2024年10月31日

がんばれ、時代劇!



先日、なにかと話題の映画『侍タイムスリッパー』を観てきた。最近は映画といえば、自宅のモニターで配信を観るのが当たり前なので、郊外のシネコンまで出掛けたのは久しぶりだったね。では、筆者がなぜ映画館までわざわざ出掛けたかというと、それにはちと理由があったのだ。というのもこの映画、安田淳一なる米農家の人物が、一人でカネを集め脚本・監督・撮影・編集など11役以上をこなし、情熱で創り上げたというのだ。当然、インディーズ作品ということになる。これには筆者も、興味を抱かざるを得ないではないか。

ただしへそ曲がりの筆者は当初、それほど期待していたわけではなかった。ユーチューブの予告編によれば、主人公は幕末に生きていた会津藩の侍で、その男がカミナリに打たれた衝撃で、現代の時代劇撮影所にタイムスリップするという話なのだ。しかしこのシチュエーションは、あまりに使い古されたアイディア。似たような設定の映画は、ほかにゴマンとある。そこから生まれた騒動を描くだけのドタバタコメディなら、ちょっと残念だなと筆者は思っていた。だが、映画館のシートにもたれてこの映画を見るうち、筆者の予想は良い方に裏切られていく。

主人公の名前は会津藩士・高坂新左衛門。家老の密命を受け、同僚と二人で長州藩の風見恭一郎を襲うが、斬り合いの最中に落雷に遭い、気がつけばそこは東映京都の時代劇撮影所。エキストラと間違われ慌てて退散するものの、新左衛門は壁のポスターで今が150年後の世界であり、江戸幕府がとうの昔に滅亡したことを知る。会津藩は佐幕派の雄藩であり、これには大ショックだろうね。失意のうちに行き着いた寺の門前で、そこの住職に救われた新左衛門は、雑用係として働くうち、ひょんなことから撮影所の斬られ役に採用される。頭の髷と剣の腕前を見込まれたというわけ。周囲の人々に助けられて彼は、やがて時代劇専門の斬られ役として生きて行く決心をする…。

主演の高坂新左衛門を演じるのは、テレビの時代劇で知られる山口馬木也。筆者的にはこの人、かつて藤田まこと主演のドラマ『剣客商売』で、主人公・秋山小兵衛の息子、大治郎を演じた役者として記憶がある。ほかに顔を知っていた役者といえば、新左衛門の敵役・風見恭一郎を演じた冨家ノリマサくらいかな。この二人以外の出演者は、失礼だが筆者がまったく知らない無名の人ばかり。製作費2600万円の超低予算映画だから、まあ仕方がないといえば仕方がないのだろう。それなのに誰もが演技のクオリティがしっかりしているのは、日本には無名でも実力のある役者が大勢いるということか。

だが、なによりこの映画で光るのは、やはり高坂新左衛門役の山口馬木也の熱演だろう。何といっても新左衛門は、幕末から一気に現代に飛び出して来た東北の田舎武士だ。見るもの聞くもの食べるもの、どれを取ってもカルチャーショックの連続で、その度に彼が引き起こすトンチンカンな騒動が、客席にほのぼのとした笑いを振りまく。テレビでは真面目な役の多かった人が、ここではコミカルな演技も見せてくれるのが楽しい。そのギャップに、こちらも自然と笑みがこぼれてしまう。映画の主演は初めてという苦労人の山口馬木也、この作品をきっかけに役柄の幅も広がるのではなかろうか。

とはいえ、この映画の本質はやはり時代劇への〝愛〟なのだろう。低予算にもかかわらず、セットも小道具も衣装も決して安っぽくないのは、映画の脚本を読んだ東映京都撮影所が、全面協力してくれたからだという。映画を観て感じるのは、「時代劇万歳!」という安田監督の情熱だ。その熱い〝愛〟が撮影所に働く人々の心を動かし、映画製作を実現させる後押しになったのだとか。なにしろ日本では、今や時代劇映画は絶滅危惧種のようなもの。その時代劇の製作現場の裏方を主役にして、米農家の男が貯金を取り崩しマイカーを売り払い、一本の映画を撮ろうというのだから、撮影所の人々も黙っていられなかったのだろう。

この映画がただのドタバタコメディでないのは、ラストの高坂新左衛門と風見恭一郎との対決シーンをみればよく分かる。とにかくシリアスで真に迫っている。この殺陣を観るだけでも、金を払って映画館に入る価値があるというものだ。やはり時代劇の見せ場は、これなんだよな。さすが安田監督は、ツボをちゃんと心得ている。だが、笑いあり涙ありチャンバラありのこの映画、観終わった後に残るホノボノ感は、どこか山田洋次監督の人情喜劇にも似ているのだ。そう感じたのは、きっと筆者だけではないはず。最初はたった1館からスタートした『侍タイムスリッパー』、現在では全国での上映が300館以上だというから、さらに広がって欲しいね。

この映画は、カナダの「第28回ファンタジア国際映画祭」で観客賞金賞を受賞しており、ゲストで招かれた主演の山口氏は感激の涙をこぼしていた。カナダ人にも時代劇の良さは伝わるのだろう。そういえば、最近では真田広之が主演・プロデューサーを務めた『SHOGUN 将軍』が、アメリカのエミー賞の18部門を受賞している。なんだか時代劇復活の波が、来ているような気もするなあ。かつての三船敏郎もそうだったが、そもそも「サムライ」の映画は外国人にも人気が高い。国内外で再評価の機運が高まれば、筆者としても嬉しいのだが。  


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2024年09月30日

『八犬伝』の作者は曲亭馬琴



ネットのニュースによれば、10月下旬から映画『八犬伝』が公開されるらしい。『八犬伝』といえば筆者の大好きな物語だ。原作のタイトルは『南総里見八犬伝』といい、かの曲亭馬琴の代表作とされる伝奇小説である。今から200年ほど前に書かれたこの本は、全98巻・106冊という驚異的大長編小説としても知られている。そういえば、2023年にNHKで放送された朝ドラ『らんまん』では、主人公の妻・寿恵子さんの愛読書でもあったっけ。つまり日本人にとっては、誰もが知る国民文学の一つというわけだ。

筆者はこの物語が子供の頃から大好きで、小学生のとき現代語に訳した本を自分で買って読んだものだ。芳流閣の大屋根の上で犬塚信乃と犬飼現八が闘う場面では、胸がドキドキしたのを覚えている。もっとも、その本は子供向けに短く抄訳したものだったので、その後、大人になってから分厚い現代語訳の本を買い直したりした(長過ぎて全部読んでないけど)。さらには先代・市川猿之助が大活躍をした、スーパー歌舞伎『八犬伝』も新橋演舞場で観ている。あれは暗い空間にレーザー光線が走ったりする、とても幻想的な舞台だったなあ…。

この物語はこれまで何回も映画化されて来たが、今やアメリカで大スターになった真田広之も、若い頃に『里見八犬伝』という作品で薬師丸ひろ子と共演している。そういえばテレビでも、『新八犬伝』という人形劇をやっていた。で、今回公開される『八犬伝』だが、ネットの予告動画を見ると、主人公は役所広司演じる馬琴先生その人のようだ。つまり、どうやらこの小説の生みの親である、曲亭馬琴という人物の人生を描きながら、そこに物語の壮大な世界を重ね合わせるという趣向らしい。いや、面白そうじゃないの。この小説の挿絵を描いた葛飾北斎も登場するようだし、完成まで28年をかけたという物語の誕生秘話を、筆者もぜひスクリーンで楽しみたいね。

ただちょっと引っ掛かるのが、予告編にクレジットされた主人公の名前だ。そこには「戯作者・滝沢馬琴」と書かれている。まあ、筆者も子供の頃から教科書などでそう教えられて来たのだが、大人になって改めて考えればやはりこの名前はおかしい。もうそろそろ世の中も「曲亭馬琴」に統一すべきだと思う。そもそもこの人は武家の出で、「曲亭馬琴」が戯作者としてのペンネーム、本名を滝沢興邦(のちに解)という。それを苗字だけ本名を引っ張り出して来て、「滝沢馬琴」と呼ぶのはやっぱり変じゃないのかな?

似たような例で、むかしは浮世絵師の「歌川広重」を「安藤広重」と呼んでいたが、これだってれっきとした歌川派の絵師なのに、なぜか本名の安藤重右衛門から「安藤」だけを引っ張って来ていた。後世の誰かが誤ってそうしたのだろうが、今では「歌川広重」と正しく呼ぶようになっている。それでいいのだ。たとえば筆者の好きな作家の江戸川乱歩だって、本名が平井太郎だからと言って「平井乱歩」とは呼ばれないし、同じく三島由紀夫も、本名が平岡公威だからと言って「平岡由紀夫」と呼ぶ者はいない。なので江戸時代の大作家・馬琴先生も、やはり正しく「曲亭馬琴」と呼ぶべきだろう。

しかし、それにしてもこの『南総里見八犬伝』という小説が、完成までに28年を要したというのは驚きだ。47歳でこの小説を書き始め75歳で完成というのだから、馬琴先生の粘り腰には敬服するしかない。だいいち当時の医学の水準は、現在とはずいぶん違うはずだ。ひとつ間違えれば、未完のまま終わっていてもおかしくはない。執念の賜物なのか、書き出したら止まらないタイプなのか、あるいはベストセラーゆえ版元に尻を叩かれ続けたのか…。理由はいろいろあるにせよ、28年かけて一つの物語を完成させるには、並大抵ではない苦労があったはずだ。

その苦労の中でも最大の危機が、彼が73歳のとき両眼を失明したことだろう。これは執筆業にとっては大ピンチ。書くことはもちろん、資料を読むことも出来ないわけで、このままでは大長編小説が〝尻切れとんぼ〟になってしまう。ベートーベンが聴覚を失ったようなものだが、天才作曲家は頭に浮かんだ楽譜を、そのまま五線紙に書き写すことが出来る。馬琴先生の場合は、これを口述筆記という手で乗り切った。代筆してくれたのは亡き一人息子の妻・お路。この人は医師の娘なので、それなりの教養はあったと思うが、やっぱり老いた大小説家の口述筆記なんて、想像するだけで大変そうだ。「そんな字も知らねえのか、バカヤロー!」なんてね。今度の映画では、そうした創作秘話も描かれるようなので、筆者は今から楽しみにしている。

『南総里見八犬伝』の舞台となった「南総」とは、現在の千葉県・房総半島の南部に当たる。ここら辺りは温暖な地で、自称〝房総半島評論家〟の筆者も何度か訪れたことがある。聞くところによれば物語の重要な舞台である富山(とみさん)には、登場人物である伏姫と犬の八房が隠れたとされる籠穴があるという。フィクションがいつの間にか伝説となった、「お宮の松」みたいなものだろうが、筆者はあいにくこの場所には行ったことがない。機会があれば、話のタネに一度訪れてみたいものだ。  


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2024年08月31日

カナブンはどこへ行った?



暑かった夏もいよいよ終わりが近づいた。うるさかったセミの声も、それまでのアブラゼミやクマゼミから、主役がツクツクホウシに交代したようだ。というか散歩をしていると、セミの声より草むらのコオロギの声が、このごろは大きくなったのを感じる。まさに「夏の終わりのハーモニー」だ。そういえば筆者は昨日、ベランダで死んだアブラゼミの死骸を見つけたが、夜のうちに窓明かりに引かれて飛んで来たのだろうか。まあ、最近の家の窓はどこも網戸付きのアルミサッシだから、こうしたセミなどが室内に侵入することはまずなくなった。スマンな、昆虫どもよ。

だが、まだ家にクーラーのなかった筆者の子供の頃は、風通しのため窓を開けたりしていたから、夜になるといろんな虫が飛び込んで来たりした。なんと言っても、佐賀県は自然が豊富だからね。そいつらは天井の電球や蛍光灯にぶつかっては、コツコツと音を立てたりしていたな。セミや蛾やトンボにガガンボ、ときにはカブトムシが飛んで来たこともあったっけ。もっとも、カブトムシが来ることなどはレアケースで、見つけたときは「ヤッター!」と、クジに当たったような気分だった。その代わりのはずれクジじゃないが、いちばん数が多いのはカナブンだったなあ。

カナブンはカブトムシやクワガタと同じ甲虫だが、彼らのように頭に立派なツノがあるわけでもなく、体もまたひとまわり小さいので、筆者のような子供にはあまり魅力がなかった。むろん、捕まえて飼育するなどはとんでもない。とにかく、毎晩のように飛び込んで来る厄介者で、魚でいえば雑魚のような位置づけだったな。ただ、体の色に緑色や茶色といったバリエーションがあり、表面が磨いた金属のようにキラキラと輝くので、その美しさだけが取り柄といえば取り柄だったが…。そのカナブンを、筆者は最近すっかり見なくなった気がする。

不思議なのは、夏の夜にかつてあれほど光を求めて集まったカナブンが、このごろパッタリ身の回りから姿を消したことだ。そんなはずはと思ったが、気がつけばそうなっている。ひょっとして日本のカナブンは、数が減っているのだろうか? ウィキペディアで調べるとカナブンは、『ファーブル昆虫記』でおなじみのハナムグリの一種だという。しかも、意外なことに幼虫の生態は長いこと不明で、《2009年に昆虫写真家の鈴木知之が、クズ群落の下において野生におけるカナブンの幼虫を世界で初めて発見した》とある。2009年といえばつい十数年前だから、ずいぶん長いことカナブンは謎の昆虫だったわけだ。

この幼虫はクズ群落の下でクズの葉の腐葉土を食べて育ち、冬は地中に潜るという生活をして成長するらしい。カブトムシと同じ腐葉土では、成虫まで飼育することは困難だという。ということはカナブンは、よほどクズの葉が好きなんだな。クズといえば、日本中いたるところに自生する生命力の強い野草なので、カナブンの幼虫のベッドには事欠かないと思うのだが、どうもそうではないようだ。近年は山野を切り開いて、ソーラーパネルを設置するところが増えているし、それでなくとも日本列島には、宅地化がどんどん進行中だ。クズの生い茂る原野が減り、その結果としてカナブンの数が減っているとすれば、ちょっと気になる話じゃないか。

ところで筆者はこれまで、カナブンとコガネムシは同じものだと思っていた。童謡の「♪こがね虫〜は、金持ちだ〜」や、高浜虚子の俳句「金亀虫 擲つ闇の 深さかな」に出て来るあのコガネムシは、てっきりカナブンのことだと思っていたのだ。なぜならカナブンの体は、黄金色に輝いているからなあ。ところがどうも、両者は別物らしいのだ。ネットの図鑑で調べてみると、こいつらは見た目はソックリだが、カナブンが土壌の改善をしてくれる益虫なのに対し、コガネムシは草花を荒らす害虫だとある。まるでサンダ対ガイラみたいな関係だが、いったいどこがどう違うのだろうか?

