2022年05月31日
安宿一人旅のススメ

猫も杓子もユーチューバーという時代だが、とにかくネット動画の世界は様々なコンテンツであふれている。いまは若者からお年寄りまで、また有名人も無名の素人も、自分で企画を立て撮影・編集し、自由に動画をアップ出来る世の中なのだ。しかもみんなけっこう良いカメラを使っている。テレビの地上波番組などより、ずっと高画質で臨場感のあるものも多い。そんな玉石混交のコンテンツの中から、掘り出し物の番組を探すのはあんがい楽しいものだ。
素人がつくる番組で多いのは、食べ歩きや旅行のリポートなどだが、カメラ一つあればわりと簡単に一本撮れてしまうので、彼らには取っ付きやすいテーマなのだろう。ただし、食べ歩きも高い店ばかり選んでいると経費が嵩むし、遠方への旅行や高級旅館でのお泊りは、交通費や宿泊代がバカにならない。それに誰もが知っている店や観光地の紹介では、視聴者の耳目を集めるのは難しいはず。素人の番組には素人ならではの、ユニークさが求められるのだ。
そんな素人の番組の中で面白いのは、筆者的にはやはり旅行ものだろうか。それもテレビの紀行番組を真似たような、とりすました観光地のリポートではなく、誰も行かないような地方の町を探索し、一人で安宿を求めて歩くようなものが良い。なぜなら、テレビではそんな番組は絶対に作れないからだ。テレビでは気楽な一人旅のように見せてはいても、実際にはシナリオがあり、カメラの後ろには大勢のスタッフがいる。またタレントもそんな安宿に、一人では泊まりたがらないだろう。そうではなく、正真正銘の安宿一人旅を撮れるのは、やっぱりユーチューバーにしか出来ない芸当なのだ。
筆者がそんな一人旅の番組を愛するのは、自分もずいぶんと一人旅をして来たからかもしれないな。思えばいろんな所へ行ったもんだ。一人旅の良いところは、とにかく思いきり自由を満喫できる点。引率された団体旅行の窮屈さもなければ、同行者への気兼ねでストレスが溜まることもない。何から何まで自分でスケジュールを決め、自分の判断で行動するのが一人旅のルール。つまり天下の素浪人になったつもりで、誰にも束縛されず、旅そのものを楽しめるのが最大の魅力と言えようか。
もっとも一人旅と言っても、愛好者にはそれぞれの楽しみ方や目的があるだろう。名湯秘湯を求めてという人もいれば、美味いものが食いたいグルメ派や、ローカル鉄道が好きという乗り鉄もいるはず。筆者の場合は、日本の古い町並みを歩くのが好きだったね。いわば、町並みオタク。なので、旧城下町や宿場町に寺内町など、時代の本流から取り残されたような各地の古い町を探しては、よくブラリとそこを訪ねたものだ。そして、観光客などいない静かな通りを一人で歩きながら、千本格子や漆喰壁の残る美しい家並みを、じっくり堪能し写真に収めるのが楽しみだった。そこで、筆者はまるで時間旅行をしているような、不思議な至福のひとときを味わうことが出来たってわけ。
で、当然ながら泊まるのは、たいていそんな寂れた町の旅館ということになる。これがまた風情があって良いんだよな。筆者がよく利用したのが、ビジネス旅館や商人宿といったその道の玄人向け旅館。これは一般観光客はあまり来ないが、行商人やビジネス関係の人がよく利用する、低価格の小ぢんまりした旅館だ。言ってみれば、普通の観光客向け旅館と民宿の中間的な存在だろうか。なので多くは家族経営だが、そのぶんアットホームな雰囲気が味わえる。何といっても一泊二食付きで○千円という、安心価格なのが最大の魅力なのだ。
むろん、部屋は豪華でも広いわけでもないし、立派な大浴場があるわけでもない。夕食の献立だって、板前さんが腕を振るった見栄えの良い料理が出て来るわけではない。普通はその宿のオヤジやおかみさんが作ってくれる家庭料理だが、なにしろ客の数が少ないぶん心がこもっている。安い宿代のわりには刺身とか天ぷらとか、これで良いの?とこちらが心配したくなるほど、サービスが良いのが常だった。人間、初めから高望みさえしなければ、それなりに満足を得られるものなんだな。
そんな安宿で一人で寝ていると、深夜になんだかしみじみした気分になったりするものだ。ああ自分はいまどこに居るんだろうと不安になったり、あるいはずいぶん遠くまで来たものだと感慨に耽ったり…。それもまた旅情というものかも知れないが、これは一人旅でしか味わえない孤独感なのだろう。でも、これも一人だから楽しめること。もし家族旅行でこんな部屋に泊まったら、たぶん誰もがとんでもなく暗い気分になるはずで、子供なんか泣き出すかも知れないな。ああ、怖いねえ。
そうそうアットホームな雰囲気といえば、あれは岐阜県のある町の小さな旅館に泊まったときのこと。風呂に入った筆者が驚いたのは、浴室のあまりの狭さだった。まあ一人だから良いだろう、と置いてあったシャンプーや石鹸を使いながら、体を洗っていたらそこにもう一人の客が入って来た。「ずいぶん狭い風呂ですね」などと談笑した後、先に出た筆者がふと廊下の向こうに目をやると、そこには客用の浴室の扉が見えたっけ。うっかり者の筆者は、旅館の家族用の風呂に入ってしまったのだった。あのとき話しかけた相手は、そこの家のお爺さんだったのだな。まあ、こんな失敗も旅の良い思い出というやつだ。
古い町並みが残るところでも、中堅クラスの地方都市になると、たいていは駅前にビジネスホテルがある。筆者はそんなホテルもよく利用したものだ。ビジネスホテルの長所は価格が安いことと、完全にプライバシーが守られることだろう。チェックインから翌朝のチェックアウトまで、客は誰にも気を遣うことなく一人で自由を味わうことが出来る。それはそれで楽チンなのだが、旅の記憶にあまり残らないのは、そこに人間との触れ合いがないからだろうね。やはり当たり外れがあるとは言え、その土地の宿で受けた土地の人による様々な心尽くしが、振り返ると旅の記憶の大きなポイントになっている。そういえば筆者は最近、古い町並みを歩いてないが、なんだかまた何処かへ行きたくなって来たなあ…。