2018年08月31日
子供には読ませられん!

子供のとき読んだ童話や絵本、マンガなどの中には、大人向けの原作を書き直したものも多い。なんたって読むのは無垢な子供たちだ。そこでは入り組んだストーリーは単純化され、刺激の強い描写はNGとなり、悲しい話もハッピーエンドに変えられる。なので、すっかり子供向けの物語かと思っていたらさにあらず、大人になって原作を読んで、ビックリ仰天といった人も少なくないだろう。
あの『ガリバー旅行記』などは子供の絵本の定番だが、筆者が大人になって読んだジョナサン・スウィフトの原作は、とんでもなく辛口の風刺小説だった。しかもそこには「小人国」のみならず、「巨人国」や空飛ぶ島「ラピュータ」や「馬の国」などがあり、なんと「日本」まで登場するのだから驚いた。ジブリの名作『天空の城ラピュタ』の原案も、ここにあったってわけだな。
わが国の旅行記なら、江戸時代の東海道が舞台という『東海道中膝栗毛』も、弥次さん喜多さんで知られる子供の好きな物語だ。これは、いい年をした弥次郎兵衛と喜多八の男二人組が、江戸を出発してお伊勢詣りに行く道中記だが、なにしろ行く先々で巻き起こすトンマな失敗が面白い。子供向けの名作古典として、いまも学校の図書館などでは人気が高そうだ。筆者も小学生の頃、借りて読んだ記憶があるんだなあ。
ところがこの『東海道中膝栗毛』、十返舎一九の原作を大人になって読むと、たいていの人は腰を抜かすに違いない。とにかく、この弥次喜多の二人はスケベの権化みたいな人物で、どこへ行っても女に手を出しては騒ぎを起こす。おまけに下品で間抜けでやることがセコい。とても子供に胸を張れるようなキャラクターではない。学校の先生なら、目を覆いたくもなるだろう。ちょい悪オヤジどころか、かなりの不良オヤジと言えそうな二人なのだ。
しかもこの二人の関係は、元をただせば弥次郎兵衛が旦那で、喜多八はお相手の若衆役者だったという間柄。つまり弥次さん喜多さんは、むかし男色の関係にあったというわけ。それが年を食ってお互いにオヤジになり、今度は女の後を追うのだから呆れたものだ。早い話がバイセクシュアルという奴だが、そんな猥雑なユーモアこそがこの本の持ち味なんだろうね。それにしても、こんな本がベストセラーになった江戸時代の開放的な町人文化に、筆者は敬意を表したい。
昨今はLGBTへの社会の対応について議論が喧しいが、どうも江戸時代の日本は、性に対しては大らかだったようだ。筆者はその道にまるで詳しくないが、当時は吉原みたいな遊女屋もあれば、陰間茶屋という男娼のいる茶屋もあったらしい。陰間とは男性客相手の美少年だったというが、ときには女性客の相手もしたというから、なんだか忙しい話だ。この陰間が年を食うともう男の客がつかなくなり、あとはただのオヤジになって女性を追いかけるしかない。花の命は短いもので、その一人が喜多八だったというわけ。ああ、なるほどねえ。
しかし、考えてみれば佐賀県人必読の書『葉隠』にも、衆道を奨めるくだりがあるから他人事ではない。衆道とはつまり武士どうしの男色のことで、この書物の口述者・山本常朝は、「常住死身」というストイックな武士の生き方を説く一方で、「忍ぶ恋」という男どうしの恋も奨めている。そんなこと出来るかよ!と憤慨したいところだが、常朝先生はマジメに「恋の至極」について解説しているのだ。
『葉隠』の中には、「恋死なん 後の煙にそれと知れ つひにもらさぬ 中の思ひは」という歌が出て来る。これは死んで煙になるまで、心の中の思いは漏らすべからず、ということだ。どうやら「忍ぶ恋」とは、男と男の究極のプラトニック・ラブを言うらしい。いやはや、すごいねえ。それにしても、当時の佐賀藩の武士たちは、本当に男どうしで恋をしていたのだろうか? どうやら、忍ぶ恋は主君への隠れた忠誠心に通底する、と常朝先生は考えていたようだが、筆者はどうもマユにツバを付けたくなるんだよなあ。
そういえば上田秋成の『雨月物語』も、よく子供向けに抄訳されたりする江戸時代の古典だ。筆者の好きな短編小説集でもあるが、中でも『菊花の約(ちぎり)』は特に有名な一編だろう。これは、病いに臥せっていた旅の武士・宗右衛門と、それを看病して助けた左門の物語。仲良くなった二人は義兄弟の契りを結んだものの、再会を約して故郷に帰った宗右衛門は囚われの身となり、菊の節句の日に約束を果たすべく、幽霊となって左門のもとに帰って来るというストーリーだ。
美しい話だが、しかしよく考えるとこの男と男の再会もどこか怪しい。いそいそと迎えの宴の準備をする左門と、命を捨てて会いに行く宗右衛門は、まるで恋人どうしのランデブーのようにも見える。「行けなくなった、ゴメン」と手紙で済ませば良さそうなものだが、そこは男と男、武士と武士の固い約束があったのだろう。筆者などはそこに「信義」というより、「愛」の存在を感じてしまうのだ。また、小説としてもその方が面白いと思うのだが、どうだろう…。もっとも子供向けの本にするときは、御法度だろうけどね。