2018年11月30日

小三治とフレディ・マーキュリー



このところ暑くもなくさほど寒くもない、穏やかな初冬の日々が続いている。この時期の佐賀平野はどこものんびりした風情だが、こんな時期こそ退屈していては勿体ないというもの。人間、刺激がないと顔に締まりが無くなるので要注意だ。そこで筆者も脳の活性化のため、たまには人混みの中に出かけることにした。

その一つが、11月13日に佐賀市文化会館で行われた落語家、柳家小三治の独演会だった。なにしろあの小三治師匠だ。筆者はむかしからこの人の落語が好きで、テレビやラジオ、またCDなどでずいぶんいろんな噺を聞かせて貰った。飄々としたトボけた味としっかりした描写力に裏打ちされた名人芸は、これまで筆者をどれだけ笑わせ感動させて来たことか。まあ思えばこんな大師匠が、よく佐賀くんだりまで来てくれたものだ。

かねてからの筆者のお気に入りの落語家といえば、特別席には何といってもまず三遊亭圓生。このお方は別格だろう。で、その次に来るのが柳家小三治と古今亭志ん朝の両巨頭ということになる。とにかくこの二人は若い頃から、才能というものに恵まれたライバル同士だった。筆者の大事な引き出しの中にはいまも、市立図書館からCDを借りて来ては片っ端からダビングした、二人の落語のテープがドサッと入っている。その志ん朝師匠も残念ながら、病いのため若くして亡くなってしまったが…。

なので筆者にとって現在、唯一お目にかかれる生きたカリスマが小三治師匠だった。その師匠もいまでは78歳だとか。だが高座では、年齢をまるで感じさせないハリのある声や動作、人間国宝となっても少しも偉ぶらない庶民的な話しぶりなど、以前と変わらぬ姿を見せてくれた。いや、筆者も嬉しかったね。高座のトリは師匠の『青菜』だったが、もう満員の客席は爆笑また爆笑で大盛り上がり。師匠もさぞ満足だったんじゃなかろうか。やっぱり落語は面白い、と再認識した晩だった。

さて落語の次は映画というわけでつい先日、観に行ったのが現在上映中の『ボヘミアン・ラプソディ』。もちろん伝説のロックバンドであるクイーンと、ボーカルのフレディ・マーキュリーを描いた伝記映画だ。特に熱狂的ファンというわけではなかった筆者だが、それでもむかしはクイーンのCDを買って、仕事をしながらよく聴いたものだ。なにしろ彼らの曲はメロディアスでハーモニーが美しく、ノリが良かったからね。なによりフレディ・マーキュリーの歌唱力が素晴らしかった。

若い頃の筆者にとっては、クイーンはわけの分からないバンドだった。だが「キラー・クイーン」や「ボヘミアン・ラプソディ」などは、クラシック音楽ファンの筆者にも惹き付けられるものがあった。何というか音楽の構成が複雑で、内容がオペラのようなドラマを感じさせたのだ。そう、フレディの歌声は、他の歌手にはないドラマ性に満ちたものだったな。つまり見た目はド派手でキモいけど、音楽的にはヨーロッパの正統派の流れを汲むというか…。

そんなフレディがソロで歌って、筆者の印象に強く残っている曲が「ラヴ・キルズ」。これはジョルジオ・モロダーが、無声映画の名作『メトロポリス』に様々な音楽を入れて復活させたとき、その中の一曲として使われたものだ。フリッツ・ラングの幻想的なモノクロ映像と、フレディのダイナミックな歌唱が見事に融合し、この映画の中で白眉の場面を創り出していた。なので興奮した筆者はこの映画を見た帰り、すぐにサントラ盤のレコードを買っちまったのだった。ああ思い出すなあ。

映画はそんなフレディを中心に、クイーンの誕生から分裂そして復活までを、数々の名曲とともに描いていた。あの曲はこうやって生まれたのか、という場面も興味深かった。フレディ役を熱演したのはラミ・マレックという俳優だが、見た目やステージでの仕草などは実にソックリだったね。ただし本人に似せるため装着した作りものの前歯は、ちょっと出っ歯過ぎたんじゃないの? 筆者は、原口あきまさをつい連想してしまったが…。

意外だったのはフレディの出自についてで、肌が白いから気が付かなかったが、実はペルシャ系インド人だったのだな。どうりで、他のイギリス人のメンバーと顔が違うわけだ。映画はそんな彼の家族についても隠さず描いていた。ペルシャ系インド人といえば、筆者は高名な指揮者ズービン・メータを思い出すが、その意味ではこの二人、南アジアが生んだ音楽的才能を開花させた双璧ということになるのかな。

映画ではまた、フレディのバイセクシュアルな面も赤裸々に描いていたが、男同士のキスシーンなどは筆者的にちと気持ち悪かったね。ウィキペディアによれば、日本公演では新宿二丁目のゲイバー「九州男」に通っていたとあるが、ホンマかいな?という気もするなあ。だがそれらも含めての、フレディ・マーキュリーというカリスマなのだろう。スタッフに次々と裏切られ、クイーンのメンバーとも決裂し、エイズに感染した孤独なフレディが、それでもついに仲間と和解して、ライヴエイドの大観衆の前で「ウイ・アー・ザ・チャンピオン」を歌うラストシーンは、とても感動的だった。  


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2018年10月31日

役者には眼力が必要だ!



NHKの今年の大河ドラマ『西郷どん』も、いよいよ大詰めが近い。いろいろ批判もあったドラマだが、筆者的には途中でギブアップもせず、何とかここまで皆勤賞を続けて来た。明治6年の政変から西南戦争まで、いよいよこれから最終回に向けて、ドラマチックな展開が待っている。西郷にとり明治維新とはいったい何だったのか──? おかしな善悪二元論ではなく、ドラマはその辺の真相にスルドく迫って欲しいものだ。

主演の西郷隆盛役・鈴木亮平は、大男で懐の深い西郷になり切って好演し、評価を上げたのではなかろうか。やっぱり西郷役には巨体が必要なのだ。1990年の大河ドラマ『翔ぶが如く』では、同じ西郷役を西田敏行が演じたが、熱演にもかかわらず指摘されたのが、「タッパが足りない」ということだった。容貌や演技は立派に合格点なのに、身長の低い西田がいくら頑張っても表現出来なかったのが、西郷の“大きさ”だったというわけ。なにしろ実際の西郷どんは、身長180cm前後で体重は110kgほどもあったといわれている。

その点では鈴木亮平はタッパも演技力もあり、迫力は十分だ。しかもこの人、ロバート・デニーロなみに、役に合わせて痩せたり太ったりが得意技。今回も見たところ、晩年の西郷らしく体重を増やしているようで、さすがのプロ意識と筆者も評価したい。ただ一点、惜しいのが目の大きさだ。キヨッソーネの肖像画でお馴染みの西郷のイメージといえば、何よりギョロリとした大きな目が特長的。その点で鈴木亮平の目はやや小さく、優し過ぎるのが難点なのだな。やはり役者の最後の切り札は、目でモノを言わせる「眼力(メヂカラ)」ではなかろうか。

そもそも日本の誇る伝統演劇・歌舞伎にしてからが、見得を切るなどの目玉の演技は欠かせない。市川海老蔵の「にらみ」などは、あの大きな目無くしては語れないだろう。「にらみ」は成田屋に伝わる邪気払いの所作で、これを見ると観客は一年間風邪を引かないそうだが、小さい目だとありがた味も半減しそうだものな。目は口ほどにモノを言う。広い歌舞伎座の舞台では、後ろの方からも見えるような「眼力」が必要なのだ。

その歌舞伎の伝統を引き継いだのが日本の映画界だから、当然ながら「眼力」は絶対の武器になる。日本映画草創期の大スターといえば、「目玉の松ちゃん」の愛称で知られた尾上松之助だ。この人、旅回りの歌舞伎役者から映画の世界に飛び込んだ先駆者で、歌舞伎の見得そのままに大きな目玉をむいては、大衆の人気を博したらしい。むろん無声映画の時代だから、セリフで観客をうならせることは出来ない。身のこなしや表情、そして目の演技がなにより重要だったのだ。松ちゃんは、背が低くて顔がデカく目も大きいという、後の時代劇スターの一つの典型を作り上げた人だったのだろう。

こうした時代劇スターの典型を完成させたのが、東映の二枚看板だった片岡千恵蔵と市川右太衛門だった。とにかくこの二人、背が低くて顔がデカく目も大きいという肉体的条件に恵まれた、当時としては絶対のスターだったのだ。特に見ものだったのが、毎年のように作られた「忠臣蔵」もの。ある年は片方が大石内蔵助ならもう片方は立花右近、またある年は片方が千坂兵部で片方が大石内蔵助と、ライバル役を交互に演じては、その「眼力」で相手の腹を探り合う見せ場を作っている。この腹芸合戦に当時の観客はシビレたんだな。時代劇の名場面は、目の小さな役者では務まらないというわけ。

もっとも東映時代劇も、両御大の次の時代になると、あまり目玉をひん剥かなくなる。代わりに彼らがアピールしたのが「涼しい目」だ。中村錦之助、東千代之介、大川橋蔵といった当時の若手スターはみな、目張りをバッチリ入れた涼し気な目をしている。歌舞伎の見得のようなオーバーな演技が影を潜め、若い女性がキャアキャア言いそうな、色気のある爽やかな「眼力」に変わっているのだ。つまり、若衆風という感じ。いまで言えばこれ、時代劇のジャニタレ路線みたいなものだったのだろうか。

その後、映画が衰退するにつれ時代劇はテレビへと舞台を移して行くが、こうなるとさすがに目張りを入れた旅役者みたいなメイクは徐々に見なくなる。時代劇も歌舞伎の影響から脱し、リアルさを追及し始めたのだろう。それでも悪人どもをバッタバッタと斬り倒す場面で、相手をグッと睨みつける主人公の「眼力」は欠かせない。筆者はテレビ時代劇の「眼力」スターといえば、「越後製菓!」の高橋英樹を思い出す。いまじゃバラエティ番組の常連で石垣オタクのオジさんだが、この人は背が高くて顔がデカく目も大きいという、新しい時代劇スターの典型を作った人だと思う。

それにしてもやはり、目で演技が出来なければ務まらないのが、役者というキビシイ商売。カメラの技術が進歩すればするほど、様々な心の機微を目で表現するスキルが求められる。死んだ魚のような目や、ただギョロリと大きいだけの目ではダメなのだ。そこには、万人の心をシビレさせる美しさや凛々しさ、また魅力や神秘性などが重要となる。そうでなければアップには耐えられない。いやはやそんなことを考えると、終始目を閉じたままのスーパーヒーロー、「座頭市」を創出した勝新太郎は、やはり天才役者だったんだな。

さて現代ではテレビでも映画でも、時代劇はすっかり減ってしまった。そんな中で、次代を背負う「眼力」のあるスターはいるのだろうか? 筆者がその筆頭候補だと期待するのが岡田准一だ。ジャニーズ所属というのがちと気に入らないが、筆者はこの男の演技力を高く評価している。なにより鋭くてキリッとした目が格好良い。NHKの2014年の大河『軍師官兵衛』や、映画『永遠の0』『関ヶ原』などで見せた、「眼力」の利いた演技は実に素晴らしかった。やっぱり目が小さいとこうは行かない。やや小柄だが、俊敏性など身体能力がキレキレの岡田くんには、新しい時代劇スター像をぜひ作ってもらいたいね。  


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2018年09月29日

絶世の美女の運命は



少し前に、NHK総合テレビの『ファミリーヒストリー』という番組を、たまたま見る機会があった。そこではあのデヴィ夫人のルーツと足跡を取り上げていた。本当にたまたまだったので、筆者は番組の途中から見たわけだが、彼女のドラマティックな人生に、つい最後まで惹き込まれてしまった。この人、ただのハデ好きな怖いオバさんじゃなかったんだな。

この『ファミリーヒストリー』は、著名人の家族の歴史を番組スタッフが徹底取材し、“家族とは何か”を掘り下げて見せるドキュメンタリー番組だ。NHKのこの手の番組にしてはあまりイデオロギー臭も無く、わりと明るく安心して見られるところが良い。今回の放送では、根本七保子として生まれた日本の庶民の女性が、赤坂の高級クラブでホステスとして働くうち、インドネシアのスカルノ大統領に見初められ、その第3夫人デヴィ・スカルノになるという、波乱に富んだ人生を紹介していた。

だが、人生は良いことばかりじゃない。番組では彼女が大統領夫人となった後、軍事クーデターによるスカルノの失脚で、パリへの亡命を余儀なくされるなど、大変な苦難に直面した後半生も描いていた。もっとも、パリでは社交界で「東洋の真珠」と呼ばれ、華々しい存在でもあったらしいけど…。現在ではタレント・デヴィ夫人として、テレビで見掛けない日のない有名人だが、考えてみれば日本人の女性で、これほど数奇な運命をたどった人も珍しい。まるでジェットコースターのような人生じゃないか。

しかし、いったいどうしてこうなった──? 答えは一つ、彼女が絶世の美女だったから。とにかくこの人の若い頃の写真を見ると、そのあまりの美貌に驚かされる。純粋の日本人なのに陰翳の深いエキゾチックな顔立ちで、この美しさならスカルノだろうがプーチンだろうが、男だったら誰でも一目で心を奪われるはず。むろん筆者も納得だ。しかも美貌に加え、赤坂の高級クラブで身につけたスマートな話術や、磨き上げた語学力など、頭の方も大変に良かった。彼女はたぶん数十年に一人という、日本の神様に選ばれた女性だったのだろう。これでは男が放っとかない。まあ、むかしからこうした絶世の美女というのは、数奇な運命をたどるように出来ているのだな。

数奇な運命をたどった絶世の美女といえば、筆者はもう一人の大物を思い出した。しかも、この人は佐賀県にゆかりがある。その女性の名前は李香蘭こと、女優の山口淑子だ。ジェットコースターのような人生という点では、デヴィ夫人に勝るとも劣らないし、数十年に一人の美貌という点でも人後に落ちない。何といっても彼女の場合、映画女優として一世を風靡しただけでなく、人生そのものがまるで映画のように起伏に富んでいる。

山口淑子は、日本人の両親により中国の奉天で生まれた女性だが、父親が佐賀県の人だったため、本籍地は佐賀県杵島郡北方町になっている。なので幼い頃から、日本語と中国語のバイリンガルだった上に、本名の他に李香蘭という中国名も持っていた。しかも天性の美貌に加え、イタリア人のオペラ歌手から声楽も習っていたというから、これはもう芸能界に入ることを宿命づけらた人だったんだな。やっぱり数奇な運命をたどる美女は、そこらへんのお姉ちゃんとは生まれも育ちも違うということだ。

彼女が映画女優としてデビューしたのは、当時の満州にあった満州映画のスクリーン。流暢な日本語と中国語を操り、天女のような美声で歌う中国人スター・李香蘭は、たちまち日本と中国で大人気となった。中国人は誰もが、彼女を日本人だとは疑わなかった。なにしろ名前が李香蘭だし、中国語のネイティブスピーカーだから無理もない。だがこれが仇となり、日本が敗戦すると中華民国政府により、中国人のくせに日本に協力した売国奴として、軍事裁判にかけられることになる。まあ、ギリギリで日本人だと証明が出来て、彼女はめでたく(?)国外追放という形で日本に帰国出来たのだが、まさに危機一髪という展開だったのだろう。

その後、日本でも女優として活躍した山口淑子は、やがてテレビのワイドショーの司会を経て、晩年は参議院議員へと転身している。あらためて振り返ると、これほど波瀾万丈で、ドラマのような人生を送った日本女性も珍しい。だがそれもこれも、やっぱりこの人が絶世の美女だったから。筆者はかつてYouTubeで、彼女の主演映画『支那の夜』と『醜聞(スキャンダル)』を観たことがあるが、若き日の謎めいた美貌や歌声の美しさは、やはり神様に選ばれた女性だと言うしかない。彼女がフツーの顔だったら、人生も大きく変わっていたはずだ。

考えてみると、「世界三大美女」と呼ばれるうちの二人、クレオパトラも楊貴妃も非業の最期をとげている。「鼻がもう少し低かったら歴史は変わっていた」と言われたほどの美女クレオパトラは、毒蛇に胸を噛ませて自殺したし、「傾国の美女」と呼ばれた玄宗皇帝の愛人・楊貴妃も、首を吊らされ悲惨な死を迎えている。どちらもドラマティックな人生だが、これも神様に選ばれた女の持つ運命なのか…。しかしいくら美女に生まれても、誰だってこんな死に方はしたくないよな。

三大美女のもう一人は小野小町だが、これは日本だけのランクインだろう。むろん、この人がどれくらいの美女だったのか、いまとなっては知る由もない。もっとも、千年以上経ってもその名を残すところは大したものだ。虎は死んでも皮を残すにちなんで、美女は死んでも名を残すというところだろうか。歌人として名高いが、「花の色は 移りにけりな いたづらに 我が身世にふる ながめせし間に」という歌のように、晩年は色褪せた花のような寂しい人生を送ったとも言われている。絶世の美女の散りぎわも、いろいろと難しいようだ。世間の美女がどんな終り方を望むのか、筆者は一度インタビューしてみたい。  


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2018年08月31日

子供には読ませられん!