まずカナブンの成虫の主食だが、好物はクヌギ・ナラなど広葉樹の樹液。夏になるとこうした樹の幹に集まっては、カブトムシやクワガタと一緒にナメナメしている。けっして葉っぱなどをかじったりはしないのだ。また幼虫は前述したようにクズの腐葉土などを食べ、地中の有機物を分解して土壌の改善に貢献する優等生。文句のつけようがない。それにひきかえ、コガネムシの成虫の主食は植物の葉っぱ。園芸家が丹精込めて育てたバラの葉や、農家の育てた野菜の葉を食べたりする、こいつはみんなの嫌われ者らしい。しかもこの幼虫がまたワルで、土中で育ち植物の根っこを食べるというからタチが悪い。瓜二つなのに、どうしてこうも違うのかねえ。

こうしてみるとカナブンは人畜無害のいい奴で、カブトムシやクワガタなど、夏の昆虫の名脇役ともいえそうな存在ではないか。いやそれどころか、日本の自然界から消えては困る昆虫なのだ。それが最近、姿を見せないのは寂しいかぎり。メダカやカエルのようにかつてはどこにでもいたものが、いつの間にか姿が見えなくなるのは、この列島の自然環境に何かが起きている証拠なのだろう。カナブンの減少は、それを教えているのかもしれないな。  


Posted by 桜乱坊  at 12:00Comments(0)身辺雑記

2024年07月31日

世界に誇る日本のアニメ



最近、アマゾンプライムで観た2本の映画に、筆者はちょっと感心させられた。その映画というのは甥っ子に強く勧められて観た、新海誠監督の『君の名は。』と『天気の子』というアニメ映画だ。お前は今ごろ何を言ってんの?と笑われそうだが、いや~たまげた驚いた。何ごとも食わず嫌いはよくないね。それまでアニメなんかと馬鹿にしていた筆者だったが、新海監督のこの2つの映画には、認識をすっかり改めさせられてしまったな。やっぱり映画ってのは、自分の目で観て感じるものなのだ。

とにかくまずビックリしたのが、描かれた絵の美しさと緻密さだ。筆者の世代だと、アニメとはセル画と背景画を重ねて、一コマずつフィルムに撮影する旧来の手法がまず頭に浮かぶ。ディズニーの『白雪姫』や『ピノキオ』といった古典的名作も、かつてはこのやり方で作られていた。そう言えばアニメーターをやっていた筆者の従兄弟から、むかし「サザエさん」のセル画を貰ったりしたこともあったっけ。しかし最近のアニメは、もうこんな手の掛かるやり方はしていない。すべてはコンピューター上のデジタル描画で製作されるのが、現代アニメの実態なのだ。

そのため格段に進歩したのが、絵の表現技術なのだろう。最近ではCGによる立体的な3D(3次元)アニメも多く、ディズニーなどは完全にこちらに移行している。だが、そうは行かんと2D(2次元)の表現にこだわるのが、日本のアニメの真骨頂なのだ。なんたってディズニーなどに比べれば、日本アニメは大人の鑑賞にも耐えうる物語性を持っている。けっして単なるメルヘンではない。それを3Dではなく2Dで作るところに、アニメ製作者の矜持がうかがえるのだ。新海監督の映画は、その2Dによる表現力をギリギリまで追求するような、意欲と野心があふれているんだよな。とにかく、描かれた世界の緻密でリアルで美しい色彩には驚くばかり。そこに登場する東京の街や田舎の田園風景などは、思わずため息が出るほど美しい。

それに、ストーリーだって凝りに凝っている。基本軸は2本とも若い男の子と女の子の恋物語なのだが、そこに地球に落下する巨大隕石とか、降り続く大雨で水没する首都東京といった天変地異の大事件が絡み、二人の仲を引き裂こうとするのだ。このあたりはアニメらしく、物語のスケールはバカでかい。だがその荒唐無稽なウソ話も、驚異的なクオリティで描かれた絵の世界の中では、妙にリアルな説得力を持つんだよな。また二人以外の登場人物も、それぞれのキャラクターが丁寧に描いてあり、うまく物語に絡んでいる(ただし、出て来る女の子がみな同じ顔をしているのが、ちと紛らわしいけど…)。つまり、脚本も実写映画なみのクオリティというわけだ。なので、ハラハラドキドキすれ違いの恋の行方は、最後まで観る者の心を掴んで放さない。これは子供向けのディズニー映画じゃとても作れない、アニメによる甘く苦いメロドラマなのだな。

もっとも、2Dアニメといえば以前は宮崎駿の代名詞だった。『風の谷のナウシカ』や『魔女の宅急便』『もののけ姫』などは伝説的作品だし、『千と千尋の神隠し』は米アカデミー賞の長編アニメ映画賞を受賞している。筆者的には『天空の城ラピュタ』がお気に入りなんだけどね。この宮崎アニメもまた、深い物語性と美しい描画の表現力を持つ傑作揃いだ。何しろ宮崎氏は、手描きによるセル画に徹底的にこだわった人。そこに描かれる独特の世界は、いかにも手描きらしい柔らかさと優しさに満ちている。ただし、こうした宮崎アニメも『もののけ姫』を最後にセル画での製作は終わり、以降は線画をスキャンしてデジタル化し、コンピューターで彩色する手法が取られているようだ。やっぱり、長編アニメをセル画で作るのは、気の遠くなるような作業量なんだろうね。

だが、2013年の『風立ちぬ』公開を機に、宮崎氏は引退宣言をして長編アニメの世界から身を引いてしまった。ああ、これで日本のアニメもおしまいか、と思った人もきっと多かっただろう。ところがどっこい、その空白を埋めて余りある輝きを見せたのが、2016年に公開された新海誠監督の『君の名は。』であり、2019年に公開の『天気の子』だったというわけだ。宮崎氏と新海氏の年齢差は32歳。コンピューターソフトを駆使して描かれる新海氏の2Dデジタル世界は、ときに超リアルでときに超幻想的なのが特徴だ。またストーリーテリングも巧みで、物語としても宮崎作品に引けをとらない。いまや新海アニメは、世界的に評価されている。

いや、世界的評価と言えば吾峠呼世晴氏のマンガを映画化した、外崎春雄監督の劇場版『鬼滅の刃』もまた、国内外で大ヒットした日本アニメの一つだろう。筆者はまだこれを観てないのでエラそうなことは言えないが、とにかく2019年にテレビアニメ化されてから始まった『鬼滅の刃』ブームはすごかった。2020年に映画化されたときは、ある種の社会現象を巻き起こしたものなあ。『DEMON SLAYER』というタイトルで海外でも大人気となり、全世界での総興行収入は約517億円を記録したというから驚く。しかもこのアニメ、2Dにうまく3Dを融合して作ってあるところがすごいらしい。これでは引退した宮崎駿氏も、撤回宣言をしたくなるというものだ。

そんなわけで10年ぶりに復活した宮崎監督の最新作が、『君たちはどう生きるか』という長編アニメ。チクショー!若い奴らに負けてたまるか、という巨匠の反骨精神なのだろうか。この作品、国内的な評価はあまりパッとしなかったようだが、なんとアメリカで大ヒットし、再びアカデミー賞の長編アニメ賞を受賞するという快挙を成し遂げた。世の中は分からない。しかし何しろ、いまや日本のアニメは国を代表するソフトパワー。こうなると巨匠・中堅・若手が競い合って、ますます質の高い作品を作り世界を驚かせて欲しいものだ。筆者もアニメなんかという、偏見を捨てなきゃならないなあ。  


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2024年06月30日

「SUMO」をオリンピックに



今年は4年に1度のオリンピックの年だ。今回は7月26日から8月11日までの17日間、フランスのパリを舞台に開催される。筆者もいまから楽しみにしているが、テロなどもなく無事に始まり無事に終わって欲しいもの。で、個人的には今回こそサッカーで、日本代表にメダルをとって欲しいと願っている。なんたって、日本が銅メダルを獲得したメキシコオリンピックは、今からもう56年前の1968年のこと。早いものであれから幾星霜、その記憶もすっかりカスミの彼方だ。釜本邦茂氏や松本育夫氏など、当時のメンバーが存命のうちにぜひとも日本に朗報を届けて欲しいね。

しかし、最近のオリンピックで筆者が気になるのは、ときどき変な種目が正式採用されていること。へえ、こんなのがオリンピック種目?と、疑問符が付くようなものもたまにある。今回でいえば「ブレイキン」などがそうだ。ブレイキンは「ブレイクダンス」とも呼ばれ、音楽に合わせて床の上でグルグル回ったり跳ねたりする、イカれた若者の自己主張といったダンス。まあ、やりたい奴らはやれば良いと思うが、筆者的にはどうも不良の遊びにしか見えないんだよね。脳天を床につけてコマみたいに回ったりしてると、そのうちハゲるぞと忠告したくもなる。こんなのがスポーツ(失礼!)というのなら、他にもっと面白い種目があるんだけどねえ。

そこで筆者が推薦したいのは、ズバリ「相撲」だ。相撲は日本発祥の格闘技だが、世界中には似たような競技がいくらでもある。つまり、ブレイキンなどよりもはるかに裾野が広い。しかもルールはごく単純で、丸い土俵から相手を押し出すか、体の一部を土俵に先につかせれば勝ち。実にわかりやすい。短時間で勝負が決着するため、同じ組み技系格闘技でも、柔道やレスリングみたいに微妙な判定でモメることもない。だいいち裸の男どうし(まあ、女どうしでも良いが)、ガツンとぶつかり合って一瞬で勝負の決まる相撲は、エンタメとしても面白いじゃないか。オリンピックでも、老若男女に人気が出ること間違いなしだ。

もともと大相撲はNHKの海外向けテレビ放送もあり、外国人にも知られていた。古いところではフランスの元大統領・シラク氏は、大の相撲ファンとして有名だったし、イギリスの著名な動物学者だったライアル・ワトソン氏などは、〝相撲評論家〟を名乗っていたっけ。近年ではインターネットの配信により、世界中で大相撲の動画が視聴できるようにもなった。これに輪をかけて、大相撲の力士にも外国出身者が増えてきた。かつては曙・武蔵丸などハワイ生まれの大型力士が活躍したが、最近ではモンゴル勢を筆頭に、東欧のジョージアやブルガリアなど、その国籍も多様化している。大相撲もいまや国際化の時代なのだ。

そんなわけで、大相撲に注がれる目も国際化しているが、そうなると当然、外国でも外国人どうしによる相撲大会が開かれたりする。オレたちもやろうぜ!というわけだ。あまり日本では報道されないが、実はアマチュア相撲ではヨーロッパやアメリカで、相撲大会が開かれている。デブの本場のアメリカでは、「全米相撲全国選手権大会」なるものもあるそうだ。もっと世界的なのが国際相撲連盟が主催する「世界相撲選手権大会」で、これは各国持ち回りで1992年から毎年開かれている。男子と女子(2001年から)があり、体重別にクラス分けして世界中の猛者が闘う大会だが、初期の頃は各階級を日本勢が席巻していたものの、近年はモンゴルやロシアやウクライナなどに覇権を奪われている。これは、ちょっとヤバイなあ。

筆者が最近、ユーチューブで観て面白かったのが「US SUMO OPEN – 24th Annual」というイベント。この「US相撲オープン」とは、2001年から毎年アメリカで開催されている相撲の国際大会で、今年で24回目を迎えたものだ。同イベントのウェブサイトによれば、世界40カ国から集まった国内および世界の相撲チャンピオンが、トーナメントで勝敗を競う北米で唯一の相撲イベントだという。そのため、厳密に言えば日本の相撲とは少し違う、国際化したルールになっている。

たとえば土俵は土ではなくマットになっており、力士も体重別に何階級かのクラス分けがしてあった。また、まわしの下のスパッツやタトゥーもOKで、土俵に上がってからの蹲踞や柏手・塵手水という一連の所作などはイマイチ。それでも登場する各国代表はしごく真面目で、日本人の行司の指導にしたがい真剣勝負を繰り広げていた。なんたってルールが単純なので、アメリカ人にも分かりやすい。レベル的に日本の大相撲には遠く及ばないものの、肉弾相撃つ好勝負の連続に、満員の観衆は大喜びだったね。このイベントの良いところは、日本へのリスペクトが感じられることで、土俵のそばのゲスト席には、大相撲を引退したあの逸ノ城の姿もあったっけ。

格闘技のイベントとしてみれば相撲は、プロレスと違ってガチンコ勝負の緊迫感があるが、総合格闘技みたいな凄惨な感じはしない。そればかりか元々が神事なので、礼に始まり礼に終わる動作は、見ていてもすがすがしい。家族で楽しめる格闘技といえば、相撲に勝るものはないだろう。ぜひ日本が誇るこの相撲が、世界に広まることを筆者は願いたい。ただしそこに一つ注文があるとすれば、あまりにショー化し過ぎないで欲しいということだ。そもそも土俵は、神様が宿る神聖な場所。四股や蹲踞といった美しい所作や、対戦相手へのリスペクトなど、外国人にも相撲の伝統をよく理解してもらいたいね。その意味で力士を目指す外国人は、周防正行監督の名作映画『シコふんじゃった。』を、まず観るべきじゃなかろうか。  


Posted by 桜乱坊  at 11:59Comments(1)スポーツ

2024年05月31日

育て真っ赤な唐辛子!



