2012年07月24日
高校野球のユニフォーム
7月も中旬を過ぎ、学校に通う子供たちももう夏休みだ。気象庁の発表では23日に北部九州の梅雨も明けたようで、どうやらついに本格的な夏の到来らしい。どうりで今日は、朝から直射日光の強いこと。暑さに弱い九州人の筆者にとり、いちばん苦手な季節がいよいよ始まるのだな。はあ〜!
こうなると恐ろしいのは「熱中症」という奴だ。これは日射病や熱射病の総称で、屋内・屋外を問わず高温や多湿などが原因で起こる病気のこと。発汗がうまく行かなくなり体温が上昇し、下手をすると命の危険もあるという。筆者もふだんから水分と塩分を適度に補給するよう心掛けているが、むかしから夏は冷たい麦茶と梅干しが体にいいなどとお年寄りが言うのは、あんがい理にかなっていたんだね。
筆者の個人的な体験で、これまでいちばん暑かったのは、ずいぶん前の夏に仕事で山梨県の甲府に主張したときで、たしか気温が39度を超えたとその夜のニュースが言っていたなあ。あのときは日差しも強烈だったが、とにかく周りの空気全体がサウナのように熱く停滞し、時おり吹く風もまるでドライヤーの熱風のようだったのを思い出す。何といっても39度といえば、人間の体温より2、3度ほど高い。きっとその日の甲府では、電線から落ちたスズメもいたんじゃないだろうか。チュン、バタッなんてね。
まあ39度とまでは行かなくても、日本各地で35度前後の日々がこれからしばらくは続くのだろう。そこで人ごとながら心配になるのが、スポーツ選手たちだ。真夏の高温の下で激しく体を動かし、大量の汗をかく彼らは、常に熱中症の危険とも戦っていることになる。水泳や水球などは別として、こうした過酷な季節に活動するスポーツの選手たちは、本当に大変だろうなと思う。

中でもちょっと気になるのが、この時期に地区予選や本大会が行われる、夏の高校野球だ。よりにもよって日本がいちばんクソ暑い時期の炎天下、まだ体も発育途中の高校生たちが連戦を強いられるこの大会は、少し酷過ぎるんじゃないかと筆者などは思っている。なにより彼らはアマチュアだ。ギャラが貰えるプロ選手なら自己責任も成り立つだろうが、高校の部活の延長上にある大会をこんな季節に開く主催者側は、はたして不測の事故が起きた場合にどうするつもりなのだろうか?
だいいち彼らのユニフォームは、とても夏向きとは思えない。まあ、日射病対策としてキャップを被るのはいい。だが真夏だというのに彼らの多くは、ユニのシャツの下にハイネックや長袖のアンダーシャツを着ている。しかもパンツは脛まで伸びた長ズボンで、その下にはまた長いソックスだ。まさか日焼けを恐れているわけでもないだろうが、これはどう見ても暑苦しい。いくら野球が運動量の少ないスポーツとはいえ、熱暑対策上もこれはあんまり良くないんじゃないのかね。
もちろん3年生の受験勉強などの都合で、どうしてもこの時期に大会を開くしかない、という事情もあるのだろう。だがそれならばこの際、思い切ってスッキリと通気性の良い、夏用のユニフォームにモデルチェンジすればいい。その方が見た目も涼しいし、若者にも受けるだろう。いつまでも大正・昭和の思い出にすがっていては、高校野球の未来など見えては来ないはず。ここらで懐古趣味よサヨウナラ、で良いんじゃないの…。
筆者なら、半袖短パンの女子ソフトボールのスタイルをお勧めしたい。あれならずっと今より動き易そうだし、熱暑対策も効果がありそうだ。ハイネックや長袖のアンダーシャツは、むろん不採用。で、キャップは後頭部を直射日光から守る意味で、前後にひさしの付いたものにする。もちろんユニの色は白一色ではなく、もっと大胆にスクールカラーを取入れる。これを若いデザイナーなどにデザインしてもらったら、きっと高校野球のイメージを一新する、カッコ良いユニが誕生すると思うのだが、どうだろうか。
あともう一つ大切なのが、水分の補給だ。一試合に10キロ以上を走るというサッカー選手は、ベストパフォーマンスをする上で水分補給は欠かせない。グラウンドのタッチラインやゴールライン脇には常時、水の入ったボトルが準備してあり、選手たちはプレーが中断したときを見計らって、随時これらを手に取り喉を潤している。精神論がやかましかった時代には、試合中に水を飲むとはけしからんという指導者もいたはずだが、今ではこれが常識になっている。