子供のとき読んだ童話や絵本、マンガなどの中には、大人向けの原作を書き直したものも多い。なんたって読むのは無垢な子供たちだ。そこでは入り組んだストーリーは単純化され、刺激の強い描写はNGとなり、悲しい話もハッピーエンドに変えられる。なので、すっかり子供向けの物語かと思っていたらさにあらず、大人になって原作を読んで、ビックリ仰天といった人も少なくないだろう。

あの『ガリバー旅行記』などは子供の絵本の定番だが、筆者が大人になって読んだジョナサン・スウィフトの原作は、とんでもなく辛口の風刺小説だった。しかもそこには「小人国」のみならず、「巨人国」や空飛ぶ島「ラピュータ」や「馬の国」などがあり、なんと「日本」まで登場するのだから驚いた。ジブリの名作『天空の城ラピュタ』の原案も、ここにあったってわけだな。

わが国の旅行記なら、江戸時代の東海道が舞台という『東海道中膝栗毛』も、弥次さん喜多さんで知られる子供の好きな物語だ。これは、いい年をした弥次郎兵衛と喜多八の男二人組が、江戸を出発してお伊勢詣りに行く道中記だが、なにしろ行く先々で巻き起こすトンマな失敗が面白い。子供向けの名作古典として、いまも学校の図書館などでは人気が高そうだ。筆者も小学生の頃、借りて読んだ記憶があるんだなあ。

ところがこの『東海道中膝栗毛』、十返舎一九の原作を大人になって読むと、たいていの人は腰を抜かすに違いない。とにかく、この弥次喜多の二人はスケベの権化みたいな人物で、どこへ行っても女に手を出しては騒ぎを起こす。おまけに下品で間抜けでやることがセコい。とても子供に胸を張れるようなキャラクターではない。学校の先生なら、目を覆いたくもなるだろう。ちょい悪オヤジどころか、かなりの不良オヤジと言えそうな二人なのだ。

しかもこの二人の関係は、元をただせば弥次郎兵衛が旦那で、喜多八はお相手の若衆役者だったという間柄。つまり弥次さん喜多さんは、むかし男色の関係にあったというわけ。それが年を食ってお互いにオヤジになり、今度は女の後を追うのだから呆れたものだ。早い話がバイセクシュアルという奴だが、そんな猥雑なユーモアこそがこの本の持ち味なんだろうね。それにしても、こんな本がベストセラーになった江戸時代の開放的な町人文化に、筆者は敬意を表したい。

昨今はLGBTへの社会の対応について議論が喧しいが、どうも江戸時代の日本は、性に対しては大らかだったようだ。筆者はその道にまるで詳しくないが、当時は吉原みたいな遊女屋もあれば、陰間茶屋という男娼のいる茶屋もあったらしい。陰間とは男性客相手の美少年だったというが、ときには女性客の相手もしたというから、なんだか忙しい話だ。この陰間が年を食うともう男の客がつかなくなり、あとはただのオヤジになって女性を追いかけるしかない。花の命は短いもので、その一人が喜多八だったというわけ。ああ、なるほどねえ。

しかし、考えてみれば佐賀県人必読の書『葉隠』にも、衆道を奨めるくだりがあるから他人事ではない。衆道とはつまり武士どうしの男色のことで、この書物の口述者・山本常朝は、「常住死身」というストイックな武士の生き方を説く一方で、「忍ぶ恋」という男どうしの恋も奨めている。そんなこと出来るかよ!と憤慨したいところだが、常朝先生はマジメに「恋の至極」について解説しているのだ。

『葉隠』の中には、「恋死なん 後の煙にそれと知れ つひにもらさぬ 中の思ひは」という歌が出て来る。これは死んで煙になるまで、心の中の思いは漏らすべからず、ということだ。どうやら「忍ぶ恋」とは、男と男の究極のプラトニック・ラブを言うらしい。いやはや、すごいねえ。それにしても、当時の佐賀藩の武士たちは、本当に男どうしで恋をしていたのだろうか? どうやら、忍ぶ恋は主君への隠れた忠誠心に通底する、と常朝先生は考えていたようだが、筆者はどうもマユにツバを付けたくなるんだよなあ。

そういえば上田秋成の『雨月物語』も、よく子供向けに抄訳されたりする江戸時代の古典だ。筆者の好きな短編小説集でもあるが、中でも『菊花の約(ちぎり)』は特に有名な一編だろう。これは、病いに臥せっていた旅の武士・宗右衛門と、それを看病して助けた左門の物語。仲良くなった二人は義兄弟の契りを結んだものの、再会を約して故郷に帰った宗右衛門は囚われの身となり、菊の節句の日に約束を果たすべく、幽霊となって左門のもとに帰って来るというストーリーだ。

美しい話だが、しかしよく考えるとこの男と男の再会もどこか怪しい。いそいそと迎えの宴の準備をする左門と、命を捨てて会いに行く宗右衛門は、まるで恋人どうしのランデブーのようにも見える。「行けなくなった、ゴメン」と手紙で済ませば良さそうなものだが、そこは男と男、武士と武士の固い約束があったのだろう。筆者などはそこに「信義」というより、「愛」の存在を感じてしまうのだ。また、小説としてもその方が面白いと思うのだが、どうだろう…。もっとも子供向けの本にするときは、御法度だろうけどね。  


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2017年11月25日

ビデオテープは劣化する



このところけっこう映画を観る機会が多い。先日は公開中の映画『ブレードランナー2049』を観て来たが、何というかこの映画、筆者などの世代の多くは懐かしさと高揚感がない交ぜになった、不思議な感覚を味わったんじゃないのかな。それもそのはずでドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の本作は、1982年にリドリー・スコット監督が制作した『ブレードランナー』の、実に35年ぶりに作られた続編だったのだ。まさに、かくも長き不在。そして、思えば遠くへ来たもんだ。

そんなわけで、筆者は映画を観る前に押入の奥を引っ掻き回し、しまい込んだ古いビデオテープの中から前作を捜し出して、バッチリ中身を再確認したのだった。何といってもこのテープ、30数年前に友人のLD(懐かしのレーザーディスク)をダビングしたもので、映像も筆者の記憶もずいぶんボケボケだったし、場面の途中で突然「SIDE-1」とか「SIDE-2」という文字が現れて、驚いたりもしたっけ。だがお陰でストーリーや登場人物、若きハリソン・フォードの格好良さが目の前に甦り、またこの映画の斬新さなどを改めて認識する事が出来たってわけ。

さて、そんな予習をして臨んだこの『ブレードランナー2049』、筆者の目にはなかなかの傑作と映ったね。物語は前作から30年経った後日談という設定になっており、やはり前作のストーリーや登場人物を把握しておく事は、本作を理解する上でとても重要なことだった。古いビデオテープよ有難う! 主人公は前作から進化した最新型のレプリカント(人造人間)で、ひと言でいえばこの男の自分探しの旅といったものが、映画のテーマになっている。しかも未来社会における人造人間が、自分とは何かを求めて反逆を起こすのだから、これはかつて手塚治虫が繰り返し描いたロボットマンガの世界と同じだな。

つまりこの映画、未来を舞台にしたSFアクションものながら、実態は孤独なローンウルフの心の旅といった、ひどく人間臭い作りになっているのだ。オレはいったいどこから生まれて来たんだ、おっかさーん……なんてね。なので、ウェットな母恋いものが好きな日本人には受けるが、単純明快な勧善懲悪が好みのアメリカ人には不評だったというのも、何となく理解出来る。それにしても前作の最後で、女レプリカントのレイチェルと駆け落ちしたデッカード(ハリソン・フォード)が、老いた姿で登場したときには筆者も感慨を禁じ得なかった。もっとも、なにしろ本当のジイさんなのだから、映画のリアリティは十分だったけどね。これが35年の経年効果という奴か。ラストで横たわる主人公の上に静かに舞い降ちる雪のシーンは、筆者的には余韻があって印象的だった。

しかしそれ以上にショックだったのが、筆者が押入にしまい込んだビデオテープの劣化だ。そうなることと知ってはいたものの、だがここまで映像も音質もヒドくなるとは予想外だったね。今回『ブレードランナー』を再生するにあたり、筆者は試しに他の古いテープもいくつか回してみたが、どれもこれも変わり果てた姿になっていたっけ。かのフェリーニの名作『道』も、フリッツ・ラングの古典にジョルジオ・モロダーが音楽を入れた『メトロポリス』も、そして新日本プロレスの『MSGタッグリーグ戦』も、筆者の大事なコレクションが軒並みヤラレていたのだ。おそらくそれ以外のテープも、似た様な状態になっているのだろう。いや、これには参った。

とにかく映像のボケ具合がヤバい。あれから筆者の頭もボケたが、テープよお前もボケたもんだ。なにしろ、画面に映るモノや形の輪郭がハッキリしない上、色もガタッと落ちている。まるで朦朧体で描かれた山水画のように霞がかかっている。まあ、我慢して画面と付き合ううち次第に慣れて行くので、見ようと思えば見られないことはないのだが、一本を最後まで見終えるには相当な辛抱が必要だ。しかもこれ、目には確実に良くない。思えば筆者がさかんにビデオテープの録画に励んでいたのは、もう30年ほど前のことになるが、あの頃の情熱が無になってしまうようで、今となっては何だか悲しいなあ。

そもそもビデオテープとは磁気テープのことで、保存状態にもよるが10〜30年で劣化すると言われている。しかも厄介なことにカビが生えたり、テープどうしがくっついたりたるんだり、と思わぬ問題が起きたりもする。それらを避けるには、一定の湿度に保たれ温度変化もほとんどない部屋で、ケースに収めて立てて保存し、ときどきデッキで早送りと巻き戻しをしてやる必要があるらしい。だが、これはあまりに面倒くさ過ぎる。というか、よっぽどヒマと愛情を併せ持つ御仁でないと、こんなことは出来ないよね。つまりもともとビデオテープは、家庭内での長期保存には不向きなデリケートなものなのだ。

そうは言っても、大事な結婚式の思い出や子供の成長記録など、どの家庭にも失いたくない映像ビデオがあるだろう。これらを今のうちに何とか保存する手はないものか──。近年ではこうした要望に応えて、ビデオテープの映像をDVDやブルーレイにダビングするビジネスがあるらしい。アナログメディアからデジタルメディアへというわけだ。ネットで調べてみると価格もそれほど高くはなさそうだし、今後けっこう需要が増えそうな商売ではなかろうか。なにしろもう国内ではどこのメーカーも、ビデオデッキの生産を終えている時代だもんなあ。

振り返ってみると、家庭における映像メディアの変遷は目まぐるしい。ビデオテープが普及したと思ったら、レーザーディスクが彗星のように現れ、そのレーザーディスクはアッという間にDVDに駆逐され、そして今はブルーレイが主流となっている。少しはユーザーの身にもなったらどうだ、と筆者が憤っていたらつい数日前、気を利かせた甥っ子がブルーレイ版『ブレードランナー』を買って来てくれた。やっぱり甥っ子は可愛がっておくものだ。で、さっそく鑑賞した筆者が感動したのは、そのブルーレイ版の目を見張るような美しさだったね。うーん、あの古いビデオのボケボケ映像とは、いったい何だったのか…。そこで改めて筆者は、映像は進化する宿命にあるのだと納得したのだった。  


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2017年09月30日

天下分け目の『関ヶ原』



先日、上映中の映画『関ヶ原』を観て来た。これはあの司馬遼太郎の同名小説を、原田眞人監督が映画化したもので、主演の石田三成に岡田准一、対する徳川家康に役所広司という、実力者同士の顔合わせが公開前から話題を呼んでいた。筆者も以前から楽しみにしていたのだが、始まってみれば149分という長さを感じさせない、やはり見応えのある作品だったね。熱血漢・三成と老獪な古狸・家康を、二人の役者がみごとに演じていた。

ただ、何しろ原作が長くて登場人物が多い小説なので、それを2時間半にまとめるにはかなりの荒技が必要になる。原田監督はそのあたり、ストーリーの説明をくどくどするより、主要な登場人物のキャラクターを強調することに力点を置き、テンポの良いエンタテインメントに仕上げていた。なのでセリフは早口だし場面の展開も早く、原作を読んでない人には、ちと話の筋や人間関係が分かりにくかったかも知れないな。この辺は、やや『シン・ゴジラ』的と言えようか。

まあでも、美術も細かい所まで丁寧に作ってあり、合戦シーンもそれなりにリアル。おまけに忍者も活躍する。原作の味が出てない!などと野暮なことは言わず、割り切ってスペクタクル戦国物として楽しめば、これはこれで上出来の娯楽映画と言えそうだ。筆者的には三成の参謀、島左近を演じた平岳大の好演が印象に残ったね。この人、父親がかの名優・平幹二朗で母親も女優の佐久間良子という、血統書付きのサラブレッドなのだが、俳優デビューが遅かったせいかこれまでやや印象が薄かった。だがこの映画で見せた凄みのある島左近は、今後の大ブレイクを予感させるに十分だったのでは…。

それにしても天下分け目の関ヶ原だ。筆者はむかしからこの合戦(1600年)に興味を惹かれ、司馬遼太郎作の『関ヶ原』はむろんのこと、他の作家の小説や種々の解説本なども読んでいた。とにかく、この戦いに至るまでの三成と家康の駆け引きや、合戦が行われた場所の地形と布陣、それに登場する武将たちの顔ぶれなど、どれをとっても面白過ぎなのだ。日本の合戦史上、最高のシチュエーションと言っても過言ではないだろう。そんなわけでだいぶ以前、筆者はブラッと一人で関ヶ原を歩いたことがあった。つまり“オレ流現地調査”という奴だ。

