2015年01月29日

『ブラタモリ』復活を祝う



筆者にとって今年の明るい話題の一つは、『ブラタモリ』の復活だろう。これはNHK総合テレビが2008年から2012年まで放送していたもので、タモリが主に東京の各地をブラブラ歩きながら、その街の歴史や地形などについて蘊蓄を語るという面白い番組だった。似たような企画はテレ朝の長寿番組『タモリ倶楽部』でもときどきやっているが、こちらはそれを特化させた拡大版ともいえるものだった。NHKでは数少ない優良バラエティといって良かったね。

東京が主な舞台だったのは、むろんタモリが『笑っていいとも!』という、生放送の昼の帯番組を抱えていたから。当然ながら地方ロケなどは、本人がやりたくても無理だったのだろう。なので、街歩きの達人で地形マニアのタモリの番組にもかかわらず、これまで地方を舞台にした企画がなかったのが、画竜点睛を欠く結果になっていた。そりゃあ東京も魅力に満ちた大都市だが、なにしろ日本の地方にはその地域特有の歴史や、珍しい地形などがワンサと詰まっている。いつか番組を再開するときには、ぜひとも地方編をというファンの声は、きっと多かったんじゃなかろうか。

その『ブラタモリ』がいよいよこの4月から、3年ぶりに復活するというのだから筆者も大歓迎だ。なにぶん当方も、古い町並みや旧街道歩きが趣味なのでね。しかも今度は、地方ロケありというから嬉しいじゃないの。なんたってフジテレビの『笑っていいとも!』が、昨年3月でめでたく終了し、タモリも今や晴れて自由の身。これからは好きな電車で、ドシドシ日本の各地へ足を運べるというわけだ。

で、そのパイロット版ともいえるスペシャル番組が、この1月早々に放送されたので、筆者もさっそく見せてもらった。初めての地方ロケの舞台は京都。何といっても千年の古都であり、かつては日本の中心地だった歴史と文化の街だ。「地方」と呼ぶにはちと憚られる場所だが、内容の方はタモリの喜びがヒシヒシ伝わって来るようで面白かった。なんというか檻から抜け出たイグアナというか、牢を破ったレクター博士というか、そんな嬉々とした雰囲気があふれていたね。

番組の趣旨は、かつて衰退した京都を復活させるために行われた、巨大土木プロジェクトの痕跡をたどるというもの。市内に琵琶湖の水を引く「琵琶湖疏水」や、寺社の境内を突っ切って生まれた「新京極通り」という明治期の事業を紹介したり、豊臣秀吉が造らせた京都をグルリと囲む土塁「御土居(おどい)」の跡を歩いたりと、精力的に動き回るタモリの姿が印象的だった。しかもその間、共演者には豊富な知識や鋭い洞察力を披露し、なおかつしっかり笑わせるのだから、やはりこの人ただのタレントじゃないんだよな。

なかでも筆者が大いに興味を引かれたのは、京都を洛中と洛外に分ける巨大土塁「御土居」。天下統一を成し遂げた秀吉が、戦乱で荒れ果てた京の街を再建するにあたり、外敵への防備のため築かせたという防塁だが、こんなものが京都市街をスッポリ取り囲んでいるとは、恥ずかしながら筆者は知らなかった。まあ京都は歴史的に見ても、守るのが難しい街だものなあ。来るべき太平の世の首都再生にかける、秀吉さんの意気込みが伝わって来るというものだ。

そんな遺構があちこちぶつ切りにされながら、現在も遺っていることに筆者は深い感慨を覚えた。しかもその遺構の上に今は平然と民家が立ち並び、「土居町」の地名が遺っていたりするのだから、さすが京都は歴史の街なのだ。食べ歩きやショッピングなどテレビ各局に街歩き番組は数あれど、こんな「御土居」を取り上げてくれるのはやはり『ブラタモリ』だけ。まあ知らない人が見たら、ただの土手なんだけどね…。番組最後に、竹林に囲まれた土塁の上から遠く比叡山を眺める、タモリの表情はとても満足そうだったなあ。

