2012年09月22日
グリコ創業者に学びたい

江崎グリコといえば、チョコレートやキャラメルなど、菓子メーカーとしては日本を代表する企業の一つだ。菓子だけではなく、カレールーなどの食品でもお馴染みで、日常のいたる所でグリコ製品をよく見掛ける。筆者も子供の頃はアーモンドグリコをよく食べたものだし、長じてデザインの仕事をするようになってからは、ポッキーを齧りながらというスタイルが身に付いてしまった。近ごろのお気に入りは、コロンのあのサクサクトロリとした食感かな。
そのグリコの創業者が佐賀県の出身者だということは、普通の佐賀県人なら知っているだろう。そう、その人の名は江崎利一。そんな縁があるせいか、本社を大阪に移した後もグリコは佐賀の地を大切にし、現在も佐賀市内の神野公園近くに九州グリコの大きな工場を置いている。つまりグリコは、佐賀県ときわめて縁の深い企業なのだ。
といっても、別に筆者はグリコの回し者ではないし、同社からポッキーの箱詰めを貰ったわけでもない。まあ早くいえば無関係。ただ今回、グリコについて書いてみたくなったのは、たまたま開いた同社のウェブサイト「江崎記念館」を見ていて、素直に感動したからなのだ。そのコンテンツの一つ「創業者江崎利一」は、マンガ仕立てによる同社創業のドラマ(ムービー)だが、すべての佐賀県人に一度は見て欲しいような良く出来た内容になっている。そこのところを、ちょっと紹介したくなったというわけだ。
http://www.glico.co.jp/kinenkan/richi/richi.htm
ドラマは6話で構成されている。1話目は明治15年に佐賀県神埼郡蓮池村で生まれた利一少年が、貧しさに負けず高等小学校を一番の成績で卒業し、商人を目指すまで。そのとき恩師から、自分が儲けるだけではなく商品を買った人にも得をさせよ、と諭されたことが後に活きることになる。2話目は成人した利一が大阪に出る話で、そこでヒントを得て葡萄酒の計り売りで成功するものの、なんとか佐賀の特産品で勝負できないかと思案する姿が描いてある。
3話目は、有明海の漁師が捨てていた牡蠣の煮汁を見た利一が、そこに含まれる豊富なグリコーゲンから、栄養のある菓子を作ろうと思い至るまでのお話。第4話はようやく完成したグリコーゲン入りのキャラメルを、四角形ではなくハート形にして商品化し、グリコーゲンからとった「グリコ」という名前で売り出すまで。あの特徴のあるマークや「一粒三百メートル」というキャッチコピーも、このとき生まれたのだ。
第5話では大阪に本社を移した利一が、老舗百貨店の三越に「グリコ」を納品するまでの苦労が描かれ、それが売れるようになると今度はおまけ付きのグリコを発案し、これがまたまた大ヒット。ついに東京進出を果たすというお話だ。そして最後の第6話では、アメリカ視察で出会ったアーモンドから、あの大ヒット商品のアーモンドグリコやアーモンドチョコレートを生み出すまでが描かれている。このときの彼のすごいところは、一口分のチョコレートにアーモンド一粒という形に拘ったこと。砕いたアーモンドをチョコに混ぜるのでは、普通の板チョコと変わらないというわけだ。なるほどなあ。
しかしこうしてドラマを見て来ると、そこには江崎利一という人物の創意工夫とともに、ビジネスを成功させるための多くのヒントが隠されている。それはたぶん現代にも通用する、とても普遍的なものなのだろう。例えば少年の彼が恩師に諭された、自分が儲けるだけではなく買った人にも得をさせよという教えは、現代でいう「顧客満足」に繋がるはずの考えだし、牡蠣の煮汁に含まれるグリコーゲンを利用した、“栄養のある菓子”というアイディアも、独創的かつ先進的で素晴らしい。
なにより感心するのは、商品のオリジナリティへの徹底的なこだわりだ。開発したグリコをハート形にしたのは、他社の四角いキャラメルとの違いを打ち出すためだし、アーモンドチョコレートに一粒ずつアーモンドを入れたのも、前述したとおりだ。おまけグリコのアイディアもそう。とにかく他人の真似はしない、他社とは違うものという商品の差別化戦略が、江崎グリコを今日の大企業にした要因なのだろう。
それに利一さんは発想もユニークだ。キャラメルではなく「グリコ」としたネーミングのセンスも、一等でゴールするランナーのマークも面白いし、誰が考えたかは知らないが「一粒三百メートル」や「一粒で二度おいしい」というキャッチコピーは、あの時代の中では群を抜いている。だいいち原点の、牡蠣の煮汁とキャラメルを結び付ける発想は、普通の人にはできないよね。
中でも筆者が評価したいのは、若き日に大阪に出たこの人が、なんとか佐賀の特産品で勝負できないかと考えたこと。大都会で徒手空拳から商売して成功するには、やはり自分のアイデンティティを見つめ直すことが必要だったのだろう。他人と同じことをしてもダメなのだ。そこから閃いたのが有明海の牡蠣の煮汁であり、それがグリコの誕生に繋がったわけだ。これらは現代の佐賀県人も、おおいに参考にすべき話じゃないのかな。