あのときは前日に彦根市に入りそこで一泊、翌日朝から市内を探索し、昼食後に関ヶ原へ移動するという日程だった。事前に彦根に入ったのは、そこにある彦根城を見たかったからだが、もう一つの理由はここにかつて三成の居城・佐和山城があったから。関ヶ原の戦後、石田家は滅び佐和山城も廃城になったが、後にこの地を治めた井伊家は新しく彦根城を造るとき、佐和山城の築材を利用したといわれている。なので彦根の探索は筆者にとり、三成の足跡をたどる旅でもあったというわけ。ちなみにランチは地元のレストランで、近江牛の焼肉弁当を食べたっけ。

昼過ぎに東海道本線で彦根から関ヶ原まで行き、駅から古戦場までは徒歩で。5月の暑い日だったが、地図を頼りにグングン歩けたのは、当時の筆者がまだ若さバリバリだった(?)からだろうか。道の途中には戦死者の首を埋めたという「東首塚」や「洗首の古井戸」、また家康が陣を置いたという「陣場野」などもあり、いよいよ古戦場の雰囲気が漂い始める。いいねえ。心がときめくとは、こういうことを言うんだろうな。まあ道の両側の人家の様子は、ごく普通の田舎町という感じだったけど。

さていよいよ合戦の舞台・関ヶ原古戦場に到着すると、そこはだだっ広い野原と畑で、周りを幾重にも山々が囲んでいた。「史跡関ヶ原古戦場」と刻まれた石碑がデンと建ってはいるものの、あたりに観光客の姿は皆無。その中に、武将たちの布陣位置を示す幟旗があちこち点在し、ここが誰々の陣跡などと分かるようになっていた。しかし筆者がそこで実感したのは、島津隊に小西隊、宇喜多隊など西軍でも肩を触れ合うように布陣した諸隊もあれば、南宮山の毛利隊や松尾山の小早川隊など、ずいぶん主戦場から遠く離れた山に布陣した隊もいたという現実。笹尾山で指揮を執った石田三成は別として、山上に陣を布いた毛利や小早川などは、初めから平地の戦況を見下ろしながら、日和見を決め込む算段だったのでは、と思わされた。なるほど、これは現地に来なけりゃ分からない。

で、広過ぎる関ヶ原古戦場の完全踏破を早々に諦めて、筆者が最後に訪れたのは「関ヶ原ウォーランド」という近くにあったテーマパーク。と言っても、たまたまそこにあったから話のタネに入ってみたわけ。これが“オレ流現地調査”の良いところだ。まあ何というか、無人の園内には関ヶ原の将兵の姿をした無数の人形たちが、ただ無言でチャンバラを繰り広げていたが、そのアバウトな作りと虚無的な風景に筆者も思わず、これで経営は大丈夫かと心配になったほどだ。もっとも先ほどウェブサイトを確認してみたら、なんと今も営業しているらしいので、驚いたというか安心したというか…。ぜひ同ランドの健闘を祈りたい。

しかし、思えば関ヶ原とは古代からそこに「不破の関」があり、交通の要衝だった所なのだな。現在もこの平野を東西に中山道が横切り、北へは北国街道、南へは伊勢街道が伸びている。あの壬申の乱(672年)では後に天武天皇となる大海人皇子が本営を置き、味方の軍を集結させて大友皇子軍に勝利しているし、家康は主に東からの軍を三成は主に西からの軍をここに集め、天下獲りの大合戦をやっている。つまりここはむかしから、東西の大軍を集結させるための天然のターミナルであり、また東西文化の交差点でもあるのだ。なにしろ「関東」「関西」を分ける関とは、この不破の関のことを言うのだから。

そういえば筆者の愛する『探偵!ナイトスクープ』の調べでは、方言の「アホ」と「タワケ」の分布の境界は関ヶ原だったし、東西で濃淡が違ううどんの汁の色の境界もやはり関ヶ原辺りと言われている。また「東の角餅、西の丸餅」と言われる正月の雑煮も、やっぱり関ヶ原を境にして東西に分かれるようだ。いやはや、恐るべし関ヶ原! そこには何か目に見えない東西文化の壁が、現在もしっかりあるのかも知れないなあ…。などと考えたらなんだか、筆者も久しぶりにまたあの古戦場辺りを歩いてみたくなった。  


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2017年07月08日

台湾で歌われる日本の歌謡曲



雨の晩などにYouTubeで無作為に歌を検索して、良さそうなものを選び出し、イヤホンでじっくり聴くのも良いものだ。そこからは、テレビでは普段めったに聴くことのない名曲が、いくらでも見付かる。驚く様な古い曲や懐かしい歌手と巡り会って、感動することもしばしばだ。たまにエコーの利いたどこかのオヤジのカラオケに出くわし、腰を抜かすこともあるが、それさえうまく回避すればYouTubeはまさに“歌の楽園”と言って良い。

そんな歌探しの気ままな散歩の中であるとき、筆者が偶然出会って驚いたのが、一人の台湾人が歌う『一支小雨傘』という曲。そこでは美しいメロディに付けられた中国語の歌詞を、洪榮宏という男性歌手が熱唱していた。洪氏は声も好く歌唱力も抜群なのだが、筆者に中国語はサッパリ分からない。しかし、その曲は紛れもなく日本の昭和40年代初めに大ヒットした、橋幸夫の『雨の中の二人』ではないか。♪雨が〜小粒の真珠なら〜、というあの曲だ。たしかこれ、当時公開された同名映画の主題歌じゃなかったかな。

その忘れられた日本の名曲が『一支小雨傘』というタイトルで、現代の台湾人歌手により歌われていることに筆者はちょっとした感動を覚えた。しかもこの曲には、なんと320万回以上のアクセスがあり、コメント欄は中国語の書込みで溢れているのだ。どうやら今でもこの曲は台湾で人気があるらしい。そこで感動ついでに調べてみたら、洪榮宏以外にも『一支小雨傘』を歌っている、台湾歌手たちの映像が次々に見付かった。黄乙玲、江淑娜、蔡幸娟といった女性歌手たちや百合二重唱という女性デュオ、男性歌手では蔡佳麟、蕭煌奇などがそうで、しかもそれぞれみな若くて歌がうまいのだ。まるで小雨傘の花盛り。ひょっとしてこの歌は、台湾でスタンダードナンバーになっているのだろうか。

ちなみに、『雨の中の二人』をキーワードにYouTubeで検索してみると、出て来るのは橋幸夫自身が歌うものか、どこかの勘違い氏の自録りカラオケしかない。中に一つ五輪真弓の歌があったので、「おお!」と思って聴いてみたら、全くの同名異曲で思いきり肩すかしを食わされた。やはり昭和の日本で一世を風靡したこの名曲も、今ではすでに忘れられた存在になってしまったようだ。台湾の大盛況ぶりに比べたら、日本の歌謡界での扱いはちと冷た過ぎるんじゃないの。

気になったので筆者は、台湾で日本の歌がどう歌われているのか、少し調べてみた。すると、あるある! 古いものから最近のものまで、日本の名曲の数々がタイトルを変え中国語の歌詞を与えられ、おまけに種々様々にアレンジされて、今もさかんに歌われているではないか。そう、日本ではすっかり下火になった「歌謡曲」が、かの地では若い歌手たちの手で、炎のように燃え続けていたのだ。お陰で筆者の感動のボルテージは、すっかり上がってしまった。そこにはあの熱くて懐かしい匂いのする“昭和”が生きていたのだ。

例えば『雨の中の二人』と同じ年にヒットした、美川憲一の『柳ヶ瀬ブルース』は、台湾では『淡水河邊』というタイトルで、また昭和44年にクールファイブが歌った『長崎は今日も雨だった』は『涙的小雨』として、さらに沢田研二が昭和50年に歌った『時の過ぎゆくままに』は、なんと『愛你一萬年』のタイトルで、やはり様々な歌手に歌われている。どれもタイトルだけ見れば、何の曲だか分からない。おまけに歌詞もチンプンカンプン。だが、歌を聴けば紛れもなくそれは往年の日本のヒット曲であり、耳を澄ませば台湾の歌手たちがそれを自家薬籠中のものとして、心を込めて歌っているのが伝わって来る。とにかくみんな歌がうまいのだ。

しかも、もっと古い曲だって台湾では生きている。日本が戦時中の昭和17年に作られた『湯島の白梅』という曲があるが、これは新派の名作悲劇『婦系図』の、お蔦と主税の涙の別れをモチーフにしたもので、戦後に小畑実の歌でヒットしたという超懐メロだ。ところがかの地ではこれを『湯島白梅記』として、現代の若い女性歌手たちが盛んに歌っているのだからビックリ。これも向こうではスタンダードナンバーなのだろうか。まあメロディが叙情的で美しく、アレンジに工夫さえすれば今でも十分イケる曲だとは思うけど…。ただし、もともと東京上野近くの湯島天神が舞台のこの歌、中国語の歌詞を見ると温泉郷の話にすり替わっているところが、ちょっと笑える。なんたって「湯島」だもんな。

もちろんこうした日本の歌謡曲を、台湾の歌手たちが日本語のまま歌う映像もけっこう多い。中には、日本の着物を着てステージに立つ女性歌手もいたりして。だがたまに発音を間違えたり、歌詞をごまかしたりといったケースはあるものの、これらはほんのご愛嬌で、誰もがプロらしくしっかり日本語で歌っているのには筆者も感心した。見たところ中で一番日本語がうまいのは、やはり先に紹介した洪榮宏だったかな。この人は台湾版・五木ひろし(顔は忌野清志郎)といった感じで、どんな歌も歌いこなす大変な実力者だ。日本の歌番組にも一度招待したらと、筆者などは思うのだが…。

とまあ、ここまで古い日本の歌謡曲を辿って来たが、むろん最近の歌だってあちらではカバーされている。例えば筆者の好きな夏川りみの『涙そうそう』は、台湾では『涙光閃閃』と『陪我看日出』という二つのタイトルで歌われているようだ。どうやら前者は『涙そうそう』の直訳で、後者は向こうで新たに付けられた曲名らしい。筆者が見た中では、『陪我看日出』を歌う蔡幸娟のステージがピカイチだったが、この人は歌もうまいが清楚な感じの美人なのが特に気に入った。声質はどこか故テレサ・テンにも似ているし…。こうなったら彼女も一度、日本の歌番組に招待して欲しいものだ。

他にもたぶん筆者の知らない数多くの日本の曲が、台湾で歌われているのだろう。だが嬉しい反面、ちょっと筆者の心は複雑でもある。なにしろ昭和の歌謡曲は名曲の宝庫だ。現代の日本人が忘れ去ろうとしているそれらの宝を、台湾の歌手たちが大事にしてくれているのは有り難いが、はたしてそれで良いのだろうか? ノリのいいJ-POPもいいけど、日本人こそもっとメロディアスな歌謡曲の良さを、再認識すべきじゃないのかな。  


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2016年08月25日

伝統を守った『シン・ゴジラ』



子供の頃からのゴジラファンで、ついこの前「ゴジラ展」を観たばかりの筆者が、現在公開中の新作映画を見逃すわけには行かない。そこで先日、庵野秀明総監督による『シン・ゴジラ』を観て来たが、いやあハリウッド版も含めて、これまで作られた数々のゴジラ映画の中では出色の出来だったね。むろん最高峰は、1954年に公開された本多猪四郎監督の初代『ゴジラ』。しかし今回の映画は、それにひけを取らぬ優れた作品に仕上がっていた。

──東京湾アクアラインを破壊し姿を現した謎の巨大生物は、多摩川河口から遡上して東京都内に上陸。四足歩行から二足歩行へと形態を進化させながら巨大化し、被害を拡大させて行く。体内に原子炉のような器官を備えているらしいこの巨大生物は、以後「ゴジラ」と呼ばれることになる。日本政府と自衛隊は、総力を挙げてゴジラに立ち向かうものの鎮圧に失敗、ついに日米安保により米軍の戦略爆撃機が出撃するのだったが…。

何といっても良かったのは、今回の作品がゴジラ映画の基本に立ち返り、人類対大怪獣というシンプルな設定を追及したプロットだったこと。そこには主人公に絡む恋愛話もなければ親子の葛藤もなく、おかしなライバル怪獣との死闘などもない。現代の巨大都市東京に、核物質を内包した巨大生物が現れたとき、日本人はどう戦うのかという、ただそれだけのドラマなのだ。だがそのシンプルさこそが、筆者に目から鱗の新鮮な感動を与えたというわけ。

むろん現代の東京に大怪獣が現れることなど、常識ではまず考えられない。だがこの映画では、その考えられないことがもし実際に起こったらを、徹底的なリアリズムでシミュレートして見せてくれるのだ。ゴジラと戦うのはガンダムやメカゴジラではなく、現実に存在する自衛隊と米軍。そこが旧来のゴジラ映画にはない目新しさであり、迫真的な怖さなのだ。この怖さは観る者に3.11の東日本大震災や、北朝鮮による弾道ミサイルといった、現実に起こり得るクライシスを想起させる。

主人公は新兵器を開発する天才科学者でもなければ、ダイハードのようなスーパーマンでもない、矢口という内閣の若き官房副長官。この地味な設定が良い。それにより内閣での会議の様子や、対策が決定されて行くプロセスなどが克明に描かれていて、映画のリアリティを高めている。セリフもみんな早口かつ専門用語満載で、本物らしい緊迫感がジリジリ伝わって来る。子供なんかにゃ分からなくても良いんだよ、という制作側の割り切り方が潔い。

思えばこれまで作られたゴジラ映画で、この人類対大怪獣に的を絞ったシンプルな設定といえば、1954年版の初代『ゴジラ』と、その30年後に作られた1984年版『ゴジラ』、そして今回の『シン・ゴジラ』の3作のみ。そのうち、ソ連原潜からの核ミサイル誤射といったサイドストーリー全開の第2作を除けば、純粋に人類対ゴジラの戦いをリアルに描いて勝負しているのは、第1作と今回の作品だけということになる。もちろん、1998年公開のハリウッド製『Godzilla』は論外。あれはただのマグロ好きな大イグアナにすぎないもんな。

その初代『ゴジラ』は、核実験で蘇り人類に復讐する巨大怪獣を、自分が発明した最終兵器で我が身もろとも海底に葬る、一人の天才科学者の苦悩と心の葛藤を描いた人間ドラマだった。登場する着ぐるみのゴジラも、それと戦う人々も実に人間臭かった。それに引き換えれば、今回の『シン・ゴジラ』はよく出来たフルCGだ。中に人が入っているわけではない。なので、四足歩行から二足歩行へと形態を変えても不自然さはないし、さらに巨大化し口、背びれ、尻尾から、四方八方へ同時に白熱光線をぶっ放すことだって出来てしまう。ある意味こいつは、“ゴジラ”とは名ばかりの必殺破壊兵器とも言えるのだ。

つまり『シン・ゴジラ』には、ウェットな人間臭さがない。その代わりにあるのが、ドライな現実感という奴だろう。この恐怖の必殺破壊兵器をどうやって倒すのか、登場人物たちは日本の総力を挙げて立ち向かい知恵を絞る。ときには米軍や国連の力をも借りながら…。こうした、薄っぺらいファンタジーを排した現実感のあるストーリーが、いつしかゴジラを今そこにある本物の脅威に見せてしまうのだ。そこがこの映画の新しさなんだろうね。もちろん攻撃ヘリや10式戦車、米軍のB-2戦略爆撃機といった、CGによる戦闘シーンの超ド迫力も見逃せないが。

だが、この映画で忘れちゃいけないのはそこではない。エンドロールに出て来る出演者の中に、「野村萬斎」の名前を見付けてアレッ?と思った人も多いだろう。野村萬斎は有名な狂言師だが、たしか映画に出演シーンはなかったはず…。実はこの映画のゴジラは、現実の人間やモノの動きをデジタル的に記録する、モーションキャプチャーが使用されている。つまり、野村萬斎の狂言の動きがCGで再現され、あのゴジラになったというのだから驚く。ゴジラはやはり人間臭かったんだな。それにしても、日本の伝統芸能である狂言に着目した監督に、筆者は敬意を表したいね。

それだけではない。この映画には過去の『ゴジラ』を始めとする、東宝の特撮映画に対するオマージュが散りばめられているのだ。例えば今回のゴジラも初代に倣い、一度上陸したあと海に引き返し、二度目の上陸で大暴れしている。その際、初代がぶち壊した記念すべき八ツ山橋や銀座和光の時計台が、今回ちゃんと登場するのも嬉しい。さらに、東京駅付近で立往生するゴジラに、爆薬を積んだ無人電車が突撃するヤシオリ作戦などは、『空の大怪獣ラドン』で炭坑の坑道に現れたメガヌロンに、石炭満載の炭車を激突させる場面を思い出させる。またこの戦闘場面で流れる勇壮な伊福部マーチは、『宇宙大戦争』の音楽がそのまま使われているのだ。

ドライで新しいと思われる『シン・ゴジラ』だが、ことほど左様にいたる所に過去の伝統が活かされている。そこがニューカマーのみならず、筆者のようなオールドファンにも喜ばれる所以なのだろう。この映画はリピーターが多いとも聞く。たぶんその理由は、誰もが全編に散りばめられた様々なメッセージや細かなディテールを、何度もひとりで検証してみたくなるからだろうな。  


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2015年06月14日

日本の第二国歌は?



