2021年03月31日
シティ・ポップと寿司

最近のネットのニュースで驚いたことといえば、1979年にリリースされた日本のポップスが、ここに来て世界的な大ヒットになったことだろうか。その曲とは松原みきが歌った『真夜中のドア~stay with me』。YouTubeでチェックすると、再生回数が大変な数になっている。しかもコメント数がまたすごい。日本語はもとより英語も多いが、その他どこの国のものか分からない種々の言語が、無数に書き連ねてあるのだ。つまりそれこそ、世界中で絶賛されている証拠。これがネットの威力というか、いや~たまげたもんだ。
松原みきといえば、筆者の若い頃に活躍した歌手というイメージがあるが、かと言ってそれほど強烈な印象が残っているわけではない。都会風のアップテンポでお洒落な曲を歌う女の子という感じで、正直、『真夜中のドア』以外にヒット曲があったかなあ?という程度。当時、高橋真梨子みたいなバラードが好きだった筆者には、実力派だが軽快すぎる彼女の歌はちょっと遠い存在だった。でも『真夜中のドア』のメロディは、いまも何となく記憶に残っている。
その40年以上も前の日本の曲が、ここにきて世界的にブレイクしたきっかけは、一人のインドネシア人女性がカバーして歌ったことだという。それは、Rainych(レイニッチ)という名前のかの国の人気ユーチューバーで、イスラム教徒らしくヒジャブを着けたまま歌う動画が、現在もアップされている。透き通るような可憐な声と、完璧な日本語で歌う彼女の『真夜中のドア』は、たちまちネットで大ヒット。そこから、オリジナルを歌った松原みきの存在が知られることになり、彼女の名前と歌が一躍世界中に広まったというわけだ。もっとも、残念なことに松原みき本人は2004年にガンで亡くなっており、この喜びを味わうことは出来なかったが…。
この曲が外国人にも受けた理由は色々あるだろうが、やはりメロディがシンプルで覚えやすいからじゃなかろうか。またこのメロディはどこかもの悲しくどこか明るく、洋楽っぽいのに何となく日本的で妙に心に残るものがある。そしてアップテンポな曲調が都会の風を感じさせ、しかもサビの部分の「♪stay with me~」の繰り返しは、外国人でも口ずさみやすい。日本語が分からなくても、そこは入って行けるもんな。「初めて聴くのに懐かしい」という、英語の書き込みが多いのも何となく頷けるのだ。
筆者はよく知らないが、こうした1970年代から80年代にかけて生まれた、都会風の日本のポップスを「シティ・ポップ」と呼ぶのだとか。歌謡曲ともニューミュージックとも違う音楽で、アーティストでいうと松原みきの他、山下達郎や大瀧詠一、角松敏生に竹内まりや、大貫妙子などが該当するらしい。かといって、明確な線引きはないようだ。ははあ、ああいった曲ですかと言うしかない。だがともかく、近年その懐かしい日本のシティ・ポップがネットを中心に、アジア・ヨーロッパ・アメリカ西海岸などで人気を集めているという。いやはや世の中、先のことは分からないものだ。
まあ、確かにシティ・ポップには名曲が多い。筆者など今でもかの大瀧サウンドの大ファンだし、他のアーティストのヒット曲もだいたい覚えている。口ずさめば当時がよみがえる、という人も少なくないだろう。あの時代はそうしたお洒落で洋楽っぽい曲が、若者の間でずいぶん流行ったものだった。もっとも、こうした曲は基本的に日本語の歌詞で歌われ、国内でこそヒットはしたものの、国外をターゲットにしたものではなかったはず。むしろ、外国(特にアメリカ)への憧れを音楽に込め、それを日本人の間で共有するというスタンスだった。つまり、国内完結型というわけだ。
考えてみればあの当時、日本の歌謡曲が東アジアで人気を博すことはあっても、日本のポップスが海外進出するのは無理という空気は強かった。何しろ、もともと洋楽を換骨奪胎したものが日本のポップスだ。コンプレックスもあったのだろう。そこで日本という閉ざされた音楽空間の中で、独自の進化をとげたのがシティ・ポップだったのかも知れないな。自分たちだけで楽しもうや、というわけ。だが重要なのは、この〝独自の進化〟というやつだ。職人気質の日本人ミュージシャンは、コツコツ自分たちで工夫して、いつの間にか超ハイレベルでオリジナリティの高いものを創ってしまったのだ。YouTubeという現代の「万能発見機」が、その隠し扉を開いたってこと。
これは鎖国下の江戸時代で、独自に発展した日本の様々な文化を思わせる。世界で一番有名な日本人画家は、この時代が生んだ葛飾北斎だし、日本が世界に誇る演劇・歌舞伎もこの時代に生まれた。食文化だってそう。江戸庶民のファストフードだった寿司は、いまや世界中で大流行だ。魚をナマで食べるなんて、自分たちだけと考えていた日本人は、とっくに時代遅れになってしまった。「自分たちだけ」のはずだったものが、いつの間にか外国人にも受け入れられている。つまり、シティ・ポップは寿司なのかも知れない。要はクオリティが高く他にないオリジナリティがあれば、それは国境のカベをブチ破るということだ。〝独自の進化〟は無駄じゃなかったんだな。
YouTubeをチェックしてみると、そこにアップされた山下達郎や竹内まりやの曲の再生回数も、驚くような数字になっている。しかもコメントの膨大な書き込みは、やはり外国語だらけ。たとえ日本語は分からなくても、曲の素晴らしさは彼らにも伝わるのだろう。以前には考えられなかった現象が起きているのだ。そのむかし、坂本九が歌った日本語の『上を向いて歩こう』が、アメリカで『SUKIYAKI』(ひどい改題だ)として、またザ・ピーナッツの『恋のバカンス』が旧ソ連で、ともに大ヒットしたことがあったが、そこに至るには数々の幸運や偶然があったはず。だが現代では、YouTubeで音楽が容易に国境を越えられるようになった。次に世界中で大ヒットする日本の曲は何なのか、筆者はそれが楽しみだ。