2009年08月23日
蓮は神秘の花

先日、東京に住む友人の画家から残暑見舞いのハガキが届いた。ハガキの裏面には自筆の蓮の花の絵が描いてあり、「府中の古代蓮です」という説明がついていた。ピンク色の大きな花弁がポッカリと開き、中央には小さなハチノスのような、薄緑色のめしべも顔をのぞかせている。蓮とは、なんとも優雅な形の花なのだ。
この府中市の古代蓮の別名は「大賀蓮」。そのむかし昭和26年、千葉県にある東京大学グランドの土中から発見された、約二千年前の蓮の種子を発芽させ立派に開花させた、植物学者・大賀一郎博士の名前から来ている。大賀博士の蓮はその後、各地に移植されたようで、府中市の古代蓮もどうやらその子孫らしいが、なんとまあ植物の生命力とは凄いものだと感心させられる。
ところで、筆者はときどきJRの唐津線に乗る。佐賀から始発のディーゼルカーは、久保田駅を過ぎると長崎本線と分岐して北に進路を変える。その久保田駅を出た列車が次の小城駅に至る間の車窓には、両側に佐賀平野の青い田んぼが一面に広がっているが、ところどころに水をたたえたクリークなども点在する。そしてこの季節のそんなクリークは、たいてい大きな蓮の葉で覆われているんだなあ。いかにも佐賀らしいといえば佐賀らしい、のどかな風景じゃないか。
筆者がハッとするのは、その青々とした蓮の葉の中に小さなピンク色をした、いくつかの花を発見するときだ。走り行く列車の窓から見える一瞬の花の色は、それが遠くにあるせいかとても美しく見える。できれば近くに寄ってじっくり見物したいし、写真にも撮りたいと思うのだが、走る列車からではそうも行かないのが残念なのだ。
蓮の花が美しいのは、その形や色の優雅さもさることながら、やはり沼や池といったとても清冽とは言いがたい泥水の中から、まるで奇跡のように神々しい花弁を出現させるからだろう。掃き溜めに降りた鶴とでもいうのか、とにかくそのミスマッチはとても神秘的だ。古代からヒンドゥー教や仏教で聖なる花と看做されるのも、何となく分かるような気がする。
さらに大賀蓮でも分かるように、種子には人知の及ばない不思議な生命力も宿っている。何といっても二千年だもの。弥生人が見ていた花の種なのだ。
そう考えると、蓮とはなんとも神秘さと優雅さを兼ね備えた、魅力的な植物なのに気付かされる。筆者の子供の頃には、蓮の葉にたまった露を集めて墨をすると、習字がうまくなるなどと言われたものだ。おまけに根っこのレンコンは、天ぷらにして食べると抜群にうまいし…。そうだ、そうなのだ。やっぱり筆者は一度、唐津線の車窓から見えるあの蓮の花を、じっくり観に行かねばならないのかも知れないなあ。