日曜の夜が待ち遠しくなるテレビ番組と言えば、かつてはNHKの大河ドラマだった。だがその大河も近年は駄作が続き、今年のドラマ『花燃ゆ』は視聴率がエラいことになっている。このまま『平清盛』のワースト記録を更新かともっぱらの噂だが、なにしろまるで面白くないのでどうなることやら。筆者は3月頃にこのドラマにサヨナラし、以後は全くノータッチ。その代わり毎回楽しみに観ているのが、TBSが4月から午後9時に放送している『天皇の料理番』だ。つまらない大河より、こっちの方がはるかに面白いから困るんだなあ。

これは天皇陛下の“料理番”を務めたシェフ、秋山徳蔵(ドラマでは篤蔵)氏をモデルにした若者の成長物語で、佐藤健扮する篤蔵がパリで修行を積み、帰国して宮中で活躍するまでを描くもの。脚本も良いし役者たちも熱演している好ドラマだが、特に筆者が感心するのは細部におけるリアリティだ。これが作品の質を格段に高めている。佐藤健の庖丁さばきは本当に見事だし、結核を患った兄・周太郎を演じる鈴木亮平の痩せっぷりもスゴい。妻・俊子との別離の場面で、彼女の肩に落ちたひとひらの雪があわく溶ける表現などは、まるで映画を観ているようだったね。

ただし、そんな中で筆者が「ん?」と思う所がひとつだけあった。それは「第6話」の終盤、決意した篤蔵が庖丁一本背中に巻いて、料理修行のためパリにやって来る場面だ。パリの街なかを歩く篤蔵の熱き心を表すように流れるBGM、それがなんとエルガー作曲の行進曲『威風堂々』第1番ではないか。おいおい、それはないんじゃないの? たしかに勇壮で素晴らしい曲だが、何といってもこれはイギリスの「第二国歌」とも言われるほど、かの国民から愛される名作。まるで日本を舞台にしたドラマで、中国の音楽を流すようなミスマッチには、ちょっと違和感を覚えたなあ。

パリが舞台のドラマなら当然、フランスの曲を流すのがスジというものだろう。国歌の「ラ・マルセイエーズ」はちょっと大袈裟過ぎるとしても、この場面に相応しい曲ならやはり同国の第二国歌と言われる、『自由の歌』こそ選ばれるべきじゃなかろうか。荘厳なスローテンポの軍歌だが、篤蔵の高揚した心情を表すにはピッタリの心躍る旋律なのだ。当然、パリの街並とも相性は良いはず。ただし、パルチザンに戦いを呼び掛ける血生臭い歌詞なので、もちろん演奏曲としてがオススメだが。

しかし、イギリスの『威風堂々』第1番にしろ、このフランスの『自由の歌』にしろ、世界各国には第二国歌と呼ばれる愛唱歌があるようだ。例えばアメリカの『美しきアメリカ』は同国の様々な歌手に歌われているし、オーストラリアの『ワルツィング・マチルダ』は日本でも知られている。フィンランドの第二国歌と呼ばれる『フィンランディア賛歌』の原曲は、筆者も大好きな作曲家シベリウスの交響詩『フィンランディア』だ。これ、ロシアの圧政下で歌う事を禁じられたが、密かに国民に愛唱されたという美しいメロディが泣かせる。

では、日本の第二国歌とは何だろう? ずいぶん意見が割れそうなテーマだが、その前にまず現在の国歌『君が代』を尊重したい。むろん筆者は優雅で平和的なこの国歌を気に入っている。なにしろ歌詞は古今和歌集の読み人知らずの和歌、曲は宮内省雅楽課の林広守らの手になる純和風だ。この純和風ってのがいい。ただし編曲はドイツ人のフランツ・エッケルトで、雅楽の音階で作られた曲を西洋音楽の技法で神業的にまとめたものが、現在われわれが聴く『君が代』なのだ。ユニゾンで始まり雅な旋律とハーモニーでグッと高揚した後、またユニゾンで静かに終る美しい曲だが、サッカーの国際試合などでは軍歌風の他国の国歌にちと押され気味になる。あまりに優美過ぎるためだ。

なので、第二国歌は勇ましいものが良いという人も多いだろう。戦前から戦中にその地位にあった信時潔作曲の『海ゆかば』は、現在でも年配者を中心に人気の高い曲だ。歌詞は万葉集の中の大伴家持の歌からとられたものだが、メロディの勇壮さといい、高貴かつ荘厳なオーケストレーションといい、感動的な名曲には違いない。なにしろ信時先生は筆者の母校、小城中学と小城高校の校歌の作曲者でもあるもんな。ただしこれ、あまりに悲壮感が強過ぎて、愛唱歌としては正直ちょっと重い気もする。誰もが自然に口ずさめる歌こそ、現代の第二国歌に相応しいと思うのだが。

ネットでためしにググってみたら、そこにはいろんな人がいろんな曲を挙げていた。それぞれ好き勝手という感じだが、しかしこうしたテーマは老いも若きも自由に発言すれば良い。『宇宙戦艦ヤマト』を挙げていたのは少し古いアニメ世代だろうか。阿久悠作詞、宮川泰作曲で、ささきいさおが朗々と歌い上げるこの曲は確かにカッコいい。軍歌ファンのハートを掴む曲調で、地球を救うためにイスカンダルへ旅立つヤマトの、雄々しい決意がビンビン伝わって来るもんな。筆者的には嫌いではないが、まあアニソンはどうもという人や、女性、平和主義者には反対意見もありそうだ。

勇ましさという点では、夏の高校野球の入場行進曲『栄冠は君に輝く』を推す声も多かった。何といっても作曲者は、「日本のスーザ」とも呼ばれたマーチ王・古関裕而。歌謡曲から交響曲まで数々の名曲を生み出した大作曲家だが、もちろんお得意は心躍るメロディの行進曲だ。東京五輪の『オリンピックマーチ』は筆者の記憶に深く刻まれている。この『栄冠は─』も氏の代表作のひとつで、毎年夏になると日本全国が熱い高揚感に包まれるが、それもきっとこの曲の素晴らしさのせいなのだろう。その意味では第二国歌の資格十分だが、ただし野球にあまり興味のない人にはどうなのかな?

勇ましさに拘らない愛唱歌ならば、他にも『上を向いて歩こう』や『幸せなら手をたたこう』など、故坂本九の歌も挙がっていたね。さすがは九ちゃんだ。これらは歌い易く日本人なら誰でも知っている曲。第二国歌にしてはポップス系でちょっとノリが軽い気もするが、サークルなどで老若男女が仲良く口ずさめるという強みがある。また『ふるさと』や『さくらさくら』といった正統派の唱歌も根強い人気があり、こちらは小学校の教室でしっかり歌ったという年配者の支持を集めそうだ。もっとも若年層はたぶん、唱歌にはあまり乗って来ないかも知れないけどね。

こうしてみると第二国歌も、世代や男女の違いにより意見はバラバラだ。あちら立てればこちらが立たずで、なかなか決勝ゴールは生まれそうもない。ただ筆者に言わせれば、第二国歌にはいくつか必要な条件がある。まず日本人の作った曲であること。そして国民みんなに愛唱され、それによって日本の良さや日本人の誇りを確認できる歌であること。そうでなくては国歌とは言えないものな。なので、そこには歌い易くかつ堂々としていて、ちょっぴり応援歌っぽい要素も必要なんじゃなかろうか。いやいやなかなか難しい。かといって、官製ソングをわざわざ作るような野暮は避けたいし…。

まあそんな筆者が最後に独断と無責任で、既存の中からひとつオススメ曲を挙げたい。それはかつてフォークグループ「赤い鳥」が歌った『翼をください』だ。サッカーファンならお馴染みだが、この曲はW杯フランス大会の予選から応援歌として歌われ、苦戦した日本代表をスタンドから大いに励ました。サポーターの大合唱は今でも筆者の耳に残っている。しかもこれ、むかしから学校の音楽教科書にも載っており、フォーク世代から現代の若者まで幅広く知られているのがポイント。山上路夫の詞も村井邦彦の曲も、ともに希望に満ちたスケールの大きさを感じさせ、第二国歌として歌い継がれるべき名曲だと思うのだが、どうだろうか?  


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2014年12月06日

中国人が愛した高倉健



俳優の高倉健が亡くなってもうひと月が経とうとしているが、未だに心にポッカリと喪失感を抱えている日本人は多いことだろう。まるで自分の人生の一片を、ふいに失ってしまったとでもいうような…。かく言う筆者もその一人だが、同時代に活躍した名優たちが比較的早く逝った中で、この人だけはいつまでも長生きしてくれるものと、誰もが思っていたはず。なにしろタフで不器用というのが、俳優としてのイメージだったのでね。

テレビ各局はさっそく追悼番組として、競うように過去の主演作を放映していた。フジテレビが『南極物語』ならテレ朝は『あなたへ』、日テレは『幸福の黄色いハンカチ』といった具合に。これまで健さんの映画はかなり観ている筆者も、あらためてそれらの番組を観たり所蔵のDVDを再生したりしたが、とにかくこの人は立居振舞のすべてが格好よかった。筆者は任侠映画に興味はないので、好きな作品を3つ挙げろと言われれば、やっぱり70年代以降の『八甲田山』『幸福の黄色いハンカチ』『遥かなる山の呼び声』になるかなあ。

ところで、健さんの死は海外でも報じられたようだ。シドニー・ポラックの『ザ・ヤクザ』やリドリー・スコット『ブラック・レイン』といったアメリカ映画にも出演しただけに、欧米メディアも「日本のクリント・イーストウッド」として報道したらしい。まあ、タフでストイックな一匹狼といった役柄が多かったので、あのイーストウッドと重ねられたのだろうが、この人の場合はそこに「生真面目さ」をプラスしないといけないだろうな。むろん、その前に「不器用な」という形容詞が付くのだが。

しかし、哀悼の声が最も大きかった国が、なんとあの中国だったのには筆者も驚いた。なにしろ国営の「中国中央テレビ」や共産党機関紙の「人民日報」を始め、ふだんは日本批判に血道を上げる中国メディアが、こぞって高倉健の死を悼み追悼番組を放送したというのだから、日本人も目をシロクロだ。いったい君たちどうしちゃったの…? 実はこれには大きな理由があるらしい。どうやら高倉健は中国で最も有名な日本人俳優であり、40代以上の中国人なら誰でも知っている存在だという。そしてその裏には同国で大ヒットした、健さん主演の一本の日本映画があったというのだ。

それはズバリ、佐藤純彌監督の『君よ憤怒の河を渉れ』という作品らしい。日本では1976年に公開されたが、その後1979年に中国でも公開されると、たちまち彼の地で熱狂的な人気を呼び、一説によれば8億人以上の人々が映画館に足を運んだという。おかげで主演の高倉健と共演の女優・中野良子は、むこうで超有名人としてブレーク。この映画を観て健さんに憧れた若き張芸謀(チャン・イーモウ)が後年、彼を中国に迎えて『単騎、千里を走る。』という映画を撮った話はよく知られている。きっと健さんと中野良子は当時の中国人にとって、煌めくような大スターだったのだろう。

しかし、待てよ。この『君よ憤怒の河を渉れ』という映画、実は筆者は未だ観たことがない。そればかりか日本で大ヒットしたという記憶もないし、近頃の追悼番組で放映されたという話も聞かない。中国で大ヒットしたというわりには、どうも日本では影が薄いのだ。つまり、筆者にとっては“幻の作品”。こうなるとちょっと観てみたいというのが人情だろう。そこでいつものYouTubeで探したところ、おお、なんと英語字幕入りの完全版がアップされているじゃないか。どこかの外人さんに感謝しつつ、さっそく筆者は液晶画面にかじりついた。

──物語は東京地検の検事・杜丘(健さん)が、強盗傷害容疑で新宿署に連行されるところから始まる。二人の男女から通報されたためだが、これは身に覚えのない罠だった。警察の家宅捜査中に隙をみて逃走した杜丘は、真相を探るため二人の身元を訪ねてついには北海道へ。だが警視庁の矢村警部の執拗な追跡から逃れるうち、牧場の娘・真由美(中野良子)に命を助けられる。彼女はその前に、熊に襲われたところを杜丘に救われていたのだ。やがて彼は真由美の父が提供したセスナ機で、北海道の捜査網を突破して東京へと向かう。

事件の背景には政界の大物・長岡がいた。杜丘は新薬の開発に潜む不正を探ろうとして、逆に長岡らの罠にはめられたのだ。東京に潜入した杜丘は真相を探るため真由美の助けを得て、堂塔が院長を務める精神病院に患者として入院する。そこには捜査に疑いを持ち始めた、矢村の密かな協力もあった。実は堂塔は長岡の命により、人の脳をコントロールする新薬の開発をしていたのだ。だが正体を見破られた杜丘は、彼らに強制的に薬を飲まされて言うがままの状態に。危うし、杜丘…。

これ、B級サスペンス映画としてはけっこう面白い。なにより、無実の罪で警察に追われる男が、逃げながらも事件の黒幕を追うという設定なので、ハラハラドキドキ感が画面に満載だ。しかも彼を助ける美女がいたり、鬼のような追跡者との友情があったり。おまけにスリリングなアクションシーンにも事欠かないので、今から見れば陳腐なストーリーと言われようが、とにかく最後まで観客を飽きさせない。

だいいち、出演者のキャラが立っている。主人公・杜丘役の健さんの男っぷりは中国人も痺れさすほどだが、矢村警部役の原田芳雄のハードボイルドっぽさや、杜丘の上司を演じた池部良のシブさも良い。つい「みんな格好いい!」と叫びたくもなる。しかも、中野良子の献身ぶりがまた可憐じゃないか。それに加えて、大滝秀治が演じた真由美を助ける父の優しさ、黒幕・長岡の西村晃や堂塔院長の岡田英次の悪役ぶりも、またそれぞれ堂に入っている。これで文句を言ったらバチが当たるというものだ。