ベランダのプランターボックスに唐辛子の種を蒔いたところ、小さな青い芽がニョキニョキと無数に出て来た。種は通販で購入したものなので、この芽が成長すれば夏から秋にかけて、ベランダは赤い唐辛子の実でいっぱいになるはずだ。そうなれば採り放題の食べ放題(?)になるのだが、ちょっと不安材料もある。というのもこのプランターボックス、昨年まで名前不詳のツユクサに似た雑草が繁茂していたので、その種が残っていた可能性もあるのだ。つまり置き土産というやつ。まさか、そんなことはないとは思うんだけどねえ…。

まあ、この芽が唐辛子かツユクサかハッキリするまで、もう少し成長を待つしかないが、楽しみといえば楽しみではある。ただし筆者はズボラな性格なので、まめに水やりしたり肥料をやったりというのがどうも苦手。成長したら放っといて、勝手に育ってくれればそれが一番だ。調べてみると、唐辛子の辛味成分は「カプサイシン」が主体らしいが、これは土壌の環境が栄養不足や乾燥などで悪化すると、ストレスがかかって増える傾向があるという。どうやら痩せた土地からは、かえってピリッと辛い唐辛子が生まれるらしい。これは「家貧しくして孝子あらわる」ってことかな?

このカプサイシン、身近なところでは真っ赤な「一味唐辛子」でおなじみだ。筆者にとっては、うどんや蕎麦など麺類に欠かせないお供だが、食欲増進はもとより食べた後の汗で、体がスッキリした感じになるのがまた良いんだよね。つまり爽快感ってやつだ。これはカプサイシンの摂取でアドレナリンの分泌が活発になり、血流が良くなった結果として体温が上昇。そのまた結果として、発汗が促されるというメカニズムのようだ。因果はめぐるカプサイシンだが、なんだか体に良さそうで嬉しい奴じゃないか。

ただし、カプサイシンすなわち真っ赤な色素というのは、どうも素人の勘違いらしい。なぜなら同じナス科トウガラシ属の食べ物で、色が真っ赤になるパプリカや赤ピーマンはちっとも辛くないものな。そうなんだよね。これらに共通する赤い色は、「カプサンチン」という別の色素成分によるものなのだ。このカプサンチンを主成分にした色素は、「パプリカ色素(トウガラシ色素)」と呼ばれ、お菓子や飲み物など種々の飲食物の着色に使われているらしい。赤いゼリーがちっとも辛くないのは、そのせいなんだな。黄身がやたらと赤い卵があるのも、ニワトリの餌にパプリカを与えているからで、ちなみにトウモロコシを多く与えれば黄色くなり、コメを与えれば白くなるのだという。へえ〜、知らなかった!

ということは、真っ赤な唐辛子はカプサイシンとカプサンチンという、まったく別の成分を併せ持つことになるわけだ。カプサイシンは前述したように辛味成分で、胃腸で吸収されると血液で脳に運ばれ、中枢神経を刺激してアドレナリンの分泌をうながす。それによりエネルギーの代謝を高め、脂肪を燃焼し、血行を良くするのだという。筆者のような脂肪のたまりやすい人間には、カプサイシンは涙が出るほどありがたい成分なんだな。ようし、今年の夏は筆者ももっと辛いものを食べて、念願のダイエットを成功させなければ…。といっても、あまり辛過ぎると舌が痺れるけどね。

もう一方のカプサンチンは赤い色素成分だが、こいつがスゴイのはただの着色料にとどまらないところ。なんと優れた抗酸化作用を持ち、悪玉コレステロールが酸化されるのを防ぎ、善玉コレステロールを上昇させる働きがあるのだとか。善玉コレステロールは、血管に溜まったコレステロールを掃除する作用があるので、老化や動脈硬化の予防に有効らしい。おまけに脳血管の病気や心臓病などの、生活習慣病の予防にも効果があるというから、こうなると今までカプサンチンを知らなかったことが、筆者は恥ずかしい。ああ、普段からもっと赤いものを食べときゃ良かったよ。

辛味成分のカプサイシンと色素成分のカプサンチンの、両方をそなえた唐辛子は、知れば知るほど健康に良いスーパーフードだったのだな。もともとこの唐辛子は南アメリカが原産地で、それをかの地から持ち帰り世界中に広めたのは、ご存知のコロンブスだと言われている。この人、他にもいろんなものを持ち帰っているなあ。で、めぐりめぐって16世紀の中頃に、ポルトガル人が日本に鉄砲を持ち込んだとき、この唐辛子も同時にやって来たという説がある。まあ、鉄砲の件は筆者も知っていたけど、唐辛子については諸説があり真相はどうも分からない。事実だとすればこの1543年は、鉄砲と唐辛子という日本人にとって重要な二つの物が、同時に伝来した記念すべき年ということになるが…。

ともあれ、筆者がプランターに蒔いた唐辛子の種は、まだ芽が出たばかり。これから夏の陽を浴びてスクスクと成長し、秋あたりには真っ赤な実をいっぱいにつけてくれれば嬉しいのだが。なんたってスーパーフードだからね。ただし筆者の唯一の気がかりは、あの芽が唐辛子ではなくツユクサのものだったらということ。まさか、そんなことはないとは思うんだけどねえ…。  


Posted by 桜乱坊  at 12:01Comments(0)食べ物など

2024年04月30日

「震電」を見て来た!



先日、筆者は雨にも負けず福岡県筑前町まで遠征し、当地にある大刀洗平和記念館を訪れた。目的は、そこで展示されている旧海軍の幻の試作機、「震電」をこの目で見ることだった。と言ってもこの飛行機、戦時中に作られたホンモノではなく、実物大に精巧に復元されたレプリカなんだけどね──。と、ここまで書けば、ははんあれか!とピンと来た人もいるだろう。そう、この震電は2023年に公開されて大ヒットした、映画『ゴジラ-1.0』の撮影用に作られたもので、主人公の敷島浩一を演じた神木隆之介くんが搭乗したアレなのだ。

しかし、実際にこの飛行機を目の当たりにすると、やはりそのデカさに驚かされる。なんたって筆者はそれまで、小さくスケールダウンしたプラモしか見たことがなかったのでね。実物は主翼の幅が11.114m、先端から後部までの全長が9.76mで、それ自体は零戦とさほど変わらない。ところが、とにかく前脚や主脚が異様なほど長く、ハシゴがないと操縦席に登れないほど機体が高い。つまり単座式戦闘機なのに、見上げるほどデカい飛行機というわけなのだ。

まあ、それもそのはずで、震電の特徴はエンジンとプロペラが機体のいちばん後部にあること。これはエンテ型と呼ばれる飛行機で、主翼を後ろに水平小翼を前に置いた独特の形をしているのだ。このため機首が上がる離陸のときは、ヘタをするとお尻のプロペラが地面を叩く恐れがある。そのために前脚や主脚が長くなったわけだが、それでも1945年6月の1号機の試験飛行のときは、機首を上げすぎてプロペラが地面に接触し、先っぽが曲がってしまったという。やっちまったなあ、大失敗~!

応急措置として主翼にある左右の垂直尾翼の下部に、小さな車輪(練習機「白菊」のもの)が付けられたらしいが、なるほどそういう訳だったのかと筆者も解説文を読んで納得した。というのもこいつのプラモを作った子供のとき、主翼の下にちゃんと一対の主脚があるのに、さらに垂直尾翼にも車輪が付いているのが、不思議で仕方がなかったのだ。というか、これってどう見ても不格好すぎる。筆者が当時作ったプラモは、この応急措置をした試作機を忠実に再現したため、そんな形になったのだろう。むろん量産型では、この車輪はつけない予定だったらしい。記念館に展示中のレプリカ機も、車輪はなくスッキリしている。

この試作機が実際に、福岡県の蓆田飛行場(戦後、米軍により板付空港に改称)で初飛行に成功したのは、1945年8月3日のこと。だがときすでに遅し、同月の15日に日本はポツダム宣言を受け入れ、連合軍に降伏して戦争は終わってしまった。残念ながら震電は実戦投入されないまま、〝幻の名機〟で終焉を迎えたというわけだ。九州人の筆者としては、「九州飛行機」が開発した震電にぜひ大空で大活躍して欲しかったが、山崎貴監督が『ゴジラ-1.0』でその夢を叶えてくれたのが、せめてもの慰めかもしれないな。ちなみに先日読んだネットニュースによれば、九州飛行機の後継会社「渡辺鉄工」は、現在も産業機械のメーカーとして健在らしい。

大刀洗平和記念館は、かつて陸軍の大刀洗飛行場があった場所にほど近く、旧軍の施設やその歴史、飛行機についての展示などが充実している。中でも目玉はこの震電のレプリカ機と、零戦三二型および九七式戦闘機の実物だろう。とにかく、航空機ファンには見逃せないミュージアムなのだ。また、ここから飛び立った特攻隊についての展示もあり、そこに列記された若者たちの名前や年齢を見るだけで、多くの日本人は胸を打たれるはずだ。涙もろい筆者など、こういうのに弱いんだよね。

館内では飛行機の撮影が許されていたので、筆者は当然スマホでバシャバシャ撮ってきた。で、さっそく『ゴジラ-1.0』を観たという神奈川県の友人に、その写真をLINEで送ったところ、すぐに写真付きで返信があった。なんとそこには彼が子供の頃に作ったという、埃だらけのプラモの震電が写っていたっけ。やっぱり男ってやつは、こういうものはなかなか捨てられないんだな。負けてはいられないので、すかさず筆者もうちにある震電のプラモの埃を払い、スマホで撮ってまた送り返したというわけ。いい年をした大人のプラモの見せっこだが、こういうのもたまには良いだろう。震電という〝幻の名機〟は、それだけ男子の夢をくすぐる魅力を持っているのだから。  


Posted by 桜乱坊  at 12:03Comments(1)本・映画・音楽など

2024年03月30日

春の野は食の宝庫?



世の中いよいよ春めいて来て、眠っていた生物が目を覚ます季節だ。寒さに縮こまっていた筆者も、なんだか心ズキズキワクワク、つい外に飛び出したくなるから不思議なのだ。やっぱり、日差しが伸び気温が暖かくなる春は、光り輝く〝生命の季節〟なのだろう。この変化にまず敏感に反応するのが草や木などの植物で、若芽・新芽がすでに至る所に顔を出している。これらは、見た目も美しいうえに食べても美味いので、むかしから人間たちの食用に供されて来た。

有名なのが百人一首にある光孝天皇の、「君がため 春の野に出でて 若菜摘む 我が衣手に 雪は降りつつ」という和歌。古代の貴人たちも春先の寒い中、野っ原に出て若菜なんか摘んでいたのかな。まあ、むかしは今みたいに野菜の種類も豊富ではなかったはず。野草や山菜の若い芽を摘んでは、せっせと食用にしていたのだろう。ただし、当時の料理法には天ぷらも炒め物もなかったから、汁に入れたりおひたしにしたりが主流だったのかも。と言っても、醤油も味の素もドレッシングもない時代、筆者にはあまり美味そうにも思えないのだが…。

そういえば筆者がこの春先、何度かおひたしにして食べたのが、川の土手に咲いたハマダイコンの花。こいつの蕾のままの茎を、散歩ついでにゴッソリ摘んでは持ち帰り、たっぷり出汁をかけて、ありがたく頂いたというわけだ。なんといってもこれ、土手一面が真っ白になるほど群生しており、そのままにしておくのは勿体ないのでね。ハマダイコンはダイコンが野生化したものと言われ、見た目は白いナノハナといった感じだろうか。なので、毒などの心配はない。味の方だが、ちょっぴり苦味があるものの非常に美味で、まさに春の味。おかげで筆者もしばし、古代の貴人の気分に浸ったというわけだ。

草の芽といえば、フキノトウも顔を出す頃だろうか。フキといえばあの長い茎を連想するが、茎と呼ばれる部分は実は「葉柄(ようへい)」といい、葉っぱと地下にある茎をつなぐものらしい。これは知らなかったね。この地下茎から、春になってニョキッと顔を出すのがフキの花の芽、つまりフキノトウなのだ。筆者は新鮮なフキの煮物や、キャラブキなどは好物なのだが、実をいうとフキノトウはまだ食したことがない。なぜなら、ちょっと苦味の強いイメージがあって、あまり食指が動かないのでね。しかも、買うとけっこう高いし…。むろん、誰かタダでくれる人がいれば、喜んで挑戦するつもりだが。

それより、驚くべきなのはフキノトウが近年、ガン治療の分野から注目されていることだ。斯界の研究グループの発表によれば、フキノトウに多く含まれるペタシンが、ガンの増殖と転移を強く抑制することを発見したという。しかもペタシンは、抗ガン効果が顕著なのにもかかわらず、副作用がないという超優等生。おまけにこのペタシン、人工的に大量合成できるため、新しい抗ガン・転移阻害薬の開発も期待されるのだという。まさに夢のような話じゃないか。フキノトウにそんな秘めた力があったとは、お釈迦さまでも知らなかったはず。人は見かけによらぬものだが、春の新芽の中には、他にもスーパーパワーを持ったものがあるのかもしれない。