それにしてもこの番組が教えてくれるのは、現代人だろうが誰だろうが、皆その土地の歴史の上に暮らしているというシンプルな事実。これ「土地の記憶」と呼ぶらしいが、人に過去の記憶があるように、土地の形状や名前にも過去の記憶が刻まれているというわけだ。例えば平野を見下ろす学校の高台が、遠い昔には海に突き出した岬だったり。曲がりくねった横丁の路地が、かつては清流のながれる小川だったり。さらには窪地にある洒落た公園が、実は戦前まで池の底だったり…。『ブラタモリ』の面白さは、そんな「土地の記憶」をたどりながら、現代人の暮しが実は堆積した歴史の上に乗っかっているだけという、“衝撃の真実”を暴き出すことにある。

つまり、原因があって結果があるということ。その何気ない結果から意外な原因を突き止めるところに、この番組の謎解きのような面白さがあるのだな。とはいえ、土地の歴史や地形を解説するのなら、学者とタレントの組合せでも普通に番組は作れるだろう。『ブラタモリ』の面白さの秘密は、主人公のタモリが一人で二役をやりながら、自ら謎解きのツボにはまり込んで行くところで、つまりはこの人のマニアックな土地オタクぶりが、視聴者を惹き付けて放さないというわけ。

もっとも、興味のない人にはこれほどつまらない番組もないはずだ。なぜならロケの舞台はたいてい普通の街の通りだったり、なんということもない住宅街だったり、ときには古ぼけた廃墟だったりするのだから。だが、筆者もこれで古い町並みや旧街道歩きの愛好者。タモリ先輩の心は良く分かる。そこには脳内にいにしえの風景を映し出す「想像力」が必要なのだ。だから、何ということもない狭い通りも、そこがかつての街道であり、多くの旅人が行き来したのだと思えば、自然とその光景が目に浮かんで来る。高台の住宅街もかつての海岸段丘だと気付けば、耳奥に波の響きが聞こえて来る…。このときのワクワク感が堪らないんだよね。

まあ『ブラタモリ』は、博覧強記で街歩きの達人であるタモリならではの番組。他のタレントにはとうてい務まらない、高度な内容の紀行バラエティだ。ただしこの番組の最も大切なキモは、その土地の現場を歩き、その土地の記憶に耳目を傾け、刻まれた歴史に想いを馳せるということ。なので、この「想いを馳せる」ことが出来るようになれば、誰でも身近なところでブラブラ歩きを楽しめるんじゃないのかな。  


Posted by 桜乱坊  at 12:05Comments(0)身辺雑記

2015年01月07日

凧はどこへ行った?



♪お正月には凧揚げて〜、コマを回して遊びましょ〜。明治時代に滝廉太郎が作曲した『お正月』という懐かしい唱歌だが、むかしからこの時期に凧揚げをするのは子供たちの楽しみの一つだった。北風がピューピュー吹く中で走り回って、自分の凧が空高く上がったときの嬉しさ誇らしさは、格別といって良かった。しかし、うまく揚がらないときの格好悪さはそれ以上で、筆者などは小さい頃からずいぶん恥ずかしい思いもしたものだ。実際やってみると、これけっこう難しいんだよね。

最近は外で凧揚げをする子供の姿をめっきり見なくなった。まあ、少子化だとか室内での遊びが増えたからだとか、原因はいろいろあるだろうが、ついでに「子供は風の子」という言葉も聞かなくなり、筆者などはちょっとサビしい。たまに広場などで高く揚がった凧を見掛けることもあるが、近付いてみるとたいてい、糸を引いているのはいい年をしたオジサンだ。つまり趣味の凧揚げ。さすがに慣れたもので、ときには凧の姿が見えないほど高く揚げている人もいる。きっと子供の頃に味わった、大空に自分の凧が吸い込まれて行くときの快感を、大人になっても忘れない人たちなのだろう。えらいねえ。

筆者らが子供の頃に揚げていた凧は、近所の駄菓子屋で買った奴凧(やっこだこ)だった。こいつに新聞紙を切った長い脚を貼り付け、よく原っぱで飛ばしたものだが、これが安物だけあってなかなか揚がらない。おまけに空中での安定が悪く、揚がったと思えばすぐにクルクル回転して墜落してしまう。しかも運良く風を掴んだとしても、意外に頭上高くは揚がらないのがこいつの泣き所。つまりは仰角が小さいのだ。なので首が疲れなくてすむ代わりに、何故もっと高く揚がらないんだという、欲求不満を抱え込むことにもなった。凧にも揚げやすい凧と、そうではない凧があるのを知ったのは、この頃だったなあ。

