2011年04月06日

大地震そして4月

大地震そして4月

このところサボって来たブログの更新。何といっても東日本を襲った大震災のショックが大きかったし、その次は筆者自身が体調を崩しての入院などがあり、あっという間に3月が過ぎ去ってしまったというわけ。気が付けばもう桜満開の4月だものなあ。時の過ぎ行くのは早いものと、つくづく思い知らされる。

今回の震災だが、東北地方の被害の甚大さには、あらためて驚かされるばかりだ。なにしろ巨大津波で、大きな町ごと根こそぎ海にさらわれた地域もある。自然界の無限のパワーの前には、人間の力など無に等しいということだろうが、それにしても亡くなられた方々は本当にお気の毒だ。同じ地震列島に住む日本人なら、誰も人ごととは思えないだろう。

筆者には東北地方に知人はいないものの、これまでの人生の半分以上を過ごして来た関東地方には、多くの友人知己が住んでいる。なので地震直後に早速メールでお見舞いを送ったところ、多くの友人たちが返事を返してくれた。ふだん返事などよこさないタイプの知人からも、長いメールが届いたりした。誰もが動揺しているらしいのが、何となく分かった。

幸いなことにケガ人などは誰もいなかったが、被害は決して小さくはなかったようだ。いちばん被害を受けたのは、やはりマンションなどの高層ビルの住民らしい。東京都内や埼玉県、神奈川県などのマンションの高い階に住む友人たちは、口を揃えたように長い揺れが続き船酔い状態になったという。で建物自体は無事だったものの、本棚が倒れ食器棚が壊滅し、家の中が滅茶苦茶になったという話が圧倒的に多かったな。中には仏壇が飛び散ったという同業の先輩もいたけど、これはお気の毒…。

都下のマンションの6階に住む友人一家は、未体験の恐怖を覚えたといい、本震のあとに続く余震にも脅かされ、しばらく夜は服を着たまま寝たという。ビルの高い階ほど揺れは増幅するから、住んでる人はたまったものではないだろうが、それにしても関東地方の揺れも相当なものだったようだ。高層マンションは、やはり地震と火事にはちょっとリスキーだね。

あと外出先で地震に会い、帰宅難民になったという友人もいた。彼はたまたまそのときお台場にいたらしいのだが、帰宅の交通網が完全にマヒしたため、その日は近くの国際交流センターのホールで一夜をすごし、翌日の昼に隣県の自宅に戻れたという。ただし、当夜は備蓄されていた食料や水が提供され、避難者はみな秩序を守って行動し、雰囲気は大変良かったらしい。こういうのを聞くとどこかの国とは違い、日本はやはり素晴らしい文明国なんだなあと思わされる。

まあ佐賀に住んでると、むこうでの揺れがどれほどだったのかを想像するのはなかなか難しいが、中にはその瞬間に死を覚悟したという友人もいるから、きっと尋常ではなかったのだろう。今回の地震が、建物や交通インフラなどだけではなく、人間の心に大きな傷痕を残したのも間違いないはずだ。被害を免れたわれわれ西日本の住民は、まずはどうすれば彼らを励まし、元気づけられるかを考えるべきだろう。

そういえば先日、近くのドラッグストアに行ったところ、ミネラルウォーターのペットボトルが品薄になっていた。えっと思ったが、これはおそらく佐賀県民が自分のために買い溜めているのではなく、被害にあった地域に住む親戚や知人に送るため購入しているからなのだろう。そう思えば、この現象も理解が出来る。何といっても一つになって助け合うチームワークこそが、日本人の真骨頂なのだから。筆者もしばらくは、不要な水や乾電池などは買わないことにしようっと。



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Posted by 桜乱坊  at 12:46 │Comments(0)身辺雑記

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