2020年09月30日

新米を食べる前に



早いもので佐賀平野はいま稲刈りの季節だ。ついこの前、麦畑が水田に姿を変えたと思ったら、もう稲穂がたわわに実っているのだから、季節はあっという間に移り変わる。こうなると早く新米を食べたくなるのが人情だが、筆者の口に入るのはいつになるのかな。なんたって新米は独特の甘みがあって、とにかく美味いからねえ。

筆者などは炊きたての美味い飯があれば、おかずは高菜漬けだけでも十分イケる(野沢菜漬けでも良いが)。他には辛子明太子だけでも良いし、ビンに入った海苔の佃煮だけでもOKだ。あと、納豆ご飯というのも良いねえ。つまり炊いた白米というのは、それ自体に甘味や旨味があるので、ちょっと塩気のあるおかずさえあれば、いくらでも食べられるのだ。ハイキングで食べる梅干しのオニギリなんか、極上の味がするものなあ。ああ、日本人で良かった!

もっとも、いくら美味いからといって白米ばかりという、偏った食生活を毎日続けていると、脚気になるので注意が必要だ。まあ、最近はあまり脚気という言葉を聞かなくなったが、これは少し前までは結核と並んで、日本人の国民病とも言われた恐ろしい病気なのだ。何が恐ろしいと言って、死に至る病いなのだから恐ろしい。しかもこの病い、白米食が普及した江戸時代から始まり、明治から大正・昭和にかけて多くの日本人が罹患したが、その原因が長いこと分からなかったという厄介者だ。正体が見えない敵ほど怖いものはない。

では白米食と脚気はどういう相関関係にあるのか? ズバリその答えは、脚気がビタミンB1の欠乏症だということ。そもそも日本人が玄米を常食していた時代は少なかった脚気患者が、白米を食べるようになって急増したのは、玄米に含まれていたビタミンB1が精米により失われてしまったためだった。つまり、玄米を精米すると美味い白米になるが、これは同時にビタミンB1を捨てるということ。脚気は〝ぜいたく病〟というわけだ。なので江戸の将軍様や諸大名・富裕商人に始まり、一般武士や町人などに白米食が普及するにつれ、脚気患者は徐々に増えて行ったんだな。

ただし、副食でビタミンB1を摂取していれば、脚気になることもなかったはず。やはりタクアンの尻尾や梅干しなど、粗末なおかずで白米をたらふく食べるという、日本人の貧しい食習慣が患者急増の要因だったのだろう。貧乏人は栄養のバランスなんか、考える余裕もないもんな。こうして明治から大正期になると、日本の軍隊では悲惨な現実があらわになる。当時の日本軍は、陸軍も海軍も白米食が中心だった。貧しい地方出身の兵士にとって、白米がたらふく食べられる軍隊の食事は魅力だったのだ。結果、陸軍も海軍も脚気に罹る兵士が続出したが、まさか白米食が原因とは夢にも思わなかったはず。

だが海軍では軍艦の遠洋航海ともなると、水兵が脚気に罹ることは大問題だ。明治15年から10ヶ月の練習航海に出た「龍驤」では、乗員378名中169名が脚気におかされ、23名が死亡するという大事件が起きた。しかも脚気の正体がつかめない。この難問の解決に当たったのが、高木兼寛というイギリス留学経験者で、海軍の軍医だった人物。日本海軍はイギリス海軍をモデルにしていたので、医学の方もイギリス式だったんだな。高木は様々な試行錯誤の末、脚気の原因が白米偏重の海軍の食事にあることを突き止める。

そこで高木の提案により明治17年、「龍驤」と同じ期間で同じコースを航海する「筑波」乗員の兵食に、白米食の他にパン食を、また肉やミルクといった栄養のある副食を取り入れた結果、脚気患者の数は激減し死者の数はゼロとなった。高木の実験は成功したのだ。これにより海軍の食事は、白米に麦を混ぜるなど大きく改善され、以後、脚気患者の数はめでたく大幅減。やっぱり食い物には、気と金を使わなきゃダメってことか。

一方、海軍と対照的だったのが陸軍で、こちらは頑固に白米主義を主張し続けた。海軍の医学がイギリス式だったのに対し、陸軍が範としていたのはドイツ医学。ドイツ留学帰りの軍医や東大の学者たちは、高木説を根拠のないものとして激しく批判した。なんたってドイツは細菌学の先進国であり、その薫陶を受けた医学者たちは、脚気は細菌によるものと考えたんだな。その一人がかの有名な森林太郎(鴎外)で、彼は陸軍の軍医として高木に厳しい非難を浴びせていた。

ところが明治27〜28年の日清戦争では、海軍の脚気による死者が0だったのに比べ、陸軍では戦死者977人に対し脚気による死者は4064人という、えらい数字になっている。続く明治37〜38年の日露戦争では、海軍の脚気患者87名、死者3名に対し、陸軍では戦病死者3万7200余人中、脚気による死者は2万7800余人という、さらに背筋の寒くなるような数字なのだ。これはもう完全に海軍の勝ちだろう。さすがの陸軍も、白米偏重の食事が脚気の原因だと気づいたようだが、ガンコな森林太郎は最後まで自説を曲げなかったらしい。エリートのプライドという奴だろうか。

米ぬかからビタミンB1を発見し、脚気がその欠乏症だと突き止めたのは、農学博士の鈴木梅太郎だった。明治44年のことで、思えば長い道のりだったわけだ。米ぬかに着目した鈴木博士はさすがだが、考えてみれば精米しない玄米さえ食べていれば、日本人も脚気に悩まされることはなかったはず。脚気とは、日本人が自ら招いた文明病だったんだな。罪深い白米だが、されど白米は美味い。筆者もおかずの栄養を考えながら、有り難く新米をいただきたい。  


Posted by 桜乱坊  at 15:17Comments(0)食べ物など