まあしかしこのB級映画がB級たる所以は、突っ込みどころの多さにあるんじゃないのかな。とにかく探せばいくらでも、そんなアホなというシーンが出て来るのだから面白い。例えば北海道で杜丘が真由美と初めて出会うシーンでは、なんと熊に追われた彼女が木にしがみついている。ここでまず笑うところだが、杜丘に銃で追っ払われた熊は復讐鬼と化し、後日のシーンで再び彼と矢村を襲うのだから、端役のくせに活躍し過ぎと言うものだ。また、操縦経験ゼロの杜丘がセスナ機を操って北海道を脱出するのにも驚かされるが、関東近海に着水した機体から無傷で上陸を果たすとは、まるでインディ・ジョーンズだよ。

さらには、夜の新宿で警察に包囲された杜丘を救うのが暴走した馬の群れで、そこには黒装束の真由美が乗っているのだから、もうナニが何だか分からない。杉作少年を助けに来た鞍馬天狗もビックリだが、なあにどうせ映画なんだからという監督の声が、どこかから聞こえて来そうだ。敵の精神病院に患者に化けて潜り込んだ健さんの杜丘が、薬を飲まされてラリって行く演技などはもう見ものとしか言いようがない。なにしろ普段は苦み走った好い男だけに、そのトボケた表情が笑わせてくれるのだ。

極めつけは音楽だ。オープニングとエンディングに流れる男声スキャットの、ヤケクソのような歌いっぷりもさることながら、「なんじゃこれは?」と聞きたくなるのが、シリアスな場面に限って流れて来る『第三の男』のパクリのようなテーマ。叙情性あふれるアントン・カラスの名曲を魔改造したようなシロモノで、能天気というか間が抜けているというか、とにかく勘違いした作曲家が場面をぶち壊しているのは間違いない。これでよく監督がOKを出したものだと、筆者などは感心してしまったね。

こうしてみるとこの映画、B級のどこが悪いと開き直っているようにもみえる。つまりは万人を泣かせるような名作映画など、ハナから目指してはいないのだ。ただ、細かいことはどうでも良いんだよという割り切りで、ひたすら格好よくひたすらサスペンスフルに面白さを追及したドラマが、結果として文化大革命後の娯楽に飢えていた中国人の心にピッタリはまったということだろう。そして何より、たった一人で国家権力や政界の巨悪と戦う杜丘の姿に、彼らは自分にはない男の理想像を密かに見付けたのかも知れないな。  


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2014年08月11日

アメリカ版『ゴジラ』を観て来た



アメリカ版『ゴジラ』が世界中でヒットしているらしい。日本でも7月下旬から公開中なので、根っからのゴジラファンである筆者は、さっそく映画館へと駆け付けた。まあ「駆け付けた」と言っても、佐賀みたいな地方都市では、車でシネコンに行くしか方法はない。だから正確に言えば、「乗り付けた」というわけ。

──米軍の爆発物処理班に勤務するフォードは、逮捕された父・ジョーの身柄を引き取るため日本へと向かう。同国のジャンジラ市(タイかよ?)は、かつて一家が暮らしていた思い出の地だった。ジョーは15年前に起きたジャンジラ原発事故で妻を失い、ひそかに事故の真相を探っていたのだ。父と共に立入禁止地区である原発跡地に入ったフォードは、パトロール隊に見付かり敷地内にある研究施設へ連行されるが、そこで見たものは謎の巨大生物のサナギ。事故の原因はこいつだったのだ。

サナギから羽化したのが、昆虫怪獣のムートー。研究施設をぶち壊して飛び去り、フォードは同所の芹沢博士と共に後を追う。ムートーはハワイに上陸し米軍の攻撃を蹴散らすが、そこへ追って来たのが海底から復活したゴジラだった。核燃料が大好物のムートーと体内に原子炉を持つゴジラ。両者の宿命の対決は決着がつかぬまま、決戦の地はサンフランシスコに。やがて、フィリピンから飛んで来たメスと合流し、夫婦タッグを組んだ2匹のムートーと、一人でも受けて立つぜというゴジラは、シスコ市街地を破壊しつつ大乱闘を繰り広げるのだった…。

日本版『ゴジラ』が初公開された1954年から60年目に、満を持して登場しただけあってこの映画、初代に対するリスペクトが散りばめられている点は、まあ評価出来る。ゴジラのデザインや声、日本版のメインテーマであった放射能や原水爆の取り上げ方、芹沢博士(日本版で平田昭彦が演じた重要キャスト)というネーミングなどにも、日本のファンへの精一杯の気遣いが感じられた。トカゲのような偽ゴジラはもう作りません、というわけか。もっとも、「ジャンジラ市」はないんじゃないの?

最大の見せ場はやはり、CGによるゴジラとムートーのバトル。特に今回のゴジラは圧倒的な巨大さと力感を誇っている。ヒグマを思わせる獰猛な顔に鋭い背中のトゲトゲ、二本足でノッシノッシと歩く重量感は迫力満点で、これじゃあ人間の造った都市などひとたまりもない。対照的に敵役のムートーの方は、エイリアンの焼き直しのような感じで、デザインに斬新さが見られなかったのがちと残念。もっとアッと言わせる怪獣を創造してほしかったな。ただしこれら巨獣の1体2のハンディキャップマッチは、プロレスみたいでなかなか面白かった。

ハッキリ言えばこの映画、巨漢レスラー同士が肉弾相打つアメリカンプロレスなのだ。悪逆非道の夫婦タッグに対し、蘇ったベビーフェイスのマッチョマンが、最後はフラフラになりながらも逆転勝利という、分かり易い勧善懲悪ストーリー。世界中のファンを喜ばせる術を知り尽くした、いかにもハリウッド映画というプロットになっている。なので、物語の端緒である原発事故も、ゴジラとムートーを倒すための核兵器使用も、すべては“アングル(サイドストーリー)”の枠の中だ。そこに深いテーマ性などを求めるのが筋違いで、つまりは典型的なアメリカ製娯楽映画と受け止めるべきなのだろう。

そこでつい比較したくなるのが、1954年の初代日本版『ゴジラ』だ。筆者はこれをDVDで何度も観たし、つい先日はNHKBSで放送されたデジタルリマスター版でも観た。早く言えば、数えきれないくらい観ている。むろん上映中のアメリカ版に比べれば、古色蒼然たるモノクロ映画には違いない。しかし改めて思うのはこの作品、物語の構成やテーマ性、込められたメッセージなど、誰が見ても単なる“子供騙し”ではないということ。つまり万人を感動させる、名作映画としてのクオリティを立派に持っているのだ。むろん円谷英二の特撮や伊福部昭の音楽の、レベルの高さは言うまでもない。

そういえば6月に、英国のエンパイア誌が「外国映画ベスト100」を発表したが、そこには1位『七人の侍』、10位『千と千尋の神隠し』、16位『東京物語』、22位『羅生門』と日本映画が健闘する中で、31位に『ゴジラ』がみごとランクインしていたっけ。さすが分かっているなあ英国人。この映画を偏見なく選んでくれた審査員に、きっと本多猪四郎監督もあの世で感謝していることだろう。もちろん筆者だって感謝したい。繰り返すが、これはただの怪獣映画とは一線を画す、優れた人間ドラマなのだから。

この映画のゴジラは遠く南の海からやって来る。そして東京湾に上陸し、口から怪光線を吐きながら、大都市の東京を破壊し火の海にする。その暴れっぷりには、自衛隊の兵器もまるで歯が立たない。焼け野が原になった市街地の惨状は、ほんの9年前の1945年に米軍によって行われた、東京大空襲や広島・長崎への原爆投下を思わせる。そんな生々しさもまた、この映画を覆う重苦しい恐怖感に繋がっているはずだ。

なにより、ゴジラの出自には強いメッセージ性が込められている。200万年前に生息し海底洞窟などで眠っていた恐竜が、現代の水爆実験で安住の地を追われたもの──。映画の中で志村喬扮する山根博士は、国会でゴジラについてそう証言する。つまりゴジラは、水爆の被害者でありブーメランでもあるわけだ。ここには1954年に、南太平洋のビキニ環礁で行われたアメリカの水爆実験で、わが国の第五福竜丸が被曝した事件への、抗議も込められているだろう。ゴジラが南の海から現れ、その足跡に放射能が残り、口から白い怪光線を吐くのは、まさに水爆のイメージそのもの。こんなオイラに誰がした?というわけだな。

さらに重要なのが、生息したのが200万年前という設定。恐竜が地球上から絶滅したのは、6500万年前というのが現在の定説だが、いくら旧い映画だからといってデタラメ過ぎると思うのは大間違い。ここには当時の有名SF作家だった原作者、香山滋のあるメッセージが込められているのだ。つまり200万年前というのは、人類の祖先・アウストラロピテクスが生存していた時代。作家はそこにゴジラ=人類という、強烈な皮肉をカマしたというわけだ。これは原水爆により自分自身を滅ぼそうとする、愚かな人類への警告ともとれる。

そして、ゴジラを倒すオキシジェン・デストロイヤーもまた、人類が生み出したもう一つの最終兵器だった。原水爆が人間の科学から生まれた異端児なら、オキシジェン・デストロイヤーも同じ異端児。映画は、東京を破壊し尽くし東京湾深く潜んだゴジラを、この最終兵器で葬るところで終っている。何たってオキシジェン・デストロイヤーは、水中のあらゆる物質を溶かしてしまうのだ。胸に迫るのは、この最終兵器の発明者である芹沢博士が、自ら海中に潜りゴジラともども我が身を滅ぼしてしまうシーン。ここには、人類は原水爆と同じ過ちを再び繰り返してはならないという、強いメッセージが込められている。

そういう意味で、この映画の真の主人公は芹沢博士だとも言えよう。なのでアメリカ版『ゴジラ』がその名前を、主演の一人の科学者(渡辺謙)に用いた点は評価出来る。ただし、ゴジラが勝者で終ったアメリカ版に比べると、日本版には勝者がいない。ゴジラも滅んだが、人類もまた大きな痛手を受けたのだ。ここが深いんだよなあ。なので、ゴジラをアメプロの王者として描いたアメリカ版と、人間を写す哀しい鏡として描いた日本版は、観終わった後の印象が180度違う。このスッキリ感と喪失感の違いが、色々なことを考えさせてくれるので、筆者はますます『ゴジラ』が好きになるというわけ。  


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2014年07月31日

バレエ音楽は素晴らしい



少し前に観た(聴いた)NHK・Eテレの「N響コンサート」で、久し振りにクラシック音楽を堪能させてもらった。当夜の演目はスペインに縁のあるものが多かったが、中でも筆者のお目当てだったのが、マヌエル・デ・ファリャ作曲のバレエ音楽『三角帽子』。むかしからレコードやCDなどで何度聴いたか分からない名曲だが、この日の指揮は作曲者と同じスペイン人のヘスス・ロペス・コボス。ホタやファンダンゴといった独特のリズムを持つこの曲を、イキイキと自由自在に演じてみせてくれ、さすがスパニッシュ!という感じだったね。

会場のNHKホールも筆者には思い出の地。そのむかし原宿のデザイン事務所に勤めていた頃は、N響の定期公演を聴くため(会員だったので)仕事帰りに月に一度、歩いて渋谷のNHKまで通ったものだ。原宿から代々木公園の横を通りしばらく歩くと目的地で、途中には丹下健三が設計した代々木オリンピックプールなどもあり、田舎出の筆者はキョロキョロしながら歩いていたっけ。テレビで見る現在のNHKホールは、ほぼむかしのまま。画面にあの舞台が映ると筆者の心臓がドキドキし始めるのも、初めて観たコンサートの感動が、きっと今も体内に残っているからだろう。

それにしてもファリャのバレエ音楽『三角帽子』は、なぜこうも筆者の心を惹き付けるのか…。あれはやはり若き日に、初めてFMラジオで聴いたこの曲のインパクトが大き過ぎたのだな。とにかく、叙情性溢れるメロディ、肉体に直接訴えかけるダイナミックなリズム、自由奔放とも思える曲の構成。それにバレエ音楽なのに歌まで挿入されているし、ベートーベンのパロディだって盛り込まれている…。もうこの曲、筆者がそれまで聴いて来たクラシック音楽とは、なにかが決定的に違っていたのだ。

世の中にはこんなクラシックもあるのか、というのがそのときの率直な驚きだった。そして何となく肩肘張って聴いていた、それまでの交響曲など固い音楽から解放され、バレエ音楽という新しい世界に足を踏み入れたのも、この曲の素晴らしさにハマったからだった。とにかく自由で楽しいのだ、バレエ音楽は。おまけに舞踊のための音楽なので、人の体を踊らせるよう出来ている。聴いているうちに心身が躍動するような快感を得られるのも、そんなバレエ音楽の魅力に違いなかった。

もっとも、バレエ音楽といえば筆者だって小学生の頃から、チャイコフスキーの『白鳥の湖』や『くるみ割り人形』くらいは知っていた。それらは学校の音楽の時間に、決まって先生が聴かせてくれる曲だからだ。だが、女性バレリーナがチュチュを着て踊るイメージが強いこれらの曲は、どうも田舎の悪ガキにはくすぐった過ぎた。まあ、それはしょうがないよね。お陰で、バレエなどは女の子が憧れるお上品なものという偏見が、この頃の筆者には出来上がっていた。

で、そんな長年の偏見をぶち壊してくれたのが、ファリャの『三角帽子』だったというわけだ。なにしろこのバレエのストーリーは、粉屋の女房に横恋慕するスケベな代官の失敗談。子供にはあまり聞かせられない、きわめて人間臭い大人のためのコメディなのだ。しかもそれがスペインの色彩溢れる、素晴らしいオーケストラ曲に仕上がっているから面白い。筆者は以後せっせと、様々なバレエ音楽のレコードやCDを買い求めたのだった。

同じファリャの『恋は魔術師』を始め、ラヴェルの『ダフニスとクロエ』、グラズノフの『ライモンダ』に、ストラビンスキーの三大名曲『春の祭典』『ペトルーシカ』『火の鳥』等々。ときにはバルトークの『中国の不思議な役人』に触発されて、渋谷の西武劇場(当時)に寺山修司の同名の芝居を観に行ったりもしたっけ。とにかくバレエは、歌舞伎と同じく舞踊により表現する劇。当然ながら音楽にもストーリーがあり、メロディやリズムの一つひとつに、登場人物の心情や動作が表現されている。なので、音楽を聴きながら舞台の様々な場面を想像するのが、またバレエ音楽の楽しさの一つなのだ。

ただし恥ずかしながら、筆者は未だバレエの生の舞台を観たことがない。やはり個人的に音楽は好きだけど、どうしても小学生以来のバレエに対する偏見が、ちょっとだけ邪魔をするのだろうか。シャイな奴め! だからたまに、バレエ公演のテレビ中継などで好きな演目をやっていると、つい好奇心で見入ったりもする。おお『三角帽子』とはこんな田舎臭いドラマだったのかとか、『ペトルーシカ』ってずいぶん幻想的な物語だったんだなとか、ひとり呟きながら…。で、テレビで舞台を観た後、音楽に対する印象が変わったり深くなったりするところが、新鮮でまたいいんだよなあ。

ドラマ性のあるバレエ音楽は、フィギュアスケートの使用曲にもよく選ばれたりする。今年になって印象に残っているのが、2月のソチ冬季五輪で男子の町田樹がフリーの演技に使った、ストラビンスキーの『火の鳥』。筆者も大好きな美しくドラマチックな作品だ。羽生結弦の『パリの散歩道』に比べると、オーソドックス過ぎるクラシックの大曲だが、筆者はそこにメダルに賭ける町田の心意気を感じていた。何といっても火の鳥は幸せの象徴であり、不死鳥なのだから。

若衆のようなルックスでスタイル抜群の羽生に比べ、やや地味で無骨な感じさえする町田は、本番で冒頭の4回転ジャンプには失敗したものの、後はみごとな演技を見せ5位入賞。金メダルは羽生に譲ったが、自身が火の鳥になったようなパフォーマンスは、音楽とよくマッチしていて素晴らしかった。男は顔じゃあない。町田くん、オバサマたちは羽生に熱狂していたが、オジサンはしっかり君を応援していたぞ!

