2023年09月30日

ビンの中の小さな世界

ビンの中の小さな世界

筆者が子供の頃に「カバヤ文庫」というものがあった。これは岡山の菓子メーカーである、「カバヤ食品」が出していた本のシリーズで、カバヤキャラメルの箱の中にある券と引き換えに、一冊貰えるという仕組みだった。つまり、販売促進のための景品だ。本の内容は子供向けのマンガや小説などで、とにかく種類がやたらと多かったのを覚えている。むろん、わが家にもその何冊かがあり、筆者などは同じ本を繰り返し読んだりしたものだ。

このうち筆者の記憶に刻まれている一冊が、『ビンの中の小鬼』という小説。これは『宝島』で知られる、かのロバート・ルイス・スティーヴンソンの原作を、ダイジェスト化したものだったね。ビンの中に住む小鬼は、何でも願いごとを叶えてくれるが、持ち主が死ぬまでに買った金額よりも安く他人に売らないと、最後は地獄に落ちてしまうという、子供向けにしてはちょっと恐ろしいストーリーで、いや~最後はハラハラさせられたっけ。そのせいか、筆者にはこの話が今でも強く印象に残っているのだ。

そして、そのせいでもう一つ心に植え付けられたのが、ビンの中への興味というか空想というか…。とにかく何か小さなビンの中に、もう一つ別の生きものの世界があるということに、筆者は憧れのようなものを抱いてしまったのだ。いかにも田舎の純朴な少年らしい話じゃないか。で、さっそく筆者はケチャップなどの空きビンを見つけては、中でいろんな昆虫を飼い始めたというわけ。むろんビンの中は狭かったが、当時は今みたいなアクリル製の飼育ケースなど手に入らなかったし、何よりやっぱりビンでなければならなかったのだ。

筆者がまず始めたのは、アリを飼うことだったなあ。彼らがそこで生きて行くためには、ベースとなる土地が必要だった。そのため筆者は庭の土をスコップで掘り、ビンの底に10センチほどの厚さの土地を作った。そして、捕まえて来た数匹のクロオオアリという大型のアリを中に放つと、何日かするうちに、彼らはちゃんと土中にトンネルを掘って暮らし始めたのだ。このときは嬉しかったね。何しろ透明なガラスのビンだから、彼らの巣穴を真横から観察するのにはちょうど良い。筆者はエサの砂糖を与えたりして、土の中に作られた小さな世界にさまざまな想像を膨らませながら、毎日眺めては楽しんでいた。

このときの失敗は、金属製のビンの蓋にあけた穴が大き過ぎたことだった。中の酸素が欠乏しないようにと、筆者はカナヅチで釘を叩いて、蓋に通気用の穴をいくつか開けておいたのだ。それは子供ながらの知恵だったが、まさかその穴から全員が〝大脱走〟するとは、思いもしなかったね。ある日覗いてみて、中がもぬけの殻だと知ったときには、筆者もガックリしたものだ。クッソー! まあアリの体の大きさと穴の大きさを、事前に比較検討しなかったのがマズかったのだが…。

こうなると、もう少し大きな昆虫を飼いたくなるもの。筆者が次に選んだのは、秋の虫の定番・コオロギだった。こいつは原っぱなどに行けば、いくらでも素手で捕まえられたが、重要だったのはオスじゃなきゃダメということ。と言っても別にオスだけが好きという変な趣味ではなく、単にメスは鳴かないからというのがその理由だった。筆者は、コオロギの鳴く声を聴きたかったのだ。オスとメスの見分け方は簡単で、背中の羽に渦巻きのような複雑な模様があるのがオス、シンプルでスッキリなのがメス。オスはあの羽を擦り合わせて、涼しげな音を生み出すのだ。またメスのお尻から、長い産卵管が出ているのも分かりやすい目印だったね。

捕まえて来た数匹のコオロギをビンの中に入れた筆者は、お袋からキュウリやナスの切れっ端をもらっては、エサとして与えていた。彼らはよくエサを食べ、暗くなると部屋の片隅で賑やかな歌声を響かせてくれた。子供にとっては、ヤッター!と叫びたいところだ。と、ここまでは順調だったのだが、気がつけばいつの間にか何だか様子がおかしい。コオロギの数が減り、残り一匹だけになっている。いったい何があったんだ…? 原因は彼らの共食いだった。後になって知ったのだが、コオロギもタンパク質を必要とするらしく、キュウリやナスばかり与えていると、彼らは共食いを始めるらしい。夢野久作の小説ではないが、まさに〝ビン詰めの地獄〟。まあ、イリコなんかをときどき与えておけば良かったのだが、アホな少年はそんなことにまるで無知だったからなあ。

オニグモを飼い始めたのは、中学生になってからだった。これは明らかに『ファーブル昆虫記』の影響で、ファーブル先生はクモに愛情を込めて実に細かく観察していた。その薫陶を受けた筆者のお気に入りが、精悍なたたずまいのオニグモだったというわけ。脚が短く重戦車のようにズングリした殺し屋は、ビンの中でとても強くてカッコ良く、筆者はさまざまな他の昆虫をエサとして与えては、その食いっぷりを楽しんでいた。と言うと何だかまるで変態少年のようだが、つまりはオニグモ対昆虫の戦いのドラマを見たかったのだ。言わば〝ビンの中のリング〟みたいな感じかな。たとえばオニグモ対アシナガバチ、オニグモ対カマキリなんてね。格闘技ファンならこの気持ち、きっと分かって貰えると思うが…。

こうした少年時代のビンの世界への憧れは、いまやすっかり形を変え、筆者の心の中に生き続けている。と言っても、ビンはビンでも焼酎のビンだけどね。やっぱり現在の筆者が、焼酎のビンを見るとつい惹かれてしまうのは、その中に魅惑の世界を感じるからかも知れないな。酒屋の棚には、さまざまな美しいラベルの焼酎のビンが、ズラリと肩を並べている。筆者はそれらを眺めるだけで、何やら心が弾むのを感じるのだ。そこには何かが生きている。そう、じっと見ているとそのビンの中には、一匹の小鬼が潜んでいるような気がしてくるから不思議なのだ。もっとも、この小鬼は人間を天国へと案内してくれる良いヤツだが…。



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Posted by 桜乱坊  at 12:00 │Comments(0)身辺雑記

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