2009年02月02日
「宮地亨展」を観て来た

先日、久しぶりに時間が出来たので、小城市立中林梧竹記念館で開催中の「宮地亨展」を観て来た。筆者にとってはそのむかし、怖い美術教師だった宮地先生とのウン十年ぶりの再会だ。休日だったが館内は人影も少なく、じっくり絵を鑑賞するにはちょうど良い雰囲気だ。しかし、いつ来てもここは静かな時間が流れているなあ。
いつもは梧竹さんの書が掛かっている展示場に入ると、ウォールケースの中には大小の油絵がズラリと並んでいる。ずいぶん印象が変わるもので、まるで普段とは別のミュージアムに来たようだ。貰った作品一覧表によると、全部で38点の作品が展示されているというが、こうして観るとなかなか壮観だな。

ウォールケースに顔を近づけ、ひとつひとつ丹念に絵を観て行く。大作の「神苑閑日」や「和」などから静物を描いた小品まで、モチーフや大きさは様々だが、大胆な構図と力強いタッチの作品がそこには並んでいた。どれもひどく男っぽい絵の具の塗り方だ。例えてみれば、うまく描くことよりとにかくそこにあるものの本質を掴み取ろう、とでもいうような──。鳩の群を描いた荒々しくも繊細な絵からは、まるでじっと対象を見つめる、作者の鬼気迫る視線さえ感じられる。なるほど、これが“精神のマチュエール(質感)”という奴か…。
思えば華奢な体躯だった宮地先生だが、だいたいこうした人ほど、男性的で力強さにあふれた作品を描くものなのだろう。そういえば東京に住む筆者の画家の友人の一人も、ふだんはナヨナヨしているが、描いたものを見るとまるで心中のストレスを発散するように、強烈で荒々しい自己主張に満ちているものなあ。芸術家の心の中は、分からないものだ。
ひとつ意外だったのは、色の使い方だ。筆者が高校で美術を習っていた頃の宮地先生の絵は、押し並べてダークグレー系の絵の具を使った、暗い色彩のものが多かったような気がする。例えば展示された「群鳩」の連作のような色だ。しかしここで観たその他の作品の多くは、筆者が驚くほど色彩に満ち満ちていた。これは、“へえ!”だったね。
原色ではないが、どこか憂愁を含んだような独特の色がどの作品にも使われており、それらはどれも美しかった。残念なのはそうした作品の多くが「年代未詳」で、宮地先生の絵がどの時代からどう変貌して行ったのかを辿れないことだ。画家の作風は年齢とともに徐々に変化して行くものだが、筆者が高校を卒業した後も先生は弛まず研鑽を積まれ、きっと新しい境地を拓かれたのだろう。その到達点が、晩年のヨーロッパでの成功だったというわけだな…。
(『精神のマチュエール・宮地亨展』2月8日まで)
美術部の1年間だけお世話になりました。
後は金子先生が赴任されましたから^^;
でも宮地先生は部活にはほとんどノータッチでしたね~^^
私が生徒の頃は、美術の授業を宮地先生に教わりました。
とても気難しく辛辣で、ときに面白い人でしたが、
今となってはこういう個性的な先生の方が、強く記憶に残ってますね。