しかしこうなると筆者は、やっぱりタラの芽の話をしたくなる。あれはだいぶ前に仕事で、山梨県の富士急ハイランドの近くに行ったときのこと、地元の店で夕食に食べたのがタラの芽の天ぷらだったのだ。とにかく、あれは美味かったね。しかも山国だけに、量のまあ多いこと。ビールのつまみとして頼んだのだが、いまでも思い出すほど強く印象に残っている。タラの芽は山菜にしてはアクも少なく、食べやすい食材なのだ。「山菜の王様」と呼ばれるのもむべなるかなで、さらには植物繊維はむろんのことビタミンB群、ビタミンC、カリウムなど、体に良さそうな栄養素も豊富。タラの木は棘だらけで近寄るのも危険なのに、芽の部分が優良食品というのが不思議といえば不思議だ。小林一茶の俳句に「たらの芽の とげだらけでも 喰はれけり」がある。

でもまあ、われわれの最も身近な草といえば、そこら中どこにでも生えているヨモギだろう。筆者はこのヨモギの入った草餅が好物なのだが、香りが良い上に食物繊維も豊富なので、日本人に一番人気の食べられる野草かも知れないね。フーテンの寅さんでお馴染み、葛飾柴又の帝釈天への参道には、名物の草餅を出す店が並んでいる。なにしろ、帝釈天(題経寺)のすぐ隣は江戸川の土手で、ヨモギがわんさか生えている。こうしたヨモギの新芽を摘んで蒸したあと、乾燥させると「よもぎ茶」の茶葉になるという。これにお湯を注げば、日本産ハーブティーの出来上がりだ。

筆者はこの「よもぎ茶」をまだ飲んだことがないが、YouTubeに作り方を紹介した動画があった。見れば意外に簡単そうなので、今度作って飲んでみようかと思っている。なんたって材料のヨモギは、そこら中で手に入るからね。このよもぎ茶には、免疫力向上や消化促進、アンチエイジングなど、さまざまな効能があるらしい。ホンマかいなという気もするが、もともとヨモギは万能薬として知られ、お灸で使うモグサの原料にもなる薬草だしな。信じる者は救われる。ほかにも探せば、春の野には体に良さそうな若芽・新芽が、ゴマンとあるのではなかろうか。  


Posted by 桜乱坊  at 11:54Comments(2)食べ物など

2024年02月29日

意外に面白い『光る君へ』



初回だけ、試しにちょっと覗いてみるつもりだった。どうせ女性向けの、愛だ恋だという退屈な王朝ドラマだと思っていた。それが知らないうちに2回目3回目となり、今日まで欠かさず毎週観ている。なんでだろ~なんでだろ~? 何の話かといえば、今年のNHKの大河ドラマ『光る君へ』のことだ。こんなはずではなかったが、しかし面白いものは仕方がない。そんなわけで筆者は日曜午後8時を、いまでは楽しみにしているのだ。

大河ドラマも近頃は当たり外れが大きく、下らないものは本当に下らない。昨年のなんちゃって戦国もの、『どうする家康』はまあヒドかった。筆者は初回だけ観たが、桶狭間の戦いで南蛮胴に黒マント姿の、織田信長がいきなり登場したのには呆れたね。一介の田舎武将だった当時の信長に、そんな格好させるなよ。なので2回目以降は、筆者も完全スルーさせて貰った。ドラマだからフィクションはあっても良いが、時代考証を無視したつくり方は視聴者もシラケる。韓国ドラマじゃあるまいし、考証部分だけはNHKのプライドにかけてしっかりやって欲しいね。

『光る君へ』が意外に面白いのは、これまで手付かずだった、平安時代が舞台というのもあるだろう。やはり初物に人は弱い。それに主人公は紫式部という、『源氏物語』の作者として誰もが名前を知る作家なのに、あんがいその実像は知られざる女性。おまけに彼女の周りに登場する人物が、藤原道長や清少納言、安倍晴明に赤染衛門などなど、歴史上の有名人ぞろい。まるで〝オールスター夢の競演〟といった趣きなのだ。そんな「名前だけは知っていた」殿上人や女流作家や歌人たちが、さまざまに絡み合いながら、生きた人間として描かれるのだから興味は尽きない。つまりそこには毎週、新しい発見があるというわけだ。

もっとも、舞台が平安時代ということは、遺された史料も少ないはず。なのでこのドラマは当然ながら、脚本家の想像力に依るところの大きい、フィクション性の強いストーリーになる。ドラマがいまのところ面白いのは、上は天皇から上級貴族に下級貴族、下は散楽の芸人に盗賊といった底辺の人間たちまで、登場人物が多彩なゆえだろう。そこには、宮中における貴族同士の権力闘争もあれば、階級が違う者同士のふれ合いや対立も描かれる。さらには熱い恋も生まれるというわけ。なので、ドラマは毎回ハラハラする展開で終わり、次週への期待を抱かせる。視聴者を飽きさせない、巧妙な仕掛けがしてある。作者の大石静氏は、さすがのストーリーテラーなのだ。

おまけに目を引くのが、登場する貴族や女性たちの衣装の美しさだろうか。ことに上級貴族の衣装はどれも色美しくゴージャスで、彼らの贅沢な生活ぶりを窺わせる。また、上流の女性たちの着る十二単は、どれも百人一首のかるたから抜け出したような艶やかさだ。このあたりは時代考証も間違いなさそうで、登場人物の身分の差を、衣装の違いによりうまく表現してある。やっぱり衣装が美しいと、観ている方もリッチな気分になれるんだよな。いつだったか、松山ケンイチが主演した『平清盛』では、出てくる人物がどれもこれもヨレヨレで薄汚く、ずいぶんと不評だったっけ。

ただし、この『光る君へ』にも難点がある。それは宮中の権力構造を描くパートが、分かりにくいということだ。なんたってそこに絡む上級貴族たちは、どれもこれも藤原氏の一族。つまり、みんな藤原姓を名乗っている。なので視聴者は、彼らの名前と顔を覚えるのにひと苦労だ。筆者のように頭が悪い人間は、誰が誰やらいまでもよく掴めない。しかも、同じ藤原どうしでも身分や利害関係により、敵と味方が複雑に入り混じっている。本当はそこが物語のキモなのだろうが、すべてを理解出来るまで少し時間がかかりそう。出来ればドラマの冒頭か末尾ででも、登場人物の相関関係を図入りで説明してくれると有難いんだけどね。

ところで、このドラマの主人公・紫式部役の吉高由里子、いまのところ悪くはない。「まひろ」という名前で出ているが、下級貴族の娘で屈折した心を持つ人物を、うまく演じているのではなかろうか。筆者はもともとこの女優を、あまり好きではなかった。人気はあったがそれほど美人でもなく、しかも目の表情にどこか底意地の悪さも感じていた。ところがその小さく妖しげな瞳が、このドラマでは活きている。常に何かを企むような目の動きが、頭が良くて芯の強そうな性格と、将来の女流作家への資質を窺わせるのだ。そこからはこの娘ただ者じゃない、という雰囲気がビンと伝わってくる。凡庸な女優なら、この感じはなかなか出せないだろうなあ。

おまけに演技は抑えめで、オーバーな表現をしないところも良い。喜びも悲しみもグッとこらえる表情は、この時代の下級貴族の娘の心情をよく表している。でも、どこかで何か爆発しそうな予感もするんだけどね。ともあれこの吉高由里子という女優、『光る君へ』が終わった頃には大化けしているかも知れないな。筆者もこのドラマが今後どうなるのか、楽しみに観て行くことにしたい。  


Posted by 桜乱坊  at 11:59Comments(0)本・映画・音楽など

2024年01月31日

月の輝く夜に



♪あれをご覧と指さす方に~~、か(古い歌で失礼!)。しかし「大利根月夜」の平手造酒じゃないけれど、筆者がこのごろ見上げる月はひときわ感慨深い。というのも、日本が打ち上げた月面探査機「SLIM」が、日本時間の1月20日午前0時20分に無事、月面への軟着陸を成し遂げたからだ。この成功は、世界で旧ソ連、アメリカ、中国、インドに続いて5番目の快挙だという。しかも今回のSLIMは、目標地点からわずか横に55mズレただけの、ピンポイント着陸だというからスゴイ。なんたってコイツは、自律的に着陸場所を探してランディングする、まるでロボットみたいなスグレモノなのだ。

もっとも、ネット中継にかじりついていた筆者も、その瞬間の映像を見たわけではない。着陸が本当に成功したかどうかは、直後に行われたJAXAの発表を待つしかなかった。で、そのときの会見で国中均所長は、口を〝へ〟の字に曲げて「ぎりぎり合格の60点」、というキビシイ採点を付けていた。というのも、SLIMが送信した電波はちゃんと受信したものの、搭載した太陽電池パネルが稼働しなかったからだ。JAXAとしては軟着陸には成功したが、ひょっとして裏返しになっちまったのでは、という不安があったのだろう。せっかくの太陽電池パネルも、下向きじゃ永遠に発電しないものな。

だが、1月25日に行われた記者会見ですべてが明らかになった。SLIMは裏返しではなく、上下が逆さまの頭から着地していたのだ。公表された写真にはデデーンと逆立ちした、何となくマンガっぽいSLIMの姿がクッキリと写っていた。まさに動かぬ証拠。どこからか「変だよな」とか「カワイイ」とか、いろんな声が聞こえて来る。それでも、よかったよかった。頭からであれお尻からであれ、SLIMは見事に軟着陸に成功していたのだ。しかも、どこの国もまだなし得ていなかった、狙った的へのピンポイント着陸で。これは世界に誇って良い、日本の技術力の勝利だろう。太陽電池パネルも下向きではなく横向き(西側)だったため、太陽光の向きが変わった結果、今はすでに発電を始めたという。とにかく、よかったよかった。

おまけにスゴイのが、SLIMが着陸直前に放出した2つの小型ロボットだ。これは「LEV-1」と「LEV-2」という超小型の月面探査車で、LEV-2は野球のボールと同じ大きさの球形から、月面で小型カメラ搭載の2輪車に〝変身〟し、移動しながら撮影した画像を、LEV-1の通信機で地球に送信するというもの。JAXAが25日に公開したSLIMの倒立写真は、このLEV-2のカメラが撮ったものだったのだ。で、面白いのがLEV-2の愛称。これを「SORA-Q(ソラQ)」と呼ぶらしい。ん、だがちょと待てよ。変形型のロボットにして、「SORA-Q」というネーミングだと…? この二つから何かピンと来た人は、なかなかカンがよろしい。

実はこのロボットの開発には、日本のあるおもちゃメーカーが関わっていたのだ。変形型のロボットから「トランスフォーマー」を、「SORA-Q」から「チョロQ」を連想すれば、答えはすぐに出てくる。そう、そのメーカーとは「タカラトミー」だ。SORA-Qは、JAXAが同社やソニーグループ、同志社大学と共同開発した、変形型月面ロボットなのだ。月面探査車の設計に、おもちゃメーカーが参画する──。いいねえ、この辺のフレキシブルな発想が日本らしくて。筆者はSORA-Qが車輪を回転させて、砂上を移動するイメージ動画をネットで見たが、何となくユーモラスで可愛くてついホッコリさせられた。さすがは日本! おもちゃメーカーにはぜひこれからも、独自のノウハウとアイデアで、日本の宇宙開発に貢献してほしいものだ。

それにしても、日本製探査機が月面に着陸する日が本当に来るとは、筆者には何だか夢のようだ。思えば子供の頃に見た東宝特撮映画『宇宙大戦争』で、調査隊を乗せた有人宇宙ロケット「スピップ号」が、遊星人ナタールが待ち受ける月面に強行着陸したのは、何年前のことだったかなあ。あの時代のSFは打上げロケットそのものが宇宙船であり、地球と月の間を往復するという発想だった。つまり、巨大なスペースシャトル。ロケットの中には10人乗りくらいの月面探査車も積んでいて、調査隊はそれに乗りナタールの基地を偵察に行くのだが、あのときのドキドキ感はハンパじゃなかったね。襲って来たナタールの円盤に熱線砲で応戦する場面では、もうそれこそ血湧き肉躍ったものだったが…。

あれから幾星霜、思えば遠くへ来たもんだ。2024年の辰年に日本が月面に送り込んだSLIMは、大きさが2.4×1.7×2.7mで重量が200kgほどの小型無人探査機だ。大型有人宇宙船のスピップ号とは比ぶべくもない。おまけに月面探査車のLEV-1は重さ2.1kg、もう一つのSORA-Qにいたっては重さ250gに過ぎない。まさに、おもちゃのようなもの。だが、大きければ良いってもんじゃあない。これら超小型の探査機には日本の最先端科学技術と、ものづくりに掛けた様々な人々のアイデアが、ギュギュッと凝縮されているのだ。つまりコンパクトで超優秀という、メードインジャパンの特長を体現しているのが、いま月面で探査活動をしているSLIMというわけ。そう思って夜中に月を眺めれば、またその輝きが美しく見えるというものだ。  


Posted by 桜乱坊  at 10:40Comments(0)身辺雑記

2023年12月30日

国民的ヒーローはどこへ行く



いや~スゴい、スゴすぎる! 何がスゴいと言って、ボクシングの井上尚弥の圧倒的強さだ。去る12月26日、東京・有明アリーナで行われたスーパーバンタム級の4団体王座統一戦で、対戦相手のマーロン・タパレスに10ラウンド1分2秒でKO勝ちした試合では、実力の違いをまざまざと見せつけてくれたね。なにしろ、井上がWBCとWBOの世界チャンピオンなら、タパレスもWBAとIBFの同級チャンピオン。まさにこのクラスの最強王者決定戦だ。それを井上は、ほぼ危なげなく一方的に相手を打ちのめしたのだから、世界中のボクシングファンも驚いたことだろう。

戦前は接戦を予想する向きもあったが、終わってみればタパレスの顔がデコボコだったのに対し、井上の顔はほとんど傷もなくキレイなまま。まあ、タパレスがガッチリガードを固めて守勢に回ったのと、サウスポースタイルで大きく前に広げた右脚と、オーソドックススタイルの井上の左脚が被る状態になり、互いに踏み込み難かったという要素もあるだろう。そんなこんなで試合は10ラウンドまで長引いたが、初回からスピードとパンチ力の差は明らかだった。最後のタパレスのダウンは、「もう降参です!」といった感じだったものなあ。

しかし、井上の戦績はすさまじい。ここまで26戦全勝で、うち23KO勝ちという恐ろしさ。デビューから獲得したタイトルは、WBC世界ライトフライ級王座を皮切りに、次は2階級上げてWBO世界スーパーフライ級王座、さらに1階級上げてバンタム級でWBA・WBC・IBF・WBOの4団体統一王座を手にすると、すべてを返上してスーパーバンタム級に転向。今年の7月には、WBC・WBO世界同級統一王者のスティーブン・フルトンに挑戦し、TKO勝ちで王座を奪ったばかりだった。そして今度は前述したように、タパレスを制してこのクラスで4団体統一なのだ。いやはや、これまで日本人の世界チャンピオンは数々あれど、これほど強かった男がこれまでいただろうか?

