2008年09月10日
小城で落語会
小城町の上町にある小柳酒造(TEL/0952-73-2003)さんから、今年も重陽の節句に開かれるイベントのお知らせが届いた。昨年は池田智鏡さんという尼さんの琵琶演奏だったが、今年は前年と同じ10月9日(午後6時半開演)に、二人の落語家による落語会を催すのだという。面白そうなので、筆者もぜひ出掛けてみたい。〈下のチラシをクリック!〉
ちなみに、重陽の節句は旧暦の9月9日のこと。別名を菊の節句ともいい、現在の暦に直すと10月の中旬頃にあたる。
小柳酒造さんは小城を代表する蔵元の一つで、敷地内にある古い酒蔵の広大なスペースを利用して、時おり種々のイベントを開いている。筆者も何度か中に入ったことがあるが、太い梁がむき出しになった古い蔵の中は不思議な独特の雰囲気があり、コンサートやこうした演芸の会場には意外に向いている。照明などをうまく使えば、普通のホールとは違う演出なんかも出来るんじゃないのかな。

昨年の琵琶の独演会ではギッシリ満員の聴衆に驚いたが、考えてみれば佐賀や小城などは、こうした生の芸能に触れる機会が極端に少ない。まあ、人口が少ないので仕方がないといえば仕方がないが、街なかに劇場や演芸場のない都市というのは、どこか華やかさがなく侘しい気がするなあ。それは、広大な駐車場を持つ佐賀市の文化会館などともちょっと違う、市井の人々の小さな息抜きとでも、文化的な触れ合いの場とでもいうのか…。小柳さんのイベントが活況を呈するのは、小城にもそうした場所を求める人たちが多いということなのだろう。
筆者が都内に住んでいた頃は、いろんな劇場などにも出掛けたものだが、都会の一番の魅力はやはりこうした芸能がいつでもふんだんに観られることだ。小さな所では浅草の木馬館やフランス座といったコテコテ大衆向けから、隅田川のそばに作られた唐十郎のテント劇場に新大久保のグローブ座、また渋谷のパルコ劇場にも何度か行ったっけ。新橋演舞場のスーパー歌舞伎などは毎年、ワクワクしながら新作を観に行ったりしたものだ。むろん種々のコンサートにも行った。
舞台というのは不思議なもので、生身の人間が演じているはずなのに、会場が暗くなりそこにポッと照明が当たると、たちまち異空間が目の前に現出する。きらびやかな衣装や舞台デザイン、音楽などの効果がさらに加わり、見る間に観客はそこに惹き込まれて行く。現実のようで現実ではないこの奇妙な感覚は、映画の虚像からは味わえないもの。人間臭い魅力に満ちあふれているのが特長なのだ。つまり、共同幻想の魔術とでもいうのか、そこがいい。
筆者の個人的な好みから言うと、やはりこぢんまりした空間の方が、演者の顔もよく見えるし落ち着く。良い席に当たった時は、相手の汗の滴りまでが分かる。ああ、人間が演じてるんだなというのが感じられ、演者に対する親しみや敬意が自然と湧いてくるのが、こぢんまりした空間の良い所だ。
そういう筆者だが、実は生の落語はまだ聞いたことがない。浅草演芸ホールの前は散歩でしょっちゅう通りながら、ついに一度も入ることがなかったのだ。いまにして思えば後悔先に立たずだが、どうもああいう観光客の多い所は苦手なのでね。そんなわけで“江戸の仇を長崎で”ではないが、来月の小柳酒造での寄席をいまから楽しみにしている。
ちなみに、重陽の節句は旧暦の9月9日のこと。別名を菊の節句ともいい、現在の暦に直すと10月の中旬頃にあたる。


昨年の琵琶の独演会ではギッシリ満員の聴衆に驚いたが、考えてみれば佐賀や小城などは、こうした生の芸能に触れる機会が極端に少ない。まあ、人口が少ないので仕方がないといえば仕方がないが、街なかに劇場や演芸場のない都市というのは、どこか華やかさがなく侘しい気がするなあ。それは、広大な駐車場を持つ佐賀市の文化会館などともちょっと違う、市井の人々の小さな息抜きとでも、文化的な触れ合いの場とでもいうのか…。小柳さんのイベントが活況を呈するのは、小城にもそうした場所を求める人たちが多いということなのだろう。
筆者が都内に住んでいた頃は、いろんな劇場などにも出掛けたものだが、都会の一番の魅力はやはりこうした芸能がいつでもふんだんに観られることだ。小さな所では浅草の木馬館やフランス座といったコテコテ大衆向けから、隅田川のそばに作られた唐十郎のテント劇場に新大久保のグローブ座、また渋谷のパルコ劇場にも何度か行ったっけ。新橋演舞場のスーパー歌舞伎などは毎年、ワクワクしながら新作を観に行ったりしたものだ。むろん種々のコンサートにも行った。
舞台というのは不思議なもので、生身の人間が演じているはずなのに、会場が暗くなりそこにポッと照明が当たると、たちまち異空間が目の前に現出する。きらびやかな衣装や舞台デザイン、音楽などの効果がさらに加わり、見る間に観客はそこに惹き込まれて行く。現実のようで現実ではないこの奇妙な感覚は、映画の虚像からは味わえないもの。人間臭い魅力に満ちあふれているのが特長なのだ。つまり、共同幻想の魔術とでもいうのか、そこがいい。
筆者の個人的な好みから言うと、やはりこぢんまりした空間の方が、演者の顔もよく見えるし落ち着く。良い席に当たった時は、相手の汗の滴りまでが分かる。ああ、人間が演じてるんだなというのが感じられ、演者に対する親しみや敬意が自然と湧いてくるのが、こぢんまりした空間の良い所だ。
そういう筆者だが、実は生の落語はまだ聞いたことがない。浅草演芸ホールの前は散歩でしょっちゅう通りながら、ついに一度も入ることがなかったのだ。いまにして思えば後悔先に立たずだが、どうもああいう観光客の多い所は苦手なのでね。そんなわけで“江戸の仇を長崎で”ではないが、来月の小柳酒造での寄席をいまから楽しみにしている。
最近はなかなか機会がないのですが、浅草や上野にもよく行ってました。
飛行機の中では聴くのは・・・もっぱら落語専門です^^
小城の落語は興味津々です。
来月20日からまた帰省するのですが・・・。
あと一日早かったら行けたのにものすごく残念です。(ノД`)ハァ
コメント有り難うございます。古い酒蔵の中は独特の雰囲気があり、一度この空気を味わうときっとファンになりますよ。
チーズさん
私も落語は好きなんですが、もっぱらテレビか古いテープのみ。やっぱり今でも円生師匠が一番です。
20日から帰省されるのですか、残念ですね!