない。やっぱり佐賀の県民性という奴だろうか。せっかく冗談を言っても真面目な顔で答えられると、肩透かしをくらった相撲取りみたいで、筆者はつい土俵の砂をぶちまけたくなってしまうのだ。なんで分かってくれないの!?

むろん佐賀県人の「クソ真面目」は、悪いことではない。「佐賀人の歩いた後には草も生えん」と巷で言われるのは、勤勉・倹約・実直を美徳とする県民性から来ているのだろう。なので仕事はキッチリやるし、狡いことは出来ないタイプ。ゆえに融通が利かないところもあるが、他県人からは信用される。そこにもう少しゆとりと言うか、柔らかなユーモアのセンスがあればと筆者は思うのだが…。



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Posted by 桜乱坊  at 11:39 │Comments(1)身辺雑記

この記事へのコメント
今年、久し振りに大阪の難波に行ってみました。吉本に代表されるお笑いで時間を潰したかったからもあります。今や、お笑いの人を笑かすタレントというより、人から笑われてなんぼ、を承知でのし上がった連中も多いです。客層の質が落ちたのでしょうか。第一に「グランド花月」に行ってみたら、チケットは完売で、二時間後の四時からの新喜劇の舞台に少し席が余っている状態でした。やはり、なんだかんだ言っても人気があります。仕方なく道頓堀を歩いていたら、客引きに会いました。「三十分、八百円、必ず笑わせます」にひかれ時間潰しに入ったらほぼ満席ですぐに始まりました。テレビに出ない、いわゆる無名のお笑い芸人が、一人五分間ずつ六人登場して、客をいじりながら結構笑わせてくれて愉快でした。こういう裾野の上に人気芸人がいることを実感しました。芸人の「芸」が世間にブレークする境目を考えるより、何かの一種の裂け目から抜け出して、芸人は日の目に出るものと理解しました。
Posted by 桜田靖 at 2024年06月07日 11:30
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