本来なら井上尚弥は国民的ヒーローとして、もっともっと名声が上がって然るべきだろう。ところが、残念なことにここ最近の彼の世界戦は、テレビの地上波では中継されなくなった。放映権料が高騰して、カネのないテレビ局は手が出せなくなったのだ。で、代わりに中継を引き受けるようになったのが、インターネットの有料配信サービスというわけ。この有料配信は海外では一般的だというが、いよいよ日本もスポーツのビッグマッチは、金を出して観るという時代になって来たようだ。そういえば昨年、カタールで開催されたサッカーW杯の全64試合を生中継したのも、動画配信サービスのABEMAだったっけ(ただし、このときはABEMAの英断で無料中継だったが)。

かくして井上尚弥の価値が高まり、ファイトマネーが上がれば上がるほど、放映権料は高騰し中継は有料配信独占となる。だがそうなれば、コア層のボクシングファンは別として、一般のライト層はテレビのニュースなどで、結果を知るだけとなってしまう。これは仕方のないことだが、ある意味では井上選手にとってもライト層にとっても、不幸なことかも知れないな。なにしろ両者の間には、近付きたくとも近付けない壁が出来てしまったのだから。本来、スーパーヒーローであるはずの井上尚弥の試合が、勝てば勝つほど国民からは遠ざかって行く…。これは大きなジレンマだよなあ。

井上選手は神奈川県座間市の出身で、つまり〝座間の英雄〟でもある。この座間市に住む筆者の友人は、パブリックビューイングが出来ないかと市長に聞いたけど、ダメだったらしい。まあ、そりゃそうだろうなあ。彼がLINEで慨嘆するには、「昭和だったら大変なヒーロー誕生なのに」であり、井上選手は「一度も試合を見てない地元のヒーロー」だとか。どうやらこのあたりが、一般人の素直な実感なのだろう。昭和っぽい意見かも知れないが、その気持ちはよく分かる。やっぱり戦後まもなくの力道山から、長島・王・大鵬にファイティング原田、ちょっと後のウルトラマンや千代の富士…。昭和の時代は次々と、テレビの中から国民的ヒーローが生まれていたのだ。なんたって子供から老人まで、庶民はみんなテレビにかじり付いていたからね。

現代の日本で国民的ヒーローといえば、真っ先に名前が挙がるのは大谷翔平だろう。とにかく、米メジャーリーグで投打に渡って大活躍。そのうえ今度はロサンゼルス・ドジャースに、10年で7億ドル(約1015億円)という破格の契約金での移籍だ。むろん、それだけでも驚異的なこと。だが、近年その名声が上がったのは、なにより自称公共放送のNHKの貢献が大きいはず。とにかくBSで毎試合のように放送し、地上波では朝から晩までニュースで大谷情報を流し続ける。その姿勢はまるで、MLBの日本代理店のようだ。で、そこに民放各局が便乗して、さらに大谷人気が加速するというわけ。やはり衰えたりと言えど、テレビの力はまだまだ偉大なのだな。

だが本来、大谷翔平よりさらにグローバルな知名度のある井上尚弥は、日本でも大谷と同格かそれ以上のヒーローになってもおかしくないはず。そうでないとすれば、その差を生み出しているのは、やはりテレビ放送とインターネット配信の、視聴者数の差なのだろう。これはヨーロッパで活躍する、サッカーの三笘薫や久保建英についても言えそうだ。彼らなど、日本のテレビではほとんど取り上げられないもんな。ああ、勿体ない。しかし、こうなると今後の国民的ヒーローとは、テレビが生み出すライト層向けと、ネットの有料配信が主な舞台のコア層向けとで、二分される時代が来るのかもしれないな。  


Posted by 桜乱坊  at 09:07Comments(0)スポーツ

2023年11月30日

映画で蘇った「震電」



話題の映画『ゴジラ-1.0』をさっそく観てきたが、いや~面白かったし感動した。なにしろ、戦争で何もかも失った焼け野原の日本を、ゴジラが襲うという設定のこの映画、いったいどんなストーリーになるのかと、観る前から筆者も興味津々だったのだ。映画はそんな期待に、みごとに応えてくれた。監督は『ALWAYS 三丁目の夕日』三部作や、『永遠の0』などで知られる山崎貴。この人、脚本・監督・VFXと一人で三役をやってしまう才人なのだが、今回もその輝く才能を思う存分に発揮してくれたね。

舞台は昭和22年の日本。戦争に敗れ国土は荒廃し、人々は金もなければ食うものもナシ、国を守る陸海軍さえ進駐軍により解体された、言わばナイナイづくしの惨状だ。そんな超ビンボー国を襲う凶暴なゴジラは、まさに理不尽の権化のような魔王なのだが、それでも男たちは国や家族を守らにゃならぬ。進駐軍は助けてくれぬ。さあ、どうする──というのがこの映画の骨子だろう。それはたとえれば、戦に負けて素っ裸にされた痩せ浪人が、女房子供のため屈強な大男の鎧武者と戦うようなもの。このシチュエーションだけで、観客はもうハラハラドキドキさせられるわけだ。

そこで山崎監督が用意したシナリオは、死に損なった旧帝国海軍の生き残りたちが、わずかな残存兵器で立ち向かうというものだった。これは秀逸なアイデアだと思ったが、まあ、筆者もこれ以上ストーリーをバラすのはやめておこう。まだ映画を観ていない人も、大勢いるだろうしね。ただし、ここではゴジラを仕留めるため重要な役割を課せられた、一機の飛行機についてちと語りたい。それが、戦争末期に日本海軍が開発した「震電」だ。なにしろ、この機体が最初にスクリーンに登場したとき、筆者は思わず心の中で「キターーー!」と叫んでいたのだ。

震電、この変な形の飛行機と最初に遭遇したのは、筆者がまだ小学生のときだった。じつはその頃ハマっていたのが、ニチモ(だったかな?)という会社が出していた、プラモの「世界傑作機シリーズ」。そこでは「隼」や「飛燕」「零戦」といった旧日本軍のをはじめ、ドイツやアメリカ、イギリスなど、第二次大戦で活躍した世界中の名機が続々と発売されており、筆者は親に小遣いをもらってはコツコツと買い揃えていた。というのもこのシリーズ、機体は小さかったが比較的安価で、子供でもわりと簡単に作れるタイプだったのだ。おかげで筆者も、いろんな飛行機の名前とデザインを覚えてしまったっけ。

そのシリーズにあるとき登場したのが、まったく異質な形をした飛行機だった。とにかくこれまで作った名機たちと比べても、そいつは飛び抜けてヘンテコなデザインだったのだ。なにしろ、機体の前と後ろが分からない。かろうじて操縦席の風防(キャノピー)の向きから、細くとがった方が前だと分かったが、そうすると主翼は機体の後方にあり、水平尾翼が操縦席の前に来ることになる。しかも、強力そうな6枚羽のプロペラはお尻の位置にあるのだ。「なんだ、これは〜?」と当時の筆者は思ったが、これこそ「九州飛行機」が開発した、局地戦闘機「震電」だったのだ。ヘンテコな形は、前翼型飛行機(エンテ型)と呼ばれる、革新的なデザインだったというわけ。

ずっと後になりその飛行機が、最大速度750km/h(零戦は500km/h)を目標とし、機首に30ミリ機関砲4門(零戦は20ミリ機関砲2門)を備えた、超ハイスペックな戦闘機だと知ったものの、筆者のような子供には、ただの珍妙な〝変わりダネ〟にしか見えなかったね。なにしろ、スマートな隼や飛燕、零戦などと並べて置くと、その不格好さが際立っていたのだ。まあ、「みにくいアヒルの子」のようなものかな。もっとも、せっせと作ったそれらのプラモも、筆者が中学生になる頃には、きれいサッパリ片付けられてしまったが…。

そんな筆者がふたたび震電と邂逅したのは、かつて住んでいた東京墨田区の路地裏の模型屋だったなあ。大人になってデザインの世界で飯を食っていた筆者は、ゴマンと並べられたプラモの箱の中から、大空をカッコよく飛行するヤツのイラストを発見し大感激。そう、この飛行機は着陸時は不格好だが、脚をたたんで飛んでいる姿は抜群にスタイリッシュだったのだ。で、懐かしさもありさっそく購入し、うちに帰って組み立ててみたら、これがやはりカッコいい。スケールも、むかし作ったものの倍以上はある。筆者はこのプラモの脚部をたたみ、天井からテグスで吊って仕事場に飾ることにした。筆者の前に数十年ぶりに帰って来た、空飛ぶ震電というわけだ。

そのときの箱に書いてあった震電の、英語表記は「Intercepter Fighter Shinden」。つまり、迎撃用の戦闘機ということ。震電は本土を空襲する米軍のB-29キラーとして開発された、帝国海軍の最後の切り札だったのだ。だが時すでに遅く、昭和20年6月に試作機が完成したものの8月には終戦を迎え、ついに実戦投入には間に合わなかった。ああ、ザンネーン! そこが〝幻の名機〟と言われる所以だが、もし間に合っていればどんな活躍をしたのか、気になる航空機ファンはいまも多いはずだ。

筆者が作ったプラモの震電はその後、筆者とともに九州に帰り、いまも部屋の片隅に飾られている。なんか、こいつとは離れ難いのだ。その震電が今回の新作ゴジラ映画で蘇り、国民の期待を背負って大空を舞うのだから、筆者的にはもう大感動というもの。とにかく、その躍動する姿がかっこいいのだ。この飛行機を、3DCGで復活させてくれた山崎監督には、何度でも感謝するしかないなあ。しかも聞くところによれば、映画撮影のため製作された震電の実物大模型が、福岡県の大刀洗平和記念館に現在、展示されているというではないか。これはもう、行くしかないだろう。いや、行きます。誰に止められようと、行かねばならんのだ!  


Posted by 桜乱坊  at 12:02Comments(0)本・映画・音楽など

2023年10月31日

私的ブームは「新撰組!」



いや~、すっかりハマってしまったなあ。まあ、ハマったといっても近所の池に落ちたのではなく、筆者が個人的に入れ込んでいるという意味だが。つまり、筆者はいま私的ブーム真っ最中というわけ。そのブームとは、ズバリ「新撰組」だ。といっても、政党の「れいわ新選組」などではない。幕末の京に血の雨を降らせた、正真正銘のあの新撰組だ。今ごろ何を言ってるんだ?と馬鹿にされそうだが、これまでそれほど興味のなかった新撰組が、筆者はこのところ面白くて仕方がない。

その私的ブームに火を点けたのは、YouTubeで東映が配信しているテレビドラマ『燃えよ剣』だ。このドラマは1970年、つまり今から53年前に東映が制作し、NET(現テレビ朝日)が毎週水曜日に放映していたもの。全26話のこの連続ドラマを今年になり、東映が第1話からYouTubeで順次配信してくれたおかげで、筆者は53年の時を超え、すっかりハマってしまったというわけだ。しかしこのドラマ、不覚にも知らなかったね。これまでテレビ・映画を問わず、新撰組のドラマを数々観てきたが、とにかくこのNET版がベストじゃなかろうか。

なんと言っても、主演の土方歳三を演じる栗塚旭が良い。クールで腕が立って、しかも多くを語らぬが内心は火のように燃えている──。そんなカッコいい男を、苦み走った二枚目の栗塚が見事に演じている。立ち居振る舞いも表情もまるで土方そのもので、まったく演技という感じがしないのだ。まさにハマリ役。筆者はこのドラマに触発され、司馬遼太郎の原作『燃えよ剣』も読んでいるが、そこに出てくる土方のイメージにピタリと重なる。岡田准一も上川隆也もいや役所広司だって、栗塚旭にはかなわない。思えばこれまで、この人の名前と顔しか知らなかった自分が、今更ながら恥ずかしいね。

レギュラーの脇役陣もまた、いずれも捨て難い。ただし、ズラリと名優が顔を揃えているわけではない。沖田総司役の島田順司や町医者役の左右田一平など、ほとんどが地味な中堅俳優といった人々で、原田左之助役の西田良や町人伝蔵役の小田部通麿などは、東映の悪役専門の俳優だ。だがいずれも、それぞれ独自の味を持つ実力派ばかり。昨今の人気タレントを寄せ集めたような、なんちゃって時代劇とは違い、ここではいぶし銀の演技力に裏打ちされた、本物の時代劇を見ることが出来るのだ。ある意味、時代劇職人の共演とでもいえそう。

