2014年11月26日

『九州仏』展に行って来た

『九州仏』展に行って来た

先日、福岡市博物館で開催中の特別展『九州仏』(10月12日〜11月30日)を観に行って来た。と言っても俗人の筆者は、それほど仏像好きというわけじゃあない。ただ、横浜市に住む古くからの知人が仏像を彫っていることもあり、以前から仏像や仏教に関する本などを送ってくれたりするので、そのお返しに展示図録でも買って送ろうと思ったわけだ。それに、たまには博多の空気を吸うのも悪くはないのでね。

秋晴れの日、JR博多駅から地下鉄に乗り目的地までやって来たが、それにしても福岡市博物館のゴージャスさには驚いた。入口のゲートから広大な前庭を通して見た巨大建築は、まるでちょっとした国の国会議事堂だ。エントランスのアーチをくぐるときは、思わず筆者も高い天井を見上げてしまったよ。内部の豪華なグランドホールもまたしかり。これが県立ではなく市立の博物館なのだから、福岡市の財力恐るべしだ。それとも、これこそ“博多人気質”という奴だろうか。

さて件の特別展だが、展示場には時系列に沿って九州各地から集められた仏像の名品が並んでいた。なにしろ普通の彫刻ではなく、普段はお寺の本堂などに鎮座するご本尊様だ。つまり信仰の対象。なので展示場全体に漂う厳かな雰囲気は、明らかに美術館の彫刻の展示室とは違っていた。何というか、クシャミをするのも憚れるようなというか…。平日で人影が少なかったということもあり、そこには静謐で落ち着いた独特の空気が流れていたなあ。

飛鳥・奈良時代から始まって平安時代の前期と後期、鎌倉・南北朝時代、それに中国・朝鮮からの渡来仏と、展示は全部で5つのブロックに分かれていた。正直言って仏像への信仰心も審美眼もない筆者だが、素人だけに余計な知識や先入観のないのが強みといえば強み。頼りにするのは自分の直感や美意識だけ。そんな筆者が見て飛鳥・奈良〜平安前・後期の仏たちは、史料的な価値を別にすれば、わりと玉石混淆の印象が強かったね。「おお!」というものもあれば「なんじゃこれは?」というものもあり、仏師の腕に稚拙さを感じさせるものも多かった。

目が覚めたのは、鎌倉期の展示ブロックに入ってからだ。そこではズラリと、驚くほど完成度の高い仏像が並んでいた。仏師の腕前が革命的に進化していたのだ。これぞまさに“仏像ルネサンス”。これなら筆者のような不信心者だって、思わず手を合わせたくもなるというもの。いったいこの鎌倉時代、九州の造仏業界に何が起きたのだろうか?

ヒントになるような2体の仏像が、鎌倉期展示の入口の両脇にシンボリックに立てられていた。その2体こそ、わが小城市にある古刹・円通寺の「多聞天」と「持国天」立像じゃないか。おお、やっぱりなあ! 実はこの二天像、筆者がかねがねその造形的素晴らしさに感心していたものだ。むろん筆者は仏像に関しては素人。だが素人目にも、この二天像の完成度の高さは良く分かる。躍動感がありながら、しっかりと肉体的バランスのとれたポーズに、カッと目を見開いた軍神らしい表情の凛々しさ美しさ。仏師の技量の高さをまざまざと見せつける、まさに木彫の傑作ではないの。

この2体の立像を彫った仏師の名は湛康(幸)。そしてこの男こそ、あの運慶から4世代目という「慶派」正統の仏師なのだ。そんな一流のアーティストが、小城くんだりに来て円通寺の像を彫ったのは、当地の地頭・千葉家に招かれてのこと。円通寺はその千葉家の菩提寺だったのだ。つまり、こうした慶派の流れを汲む湛康一門の九州への定着がその後、この地に仏像ルネサンスをもたらしたということらしい。その意味では小城は、九州の造仏史に燦然と輝く場所じゃないのかな。

むろん、仏像の完成品が中央から送られて来た他の例もあるはず。わざわざ遠方まで出張するヒマのない忙しい仏師は、おそらくその手を使ったことだろう。何といっても奈良や京都から見れば、九州は僻遠の地だもんな。なので湛康は当時、中央での仕事に行き詰まりを感じていたか、よっぽど好条件で千葉家に誘われたか、何らかの理由があったのだろう。思えば遠くへ来たもんだ。いずれにせよ湛康の一門が九州に来てくれたお陰で、この特別展の鎌倉期展示がとても充実したものになったというわけ。

湛康の作品でもう一つ素晴らしかったのが、福岡市にある飯盛文殊堂の「文殊菩薩騎獅像」。これは獅子の上に乗った文殊菩薩の像で、大きな口を開けた獅子の見事さもさることながら、やはり宝剣を持って坐した文殊菩薩の姿が何とも美しい。特に厳かな顔の鋭いまなざしは、すべての人間の心を射抜くようで圧倒された。文殊菩薩は非人救済などで知られる真言律宗に信仰されたようだが、この像も当時の悲惨な弱者たちの大きな心の支えになったのだろうか。

他にも鎌倉期の仏像には驚くような秀作が多く、筆者はおおいに感心させられた。例えば、筑紫野市・西方寺の「阿弥陀如来立像」が持つ表情の澄んだ気品には、思わずしばらく見入ってしまったほど。これは並みの仏師じゃ造れない、と心底思ったね。いやとにかく、この時代の仏像彫刻の精緻さや表現力は、西洋の彫刻と比べてもまったく遜色ないばかりか、精神性の深さにおいては凌駕しているんじゃないのかな。今回の展示はあらためて筆者に仏像彫刻の美とともに、実物と対面することで得るものの大きさを教えてくれた。



同じカテゴリー(イベント)の記事画像
出掛けるなら紅葉見物
車社会のSAGAアリーナ
ファンファーレの効用
長谷川きよしコンサートへ
「ゴジラ展」を観て来た
ハロウィンとは何だ?
同じカテゴリー(イベント)の記事
 出掛けるなら紅葉見物 (2024-11-30 11:50)
 車社会のSAGAアリーナ (2023-07-31 12:09)
 ファンファーレの効用 (2021-12-31 12:03)
 長谷川きよしコンサートへ (2018-04-28 11:56)
 「ゴジラ展」を観て来た (2016-07-23 17:29)
 ハロウィンとは何だ? (2015-10-27 11:58)

Posted by 桜乱坊  at 10:07 │Comments(0)イベント

上の画像に書かれている文字を入力して下さい
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。