だがポジションが固定された野球では、守備の選手はこれが出来ない。ジリジリ照り付ける太陽の下、どんなに喉が乾きを訴えようと、相手の攻撃が終わるまでは、じっと同じ位置を動くことが出来ないのだ。走ることが少ない代わりに与えられた苦行なのかも知れないが、これはこれでちと選手が可哀想というもの。しかも守備の時間が長引けば長引くほど、確実に熱中症の危険度は高まって行く。
そんなときのための筆者のもう一つの提案が、腰に小さなペットボトルが入るベルトポーチを付けること。幸い野球選手のユニの腰には、りっぱな太いベルトが付いている。このベルトに小さなバッグが付いていれば、選手は随時そこからペットボトルを取り出して、水分を補給することが出来るというわけだ。相手選手とのボディコンタクトもないので、プレーへの支障もないだろうしね。こんな感じで、高校野球ももうそろそろ新しい時代に向けた、スマートで機能的なユニフォームの開発に踏み切るときだと思うのだが。
こうなると恐ろしいのは「熱中症」という奴だ。これは日射病や熱射病の総称で、屋内・屋外を問わず高温や多湿などが原因で起こる病気のこと。発汗がうまく行かなくなり体温が上昇し、下手をすると命の危険もあるという。筆者もふだんから水分と塩分を適度に補給するよう心掛けているが、むかしから夏は冷たい麦茶と梅干しが体にいいなどとお年寄りが言うのは、あんがい理にかなっていたんだね。
筆者の個人的な体験で、これまでいちばん暑かったのは、ずいぶん前の夏に仕事で山梨県の甲府に主張したときで、たしか気温が39度を超えたとその夜のニュースが言っていたなあ。あのときは日差しも強烈だったが、とにかく周りの空気全体がサウナのように熱く停滞し、時おり吹く風もまるでドライヤーの熱風のようだったのを思い出す。何といっても39度といえば、人間の体温より2、3度ほど高い。きっとその日の甲府では、電線から落ちたスズメもいたんじゃないだろうか。チュン、バタッなんてね。
まあ39度とまでは行かなくても、日本各地で35度前後の日々がこれからしばらくは続くのだろう。そこで人ごとながら心配になるのが、スポーツ選手たちだ。真夏の高温の下で激しく体を動かし、大量の汗をかく彼らは、常に熱中症の危険とも戦っていることになる。水泳や水球などは別として、こうした過酷な季節に活動するスポーツの選手たちは、本当に大変だろうなと思う。

中でもちょっと気になるのが、この時期に地区予選や本大会が行われる、夏の高校野球だ。よりにもよって日本がいちばんクソ暑い時期の炎天下、まだ体も発育途中の高校生たちが連戦を強いられるこの大会は、少し酷過ぎるんじゃないかと筆者などは思っている。なにより彼らはアマチュアだ。ギャラが貰えるプロ選手なら自己責任も成り立つだろうが、高校の部活の延長上にある大会をこんな季節に開く主催者側は、はたして不測の事故が起きた場合にどうするつもりなのだろうか?
だいいち彼らのユニフォームは、とても夏向きとは思えない。まあ、日射病対策としてキャップを被るのはいい。だが真夏だというのに彼らの多くは、ユニのシャツの下にハイネックや長袖のアンダーシャツを着ている。しかもパンツは脛まで伸びた長ズボンで、その下にはまた長いソックスだ。まさか日焼けを恐れているわけでもないだろうが、これはどう見ても暑苦しい。いくら野球が運動量の少ないスポーツとはいえ、熱暑対策上もこれはあんまり良くないんじゃないのかね。
もちろん3年生の受験勉強などの都合で、どうしてもこの時期に大会を開くしかない、という事情もあるのだろう。だがそれならばこの際、思い切ってスッキリと通気性の良い、夏用のユニフォームにモデルチェンジすればいい。その方が見た目も涼しいし、若者にも受けるだろう。いつまでも大正・昭和の思い出にすがっていては、高校野球の未来など見えては来ないはず。ここらで懐古趣味よサヨウナラ、で良いんじゃないの…。
筆者なら、半袖短パンの女子ソフトボールのスタイルをお勧めしたい。あれならずっと今より動き易そうだし、熱暑対策も効果がありそうだ。ハイネックや長袖のアンダーシャツは、むろん不採用。で、キャップは後頭部を直射日光から守る意味で、前後にひさしの付いたものにする。もちろんユニの色は白一色ではなく、もっと大胆にスクールカラーを取入れる。これを若いデザイナーなどにデザインしてもらったら、きっと高校野球のイメージを一新する、カッコ良いユニが誕生すると思うのだが、どうだろうか。
