2008年02月11日
ヒーローは月光仮面
「♪月の光を背に受けて…」。ラジカセを持って歩いていたわけではないだろうが、月光仮面が登場する場面では必ず、何処からともなくこの歌声が聞こえて来たものだ。悪人たちはそれを聞いて、思わずあたふたと動揺する。
あれはテレビの黎明期、筆者がまだ小学校低学年だった頃のことだ。とにかく月光仮面は子供たちの圧倒的ヒーローだった。なので、番組を提供していた武田薬品のマークを見ると、筆者などはいまでも心臓がドキドキしてしまう。
そんな『月光仮面』がDVDになって帰って来た。昭和30年代のテレビドラマシリーズを全編復刻したもので、販売しているのはファーストトレーディングという会社。画質は悪いが当時の思い出がそのまま蘇る上、1枚が500円というから涙の出るような商品じゃないか。筆者も早速入手してときどき繰り返し観ているが、やっぱり胸がジンと熱くなるなあ。

しかし、今見ると色々と感じるところも多い。ちょっと格闘すればすぐに外れてしまいそうな主人公のターバンや、見ている方が気恥ずかしくなるようなモッコリタイツは置いといても、全編を覆うこのもっちゃりしたテンポは、やはり現代のドラマを見慣れた目にはひどくスローに映る。全体の構成も、仮面のヒーローが華々しく活躍するアクションシーンよりは、事件に関わる人々の人間関係や情愛といった部分に多くを割いている。いわば、まるでメロドラマといった作りなのだ。
おまけに、舞台となる当時の東京の街の侘しいこと。予算やロケ地の関係もあったのだろうが、出て来るのは寂しげな住宅街や草ぼうぼうの空き地ばかりで、月光仮面が白いバイクにまたがって颯爽と賊の車を追うのは、もうもうと土ぼこりが舞う未舗装の道路。これじゃ月光のおじさんも苦労をしたはずだ。あのサングラスとマスクは、目や喉を守る必須アイテムだったんだね。
それでも、そんな追跡場面のひとつに、建設途中の東京タワーが映ったときには感動したなあ。そう、あの映画『ALWAYS 三丁目の夕日』に出て来た、半分までしか出来ていない東京タワーだ。昭和33年の暮れに開業した高さ333mのテレビ塔は、復興日本のシンボルであり、また時代を刻むシンボルでもあった。『三丁目の夕日』のタワーはCGだったが、このドラマに映っていたのはまぎれもなく本物。つまり『月光仮面』こそがわれわれ世代にとっては、まさにひとつの時代のシンボルなのだな。
ところで、自慢話をひとつ。このドラマで月光仮面と名探偵・祝十郎役を主演した大瀬康一さんに、筆者は一度だけお会いしたことがある。もう二十数年前だが、大瀬さんは当時すでに俳優から実業家に転身しておられた。その事務所がインテリアのリニューアルをするというので、妙なつながりからそのデザイン案を持って、六本木のビルの一室に伺うことになったのだ。そのとき、そばには夫人で元女優の高千穂ひづるさんもいたなあ。
おお、本物の大瀬康一だ! 自分で描いたデザイン案を説明しながら、若かった筆者は思わずまじまじと相手の顔を見てしまった。大瀬さんは黙って話を聞いていたが、この年代の奴はどうもなあなどと感じていたのかな。昔よりちょっぴり太って、鷹揚な感じの人だったのを覚えている。どういうわけかリニューアルの話はそれっきりになってしまったが、それにしてもあのとき名刺を貰っておけばよかったと悔やまれる。
さらに、因縁話をひとつ。このドラマのオープニングを観ていて驚いたのは、助監督に都成潔さんの名があったこと。都成さんとは、今から十三、四年前に筆者が横浜市内の小さな企業ミュージアムを設計した際、一緒に仕事をしたことがあったのだ。展示場の一角にミニ劇場を作り、等身大の人形や映像、光の効果などでちょっとしたドラマを展開するという趣向だったのだが、そのときのシナリオと演出を担当して頂いたのがこの方だったというわけ。
あの頃すでに人の好さそうな初老の紳士だった都成さん、年齢を逆算してみれば、『月光仮面』の当時はたぶんバリバリの若手助監督だったのだろう。そうだったのか。そうと知ってればあのとき、もっと話を聞いておけばよかったと悔やまれる。つまり今になってこのドラマを観ていると、いろいろと悔やまれることが多いのだな。
あれはテレビの黎明期、筆者がまだ小学校低学年だった頃のことだ。とにかく月光仮面は子供たちの圧倒的ヒーローだった。なので、番組を提供していた武田薬品のマークを見ると、筆者などはいまでも心臓がドキドキしてしまう。
そんな『月光仮面』がDVDになって帰って来た。昭和30年代のテレビドラマシリーズを全編復刻したもので、販売しているのはファーストトレーディングという会社。画質は悪いが当時の思い出がそのまま蘇る上、1枚が500円というから涙の出るような商品じゃないか。筆者も早速入手してときどき繰り返し観ているが、やっぱり胸がジンと熱くなるなあ。