まあ、バレエ音楽の魅力を数え上げればキリがないが、筆者にとってはやはりそのドラマ性と型にはまらない自由奔放さだろうか。とにかく、クラシック音楽は敷居が高いと思っている人には、まずバレエ音楽から入ることをお奨めする。何といっても楽しくなり、踊り出したくなり、最後にカタルシスを得られるのは間違いないので…。とりあえずその前に、劇の筋書きくらいは知っておきたいね。  


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2014年01月07日

早過ぎるよ!大瀧詠一師匠



信じられないニュースとはこのことだろうか。いよいよ明日は正月という昨年の12月31日、のんびりテレビのニュースを見ていた筆者の目に、あの伝説的ミュージシャン・大瀧詠一の訃報が飛び込んで来た。そんなバカな! 自宅でリンゴを食べていたとき急に倒れ、そのまま帰らぬ人になったというのだから、これを信じろと言う方が無理というものだ。敬愛する我が大瀧師匠が、そんなにあっけなく逝ってしまうはずがない…。

だが、すぐに訃報はネット上にも広がりはじめ、驚きは悲しみに変わる他なかった。信じたくはないが信じざるを得ない、というのがそのときの正直な気持ちだったろう。それにしても享年65歳は若過ぎる。死因は「解離性動脈瘤」だというが、長年“大瀧サウンド”に浸って来た筆者のような人間にとって、このショックはあまりに大きい。例えればこの喪失感は、ジョン・レノンを突然失ったビートルズファンのそれに、少し似ているのかも知れないなあ。

思えば筆者と大瀧サウンドとの最初の出会いは、今からもう30ウン年前、友人と魚釣りに行く途中の車の中で聴いた『君は天然色』だったっけ。♪く〜ちびるつんと尖らせて〜。ラジオから突然流れて来た軽快で斬新なポップスは、それまでの歌謡曲ともニューミュージックとも全く違う音楽だった。お洒落でメロディアスでアレンジが抜群に格好良くて、おまけに歌詞(松本隆)もキレている。なにより、歌っている歌手の声には人を惹き付けるものがあった。筆者はたちまちその歌手、大瀧詠一の虜になってしまったのだった。

それからは『A LONG VACATION』や『NIAGARA SONG BOOK』『EACH TIME』といったアルバムを次々買い漁り、デザインの仕事の合間に聴くのがすっかりクセになったわけだが、お陰で筆者の草臥れた脳みそはどれほど癒され、また活性化されたことか。まさに大瀧詠一さまさまだったなあ、あの頃は。とにかく師匠の作る曲はどれもメロディが美しく、編曲もスマートで遊び心に満ち満ちていた。こんな素敵な曲を作れるミュージシャンは、他にはいなかったね。今でも曲がよくテレビCMに使われるのをみても、その先進性が分かるというものだ。

また師匠は自分だけではなく、他の多くの歌い手たちにも曲を提供していた。太田裕美が歌った『さらばシベリア鉄道』や松田聖子の『風立ちぬ』、森進一の『冬のリヴィエラ』に小林旭の『熱き心に』などなど。いずれも大ヒットした名曲ばかりだが、当の本人たちにとっても大瀧サウンドとの出会いは、歌手人生の大きなエポックになったんじゃなかろうか。それほど大瀧ワールドは、煌めくような独自の世界だったのだ。あの森進一や小林旭が大瀧詠一の曲を歌うなんて、今から思えばまさに“East Meets West”。本当に奇跡のような出会いだったんだなあ。

ところでそんな大ミュージシャン・大瀧詠一の歌声に、筆者は当初から不思議な“既視感”を持っていた。いや声だから既視感はおかしいが、あのどこか普通の歌手とは発声法が違うような独特の高音には、いつかどこかで聴いたような懐かしい記憶があったのだ。恥ずかしながらそれを思い出したのは、初めて聴いた『君は天然色』からずいぶん年数が経ってからだった。もっとも、記憶の底から蘇った若き日の師匠の歌声は、ずいぶんイメージが違うものだったけどね。

それはむかし筆者が新人として初めて勤めた、渋谷のデザイン事務所でのこと。そこではラジカセで音楽を流しながら仕事をするのが日常だったが、たいてい先輩のNさんが自宅から持って来たカセットテープがかけられていた。中身はといえば、当時クラシックしか興味の無かった筆者がまるで知らない、ロック系の音楽ばかり。狭い室内でそれを繰り返し聴かされる身には内心、頭痛のタネでしかなかったね。なにしろ事務所のエースで怖い先輩のNさんには、筆者はまるで頭が上がらなかったのだ。

中でも辟易したのが、がなり立てるように歌う一人の歌手。耳障りなドラムの音とともに、その声は今でも鼓膜にこびり付いているが、とにかく歌がヘタクソで、おまけに歌詞の内容がえらく暗い。こんな音楽のどこが良いのやらと、筆者はそのころ腹の中でしょっちゅうブツブツ呟いていたものだ。ずっと後になってそれが「はっぴいえんど」というグループで、歌っていたのが若き日の大瀧詠一だったことを知り、ああそうだったのか!と思わず膝を叩いたってわけ。

だが、当時は嫌いだった『12月の雨の日』という曲も、いま改めて聴けば紛れもない師匠のメロディ。アレンジさえ変えれば、後の大瀧サウンドそのままじゃないか。それから約10年の雌伏の歳月を経て、『君は天然色』がブレイクする頃には、ずいぶん歌が上手くなっていたんだなと感心する。それに音楽の質や方向性も、聞き違えるほどプロフェッショナルなものに進化している。おかげですぐには同一人物だと気付かなかったわけだが、やはり筆者の心のどこかにはN先輩によって、大瀧ワールドの種が植えられていたのかも知れないな。

他にも大瀧詠一の仕事といえば、数々のCM作品が知られている。なにしろCM音楽だけでアルバムが出来てしまい、しかもそのどの作品もお洒落でセンス抜群なのだから楽しい。むろん誰もが聴いたことのある名作ばかり。筆者はそんなCM作品集のCDも持っているが、聴く度にそれが流されていた時代がありありと蘇り、懐かしくなって来るのだ。まさにこの人は才能の宝庫だったね。

残念なのは後年あまり作品を発表しなくなり、2003年のシングル『恋するふたり』を最後に新作がピタッと途絶えたこと。師匠も印税生活に飽食したのだろうか。ただし代わりに近年は、東西ポップス音楽のマニアックな研究家として、豊富な知識を披瀝していただけに、その死により失われたものは想像を絶する。名人と言われる落語家が亡くなれば、その瞬間に膨大な数の芸が消え去るのと同じように、この人は掛替えのないものをあの世に持って行ってしまったのだ。これが国家的損失と言わずして何と言おうか。

それにしてもむかしと全く変わらぬ美声で、いつか新曲を発表してくれるものと心待ちにしていたのは、筆者だけではなかったはず。その期待も叶わぬものになってしまった。いまはただ故人のご冥福を祈るしかないが、最後に贈る言葉があるとすれば大瀧師匠、あなたの才能こそまさに『君は天然色』でした。というわけで今夜は筆者のお気に入りの一曲、『君は…』じゃなく『カナリア諸島にて』でも聴こうかな。  


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2013年05月01日

ニューヨークの八代亜紀



「昭和の日」の4月29日、天気が好かったので嘉瀬川べりのウォーキングを兼ねて、筆者はバードウォッチングと洒落込んだ。嘉瀬橋から川沿いの道を南下し久保田橋を渡ってUターン、また元の嘉瀬橋に戻るというコースだったが、風が強過ぎたせいか枯れ葦の茂った川原にも、鳥たちの姿をあまり見掛けることはなかった。ただし往復2時間歩いたおかげで気分は爽快、心地好い汗をかくことが出来たというわけ。

さてその夜、NHK総合テレビでちょっと興味深いドキュメンタリー番組をやっていたので、久し振りに同局にチャンネルを合わせてしまった。歌手の八代亜紀がニューヨークのクラブで、一夜限りのジャズ・ライヴを開くというのだ。つまり“演歌の女王”がジャズの本場に乗り込み、アメリカ人相手にジャズで勝負するというわけ。そのアッパレな度胸には日本人なら誰だって、「ガンバレ!」と応援したくなるというものだ。それに、クラブの名前が「バードランド」というのだから、これは絶対見逃すわけにはいかないよね。

もっともこの八代亜紀という姐さん、度胸の良さはむかしからで、だいぶ前にもポルトガルはリスボンの酒場で、同国のファドの歌手と共演していたのを思い出す。あれも確かNHKの番組だったかなあ。ポルトガルギターの伴奏で自分の持ち歌を日本語で披露していたが、さすがの歌唱力に加えファドと演歌の親和性もあってか、地元の客たちからやんやの喝采を浴びていたっけ。ちなみにファドはポルトガルの民俗歌謡で、やはりコブシの利いた哀しい曲が多い。

ニューヨークでのチャレンジは、いきなり躓きから始まった。本場の一流メンバーが集められたジャズバンドと、彼女の歌との呼吸がどうも合わないのだ。もともとジャズ歌手から出発し、2012年には本格的なジャズのアルバムもリリースした彼女だが、日本とアメリカでは楽譜の書き方からしてまるで違うらしい。譜面にきっちりと書き込む日本式に対し、あくまでアドリブが基本のアメリカ流。歌唱力はあってもバンドとフィットしなければ、せっかくの一世一代のライヴも失敗に終ってしまう。番組はこうした音合わせから始まり、リハーサルを重ねながら彼女とバンドが徐々に一つに融合し、公演に臨むまでの3日間を克明に追っていた。

この公演の成否のカギを握っていたのが、アレンジを担当したカート・エリング。グラミー賞を受賞したジャズ歌手であり、作詞・作曲家でもある一流ミュージシャンだ。ボーカリスト八代亜紀の実力を引き出し、それをバンドの音に上手く乗せ、ニューヨーカーたちの心にいかに響かせるか、苦心惨憺する彼の様子が筆者には興味深かった。なにしろ日本では“演歌の女王”も、ニューヨークではただの無名歌手。サクセスストーリーを夢見て世界中から集まって来るシンガーたちの中で、彼女の実力がストレートに試されるのだから…。

八代亜紀が歌う日本の演歌を、いかにジャズ風にアレンジするか──。頭を悩ませていたカート・エリングだったが、そんな彼が初めてCDで彼女の『舟唄』を聴くシーンに、筆者は目を奪われた。あの独特のイントロから始まる名曲をじっと聴き入るその表情は、明らかに大きな驚きと感動を浮かべていたのだ。「これ、いいじゃん!」、まさしく彼はそのとき心の中でそう叫んでいたに違いない。「な、いいだろ!」、筆者も思わずそう心の中で呟いていた。

楽譜だけでは分からない、まったくナマの八代演歌。生まれて初めて聴く、そのウェットでオリエンタルな叙情歌の調べに、アメリカ人カート・エリングは魅了されてしまったようだった。結局、彼の発案で『舟唄』はジャズ風ではなく原曲に忠実にアレンジされ、公演のエンディングを飾る歌として披露されることになる。ナマの演歌がニューヨークに流れるのだ。

番組では、ゲストとして共演するヘレン・メリルと八代亜紀との交流にも触れていた。“ニューヨークのため息”と評されるハスキーボイスのジャズの大御所は、八代にとって長年の憧れでもあったのだ。ヘレンは出演前の八代に、「ジャズはフリーなのよ」と優しくアドバイスする。この言葉も、彼女の心をずいぶん勇気づけたに違いない。自分は自分のジャズを歌えば良いのだ、と──。

当夜の「バードランド」は、ぎっしり満席。どうせ日本人ばかりと思っていた客席が、けっこうアメリカ人で埋まっていたことが少し意外だった。これで受けなかったらマズいよなあ──そんな筆者の心配は、しかしすぐに杞憂に終った。持ち歌の『雨の慕情』に始まり、かつて松尾和子が歌った『再会』や、スタンダードナンバーの名曲の数々を、彼女はジャズアレンジで堂々と歌い終え、エンディングはいよいよ『舟唄』だ。カメラが歌声にじっと聴き入る客席の様子を映し出す。結果は、ショーが終わったあとの拍手の多さがすべてを物語っていた。

筆者が嬉しかったのは、聴き終わったアメリカ人の聴衆が特に『舟唄』を高く評価していたこと。言葉の意味は分からなくとも、彼らにも演歌のメロディの美しさや叙情性は、十分に伝わったのだ。なにより彼らにとってそれは、新鮮でユニークで魅惑的な音楽だったに違いない。やはり大事なのはオリジナリティということなのだろう。だいいち日本人がアメリカ人の物真似をしても、向こうの人にはつまらないはずだものな。

聞けば、八代亜紀が昨年リリースしたジャズアルバム『夜のアルバム』は、世界75ヶ国に配信されたという。その前年には由紀さおりのアルバム『1969』も世界22ヶ国で発売され、大きな話題を呼んだばかりだ。いやはや“熟女パワー”恐るべし──。だが実力とオリジナリティさえあれば、こういうことはどんどんやった方が良い。

どうせ日本の音楽なんて世界じゃ無理、などとしたり顔をして言う向きもあるが、そう自虐的になる必要はないんじゃないの。ものごとはやってみなければ分からない。そもそも今や世界中に知れ渡る浮世絵だって、寿司だって、マンガ・アニメだって、はじめはみんなそう思われていたのだから。遠慮なんかすることはないのだよ。  


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2013年04月18日

YouTubeで大島渚



さて、またまた“YouTube映画劇場”で見付けた映画の話。今度の掘出し物は、大島渚監督の『御法度』だ。なぜか中国語の字幕付き(簡体字)バージョンだったけど、かの大陸にもどうやら大島ファンはいるらしい。この映画、1999年に公開されたとき筆者は映画館で観ていたのだが、先頃亡くなった大島監督の最後の作品ということもあり、故人を偲びつつもう一度観てみることにした。まあ、これもささやかな供養の一つ。それにしても本当に、日本映画界は惜しい人を失ったものだ。

物語の舞台は幕末の京都。新撰組に同期入隊した加納惣三郎と田代彪蔵はともに剣の達人だったが、前髪を残した美少年の惣三郎は男ばかりの屯所の中ですぐに目立つ存在になる。男色家の田代を始め局長の近藤や隊士の湯沢など、男たちは惣三郎に熱い視線を寄せ、隊内の空気は徐々に不穏なものになる。「鉄の結束」を誇る新撰組の危機だ。しかし惣三郎はやがて密かに田代と関係を持ち、つぎに湯沢とも…。

風紀の乱れを案じた副長の土方は惣三郎に女の味を教えようと、監察の山崎に命じ遊郭に誘わせるものの結果は不発。そればかりか夜道で山崎が、何者かに襲われるという事件が起こる。現場に落ちていた小柄から田代が犯人と断定した近藤は、惣三郎にこの男を始末するよう命じ、介添人の土方は沖田とともに夜の鴨川原で二人の決闘を物陰から見守る…。

