2023年03月31日

原点はG線上のアリア



音楽好きの人にはそれぞれ、自分の葬式で流してほしい曲があるはずだ。歌が好きな人なら、たとえばジョン・レノンの「イマジン」とか、秋川雅史の「千の風になって」とか、美空ひばりの「川の流れのように」などは、人気があるんじゃなかろうか。クラシックファンならフォーレの「レクイエム」や、ショパンの「別れの曲」なんかがきっと定番だろう。筆者だったら、リヒャルト・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」を所望したいところだが、「ふざけんな!」とあとで陰口を叩かれそうだ。

筆者の友人の一人は、バッハの「G線上のアリア」が希望なのだと言う。これも葬式にはぴったりの曲だが、あまりに美しく切なすぎて、想像するだけでなんだか悲しくなる。どうせならもっと明るい曲の方が、湿っぽくなくていいと思うんだけどね。だいいちバッハのバロック音楽は、本人のイメージにも合わないような気がするのだ。筆者ならこういうタイプには、プロコル・ハルムの「青い影」をオススメしたい。なぜならロックの名曲「青い影」は、「G線上のアリア」と曲のイメージがそっくりだからだ。

比べて聴けば誰でも気がつくはずだが、二つの曲はロックとクラシックという違いこそあれ、本当によく似ている。それもそのはずで、実は「青い影」は「G線上のアリア」を下敷きにして作られた曲なのだ。つまり、コード進行に大きな影響を受けている。これはパクリとかいうレベルではなく、原曲に触発されリスペクトしながら、ロックの世界に創出したオマージュと言うべきだろう。まあこれ、音楽の世界ではよくある手法なのだ。なので「青い影」を評価する人間はいても、クサす人間は誰もいない。しかし葬式でこの曲が流れたら、きっとカッコ良いだろうなあ。

ところで、この「青い影」に影響を受けた日本のロックといえば、すぐに思い浮かぶのがBOROの「大阪で生まれた女」だ。これは本人以外に萩原健一や桑田佳祐、五木ひろしなど、多くの歌手がカバーしている名曲だが、これまた比べて聴けば「青い影」に酷似している。これをパクリと言う人もいるが、「大阪で生まれた女」を名曲たらしめているのは、素晴らしい歌詞のお陰だろう。18番まである歌詞は、全体で一つの長大な叙事詩になっていて、若い男と女の出会いから別れまでを歌っている。この歌詞が曲とよく合っていて泣かせるのだ。曲が「青い影」にそっくりなのは、やはり同じコード進行のせいだろうが、そこを自家薬籠中の物にするのもミュージシャンの腕というもの。バッハだって文句は言わないと思うけどね。

「青い影」を下敷きにした曲では、ユーミンの「ひこうき雲」や「翳りゆく部屋」も有名だ。これも比べて聴いてみれば、誰だって「ああ、そうか!」と気づくはず。というか、もともと教会音楽が好きだった彼女に、大きな衝撃を与えた曲が「青い影」だったのだ。ユーミンは後年、プロコル・ハルムと共演することになるが、きっとそのときは感慨無量だったことだろう。「『青い影』を聴かなかったら、今の私はなかった」と彼女は言っている。数々の名作を生み出した彼女の曲作りの原点にプロコル・ハルムがあり、そのまた原点にはバッハの存在があったというわけだ。どうりで「翳りゆく部屋」は教会音楽っぽい。

「青い影」に影響を受けた曲といえば、チューリップの「青春の影」もその一つだと言われている。そもそも曲のタイトルからして、先輩へのリスペクトが窺われるもの。財津和夫が歌う冒頭のメロディを聴くだけで、「青い影」のオルガンのイントロを連想するのは、筆者だけではないはずだ。両者のコード進行はほぼ同じのようで、テンポやリズムなどもよく似ている。それによく聴くと、「青春の影」の伴奏にはオルガンも使われており、やはり教会音楽っぽさをどこかに漂わせているのだ。財津和夫の優しく甘い歌声が、神父様のありがたいお説教に聞こえるのは、そのせいかも知れないな。

しかし、日本のミュージシャンに多大な影響を与えた、プロコル・ハルムの「青い影」の原曲が、実はバッハの「G線上のアリア」だったというところに、筆者は音楽の面白さを感じる。たぶん、クラシックの名曲に源流を持つポピュラー音楽は、探せばゴマンと出て来るだろう。だが、それは決して悪いことではないはず。何しろどんな作曲者も、必ず先達の影響を受けている。すべての創作はマネしたり触発されたりから始まるわけで、まあ丸パクリは論外として、あとはそれをどう独自に発展させるかなのだ。音楽とは、無数の支流を生み出す巨大な一つの川と考えれば、原曲とオマージュの関係も理解しやすい。だとすれば、人が自分の葬式に流したい音楽も、もっと多様でいいんじゃなかろうか…。  


Posted by 桜乱坊  at 12:00Comments(1)本・映画・音楽など

2023年03月03日

春の心は魚心



そろそろ春めいて来た昨今、何となく心が弾むのは筆者だけではないはずだ。野鳥たちは恋の季節を迎え、池や川の魚も元気に泳ぎだすのがこの時期なのだな。自然の多い佐賀平野で、やっぱりまず人々の目に入るのは、彼ら鳥と魚の活発さだろうか。もっとも、爬虫類も同時期に活動を開始するわけで、早目に穴から出て来たヘビが、寒さのあまり死んでるのをたまに見かけたりする。ヘビが何より苦手な筆者などは、散歩の途中でそんな死骸に出くわすと、ドヒャッと叫んで逃げるしかないのだが…。