あともう一つ大切なのが、水分の補給だ。一試合に10キロ以上を走るというサッカー選手は、ベストパフォーマンスをする上で水分補給は欠かせない。グラウンドのタッチラインやゴールライン脇には常時、水の入ったボトルが準備してあり、選手たちはプレーが中断したときを見計らって、随時これらを手に取り喉を潤している。精神論がやかましかった時代には、試合中に水を飲むとはけしからんという指導者もいたはずだが、今ではこれが常識になっている。
だがポジションが固定された野球では、守備の選手はこれが出来ない。ジリジリ照り付ける太陽の下、どんなに喉が乾きを訴えようと、相手の攻撃が終わるまでは、じっと同じ位置を動くことが出来ないのだ。走ることが少ない代わりに与えられた苦行なのかも知れないが、これはこれでちと選手が可哀想というもの。しかも守備の時間が長引けば長引くほど、確実に熱中症の危険度は高まって行く。
そんなときのための筆者のもう一つの提案が、腰に小さなペットボトルが入るベルトポーチを付けること。幸い野球選手のユニの腰には、りっぱな太いベルトが付いている。このベルトに小さなバッグが付いていれば、選手は随時そこからペットボトルを取り出して、水分を補給することが出来るというわけだ。相手選手とのボディコンタクトもないので、プレーへの支障もないだろうしね。こんな感じで、高校野球ももうそろそろ新しい時代に向けた、スマートで機能的なユニフォームの開発に踏み切るときだと思うのだが。
2012年07月02日
スカイツリーのある街

〈墨田区の浅草通りから見たスカイツリー〉
シュールというか、非現実的というか、とにかくわが目を疑うような画像を、友人がメールで送って来た。オープンしたばかりの、あの東京スカイツリーの写真だ。いやはやこれは現実のものなのか、ひょっとしてCGによる合成じゃないのか──。信じたくても信じられない光景が、そこには写し出されていた。
送って来たのは神奈川県に住む友人だ。実はかねてより、スカイツリーが完成したら写真を撮って送ってくれるよう、頼んでいたのは筆者の方だった。そこで信義に厚い友人が、さっそく都内墨田区の東駒形あたりまで脚を伸ばし、カシャカシャとシャッターを切ってくれたというわけ。
何しろ、そこは筆者がかつて住んでいた街で、スカイツリーの場所まで歩いて5分。その友人もたしか一、二度、わが旧宅に遊びに来たことがあったと思う(むろんその頃は、スカイツリーの影も形もなかったが…)。交通費もそこそこかかったはずで、やっぱり持つべきものは旧き善き友だ。今度会う機会があったら、ビールくらいご馳走しなきゃいけないなあ。
だがしかし、そこに写された画像を見て筆者は驚いた。とにかく、見慣れた街の変わらぬ風景の中に、まったく異物のような白いスマートな塔がドンと突っ立ていたのだから。しかも、その塔のなんと高くなんと巨大なこと。まさに掃き溜めのツル、まさに畑の中の高層マンション。筆者が長年暮らした東京下町の空を蹂躙する、それはまるで“エイリアン”のような存在に見えたのだ。さすがに俄にこれを信じろといわれても、脳が「No!」と受け付けない…。
まあダジャレはともかく、実物をこの目で見るまでは信じられないのが、人間の定めという奴なのだろう。とはいえ、こうして次々と新しいランドマークを生み出すところが、大都会東京の成長エネルギーなのだな。筆者が東京を離れてからでも、すでに十指に余るこうした構築物が新しく出現している。そのスピードにはたまげる他はない。
数年前に筆者が上京したときには、新宿駅西口に現れたモード学園の「コクーンタワー」に驚いたし、古色蒼然たるプラネタリウムの映像を思い出す渋谷の東急文化会館も、跡地に「渋谷ヒカリエ」という高層ビルが新しく建った。それに九州人にはむかしから玄関口に当たる東京駅だって、今年の10月には長い復原工事が終わり、大正3年の開業当時の姿を披露するのだという。目まぐるしく新陳代謝を繰り返し生まれ変わる都市、それが東京なのだ。
不況下での地方都市の悲しいところは、こうしたエネルギーに乏しいことだろう。知らないうちに次々と新しい施設が建つのが大都会なら、知らないうちに古い建物が次々と消えて行くのが佐賀の実情だ。で、跡地はそのまま駐車場となる。これでは経済効果もへったくれもない。まさしく都市の崩壊だ。
むろん筆者には、スカイツリーみたいな構築物を佐賀にも造れなどと、無茶苦茶なことをいうつもりはない。だが、何か恒常的に人が集まり世間の話題になるようなものは、アイデア次第で創れそうな気もするのだ。何もないところから、日本一のバルーンフェスタを成功させたのが佐賀県人のはず。金はなくとも知恵はある──今こそ、そんな佐賀んもんの本領を発揮するときじゃないだろうか。