まあ何というかこの映画、隊律厳しい男ばかりの殺人集団の中で持ち上がった、ホモセクシュアルの色恋沙汰という、スリリングでちょっとキモイ設定なのだ。しかしそのシチュエーションこそが、大島渚が観客の心臓に突き付けた“刃”なのだろう。こんなドキドキするような発想の映画を真正面から撮れるのは、大島監督を置いて他にはいないはず。まさに“死と隣り合わせの愛”──このプロットはなかなかスゴいと思う。

物語を引っ張るのは二本の縦糸だ。一つは剣の達人で正体不明の美少年・惣三郎が、殺人集団の男たちの中でどんな運命をたどるのかという糸。もう一つは監察・山崎を闇討ちした犯人をめぐるミステリーという糸。二本の糸を巧妙にからませながら、男同士の妖しい愛欲や嫉妬などを抉り出そうというのが、映画の狙いなのだろう。いかにも大島監督の作品らしい、これは“尋常ではない愛”の物語なのだ。

惣三郎を演じるのは、故松田優作の遺児で当時16歳の松田龍平。今ではちょっとチンピラヤクザみたいな風貌になってしまったが、この頃は女の子のような可愛い顔をした少年だった。土方役がビートたけしで、音楽は坂本龍一とくれば、これはもう名作『戦場のメリークリスマス』以来の顔合わせ。他に田代役を浅野忠信、沖田役を武田真治という実力派俳優が演じ、山崎役はお笑いタレントのトミーズ雅、近藤局長には大島監督の直弟子・崔洋一という異色の顔ぶれだ。

だが結果的にはこの映画、必ずしも成功しているとは思えないんだよなあ。その一番の原因は、登場する新撰組隊士それぞれの人物造形に、差があり過ぎることだろう。つまり演技している役者の力量がまちまちで、全体の繋がりに一体感がないのだ。サッカーチームに例えれば、ディフェンダーやトップ下はバリバリのプロ選手なのに、フォワードが素人高校生で右サイドはOBの中年親父、左サイドは野球選手みたいなものだろうか。

特に微妙なのが、やはりフォワードの松田龍平だ。本人に罪はないのだろうが、ビートたけしや浅野忠信、武田真治といった個性の強い役者たちの中に入ると、どうしてもきれいなだけの操り人形に見えてしまう。別にクサイ演技をしろと、筆者は言っているわけじゃない。ただ下手は下手なりに、強烈なシュートを撃って欲しかったのだが…。

この映画の肝はズバリ、加納惣三郎という少年が男たちを誑かす“化物”にどう変容するかということ。そこに尽きる。わざとらしくない演技でそれを表現し、観客の心に妖しい情念の火をつける力技こそが、惣三郎役には求められたはずなのだ。が、いかんせん素人の松田龍平にそれは無理というもの。美貌とメイクだけでは、やはり惣三郎の魔性は表せない。そのせいかせっかく面白いこのフィクションも、どこか観念的で説得力のないものになってしまっている。惣三郎が少しも“化物”に見えないのだ。

もともと大島監督は、素人を抜擢した奇抜なキャスティングに定評があった。「一に素人、二に歌うたい、三、四がなくて、五に大スター」とは、彼がテレビ番組内で語っていた言葉だ。一番嫌いなものは新劇の役者だとも言っていたっけ。つまりこの人は技能的な職人芸の芝居を嫌い、素人による無垢の演技を武器に、無人の荒野に斬り込むのが得意だったのだ。これは彼が育った松竹の職人的映画づくりに対する、アンチテーゼなのかも知れないなあ。

だがこの手法も、若い頃に撮ったドキュメンタリータッチの作品では成功したものの、演技力が要求される重厚なドラマではちょっと苦しい。素人の棒読みセリフに生硬な演技では、人間の屈折した心の奥などとうてい表現出来るものではないからだ。あの『戦場のメリークリスマス』が、主役を務めた坂本龍一の素人演技にもかかわらず成功したのは、それを補って余りある彼の素晴らしい音楽と、デヴィッド・ボウイやトム・コンティ、ビートたけしら他の俳優たちの力演、そして何より最高の形で開花した大島監督の才能が、みごとに融合したからに他ならない。

その意味ではこの『御法度』は、融合し損ねた原子核なのだろう。理論的には熱いエネルギーを放出するはずなのに、なぜか原子核同士はどこかへすれ違ったまま…。様々な布石を配した緻密なストーリー構成や、思わせぶりでミステリアスなセリフの数々など、この映画は脚本だけ読めばかなりドキドキさせられるはず。そこに役者の演技がうまくハマっていればなあ、というのが観終わった筆者の素直な感想だ。  


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2013年04月10日

YouTubeで寺山修司



世の中、本当に便利になったもんだ。テレビの地上波放送が壊滅的につまらないせいで、夜などはもっぱらインターネットに親しむことの多い筆者だが、このところハマっているのがYouTubeでの映画鑑賞。驚くべきことに様々な映画作品が、そこにはアップロードされていたりする。もちろん無料。しかも映像はフルバージョンで、中には涙が出るほど画質の良いものもある。これらの中から掘出し物を探し出して、自室でゆっくり観賞するのが筆者の最近の楽しみなのだ。

むろんこうした映像のアップロードは違法なので、それをダウンロードして保存したりすると刑事罰の対象となる。良い子はそんなことをしてはいけないのだ。ただし、アップされたものを観るだけなら、刑事罰の対象にはならない。まあ本当はDVDを購入するか、レンタル店で借りて観るのがベストなのだが、そんな所ではまず手に入らないようなレアな作品と遭遇できたりするのが、YouTubeの面白さの一つでもある。なのでケチで出不精の筆者などは毎夜、ネット裏の散歩者になるというわけ。

そんな“YouTube映画劇場”で巡り会った最近の作品の一つに、あの寺山修司が監督した『草迷宮』がある。英語のタイトルと字幕が付けられていたので、どうやら外国からのアップロードらしいが、筆者の世代には懐かしい奇才・寺山の代表作に、こんな所で出会えるのだから偶然とは恐ろしい。サムネイルを見た瞬間、驚きと感動で心臓がドクンと鳴ったのは言うまでもない。何しろそのむかし、筆者が勤めていた渋谷のデザイン事務所の斜向かいには、彼が主宰する劇団「天井桟敷」の劇場があったもんなあ…。

物語は、死んた母親の口ずさんでいた手毬唄の歌詞を求めて旅する青年・あきらが主人公。様々な女たちと出会っては尋ね歩くうち、いつしか彼の記憶には少年時代の、土蔵の中に住む狂女との性体験が蘇る。その女とは、実は父がかつて手篭めにした女中だった…。そして過去と現在が次々と交錯する中、不思議な夢が映し出す妖怪たち(なにせ原作が泉鏡花)や、浜辺で水死した少女などが現れては消え、全編に美しくエロティックな幻想の世界が展開される──。

まあ、ストーリーの意味を求める向きにはわけ分からんという作品だが、筆者的にはすこぶる傑作だと思う。何よりこれは寺山ワールド全開の映画なのだ。古い土蔵や商家の看板などノスタルジックな風景の中、色っぽい和装の女たちがフェロモンを振りまき、裸体の男たちがのたうち回り、異形の妖怪が跳梁跋扈する。記憶の中のあきらに扮する美少年・三上博史はどこか儚く、妖し気な子守唄に重なるのはJ・A・シーザーの音楽──。つまりこれは、そのまま「天井桟敷」の舞台なのだな。観客はひととき、このドロドロした“妖しの世界”に身を委ね、感応する自分を楽しめば良い。

旅から旅へと子守唄を求めてさすらうあきらの姿は、母親の呪縛から逃れられない男の宿命を表しているのだろう。これは母子家庭で育ったという寺山自身の投影なのかも知れないが、世の男たちは多かれ少なかれそんな定めを背負っているはず。また世の母親たちにとっても、息子は永遠に自分の肉体の一部なのかも知れないな。夢の中で母親があきらに向かい、「お前をもう一度妊娠してやったんだよ」と大きなお腹を突き出す場面は、筆者には可笑しくもありまた恐ろしくもあった。

面白いのはこの映画の中に、あの伊丹十三が出演し三役を演じていること。映画が制作されたのは1978年だが、その前年の77年に渋谷の西武劇場(当時)で「天井桟敷」が公演した、『中国の不思議な役人』を筆者は観ている。その舞台にも伊丹は主演の一人で出ていたが、この人、寺山とはいったいどんな付き合いだったのだろうか。今さらながら、二人の奇才の関係がちょっと気になる。

ともあれ、これはシュールで美しい映画だ。寺山修司の美学がすべての場面に凝縮されているのを感じるし、謎めいた台詞の多い脚本もよく練り込まれている。それに主演の若松武史の熱演が、何といっても光っているんだよね。筆者がかつて観た「天井桟敷」の舞台も素晴らしかったが、これは寺山の映画監督としての才能を十二分に感じさせる名作じゃないのかな。それに『草迷宮』というタイトルも、ファンタスティックで良い(さすが鏡花先生)。  


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2013年03月23日

不滅のファイティング原田



読んでいるうちにあの日の感動が甦る、とはこの本のことだろうか。いや、久しぶりに胸が熱くなり、心臓が高鳴るのを覚えたよ。本のタイトルは『「黄金のバンタム」を破った男』(百田尚樹著)。昭和の名ボクサー、ファイティング原田の戦いを克明に追ったノンフィクションだ。書店の文庫本コーナーで思いがけなく出会った、久々のスポーツものの傑作といって良いだろう。

何といっても、あのファイティング原田だ。昭和37年(1962)に19歳で世界フライ級チャンピオンになり、同45年(1970)にフェザー級タイトル挑戦に破れて引退するまで、フライ・バンタム2階級を制覇し、日本中を熱狂させた過去最高のボクサーなのだ。今のように団体が乱立しわけの分からない階級が乱造された時代と違い、当時の世界チャンピオンはフライ級からヘビー級まで、1階級に1人ずつのたった8人。とてもシンプル。そんな、チャンピオンの価値が今より遥かに高い時代での2階級なのだから、原田という男のスゴさが分かるはずだ。

なにしろ当時の原田の、世界戦のテレビ視聴率の最高記録が63.7%というのだから、いまから見れば到底信じ難い話だ。しかし、当時はそんな時代だった。筆者は試合の後日、テレビの寄席番組で漫才コンビの夢路いとし・喜味こいしが、ネタのまくらに「原田、勝ったな!」などと、世間話風に喋っていたのを記憶している。それくらいファイティング原田の試合は、国民の共通関心事だったのだ。

この本は原田より以前の日本ボクシング界黎明期に、日本人で初めて世界フライ級のタイトルを取った白井義男の話から始まっている。筆者などの世代には、白井氏はテレビの解説者としてお馴染みだが、戦後まもなく復員した彼の才能を見出し、世界チャンピオンへと育て上げたアメリカ人軍属、カーン博士との二人三脚の物語は、日本のボクシング史を語る上で避けてはならないエポックなのだろう。そりゃそうだよね。もっともこの辺りについては、白井氏の自伝『ザ・チャンピオン』や佐伯泰英氏の『狂気に生き』をすでに読んでいた筆者には、あまり新鮮味はなかったけど。

ファイティング原田は、その白井義男がタイトルを失ってから8年目にようやく現れた、日本人で二人目の世界フライ級チャンピオンだった。王座を奪った相手はタイのポーン・キングピッチ。ただし残念なことに筆者は、この歴史的なポーン・原田戦をリアルタイムで観ていないのだ。当時、うちにはすでにテレビの受像機はあったのだが、フジTV系列下で放映されたこの試合、佐賀の田舎では観られなかったんだよねクソ〜。なので、しっかりとビデオで観たのはずっと後年のこと。そこでは童顔の19歳・原田が、弾けるようなフットワークと速射砲のような連打で、王者ポーンを圧倒していたっけ。

面白いのはこの試合の挑戦者である原田が、実は急遽決まったピンチヒッターだったこと。本来ならチャンピオンの座に最も近い男といわれた、世界ランキング1位の矢尾板貞雄こそが、ポーンに挑戦するはずだった。だが、タイトル戦の間近になって矢尾板は突然、謎の引退を決めてしまう。世界的に無名の新人だった原田は、強運にも恵まれたボクサーだったのだ。矢尾板引退の謎は本の中で解明されているが、それにしても著者である百田氏の矢尾板へのリスペクトが、何となくこの本のもう一つの味付けになっているのを感じたのは、筆者だけだろうか。

さてそんな原田が敵地での初防衛戦の微妙な判定で、ポーンにタイトルを奪い返された後、選んだのが一階級上のバンタム級のタイトル。そこで登場するのが本の題名にもなった、「黄金のバンタム」と呼ばれた史上最強の王者、ブラジルのエデル・ジョフレというわけだ。筆者などはこの名前を聞いただけで、何だかゾクゾクして来るのを覚えてしまう。とにかく、それほどジョフレというボクサーは強かった。

なにしろ原田の挑戦を受けるまでの戦績が、50戦47勝(37KO)3分無敗、17連続KO勝利更新中という恐ろしさ。2年前の昭和38年(1963)には、原田や海老原博幸と並んで“軽量級三羽烏”とうたわれた、バンタム級4位の青木勝利の挑戦を、わずか3ラウンドで退けている。この試合がTBS系列下の放映だったお陰で、佐賀の田舎でもバッチリとテレビ観戦出来たのだが、あのKOシーンは今でも鮮烈に筆者の記憶に残っている。ジョフレのボディブロー、あれは本当にスゴかった!