そう言えば、松尾芭蕉の俳句に「行く春や鳥啼き魚の目は泪」という、有名な一句がある。「行く春」だから季節的には晩春なのだが、筆者が中学生の頃から気になっていたのが、最後の「魚の目は泪」という部分。なんで魚が目に涙を浮かべるの?と、アホな子供だった筆者はずっと疑問を感じていた。なんたって、水の中にいる魚の涙なんか、人間に見えるはずがない…、というより魚が泣くもんかってね。芭蕉というおっさんもずいぶんデタラメを言うものだ、と長年思っていたのだ。

だが、大人になって『奥の細道』を読んだ筆者は、この句にある二重の意味を知って、アッと驚いたというわけ。これは、みちのくへの旅に出る芭蕉が門人との別れを惜しんで詠んだもので、「行く春や」は去り行く春への惜別を、「鳥啼き」は送ってくれる門人たちの泣く声を意味するのだとか。で、最後の「魚の目は泪」は、魚問屋の息子で芭蕉の支援者だった、杉山杉風の涙を意味するらしい。なるほどこれなら筆者の目にも、当時の別れの様子が浮かんで来るというものだ。東北新幹線などない時代、はるか遠いみちのくへの徒歩の旅は、永久の別れを覚悟しなければならない。こんな短い一句に、別れの情感をみごとに盛り込んだ芭蕉は、やっぱりただのおっさんじゃなかったんだな。

魚といえば、筆者にも思い出がある。と言っても、かつて熱帯魚を飼っていた思い出だけどね。けっこう大きめのアクリル水槽に、筆者はグッピーやネオンテトラやコリドラスといった、比較的安価な魚たちを入れて飼育していたのだ。なにしろ熱帯魚は、ヘタをするとすぐに死んでしまう。なので、初心者には安価な魚が無難なのだ。もちろん水槽にはヒーターや濾過用フィルター、また循環用ポンプや照明器具なども必要になる。思えばけっこう維持管理に手間がかかるペットだが、犬やネコや小鳥などに比べれば静かだし、二、三日放っといてもどうということもないし、楽といえば楽だったね。ただし、あの四六時中ブクブクというポンプの泡の音が、気になるっちゃあ気になったけど…。

水槽で熱帯魚を飼うなによりのメリットは、仕事に疲れたときの癒し効果だろうか。なんといっても、そこは水中の別天地なのだ。砂の上に置いた石や水草の間を、スイスイ泳ぎ回る熱帯魚をじっと見ていると、なんだか自分までその中で遊んでいるようで、安らかな気分に浸れるのが良かった。おまけに熱帯魚の中でもグッピーは、「卵胎生」といってお腹の中で卵を孵化させ、稚魚を出産するという変わった魚。メスのお腹が大きくなったと思ったら、気がつけば水槽の中に、小さなグッピーの子供が何匹も泳いでたり、ということがよくあった。ちなみにグッピーでヒレが大きく美しいのはオスで、メスは色気のないでかいメダカといった感じだ。

グッピーはそんな魚なので、放っといてもどんどん増えて行く。それはまあ良いのだが、せっかく色や模様のキレイなオスを買って来ても、知らないうちに素性の知れないメスと交雑して、あまり見た目がパッとしない子供が出来たりする。何だ、コイツは?なんてね。なので、キレイな血筋を守ろうとすれば、しっかり囲って管理する必要がある。このあたりは、歌舞伎界の御曹司が変な女に手を出さないよう、親が目を光らせるようなものだろうか。やっぱり人間も魚も、似たところがあるんだな。

ずっと以前の筆者がまだ学生だった頃の話だが、アルバイトで行かされた先が、千葉市内のとある工事現場。そこは同市でも有名なソープランド街で、道の両側には目も眩むような店々が立ち並んでいた。そんなものには目もくれず、マジメに働いていた筆者だったが、ふと脇を流れる小川に目をやると、そこには見たこともない色も鮮やかな小魚が、群れをなして泳いでいたっけ。誰もが驚いて指差していたのを、筆者はよく覚えている。後から気づいたのだが、あれは間違いなくグッピーだったな。ソープ店から流れ出た温水が川に入り、きっとグッピーの繁殖に適した環境を作ったのだろう。ソープ嬢と同じく、グッピーも生命力が強いのだ。その後、あの川で彼らの子孫がどうなったのか、ちょっとだけ筆者は気になるのだが…。

しかし、熱帯魚の飼育もいつかは終わるときが来る。奴らは値段のわりに、すぐに死んでしまうのが難点なのだ。で、主人のいなくなった水槽に次に入れたのが、ヒメダカという黄色っぽいメダカだった。これは安かったね。安いはずで同じ熱帯魚店でも、肉食魚のエサとして販売していた魚だ。ただし、飼育しやすくそこそこキレイな上に、熱帯魚みたいに簡単に死なない丈夫さがあった。おまけにエサやりを忘れていても、どうということはない。奴らは水草にどんどん卵を産み付け、いつの間にか自分でそれを食べてしまうのだ。なので増えもせず減りもせず、常に一定数を保って生きていた。そこが、ズボラな筆者には相性が良かったね。

こうして飼っていた魚と人が別れる機会は、たいてい引越しのときに訪れる。筆者もその後、都内某所に引っ越したおりに、ヒメダカも水槽も処分してしまった。犬やネコや小鳥などと違い、相手は魚なので変な感傷もなくバイバイしたわけだが、今でも別に魚は嫌いではない。先日たまたま寄った白石町の道の駅では、地元産の野菜や食品などに混じって、ガラス瓶に入れたメダカを売っていたっけ。瓶の中には何匹かのメダカが泳いでおり、筆者的には少しだけ懐かしい記憶がよみがえったが、買うことはしなかった。でもこのごろときどき、またちょっと覗いてみたい誘惑に駆られるのだ。なんでだろうな…。  


Posted by 桜乱坊  at 11:35Comments(1)身辺雑記