仰角の小さいのは中国の凧も同じらしい。長じた筆者がかつて、東京は末広町にあった中国物産の店で買ったのは、鳥が両翼を広げた形の凧。そこに描かれた異国風の鳥の絵が珍しく、しばらくは部屋のインテリアとして飾っていたが、後日いよいよ江戸川の土手で揚げてみた。すると、さすがに鳥の形をしているだけあってこの凧、フワリと安定よく風に浮く上、糸を引っ張るとまるで本物の鳥のように上昇するではないか。おお、すごいじゃん中国人! ただし、この鳥凧も弱点は頭上高くは揚がらないことで、わりと低い位置にとどまって人を驚かせるのが得意技だったね。

そんな不満をパッと解消してくれたのが、ゲイラカイトの登場だった。NASAの科学者が設計したという凧で、早い話がアメリカ渡来の洋モノ。これは革命的だったなあ。シンプルな三角形のデザインで、素材はそれまでの紙と竹とは違いビニールにプラスチック。おまけに翼にはギョロッと大きな目玉まで描いてある。凧というよりグライダーに近く、まさに“飛翔”という感じがピッタリ。子供でも扱いが容易で、弱い風にもスイスイ乗って、ほぼ真上まで高く浮かぶのが最大の魅力だった。

以来、子供たちは競ってこの凧を買い求め、日本の凧揚げの風景はゲイラが主流となった。なにしろ誰にも簡単に高く揚げられるのだから、こんな楽しいことはない。日本伝統の奴凧や角凧は、この頃からついぞ見掛けなくなってしまったな。ただしこのゲイラにも欠点があって、それはあまりに高く飛びすぎること。風の強い日などに調子に乗ってグングン糸を伸ばすと、手元に戻すのが大変なほど揚がり過ぎてしまうのだ。上空には猛烈な風が吹いており、下手に引っ張ろうものなら、糸はプツンと切れてしまう。この頃、電線や電車の架線に引っ掛かったゲイラが、あちこちで騒ぎを起こしたのを筆者はよく覚えている。

しかし世の中、猫も杓子もみなゲイラとなると、臍曲りの筆者としては少し面白くない。そこでようし!と発奮して自作したのが、ボックスカイトという箱形の凧。これは作り方を紹介した新聞記事を元に、細い木の角材とゴミ袋のビニールで製作したもので、ふだんは棒状に折り畳んであるが、現場で組み立てれば縦長の箱の形になるというスグレものだ。ユニークな形だったが、これもゲイラに劣らずよく揚がったなあ。他にはない珍しい凧なので、筆者はこれ見よがしに揚げて密かに自慢していたが、引越しを重ねるうちいつの間にか紛失してしまったのが、今となっては残念だ。

こう見て来ると、ゲイラカイトやボックスカイトといった近年の洋凧は、和凧に比べればとても機能性に優れている。揚がり方は間違いなく「洋高和低」だ。ただし、奴凧や角凧といった和凧の捨て難いのは、それらの持つ美しいデザイン性だろう。なにしろこちらは伝統的な民芸品。そこに描かれた色鮮やかな鎧武者や龍などは、まるで歌川国芳の錦絵を思わせる美しさだ。外国人などが見れば思わず「クール!」と叫ぶはずで、現に小型のものは日本土産としても人気があるらしい。

日本橋の「たいめいけん」という洋食屋のビルの5階にあるのが、こうした和凧を集めた「凧の博物館」だ。筆者はかつてここで、角凧の元になる凧絵を数枚買い求め、これをパネルに貼りフレームを付けて、部屋のインテリアとして飾ったことがある。たしか源義経などの鎧武者を描いた絵柄だったと思うが、あれは和室の飾りとしてなかなか良かったね。そう、和凧はインテリアの小物としてもけっこう使えるのだ。和室はむろんだが洋間にも、こうした凧絵や本物の凧をポイント的に配すれば、きっとオシャレな演出が出来るはず。ビニール製のゲイラじゃこうは行かないもんな。

そこで気になるのが、ゲイラやボックスカイトに負けない機能性を持つ和凧の開発だ。なにごとも“ものづくり”に打ち込むのが日本人。操作が簡単で高く揚がり易く、なおかつデザインも日本的で美しい──。これだよ、これ! 筆者には近いうちきっと、そんな画期的な和凧が生まれて来るような気がするなあ。  


Posted by 桜乱坊  at 18:01Comments(0)身辺雑記