1、2ラウンドは若い青木のパンチを、冷静にかわしていたジョフレだったが、そこにスキを見付けたのか第3ラウンドに一気にボディ攻撃に出た。速くて強くて正確なパンチが数発、腹にめり込むと青木はたまらずダウン。一度は立ち上がったものの、ふたたびボディを狙われた青木は悶絶して倒れ、そのままカウントアウト。このときの青木の苦悶の表情が、子供だった筆者には恐ろしかったね。試合の終盤ではなくごく早い回に、しかも世界タイトルマッチという最高峰の舞台で、数発の的確なボディブローで相手をKOするというシーンを、筆者はこの前にも後にも見たことがない。まさに「黄金のバンタム」、ジョフレの強さには凍り付く思いだった。

そのジョフレに挑戦し、世界バンタム級のタイトルを奪い取り、しかも一年後に防衛戦の相手として再戦し退けた男が、われらがファイティング原田だったのだ。ジョフレの輝かしい生涯戦績のうち、敗戦はたったの2度。いずれも原田に敗れたものだ。この本は、そうしたバンタム級史上最強王者とうたわれるジョフレとの2度の戦いを中心に、ファイティング原田のボクサー人生とその時代を詳細に描いている。特に試合のシーンの描写には、今でも血沸き肉踊るものを覚えさせられる。

とにかく原田のファイトスタイルはケレン味がなかった。ゴムまりのように軽快なフットワークから、機を見て飛び込んでの速いワンツーパンチ。で相手がひるむと、一気に速射砲のようなパンチの嵐だ。打って打って打ちまくるとは、原田の為にある言葉だったのかも知れないな。こんな攻撃を無尽蔵のスタミナで、1ラウンドから最終ラウンドまで見せてくれるのだから、そりゃ人気が出ないわけがない。お陰で相手のパンチを食らうこともたびたびあったが、それも彼の試合をスリリングにした一つの要素だったのだろう。

そしてなにより評価出来るところは、常に世界に強い敵を求めて戦ったことだ。エデル・ジョフレはむろんのこと、他にバンタム級タイトルの防衛戦の相手を見ても、英国のアラン・ラドキン、メキシコのジョー・メデル、コロンビアのベルナルド・カラバロなど、原田は常に世界ランク上位の挑戦者を相手に迎えている。そしてそれが、さらにチャンピオンベルトの価値を高めていた。

聞いたこともないような相手ばかりに勝って、いつの間にか“日本人初の3階級世界制覇”などと持ち上げられている、現代の亀◯とかいうチンピラとはもうわけが違うのだ。筆者はこの亀◯の試合を観るたびに、世界タイトルの価値の下落を嫌というほど思い知らされる。やれやれ、だ。まあ思えばファイティング原田が活躍した1960年代は、日本ボクシング界が迎えた最初の黄金時代だったのかも知れないな。

ライオネル・ローズに敗れバンタム級のタイトルを失った原田が、さらに一階級ウェイトを上げて世界フェザー級の王座に挑戦した試合を、筆者は東京のアルバイト先の工場の二階で観た記憶がある。チャンピオンのジョニー・ファメションから3度のダウンを奪いながら、不当な判定で引き分けにされ、3階級制覇の夢を断たれたこの試合は、原田にとっておそらく最後の輝きだったに違いない。翌昭和45年のファメションとの再戦では、ロープの外に吹っ飛ばされるという壮絶なKO負けを喫し、肉体の限界を感じた原田は潔く引退することになる。

しかしこうして振り返ると、原田の試合はどれもあの時代の風景と濃厚に重なっている。思えばボクサー原田の成長物語は、筆者にとっての成長物語であり、高度経済成長時代が始まる日本の縮図でもあったんだなあ。輪島功一や大場政夫、具志堅用高など、この後も続々と素晴らしい世界チャンピオンが生まれて来るが、やはりファイティング原田ほど筆者の心を熱くしたボクサーはいない。ありがとう原田、ありがとうボクシング。スポーツのノンフィクションで一番面白いのは、やはりボクシング物だということを、この本は改めて筆者に思い出させてくれたような気がする。  


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2012年10月17日

浅草の映画館が消える



残念なニュースが聞こえて来た。東京・浅草の映画館街である通称「浅草六区」から、10月21日限りですべての映画館が消えてしまうのだという。建物の老朽化が最大の理由らしいが、それにしてもショッキングな話だ。かつてあの辺りをしょっちゅう徘徊し、いろんな映画館で映画を楽しんだ筆者としては、大事な思い出が消えて行くようで、なんだか寂しい。

まあ、映画はもはやデジタルシネマの時代だ。新しく清潔な映画館の座り心地の良い椅子で、高画質の画面をゆったり楽しむのが当たり前、というそんな世の中が到来しつつある。老朽化し採算の取れなくなった旧来型の映画館は、これからどんどん情け容赦なく取り壊されて行くのだろう。代わりにスマートでクリーンで何の匂いさえもしないような、ハイセンスなシアターが日本のあちこちに出来て行くはずだ。

しかしなあ、と筆者は言いたい。オシャレで大画面の映画館も悪くはないが、そればっかりになったらちょっと味気ない。というか面白くない。映画館にはやっぱりどこか人間臭く、怪し気で、多少薄汚く、ほんの少しいかがわしい雰囲気がある方が、魅力的だと筆者などは思うのだ。だいいち見ず知らずの老若男女が肩を並べ、泣いたり笑ったりときには性的興奮を覚えたりするのに、あまりにきれいでだだっ広い客席では、ちょっと気恥ずかしくもなるというもの。映画館にはやはり、それなりの雰囲気や空間が必要なんだよね。

筆者が惜しむのは、消えて行く浅草六区の映画館街には、そうした人間臭い空気が充満していたからだ。例えば、かつてそこで筆者が初めて入った映画館「東京クラブ」なんか、まさにそうだったものなあ。ここは昭和初期の建物で、外観からしてどこか有機的な形をした怪し気な美しさに満ちており、ひとくちで言えば“映画に出て来そうな映画館”という感じだった。

筆者が行ったときはすでに取り壊しが決まっていて、ちょうど最後の上映月間だったが、観る予定の『第三の男』の開始時間を窓口で訪ねると、切符売りの粋なおバアちゃんが、「はい『サードマン』は◯時◯分からね」と教えてくれたものだ。客席の木製の椅子は使い込まれてツルツルになっていたが、これも雰囲気があって良かったね。人影のないガランとした場内が暗くなり、小さなスクリーンに写し出されたモノクロ画面から、アントン・カラスのチターの音が聞こえて来たときは、筆者も心臓がドキドキしたのを思い出す。

あと、「東京クラブ」の並びには「浅草松竹」という映画館があり、ここにも何度か足を踏み入れたことがある。やはり古くて雰囲気のある映画館だったが、記憶にあるのは建物のあちこちに細密な装飾が施してあったこと。とにかくあれは印象的だった。ここでどんな作品を観たのか、筆者の記憶も定かではないが、ただスクリーンの両脇を彩ったデコラティブな彫刻だけは、今でもよく覚えている。
また、そこから少し離れた建物の2階には「浅草東宝」もあった。筆者はこの館にも、長いエスカレーターを昇って何度も通ったものだが、数々の伊丹十三監督の新作を観たり、東宝特撮シリーズの特集をオールナイトで観たりと、思い出は尽きない。

だが何といっても最高の空間だと思ったのが、やっぱり「浅草東映パラス2」かな。なにが良いといって、とにかくここは居心地が良かったね。まず客席がスタジアムのように傾斜式になっており、スクリーンが悠々と見下ろせるのが良かった。仮に前の座席に頭のでかい奴が座っても、何の心配もいらないのだから。それに小ぢんまりとした適度な狭さが、心を落ち着かせてくれる上、うまい具合にいつも場内はガラガラ。そこで寝ようが靴を脱ごうが、周りに気兼ねすることは何もない。これだけ好条件が揃った、リラックス出来る映画館も他になかったなあ…。

などといろいろ思い出を書き連ねてしまったが、これらの懐かしい映画館はすべてもう現存しないものばかり。そして最後に残った「浅草名画座」などの5館が、ついに終焉のときを迎えるというわけだ。なんだか、映画『ニュー・シネマ・パラダイス』のラストシーンを思い出してしまうが、主人公のように解体の場面を見なくてすむのは、筆者にとってせめてもの慰めなのかも知れないな。でもすべてが無くなる前にもう一度、浅草で映画を観てみたい気もするのだ。  


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2012年02月06日

皮肉の利いた『ロボジー』



「ロボジー」と聞いて、テクノロジーとかバイオロジーの親戚を連想したら、大きな間違い。正しくは「ロボ爺」と書くのだろうが、つまりはロボットの着ぐるみの中に入る爺さんのお話…。そんな奇妙な映画、矢口史靖監督の「ロボジー」を観て来た。筆者は奇妙な映画が大好きなのだ。

白物家電メーカー・木村電器の社員である小林・太田・長井は、社長の無理な命令で、ロボット博に出展するための二足歩行ロボットを開発中だが、期限まであと一週間というところで試作機「ニュー潮風」が大破。困った三人はロボットの着ぐるみでごまかそうと、中に入る人物を選ぶためオーディションを行う。で、選ばれたのが独り暮らしの不平爺さん、鈴木。体形と腰痛持ちの歩き方が、ロボットにピッタリだったのだ。

爺さん扮するロボットはスムーズな動き(そりゃそうだ)で無事、ロボット博を切り抜けるが、そのとき偶発事故から救った女子大生・葉子に、今度はつきまとわれるハメに。葉子は熱烈なロボットオタクで、かつデキる工学生だったのだ。おまけに「ニュー潮風」が評判となり、鈴木のお座敷が増えるという予想外の展開で、今度は図に乗った爺さんの横暴がヒドくなって行く…。

ここまで書いただけでこの映画、何となくニヤニヤしてしまうほど。とにかく意外な展開の連続で、話が転がるように進んで行くのだから面白い。流行に便乗しようとする調子のいい家電メーカーの社長に、徐々に身勝手ぶりを増大させて行く不平爺さん、さらには鉄砲玉のような女子大生がそこに加わり、振り回される三人の社員の困り果てた姿がたまらなく可笑しい。ある意味、これは“サラリーマン哀歌”ともいえそうだ。

だがこの映画の魅力はまず、着想の奇想天外さにあるのだろう。何といっても、時代の先端を行くヒト型ロボットと、時代から取り残された爺さんを組合せるという、そのアイデアが素晴らしい。腰痛持ちの爺さんがロボットに入り、歩く姿を想像するだけで、誰もがきっと笑ってしまうもんね。もっとも腰を落とした両者の歩き方は、よく見れば元々とても似ているのだが…。

しかも主人公の不平爺さんを演じるのが、新人・五十嵐信次郎ときている。だが、これはただの爺さんではない。何を隠そう元祖ロカビリー歌手で、かつ作曲家にして怪優さらには落語家、おまけにライダーとしても知られる、あのミッキー・カーチスの別名なのだ。人を食った演技はお手のものだが、主人公のキャラクターにこの人の地がよくマッチしていて、とにかく楽しい。エンドロールに流れる「ミスター・ロボット」では、自慢ののども披露しているしね。

ところどころ強引な筋の運びもあるが、これは全体でみれば最後まで楽しめるコメディ映画の佳品だろう。しかも面白いだけじゃなく、ヒト型ロボットの開発に血道を上げる日本人の滑稽さに、けっこう痛烈な皮肉をカマしてもいる。外国人がこの映画を観たら、きっとゲラゲラ大笑いをするんじゃないだろうか。冷静に考えれば、ロボットに二足歩行をさせ踊りを踊らせて悦に入っている人間の姿は、マンガそのもののはずだものな。

そういえば日本が誇るヒト型ロボットは、現実に起きた福島の原発事故現場では、屁の突っ張りにもならなかった。この国では人間そっくりのロボットを作ることと、人間の役に立つロボットを作ることは、まるで別方向を向いているようだ。筆者にはヒト型ロボットなどよりこれからは、老人パワーを有効活用した方がはるかにマシ、とこの映画が言っているように思えた。  


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2012年01月07日

空の大怪獣ラドンと西海橋

新しい一年が始まった。大震災に原発事故、加えて政府の対応も失敗だらけで、まるで良いことのなかった昨年だったが、今年は無事息災と行きたいもの。人間、生きる為には何ごとも切り替えが大切だ。明るい一年とするために、筆者もスカッと気分の晴れる場所へ行きたくなった。



そんなわけで正月早々訪れたのが、長崎県佐世保市にある景勝地・西海橋。ここを選んだのに別に深い理由などはないが、まず初詣での参拝客で混雑する神社仏閣などは避けたかったのと、とにかくスカッと展望の開ける景観を見て気分を一新したかった。それともう一つには、筆者のお気に入りのある映画の舞台を、この目で確かめてみたいという以前からの願望もあったのだ。で、まあこの際だし行ってみるかと決めたってわけ。

その映画とはズバリ、東宝の特撮ものの傑作『空の大怪獣ラドン』。1956年公開のこの映画には、物語の舞台が全て九州ということもあり、筆者は子どもの時分から不思議な親近感を抱いて来た。何といっても怪獣ラドンが生まれたのは阿蘇山近くの地底の大空洞だし、大暴れして破壊する都市は福岡市の天神地区だ。前半の舞台となる小さな炭鉱町の様子などは、当時の佐賀県民にはどこか見慣れた風景だったに違いない。♪生まれも育ちもまるまる九州たい〜、という村田英雄の唄のような怪獣、それがラドンなのだ。

そのラドンが阿蘇から舞い上がり西に向かい、自衛隊のF-86Fセイバー戦闘機の追跡を受けながら、最初に破壊する巨大な人工構築物こそ、佐世保市にある西海橋だったというわけだ(佐賀県はなぜか素通り…)。当時のこの橋は、完成したばかりの新観光スポット。映画では、大急ぎで退避する観光バスの姿なども挿入されている。東宝のスター怪獣の標的となるには、ここはもってこいの存在だったのだろう。

寒風の中はるばる実地検証にやって来た筆者も、まあ物好きといえば相当物好きだが、しかし来てみてやはり良かったね。西海橋は映画の通りの雄大さと美しさを兼ね備えた、見事なアーチ式橋脚だったのだ。むろん周辺の景色も素晴らしい。きっとここをロケハンで訪れた当時の撮影スタッフも、思わず「こりゃ行ける!」と叫んだに違いない。

映画ではこのアーチの下の海面にラドンが突っ込み、やがて反対側の海面から再び空中へ飛び上がることになっている(吊ってあるワイヤーが丸見えだが)。後を追う自衛隊機もこのアーチの下をくぐるわけだが、ここは映画の中でも特に迫力に満ちた場面として、筆者の印象に残っている。いわば見せ場の一つだ。橋のスケール感がラドンの巨大さと自衛隊機の小ささを際立たせ、自然と人間との相克をシンボライズしているように見えるのがいい。

橋はその後、反転上昇したラドンのソニックブームにより真ん中からグニャリと折れ曲がるが、現在も橋のその辺りに立つと、手摺や鉄骨などには修復工事の跡がかすかに見て取れる。きっと当時は、突貫工事で大変だったんだろうなあ…(そんなこたないっ!)。とにかく映画を見た後ここに立つと、不思議な気分を味わえることは請け合いだ。

そんなわけで西海橋の現在の姿を確認して気分がスカッとした筆者は、寒風に耐えながら歩いて橋を渡り、反対側のたもとにあるレストランで昼食をとったのだった。そこで食べた海鮮丼はそこそこ美味かったが、なにより窓の外の景観は最高のご馳走だったね。ただし、少し気になることもいくつかあった。

一つはお正月だというのに、ここでの観光客の少ないこと。レストランのお客もまばらなら、土産物売場もまたまばら、広大な無料駐車場もガランとしたままなのだ。いくらこの時期は神社仏閣に人が集中するとはいえ、西海橋だって有名観光地のはずじゃあないの。書き入れ時にこの様子では、人ごとながら心配にもなるというもの。

そこでもう一つ気になったのが、どこを探しても辺りにラドンの「ラ」の字も出て来ないことだ。まあゴジラやモスラほどではないにしろ、ラドンだっていちおう名の売れた東宝映画のスター怪獣のはず。そのラドンが破壊したご当地の西海橋で、これを商売に活用しないのはあまりに勿体ない話だと思う。

東宝の怪獣ファンは今でも国内外に大勢いるはず。せめて橋のたもとに「ラドン記念碑」を建てるとか、土産物屋にラドンせんべいやラドンチョコ、あるいはフィギュアやキーホルダーを並べるとか、話題作りはいくらでも出来るんじゃないのかね。映画会社とのタイアップで、ここでDVDを販売するなんていうアイディアもあって良い。とにかくこのままでは、せっかくの観光資源が泣くというもの。ラドンファンの筆者としては、西海橋はむかしも今も人気観光スポットであり続けてほしいのだ。



帰りは長い遊歩道を歩き、西海橋のすぐ西側に2006年に出来た新西海橋を渡って元の駐車場へ。新旧二つの橋はすぐそばを並行しているため、それぞれからお互いの美しいアーチ式のフォルムをじっくり眺めることが出来る。撮影には最高で、こんな場所も珍しいんじゃないのかな。ラドンの新作映画が出来たあかつきには、この新しい橋もぜひソニックブームでひん曲げて貰いたいものだ。  


Posted by 桜乱坊  at 21:55Comments(0)本・映画・音楽など