だが、このドラマを名作たらしめているのは、やはり結束信二氏の脚本の力だろう。なにやら結束バンドと間違えそうな名前だが、このお方、全盛期の東映時代劇を支えた有名な脚本家らしい。全26話がそれぞれ一話完結ながら、全編を通して新撰組の結成から終焉までを、壮大な大河ドラマとして描いていく構成力は、並大抵のものではないはずだ。なにしろ毎回、涙あり笑いあり感動ありで飽きさせない。司馬遼太郎の原作ではアッサリ書いてあるエピソードも、この人の手にかかれば、たちまち濃厚な人間ドラマに生まれ変わる。しかも、話のどれもがウソくさくなく説得力がある。これは人間への深い洞察力に基づいた、結束氏の手練のワザなのだろう。

しかしそれにしても、新撰組はどうしてこうも日本人の心を惹き付けるのだろうか。むかしから映画でもテレビドラマでも、これほど繰り返し映像化されて来た時代劇は、他には赤穂浪士くらいしか見当たらない。筆者的にはどっちも好きだが、大きく違うのは赤穂浪士が主君の仇討ちというカタルシスで終わるのにくらべ、新撰組は悲劇的な結末を迎えるところだろう。まあ、赤穂浪士だって最後はみんな仲良く死ぬわけだが、それは大願成就した末の名誉の切腹。一方の新撰組は華々しい活躍の後、徐々に組織がバラバラとなり、最後の一人である土方歳三は、北の果てで壮烈な戦死を遂げる。

そう、新撰組の魅力は一世を風靡した剣客集団が、最後は花火のように散って行く、つまり〝滅びの美〟にあるのだ。考えてみれば、新撰組が京の都で会津藩預りの武闘組織として出発してから、箱館戦争で壊滅するまでわずか六年足らず。その間、「誠」の旗(なぜかカタールの国旗に似ているが)のもと一致結束し、京の治安維持のため鬼神のような活躍をする。つまり、倒幕派の浪士たちを斬って斬って斬りまくる。だがその栄光もつかの間、さすがの剣客集団も鳥羽伏見の戦いで倒幕軍の銃砲の前に惨敗し、以後は坂道を転げ落ちるように凋落して行く。ああ、はかないねえ…。

もとをただせば近藤勇も土方歳三も、武州・多摩郡の百姓の生まれだ。彼らが天然理心流の剣の修行を積み、やがては武士に憧れ江戸から京へと上がり、会津藩預りの新撰組として幕府のため、武士も顔負けの働きをするのだから、世の中は皮肉に出来ている。なにしろ長く続いた徳川の治世で、本物の武士はすっかり官僚・官吏化し、討幕軍の前には寝返る藩さえ続出するしまつ。そんな中、幕府にポイ捨てされようと最後まで戦い続けた新撰組は、ひときわ輝いて見えるのだろう。武士の世の掉尾を飾ったのが、百姓出身で剣一筋に生きた土方歳三だったところに、日本人は花火のような美しさを感じるというわけだ。

聞くところによれば、新撰組はアニメやゲームを通して外国人にも人気があるという。まあ、残された土方歳三の写真が、馬鹿にカッコいいというのもあるだろう。だが、映画『ラストサムライ』は、海外でも知られている。滅び行くものに殉じようとするサムライの魂は、きっと外国人の琴線にも触れるのかもしれないな。  


Posted by 桜乱坊  at 10:26Comments(1)本・映画・音楽など

2023年09月30日

ビンの中の小さな世界



筆者が子供の頃に「カバヤ文庫」というものがあった。これは岡山の菓子メーカーである、「カバヤ食品」が出していた本のシリーズで、カバヤキャラメルの箱の中にある券と引き換えに、一冊貰えるという仕組みだった。つまり、販売促進のための景品だ。本の内容は子供向けのマンガや小説などで、とにかく種類がやたらと多かったのを覚えている。むろん、わが家にもその何冊かがあり、筆者などは同じ本を繰り返し読んだりしたものだ。

このうち筆者の記憶に刻まれている一冊が、『ビンの中の小鬼』という小説。これは『宝島』で知られる、かのロバート・ルイス・スティーヴンソンの原作を、ダイジェスト化したものだったね。ビンの中に住む小鬼は、何でも願いごとを叶えてくれるが、持ち主が死ぬまでに買った金額よりも安く他人に売らないと、最後は地獄に落ちてしまうという、子供向けにしてはちょっと恐ろしいストーリーで、いや~最後はハラハラさせられたっけ。そのせいか、筆者にはこの話が今でも強く印象に残っているのだ。

そして、そのせいでもう一つ心に植え付けられたのが、ビンの中への興味というか空想というか…。とにかく何か小さなビンの中に、もう一つ別の生きものの世界があるということに、筆者は憧れのようなものを抱いてしまったのだ。いかにも田舎の純朴な少年らしい話じゃないか。で、さっそく筆者はケチャップなどの空きビンを見つけては、中でいろんな昆虫を飼い始めたというわけ。むろんビンの中は狭かったが、当時は今みたいなアクリル製の飼育ケースなど手に入らなかったし、何よりやっぱりビンでなければならなかったのだ。

筆者がまず始めたのは、アリを飼うことだったなあ。彼らがそこで生きて行くためには、ベースとなる土地が必要だった。そのため筆者は庭の土をスコップで掘り、ビンの底に10センチほどの厚さの土地を作った。そして、捕まえて来た数匹のクロオオアリという大型のアリを中に放つと、何日かするうちに、彼らはちゃんと土中にトンネルを掘って暮らし始めたのだ。このときは嬉しかったね。何しろ透明なガラスのビンだから、彼らの巣穴を真横から観察するのにはちょうど良い。筆者はエサの砂糖を与えたりして、土の中に作られた小さな世界にさまざまな想像を膨らませながら、毎日眺めては楽しんでいた。

このときの失敗は、金属製のビンの蓋にあけた穴が大き過ぎたことだった。中の酸素が欠乏しないようにと、筆者はカナヅチで釘を叩いて、蓋に通気用の穴をいくつか開けておいたのだ。それは子供ながらの知恵だったが、まさかその穴から全員が〝大脱走〟するとは、思いもしなかったね。ある日覗いてみて、中がもぬけの殻だと知ったときには、筆者もガックリしたものだ。クッソー! まあアリの体の大きさと穴の大きさを、事前に比較検討しなかったのがマズかったのだが…。

こうなると、もう少し大きな昆虫を飼いたくなるもの。筆者が次に選んだのは、秋の虫の定番・コオロギだった。こいつは原っぱなどに行けば、いくらでも素手で捕まえられたが、重要だったのはオスじゃなきゃダメということ。と言っても別にオスだけが好きという変な趣味ではなく、単にメスは鳴かないからというのがその理由だった。筆者は、コオロギの鳴く声を聴きたかったのだ。オスとメスの見分け方は簡単で、背中の羽に渦巻きのような複雑な模様があるのがオス、シンプルでスッキリなのがメス。オスはあの羽を擦り合わせて、涼しげな音を生み出すのだ。またメスのお尻から、長い産卵管が出ているのも分かりやすい目印だったね。

捕まえて来た数匹のコオロギをビンの中に入れた筆者は、お袋からキュウリやナスの切れっ端をもらっては、エサとして与えていた。彼らはよくエサを食べ、暗くなると部屋の片隅で賑やかな歌声を響かせてくれた。子供にとっては、ヤッター!と叫びたいところだ。と、ここまでは順調だったのだが、気がつけばいつの間にか何だか様子がおかしい。コオロギの数が減り、残り一匹だけになっている。いったい何があったんだ…? 原因は彼らの共食いだった。後になって知ったのだが、コオロギもタンパク質を必要とするらしく、キュウリやナスばかり与えていると、彼らは共食いを始めるらしい。夢野久作の小説ではないが、まさに〝ビン詰めの地獄〟。まあ、イリコなんかをときどき与えておけば良かったのだが、アホな少年はそんなことにまるで無知だったからなあ。

オニグモを飼い始めたのは、中学生になってからだった。これは明らかに『ファーブル昆虫記』の影響で、ファーブル先生はクモに愛情を込めて実に細かく観察していた。その薫陶を受けた筆者のお気に入りが、精悍なたたずまいのオニグモだったというわけ。脚が短く重戦車のようにズングリした殺し屋は、ビンの中でとても強くてカッコ良く、筆者はさまざまな他の昆虫をエサとして与えては、その食いっぷりを楽しんでいた。と言うと何だかまるで変態少年のようだが、つまりはオニグモ対昆虫の戦いのドラマを見たかったのだ。言わば〝ビンの中のリング〟みたいな感じかな。たとえばオニグモ対アシナガバチ、オニグモ対カマキリなんてね。格闘技ファンならこの気持ち、きっと分かって貰えると思うが…。

こうした少年時代のビンの世界への憧れは、いまやすっかり形を変え、筆者の心の中に生き続けている。と言っても、ビンはビンでも焼酎のビンだけどね。やっぱり現在の筆者が、焼酎のビンを見るとつい惹かれてしまうのは、その中に魅惑の世界を感じるからかも知れないな。酒屋の棚には、さまざまな美しいラベルの焼酎のビンが、ズラリと肩を並べている。筆者はそれらを眺めるだけで、何やら心が弾むのを感じるのだ。そこには何かが生きている。そう、じっと見ているとそのビンの中には、一匹の小鬼が潜んでいるような気がしてくるから不思議なのだ。もっとも、この小鬼は人間を天国へと案内してくれる良いヤツだが…。  


Posted by 桜乱坊  at 12:00Comments(0)身辺雑記

2023年08月31日

天真爛漫すぎる牧野富太郎



このところ筆者は久しぶりに、NHKの朝ドラを観ている。この前はたしか作曲家の古関裕而氏をモデルにした、2020年の『エール』だったから、今回は3年ぶりということになるなあ。あのときは夏に開催される東京オリンピックに向けて、1964年の前回大会の「オリンピックマーチ」を作曲した、古関氏にスポットライトが当たったのだ。もっとも、新型コロナのおかげで、主要キャストの志村けんが放送開始直前に亡くなるわ、感染拡大で撮影は中断するわ、おまけに当のオリンピックが翌年に延期されるわ、あれこれ災難続きだったのをよく覚えている。まあ、ドラマ自体はけっこう面白かったんだけど…。

今回の朝ドラは、筆者にとってそれ以来ということになる。で、この『らんまん』がまた意外に面白い。主人公は神木隆之介扮する槙野万太郎で、モデルとなったのは植物学者の牧野富太郎だ。牧野氏が高名な学者だということは筆者も知っていたが、その人物像や業績についてはこれまで知る機会がなかった。まあ、植物学などには興味もなかったし、せいぜいその道のエラい先生くらいの認識だったのでね。しかし、この朝ドラを観るようになってから、筆者は俄然この人に興味が湧いてきたというわけ。

むろんドラマは史実の完全コピーではなく、そこには様々な脚色もあるだろう。だが、個々のキャラクターの設定や細々としたエピソードは別として、主人公の生き方や物語の本筋は、牧野富太郎その人の人生が反映されているはずだ。そう思ってこのドラマを観ると、ずいぶん常人離れをした人物だったことが分かる。なにしろこの人、エリートではなく小学校を退学した後、独学で精進し植物学の世界に名を成したのだから恐れ入る。考えてみれば前述した古関裕而氏も、独学で高度な音楽技法を身に付けた人物。やっぱり天与の才能というものは、人間にとって最強の武器なんだな。

といっても牧野富太郎は、無一文のビンボー家庭に生まれたわけではない。実家は高知県佐川町の岸屋(ドラマでは峰屋)という造り酒屋で、言わば富太郎少年は裕福な商家の跡取り息子。なので、幼い頃から塾で読み書きはもちろん、漢学や洋学に英語も学んでいた。つまり、小学校の授業に飽き足らなくなって自主退学し、以後は独学の道に入ったということらしい。なんだかあの天才発明家、エジソンを思わせるような話だが、こうなると国語算数理科社会の万能型学校エリートよりも、独学でおのれの好きな道に打ち込む一芸型天才の方が、独自の世界を持っている分だけ強いのだな。

もっとも破天荒な道を歩く人は、それなりのダークな部分も抱えている。一旦は土佐で妻を持ちながら東京に出た富太郎は、彼女を離縁し別の女性(壽衛=ドラマでは寿恵子)と所帯を持ち、その間も実家から莫大な金銭的支援を受けていたのだ。ドラマはこの辺りを美しいラブストーリーに仕立てているが、はたから見れば身勝手なトンデモ野郎だったんだな。おかげで彼は好きな植物の研究に、一心不乱に打ち込めたというわけ。ただし、富太郎への支出が嵩んだ岸屋はついに経営が傾き、やがて別の酒造業者へと譲渡される運命に…。一人の天才を支えた陰には、実家の破産という悲劇があったのだ。ちなみに最終的に譲渡された先は、現在も続く司牡丹酒造という会社で、屋号は「黒金屋」。なんと、マンガ家・黒鉄ヒロシ氏の実家だというから驚いた。

しかし、『らんまん』でも描かれているように、牧野という人は東大の研究室に向かうときも、野山に植物採集に行くときも、決まってスーツに蝶ネクタイ姿というのが面白い。まあ研究室はいいとしても、野山で泥にまみれ草木の中に身を投じていれば、汚れはしないかとついこちらも心配になる。筆者だったら間違いなく、ヨレヨレの作業着を着るんだけどね。そこにはちゃんと理由があるようで、植物に対して敬意を払うという、この人なりの哲学があったようだ。いやはや変人というか、さすがは元は良いとこの坊ちゃんというか、この辺が常人の考えの及ばないところなのだろう。

