2011年10月05日
プロレス再発見

近頃、テレビの番組でK-1やPRIDEといった格闘技の試合を見なくなって久しい。かつてあれほど盛り上がったK-1も、スター選手の枯渇や主催会社の経営難などでテレビ局が離れ、PRIDEにいたっては2007年に消滅している。もともと格闘技好きの筆者のような人間にとり、これはちょっと寂しい話だ。お陰で、テレビを観ない時間が増えたのは良いけどね。
そんな先日、貸しビデオ屋の棚でたまたま見付けたのが1枚のDVD。「おお〜、これは!」。二人の男の古色蒼然たるモノクロ写真が並ぶ表紙カバーに、思わず筆者の手は迷わずそれを掴んでいた。タイトルは『ルー・テーズ対力道山/世界選手権争奪戦』。何とも懐かしい昭和のプロレスもの。それも、戦後間もないわが国のプロレス草創期に行われた、今となっては伝説のタイトルマッチじゃないか!
むろん筆者はこの試合、ニュース映像などでは何度も目にしていた。それはまた、当時のプロレス人気を語る好材料ともなっていた。ただし、それらの映像は試合全体のほんの断片。子供の頃からプロレスファンだった筆者も、さすがにこの試合の全容を観たことは一度もなかったのだ。何しろ時代が時代だし、こんな長尺もののフィルムが残されていたなんてことも、ついぞ知らなかったし…。そんなこんなで土曜日の深夜、震える指でリモコンの再生ボタンを押したのだった。
オープニングは、犬吠埼の岩に砕ける白波にお馴染みの三角マーク。おお、東映よありがとう──。感動のうちに画面は、夫人を同伴したルー・テーズの羽田への来日シーンへ。そして、大物政治家や芸能人が顔を揃えた歓迎レセプションに、オープンカーでの屋外パレード、居並ぶ群衆に舞う紙吹雪。すべてが豪華でいい雰囲気だ。まるで映画スターのプロモーションを見るようで、この時代のプロレスを包む空気がよく分かる。
試合が行われたのは昭和32年10月7日、会場は後楽園球場。ときの自民党副総裁、大野伴睦のコミッショナー宣言があり、若い顔をした森繁久彌がリング上で力道山に花束を渡す。親父ばかりの観衆はギッシリ満員で、いまの若者主体のプロレス会場とは、醸し出す熱気の種類が違うようだ。同じ場所でボクシングの白井義男が、ダド・マリノの世界フライ級タイトルに挑戦したときも、丁度こんな雰囲気だったのだろうか。
やがてレフェリーのダニー・プレチェスの合図で、NWA世界ヘビー級タイトルマッチ61分3本勝負のゴングが鳴った。しずしずとリング中央に歩み寄る両雄。うーん、何かドキドキするなあ。王者テーズのスラリと均整のとれた全身、ズングリ型の挑戦者、力道山のはち切れそうな上半身。ともに見事な肉体だ。
意外だったのは、試合の攻防の主体がグランドレスリングだったことだろうか。アマレスの基礎のあるテーズに対し、相撲出身の力道山が堂々と寝技で渡り合い、アームロックにはアームロックで、レッグロックにはレッグロックで対抗し、ときに鋭いタックルさえ見せたことに筆者はちょっと驚いた。中でも序盤さんざん苦しめられたキーロックで、逆にテーズを追い込む終盤の場面は、もう見どころ十分だったね。立ち技が得意と思われがちな力道山だが、この人、かなり努力をしてレスリングを修得したんだろうなあ。
だが、この試合のハイライトはやっぱり立ち技だった。白眉は得意の必殺技、バックドロップ(岩石落とし)を見舞おうとするテーズを、力道山が相撲の河津掛けで必死に防ぐ場面だろう。相手を持ち上げようと踏ん張るテーズの右脚に、リキさんの左脚が内側からガッチリ絡み付き、両者微動だにしない。この攻防が実に素晴らしい。グレコローマン式投げ技には、日本古来の相撲技で対抗という、涙の出そうな展開に観客の興奮も最高潮だ。
それでもこの試合を終始リードしていたのは、やはりチャンピオンのテーズだっただろう。序盤からたびたび力道山の額に反則パンチを見舞い、相手が反撃しようとするとロープに逃げる。この繰り返しが憎らしい。焦らし作戦という奴だ。とうとう怒った力道山が空手チョップを繰り出し、ロープの反動を利用した飛行機投げで大きく相手を吹っ飛ばす。深いダメージを食らったように見えるテーズだが、それでも3カウントのフォールは許さない──。このあたりの受け方が、またうまいんだなあ。
他所からやって来たヒールのチャンピオンが、地元のベビーフェイスの挑戦者にタジタジとなりながらも、最後はかろうじて逃げ切るという試合パターンは、NWAの世界ベルトを巻いた者の得意技なのだろうが、この頃のテーズのそれはもはや名人芸。この試合で若い力道山をリードし、レフェリーをリードし、観衆の心をもリードするルー・テーズは、まさに王者に相応しい風格を見せつけていた。試合は結局、ノーフォールのまま時間切れドローだったが、観客は両者の健闘に惜しみない拍手を送っていた。
まあ、現代のプロレスファンの目から見れば、これはひどく地味な試合なのだろう。大技の連発もなければ、飛んだり跳ねたりもなく、倒れた相手へのキックさえないのだから。ましてマイクパフォーマンスなど望むべくもない。そこにあるのはただ、二人の男の無言の取っ組み合いであり、ひたむきな技と力の比べ合いなのだ。きわめてシンプルだが、「序破急」はちゃんと用意されている──。だがそんな古くささが逆に、新鮮で魅力的に筆者にはうつった。
この試合からすでに半世紀以上の時間が流れ、いまや日本のプロレス界も大きな曲がり角に立っている。あれからいったい何が変わり、何が残ったのだろうか。力道山もテーズもすでにこの世を去ってしまったが、この試合は忘れていたプロレスの素晴らしさを、改めて筆者に思い出させてくれたような気がするなあ。