しかし、今見ると色々と感じるところも多い。ちょっと格闘すればすぐに外れてしまいそうな主人公のターバンや、見ている方が気恥ずかしくなるようなモッコリタイツは置いといても、全編を覆うこのもっちゃりしたテンポは、やはり現代のドラマを見慣れた目にはひどくスローに映る。全体の構成も、仮面のヒーローが華々しく活躍するアクションシーンよりは、事件に関わる人々の人間関係や情愛といった部分に多くを割いている。いわば、まるでメロドラマといった作りなのだ。
おまけに、舞台となる当時の東京の街の侘しいこと。予算やロケ地の関係もあったのだろうが、出て来るのは寂しげな住宅街や草ぼうぼうの空き地ばかりで、月光仮面が白いバイクにまたがって颯爽と賊の車を追うのは、もうもうと土ぼこりが舞う未舗装の道路。これじゃ月光のおじさんも苦労をしたはずだ。あのサングラスとマスクは、目や喉を守る必須アイテムだったんだね。
それでも、そんな追跡場面のひとつに、建設途中の東京タワーが映ったときには感動したなあ。そう、あの映画『ALWAYS 三丁目の夕日』に出て来た、半分までしか出来ていない東京タワーだ。昭和33年の暮れに開業した高さ333mのテレビ塔は、復興日本のシンボルであり、また時代を刻むシンボルでもあった。『三丁目の夕日』のタワーはCGだったが、このドラマに映っていたのはまぎれもなく本物。つまり『月光仮面』こそがわれわれ世代にとっては、まさにひとつの時代のシンボルなのだな。
ところで、自慢話をひとつ。このドラマで月光仮面と名探偵・祝十郎役を主演した大瀬康一さんに、筆者は一度だけお会いしたことがある。もう二十数年前だが、大瀬さんは当時すでに俳優から実業家に転身しておられた。その事務所がインテリアのリニューアルをするというので、妙なつながりからそのデザイン案を持って、六本木のビルの一室に伺うことになったのだ。そのとき、そばには夫人で元女優の高千穂ひづるさんもいたなあ。
おお、本物の大瀬康一だ! 自分で描いたデザイン案を説明しながら、若かった筆者は思わずまじまじと相手の顔を見てしまった。大瀬さんは黙って話を聞いていたが、この年代の奴はどうもなあなどと感じていたのかな。昔よりちょっぴり太って、鷹揚な感じの人だったのを覚えている。どういうわけかリニューアルの話はそれっきりになってしまったが、それにしてもあのとき名刺を貰っておけばよかったと悔やまれる。
さらに、因縁話をひとつ。このドラマのオープニングを観ていて驚いたのは、助監督に都成潔さんの名があったこと。都成さんとは、今から十三、四年前に筆者が横浜市内の小さな企業ミュージアムを設計した際、一緒に仕事をしたことがあったのだ。展示場の一角にミニ劇場を作り、等身大の人形や映像、光の効果などでちょっとしたドラマを展開するという趣向だったのだが、そのときのシナリオと演出を担当して頂いたのがこの方だったというわけ。
あの頃すでに人の好さそうな初老の紳士だった都成さん、年齢を逆算してみれば、『月光仮面』の当時はたぶんバリバリの若手助監督だったのだろう。そうだったのか。そうと知ってればあのとき、もっと話を聞いておけばよかったと悔やまれる。つまり今になってこのドラマを観ていると、いろいろと悔やまれることが多いのだな。
この記事へのコメント
月光仮面は懐かしいです。嵐のように現れて、嵐のように去っていく、「シェーン カムバック シェーン」とワイオミングの平原に響いた少年の声に通底するものを感じる自分の世代です。自分も去り行く世代なのだ、歴史に消えるのだ、とセンチな気分にもなりますが、これこそロマンでしょう。別名で出版の「不協和音の組曲」にコメントをしておきました。的外れかも知れませんが、何とか掲載されました。
Posted by 桜田靖 at 2019年06月30日 10:59
ヒーローは、今やスポーツ選手だけでしょうか。わたしも子供の頃は川上とか別所がいた巨人、相撲は千代の山とか栃錦が好きで、ヒーローだったでしょう。でも、紙芝居の鉄仮面とか黄金バット、それに時代劇映画の鞍馬天狗、丹下左膳、洋画ではジョンウェインやエロールフリンが演じる役柄がヒーロー、それにターザンもでした。めんこ、佐賀ではペチャと呼んでいましたが、それらの図柄を取り合ったものです。今の子はゲームで遊ぶので、何がヒーローなのか分かりません。遊び心が豊かなほど人生はより楽しいでしょう。それがつまらなくなるということは良いことではないでしょう。
Posted by 桜田靖 at 2019年07月28日 11:24