そんな牧野富太郎のスゴい点は、研究室に閉じこもらず、積極的に各地に出向いて植物を採集し、生涯で40万点に及ぶ標本を作成したこと。他所から寄贈された植物もあったとは思うが、それにしても個人で40万点はオドロキだ。そうした中から新種を発見し、名前を付けて発表した数は1千を超えるという。さすがはわが国の植物学のパイオニア。これらの標本は氏の没後、東京都立大学に寄贈され、現在は「牧野標本館」に保管されているようだ。こうした学者としての業績と、無鉄砲とも思える純粋な生き方の、両方をあわせ持つのがこの人物の魅力なのかもしれないね。

だが、筆者のようなデザイン畑の人間から見て、なにより感心するのは、牧野自身が手がけた植物画の見事さだろうか。京都の筆職人の手になる絵筆で本人が描いたらしいが、とにかくその正確さや精緻さ、さらにはレイアウトの美しさと、どれをとっても完璧としか言いようがない。学者としての観察眼もさることながら、画家としての表現力や、グラフィックデザイナーとしてのセンスの良さには、筆者などただただ圧倒されるばかりだ。石版印刷で刷られたこれらの植物画はモノクロだが、彩色して額に収めれば、そのまま絵画として部屋に飾っても十分イケるはず。これらの植物画には、牧野富太郎という類い稀なる人物の、神髄が込められているような気がするなあ。  


Posted by 桜乱坊  at 12:04Comments(1)身辺雑記

2023年07月31日

車社会のSAGAアリーナ



佐賀市に今年の5月13日に開業したのが、「SAGAアリーナ」という巨大な多目的アリーナ。4階建で最大収容人員8400人というから、佐賀県にしては思い切ってつくったものだ。さっそくアイスショーや、バスケットボールの試合などが行われたようだが、娯楽施設の少ない佐賀に、ようやく待望のハコモノが登場したってわけだ。ちなみにアリーナとは基本的に、客席に周囲をぐるりとかこまれた室内競技場を言い、東京の日本武道館などが分かりやすい例だろう。

問題はSAGAアリーナへのアクセスだ。どうやらこの施設には駐車場がないらしい。つまり、ここへ試合やコンサートなどを観に行くには、人々は電車かバスを利用するか、または誰かに送迎してもらうか、そうした方法を選ばざるを得ないようだ(近所に住んでて、歩いて行ける人は別だが)。しかし、はたしてコテコテの車社会の佐賀で、駐車場なしでこの施設がやって行けるのかどうか、老婆心ながら筆者はちと心配になる。

なにしろ佐賀といえば、日本でも指折りの車社会と言えるだろう。近所のコンビニに行くのにも、馴染みのラーメン屋へ行くのにも、さらには居酒屋へ行くのにだって、とにかくまずクルマなのだ。ブラリと歩いて何かを食べに行ったり、コンサートを観に行ったりという習慣が、現在の佐賀県民にはまるでない。まあ、公共交通網が絶望的に貧弱なのだから、仕方がないといえば仕方がないんだけどね。だが、そのせいで通りを走る車はやたらと多いものの、商店街はシャッターのオンパレード、歩道を歩く人影はほとんど皆無という悲しい状況になっている。車は点と点を結ぶ便利な道具だが、街を育てたりはしてくれないのだ。

それもこれも、公共交通網を地道に構築して来なかったツケなのだろう。おかげで、佐賀市の中心市街地はずいぶんとサビしい。いや佐賀市内だけではなく、全県がまずクルマありきになっている。そんな車社会に首までドップリ浸かった佐賀県民が、はたして電車やバスを利用して、わざわざあのアリーナまで行くのだろうか? 筆者はどうもそこが想像できない。なにしろ、佐賀駅からアリーナまでは徒歩で20分ほどかかるが、ふだん歩く習慣のない人にはずいぶん遠く感じるはずだ。またバスという方法もあるものの、よほどシャトルバスを増発しない限り、大人数の客を捌ききれないのではなかろうか。

だが本来、駅やバス停などからイベント会場まで歩くのは、けっこう楽しいことなのだ。行きは開催される試合やコンサートへの期待に胸を膨らませ、帰りはその興奮を胸に抱えたまま、途中の飲食店で仲間と一杯やって盛り上がる。イベントを楽しむとはそういうことで、会場までの道中で飲んだり食べたりお喋りしたり、それらを含めて一つのレクリエーションなのだ。結果として、会場周辺の商店街にも需要が生まれ、街が活性化するというわけ。東京など大都市のイベントは、基本そういう仕組みになっている。

筆者も東京に住んでいた頃は、神宮球場や東京ドーム、はたまた新橋演舞場に国立劇場など、さまざまなスポーツや演芸の会場に足を運んだものだ。むろんそこへ行くには、近場の駅やバス停から歩くのが当たり前。ほとんどの観客は、みなそうやって会場入りをする。もっとも、この道中の雰囲気がまた捨てがたいのだ。コンサートを観に行く前に、蕎麦屋に立ち寄ってちょっと腹ごしらえしたり、ソワソワしながらマックを立ち食いしたり。また、野球やプロレスなどを観た帰りには、友人たちと居酒屋で祝勝会や反省会の乾杯をしたり…。同じような期待や興奮を共有する人間たちが、同じ空間に集まることによって、街には一種独特な活気が生まれていたものだ。これは、車社会では考えられないことだろう。

こうしたスタイルが佐賀にも根付くようになれば、SAGAアリーナやその周辺が、ひょっとすると活性化する可能性もある。おそらく佐賀県が施設に駐車場を設けなかったのも、そうした狙いがあったからだろう。もともと車社会になる前の佐賀市は、佐賀駅から中心的繁華街の松原あたりまで、人々は歩いて行ったものだ。なにしろ松原神社の周辺には、映画館や多くの飲食店が集まっていた。なので、そこへ遊びに行く人々の数も多く、途中の駅前通りにもずいぶんと活気があった。誰もが歩くことなど、苦にしてはいなかったのだ。それがいつの間に、どうしてこうなった…?

SAGAアリーナには、イベント会場としてぜひ成功してほしいが、そのためには佐賀県民も、何が何でもクルマという意識から脱け出す必要がありそうだ。つまりもう一度、足を使って街を歩くことの楽しさを思い出すこと。また周辺の商店街も、積極的な投資を求められるだろう。なんたって、佐賀駅からアリーナまでの通りは、飲食店も少ないしちと魅力にも乏しい。やはり華やかさが必要なのだ。だが、知恵と工夫でやれば出来るはず。少し時間が掛かるだろうが官民一体で、ハコモノを中心とした街起こしの理想形を、この佐賀でぜひ見せてほしいものだ。  


Posted by 桜乱坊  at 12:09Comments(1)イベント

2023年06月30日

美味いものはいつ食べる?



最近は日本のフルーツサンドが外国人の間でも人気のようだが、この前見たYouTubeの動画では、各国の女性がイチゴサンドを食べる様子を映していた。まあ、どこの国でも若い女性は、こういうフンワリした甘いものが好きなんだな。面白かったのはその食べ方の違いで、人によってイチゴを先に食べてしまうタイプと、最後の楽しみに取っておくタイプと、二つに分かれるのが興味深かったね。これは国籍に関係なく、その人の性格によるものなのだろう。

筆者はもちろん、美味いものは最後に食べるタイプ。イチゴサンドはちと遠慮するとしても、栗羊羹の栗や天ぷら蕎麦の海老天は最後まで残しておいて、フィナーレにガブリと頂くのが好きなのだ。その方がしばらく美味さの余韻を楽しめるし、また食べたいという次へのモチベーションにも繋がるというもの。ケチ臭い食べ方と言われようが、筆者は子供の頃からこれが好きなのだから仕様がない。だいいち、先に美味いものを食べてしまうと、あとに楽しみが残らないと思うんだけどね。

思うに、先に美味いものを食べてしまうタイプは、子供の頃に比較的恵まれた家庭で生まれ、ケチ臭いことを考えなくても、次々と美味いものが出て来る環境に育ったのかも知れないな。つまり、イチゴサンドのイチゴを先に食べたら、残ったパンの部分は無理に食べなくても良いという考え方だ。ケチケチしなくても、美味いものはいくらでも出て来るとなれば、子供の頃から気っ風のいい食べ方が自然と身に付くのだろう。これはこれで悪くはないと思うが、美味い部分だけを食い散らかすような食べ方をすると、世間から親のしつけを問われることになりそうだ。

反対に最後まで美味いものを取っておくタイプは、良くいえば計画的、悪くいえばケチで貧乏臭いとなるのだろう。筆者などはこれにピッタリだが、まあ金持ちじゃない家庭に育った以上、自然とそうなったのも仕方がない。もっとも美味いものが最後に待っているのだから、フィナーレに向けて気分は盛り上がるし、結果として食べ方も計画的で丁寧になる。むろん、食べ残しなどはトンデモナイ。もし美味いものを最後まで取っておいて、いよいよのとき満腹で食べ残したとしたら、世間からはアホと笑われるだろうな。筆者などはそうならないよう、食べ方には気をつけている。

ただし、美味いものを先にという食べ方は、弱肉強食の自然界では理にかなっているようだ。なにしろマゴマゴしていると、美味いものをいつ競争相手に奪われるか分からない。その前に自分の胃袋に入れてしまうのが、サバイバルの絶対条件なのだろう。例えば、草原の王者ライオンはシマウマなどを倒したとき、いちばん先に大人のオスやメスが食らうのは内臓の部分だ。そこは柔らかく、ビタミンなどの栄養が豊富と来ている。つまり、彼らにとってはいちばんのご馳走なのだ。そして残された筋肉などにかじり付くのが、子供のライオンという順番になっているらしい。生存競争は厳しいねえ。こうなると筆者のようなケチ臭いタイプは、どうやら自然界では生き残って行けなさそうだ。

ちなみに人間にとって、焼肉屋で最高のご馳走はロースやヒレといった柔らかな肉の部分で、モツと呼ばれる内臓はそれより下という格付けになっている。つまりわれわれは筋肉が大好きで、本当は栄養価の高い内臓を格下扱いしているわけ。ライオンが聞いたら目を剥いてうなりそうな話だが、美味いものの定義は動物によって違うということか。そういえば、モツの中でも腸のことを「ホルモン」と呼ぶが、一説ではこの語源は大阪弁の「ほるもん」だという。あちらでは捨てることを「放(ほ)る」と言うが、つまり肉屋では牛や豚の腸はもともと捨てるものだったことから、その名が付いたという説だ。これもやっぱり、ライオンが聞いたら目を剥く話だろうな。もっとも、安くて美味いホルモンは筆者も嫌いではない。

しかし、美味いものを最後に食べるには、それまで誰にも奪われないという、前提条件が必要になる。兄弟が多い子供ならまわりは敵だらけだし、自然界の動物もまた同じはず。なので人間だったら一人っ子、動物だったら敵の来ない場所を知ってる生き物が、断然有利となるだろう。なにしろ最後に食べようと取っておいた肉を、その直前に横取りされたらたまったものじゃあない。その点、ヒョウなどは捕らえた獲物を木の上まで引っ張り上げ、そこで悠々と食べるという習性を持っている。高い木の上なら、ライオンやハイエナの横取りを気にせず、じっくり食事が出来るわけだ。高みの見物をしながらの食事は、きっと極上の味がすることだろうな。その気持ち、筆者にはよく分かる。

もっとも、美味いものを最後まで取っておいても、食べてみたらガッカリということもよくある。当て外れという奴だが、この場合はショックも大きい。大事に取っておいた天ぷら蕎麦の海老天が、いざ食べてみたら衣ばかりで中身がショボかったときなど、誰もが人間不信に陥ることだろう。こんなことなら最初に食べて、ショックを和らげときゃ良かったと…。なので、美味いものを最初に食べるか、最後に食べるかの判断は、自己責任ということにしておこう。  


Posted by 桜乱坊  at 12:01Comments(1)食べ物など

2023年05月31日

ヒバリよ、高く上がれ!



佐賀県の麦の生産量は、全国でも指折りのようだ。田植えが始まる前の今の季節、麦の収穫期を迎えた佐賀平野は、一面の枯草色に染まっている。なので農道などを散歩すると、これ以上はないほどの、長閑な景色にめぐり合えるのだ。いいねえ、この美しい風景。まるでミレーの『落穂拾い』のような広々とした平野に、空ではひっきりなしにヒバリがさえずり…。筆者はこの季節の農道を歩くたびに、心が癒される思いがするのだ。

しかし、そんなヒバリの声を聞いてふと空を見上げても、なかなかその姿を発見するのは難しい。声はすれども姿は見えず、だ。スズメやツバメなら、そこらにいくらでも飛んでいるのに、ヒバリよお前はどこにいる…? そう思って探した人も、彼らの姿を見つけたときには、ちょっとビックリするはずだ。なぜならヒバリは、とんでもなく高い空をホバリングしながら、声だけは大きくさえずり続けているのだから。そりゃあ、見えないのも無理はない。ヒバリを漢字で書くと「雲雀」だが、まさに名前の通り雲に隠れるようにして飛んでいるのだ。

とにかくヒバリで驚くのは、長時間高い空にとどまり鳴き続けること。実際のヒバリはスズメより少し大きい程度の小鳥なのに、どこにこんなエネルギーがあるのかと思うほどだ。もっとも、ヒバリの声はカラスなどと違って、可憐で耳障りがいい。まるで、小娘がお喋りしているようにも聞こえる。筆者がむかし読んだ太宰治の小説『乞食学生』は、主人公の小説家が井の頭公園の玉川上水の土手で、ヒバリの声を聞きながら見た夢の話だった。読んだのはずいぶん前なので、細かいストーリーは覚えていないが、うららかな川の土手であの声をのんびり聞いていたら、誰だってつい眠くなるのかも知れないな。

ただし、ヒバリの声を「小娘がお喋りしているよう」と筆者は書いたが、調べてみたらとんだ間違いだったことに気がついた。これは「ヒバリの高鳴き」と呼ばれるもので、さえずっているのは実はオス。つまりあの懸命のさえずりは、春の繁殖期にオスが縄張りを主張し、メスにアピールをしている行動なのだとか。なるほど、そこらのカラオケ親父のような、ただの喉自慢じゃなかったんだな。長時間上空でさえずり続けることを「揚げ雲雀」というらしいが、オスはその後ゆっくり降りて来て、また舞い上がる行動を繰り返すのだという。そのうち、そのカッコ良さに惹かれたメスが飛んできて、カップルが成立するんだとか。このあたりはヒバリも人間も、なんだかよく似ている。

それにしても高高度爆撃機じゃあるまいし、ヒバリはどうしてああも高い空まで、舞い上がる必要があるのだろうか? もうちょっと低い方が舞い上がるにも楽だし、声も地上に届きやすいだろうに、無理しやがってと筆者などはつい思ってしまう。だが、当然そこにはヒバリなりの理由があるのだろう。そもそも草原に巣を作り、草原でヒッソリと暮らすヒバリは、春の繁殖期だけ賑やかな声楽家になる。だが、ホームの草原には高い木がないため、外敵から身を守るためには、彼らの手の届かぬ高い空で歌を歌わねばならない…。どうやらそういうことらしい。だとすれば「揚げ雲雀」は、弱者のサバイバル戦術とも言えそうだ。

そんなヒバリの声は古来、春の風物詩として日本人に愛されて来た。なにしろ暖かく晴れた日に、草の上であの可憐な声を聞いていると、誰だって人生が楽しくなる。太宰治の『乞食学生』も、若さへの憧れがにじむ明るい小説だった。もっとも、万葉集には大伴家持の「うらうらに 照れる春日に ひばり上がり 心悲しも ひとりし思へば」という歌もある。うららかに晴れた春の空で、ヒバリが楽しげに歌っているのに、ひとり物思いにふけるオレの心は、なんか悲しいぜという意味だが、これなどは映画の「対位法」のように、明と暗を対比させた高等テクニックなのだろう。ここでもヒバリは明るさの象徴なのだ。

日本以外の国でもヒバリは、声の美しい「春告げ鳥」として愛されているようだ。ヒバリは英語でスカイラーク(skylark)というが、この言葉には他に「陽気に遊ぶ」と言う意味もあるという。高い空で陽気に歌うヒバリのイメージは、洋の東西を問わず似たようなものらしい。なので日本の歌人・大伴家持のように、英国の詩人たちもヒバリをモチーフにした詩をいくつも残している。やっぱり感性豊かな言葉のアーティストにとって、あの歌声は創造力を刺激するものなんだな。ちなみに外食チェーンの「すかいらーく」の社名は、創業地が東京の「ひばりが丘団地」だったことによるのだとか。ま、ただの豆知識だが…。

だが、多くの日本人にとってヒバリの歌といえば、昭和のレジェンド「美空ひばり」を、忘れるわけにはいかないはず。なんといっても彼女は、戦後日本に舞い降りた不世出の天才歌手だ。8歳のときに初舞台を踏み、11歳から少女歌手「美空ひばり」として活動し、メジャーデビュー後は歌手のほかに女優としても大活躍、長く芸能界に君臨し続けた。この人の存在を抜きにして、昭和史を語ることなど不可能なのだ。それにしても、「ひばり」という芸名はまさに彼女にピッタリ。これは、8歳の初舞台で名乗った「美空和枝」(本名・加藤和枝)の「美空」から、インスピレーションを受けたものに違いない。なんたってうららかな春の空には、ヒバリの声こそ相応しいからね。この命名のセンスは勲章ものだと思うが、どうだろう…?  


Posted by 桜乱坊  at 11:59Comments(1)身辺雑記

2023年04月30日

蔦屋重三郎、待ってました!



聞くところによれば、NHKが2025年に放送する大河ドラマの概要が発表されたようだ。タイトルは『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺(つたじゅうえいがのゆめばなし)~』で、主人公は「蔦重」こと蔦屋重三郎だという。蔦重といえば18世紀後半の江戸で敏腕をふるった、出版プロデューサーとして知られている。筆者はこういう企画を待っていた。NHKの大河ドラマが、ようやく江戸文化にスポットを当ててくれるのなら、諸手を挙げて歓迎したいね。

なにしろ最近の大河ドラマは、織田信長や豊臣秀吉、徳川家康などが活躍する「戦国モノ」か、幕末から明治維新にかけての動乱を描いた「幕末モノ」の繰り返し。たぶん、ファンの多くは食傷気味だったはずで、筆者も今年の『どうする家康』は初回からパスしている。そりゃあ、毎度出てくる人物が被っているのだから、話がマンネリ気味になるのも当たり前だ。遅ればせながらそれに気づいたNHKは、2024年の大河ではついに「平安モノ」をやるらしい。

『光る君へ』と題されたこのドラマは、平安時代中期を舞台にした、あの紫式部が主人公の物語のようだ。まあ「平安モノ」も新味があって悪くはないと思うが、どうもこれは恋と嫉妬と陰謀が渦巻く、女性向け宮廷ドラマの匂いがするなあ。筆者はこの手のものが苦手で、実を言うと『源氏物語』もまだ読んだことがない。男も女も化粧をした平安貴族の世界は、想像しただけでも何となく居心地が悪いのだ。なので、たぶん間違いなく来年もパスすることになるだろうね。

そうなると、2年の空白期間をおいて登場する2025年の『蔦重』に、筆者の期待は高まるというものだ。なにしろ江戸の町人が主人公の大河ドラマなど、初めてではないだろうか。それだけでも画期的だが、何より嬉しいのは江戸の出版文化に光が当たること。とにかくこの18世紀後半は錦絵のほか、洒落本に狂歌本、黄表紙などといった大衆向けの娯楽本から、有名な杉田玄白らの『解体新書』といった学問書、実用書、文芸書のたぐいまで、実に多種多様な出版物が世に出た時代なのだ。そこには、きらめくようなタレントたちの存在があったはず。当時の江戸も現代の東京も、全国から集った才能が交差する場所にかわりはない。

蔦屋重三郎はその中で、鶴屋喜右衛門と並ぶ出版プロデューサーとして、大きな足跡を残した人物なのだ。もしもこの蔦重がいなかったら、喜多川歌麿や東洲斎写楽の浮世絵も世に出なかっただろうし、人気作家・山東京伝のベストセラーや、大田南畝による狂歌ブームも生まれなかったかもしれない。また彼は、後にビッグネームとなる、若き曲亭馬琴や十返舎一九、葛飾北斎などの面倒も見ている。さらには平賀源内とも交流があるなど、蔦重の周辺は驚くほど多士済々だ。まるで「江戸文化の宝石箱や~!」じゃないか。いや、その求心力には感心する。

しかし、この時代は面白い。江戸で出版ビジネスが大盛況だった頃、上方でも上田秋成が筆者の好きな名作『雨月物語』を書いているし、伊勢松阪ではあの本居宣長が活躍している。秋成と宣長はたびたび論争などもしているのだ。蔦重は松阪に宣長を訪ねたこともあるようなので、東西文化の交流もきっと盛んだったことだろう。かつては江戸時代といえば、身分差別の厳しい暗黒時代だったと、学校などでも教わった記憶があるが、実際は違ったはずだ。識字率が高く、自由なユーモア精神にあふれ、知的好奇心旺盛な庶民がいなければ、こうした出版文化の隆盛はあり得ないもんな。

ところで誰もが心配するのは、「戦国モノ」や「幕末モノ」のような合戦シーンがない大河が、はたして盛り上がるのかと言うことだろう。まあ、その心配は筆者にもよく分かる。なにしろ舞台は、平和が続く江戸時代の中期だ。しかも、登場するのは言わば市井の文化人たち。「赤穂事件」や「め組の喧嘩」のような、派手な乱闘場面もありそうにない。なので、話の筋としてはたぶん若い蔦重の成長物語に、彼を取り巻く多士済々の人間たちが複雑にからむ、群像劇みたいな感じになるんじゃなかろうか。後半はそこに、幕府の権力者・松平定信による弾圧が襲いかかる、というような…。おお、それだけで何となく面白そうじゃないの。

調べてみると、蔦重は吉原遊廓の生まれ。若いうちに貸本屋を開業し、24歳で『吉原細見』というガイドブックの編集者に就任した、つまり〝吉原情報〟のプロフェッショナル。そこから版元となって出版業界に乗り出し、以後は浮世絵に狂歌本に黄表紙にと、時代の先端をゆくヒット作を次々と生み出している。この男、きっと庶民のニーズを読む目に長けた、一流のプロデューサーであり文化人だったのだろう。だが残念なことに脚気により、47歳の若さで寛政9年(1797)に死亡。ビタミンB1を早くから摂っていればと惜しまれるが、まあ今となっては詮ないこと。2025年に蘇る蔦重の活躍を、筆者も今から楽しみに待ちたい。  


Posted by 桜乱坊  at 12:00Comments(1)身辺雑記

2023年03月31日

原点はG線上のアリア



音楽好きの人にはそれぞれ、自分の葬式で流してほしい曲があるはずだ。歌が好きな人なら、たとえばジョン・レノンの「イマジン」とか、秋川雅史の「千の風になって」とか、美空ひばりの「川の流れのように」などは、人気があるんじゃなかろうか。クラシックファンならフォーレの「レクイエム」や、ショパンの「別れの曲」なんかがきっと定番だろう。筆者だったら、リヒャルト・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」を所望したいところだが、「ふざけんな!」とあとで陰口を叩かれそうだ。

筆者の友人の一人は、バッハの「G線上のアリア」が希望なのだと言う。これも葬式にはぴったりの曲だが、あまりに美しく切なすぎて、想像するだけでなんだか悲しくなる。どうせならもっと明るい曲の方が、湿っぽくなくていいと思うんだけどね。だいいちバッハのバロック音楽は、本人のイメージにも合わないような気がするのだ。筆者ならこういうタイプには、プロコル・ハルムの「青い影」をオススメしたい。なぜならロックの名曲「青い影」は、「G線上のアリア」と曲のイメージがそっくりだからだ。

比べて聴けば誰でも気がつくはずだが、二つの曲はロックとクラシックという違いこそあれ、本当によく似ている。それもそのはずで、実は「青い影」は「G線上のアリア」を下敷きにして作られた曲なのだ。つまり、コード進行に大きな影響を受けている。これはパクリとかいうレベルではなく、原曲に触発されリスペクトしながら、ロックの世界に創出したオマージュと言うべきだろう。まあこれ、音楽の世界ではよくある手法なのだ。なので「青い影」を評価する人間はいても、クサす人間は誰もいない。しかし葬式でこの曲が流れたら、きっとカッコ良いだろうなあ。

ところで、この「青い影」に影響を受けた日本のロックといえば、すぐに思い浮かぶのがBOROの「大阪で生まれた女」だ。これは本人以外に萩原健一や桑田佳祐、五木ひろしなど、多くの歌手がカバーしている名曲だが、これまた比べて聴けば「青い影」に酷似している。これをパクリと言う人もいるが、「大阪で生まれた女」を名曲たらしめているのは、素晴らしい歌詞のお陰だろう。18番まである歌詞は、全体で一つの長大な叙事詩になっていて、若い男と女の出会いから別れまでを歌っている。この歌詞が曲とよく合っていて泣かせるのだ。曲が「青い影」にそっくりなのは、やはり同じコード進行のせいだろうが、そこを自家薬籠中の物にするのもミュージシャンの腕というもの。バッハだって文句は言わないと思うけどね。

「青い影」を下敷きにした曲では、ユーミンの「ひこうき雲」や「翳りゆく部屋」も有名だ。これも比べて聴いてみれば、誰だって「ああ、そうか!」と気づくはず。というか、もともと教会音楽が好きだった彼女に、大きな衝撃を与えた曲が「青い影」だったのだ。ユーミンは後年、プロコル・ハルムと共演することになるが、きっとそのときは感慨無量だったことだろう。「『青い影』を聴かなかったら、今の私はなかった」と彼女は言っている。数々の名作を生み出した彼女の曲作りの原点にプロコル・ハルムがあり、そのまた原点にはバッハの存在があったというわけだ。どうりで「翳りゆく部屋」は教会音楽っぽい。

「青い影」に影響を受けた曲といえば、チューリップの「青春の影」もその一つだと言われている。そもそも曲のタイトルからして、先輩へのリスペクトが窺われるもの。財津和夫が歌う冒頭のメロディを聴くだけで、「青い影」のオルガンのイントロを連想するのは、筆者だけではないはずだ。両者のコード進行はほぼ同じのようで、テンポやリズムなどもよく似ている。それによく聴くと、「青春の影」の伴奏にはオルガンも使われており、やはり教会音楽っぽさをどこかに漂わせているのだ。財津和夫の優しく甘い歌声が、神父様のありがたいお説教に聞こえるのは、そのせいかも知れないな。

しかし、日本のミュージシャンに多大な影響を与えた、プロコル・ハルムの「青い影」の原曲が、実はバッハの「G線上のアリア」だったというところに、筆者は音楽の面白さを感じる。たぶん、クラシックの名曲に源流を持つポピュラー音楽は、探せばゴマンと出て来るだろう。だが、それは決して悪いことではないはず。何しろどんな作曲者も、必ず先達の影響を受けている。すべての創作はマネしたり触発されたりから始まるわけで、まあ丸パクリは論外として、あとはそれをどう独自に発展させるかなのだ。音楽とは、無数の支流を生み出す巨大な一つの川と考えれば、原曲とオマージュの関係も理解しやすい。だとすれば、人が自分の葬式に流したい音楽も、もっと多様でいいんじゃなかろうか…。  


Posted by 桜乱坊  at 12:00Comments(1)本・映画・音楽など