2012年11月21日
柿の思い出

散歩コースの道沿いにあるどの柿の木も、もうすっかり実を落として裸になってしまった。いよいよ本格的に寒い冬の訪れだ。今年も筆者は貰った柿をよく食べたが、熟れた柿の実はじつに甘くてうまかったね。自宅の庭にこんな甘柿の木がある人は、本当に羨ましいと思う。もっとも柿は大量に実がなるので、実際に大きな木のある家などは、たぶん処理に困ったりするのだろうな。
しかし、考えてみれば豊かに実った柿の木ほど、秋の佐賀平野の風景に似合うものはない。山があり田んぼや畑があり、農家の脇には必ずといっていいほど、たわわに実を付けた大きな柿の木がある。おおかたの日本人の郷愁を誘う構図だ。だから筆者は、てっきり柿は日本原産の果物だと、長いあいだ思っていた。だって、どう見たってあのずんぐりした実の形は、日本人そのものだもんな。
ところがどっこい調べてみると、柿の原産地は中国の長江(揚子江)流域だというから、意外な話だ。奈良時代にわが国にもたらされたといい、平安時代に編纂された「延喜式」には干し柿や熟柿についての記述が見られるそうだ。ま、起源については諸説がありそうだが、古いことはそうとう古いのだろう。
もっとも、それで頷ける話がないでもない。というのは、筆者が子供の頃読んだ『西遊記』の中に、柿が登場するからだ。これは確か、三蔵法師一行の前に立ちふさがった七絶山の腐った柿の実を、身のたけ百丈あまりの大豚に化けた猪八戒が、ブルドーザーみたいにかき分けて道を造るという話だった。三蔵法師のモデル、玄奘がインドに渡ったのが629年。日本でいえば大化改新のちょっと前あたりだが、『西遊記』の中に柿が登場するということは、それが作り話にしろ、かの国に昔から柿が自生していたということ。いわれてみれば、やっぱりそうだったかという気がしないでもない。
ところで行ったことはないが、ギターの名曲「アルハンブラの想い出」で有名な、スペインのアルハンブラ宮殿には、柿の木があることが知られている。フランシスコ・ザビエルが持ち帰ったという説もあるが、ウソかまことかは別にして、それが日本から渡ったことだけはどうやら本当らしい。その証拠に、スペインでは柿が普通に食べられていて、その名も現地語で「カキ」と呼ばれているのだとか。
そればかりか、ポルトガル語やイタリア語でも、柿は「カキ」というらしい。どうやら柿は、 16世紀頃にポルトガル人によってヨーロッパに渡り、その後アメリカ大陸にも広がったというから、ちょっとビックリだ。どうみても日本的で田舎っぽいイメージの柿が、外国でフルーツとして食されているなんて、筆者には何だかピンとこないのだが…。そこで調べてみると、柿の学名は[Diospyros Kaki]。ちゃんと「カキ」という名が付いているところが、すごいじゃないか。意外にこいつ国際派だったのだ。
ではどうして中国原産の柿が、「カキ」という日本語で海外に広まったのか? これは素朴な疑問として、誰もが感じることだろう。答えはこういうことらしい──中国にもともとあった柿は渋柿で、それが日本人の手で品種改良され、甘柿が作られた。つまり、あの甘い柿は日本生まれで、それがフルーツとして海外にも広まったというわけだ。渡来品を換骨奪胎して、たちまち優れたオリジナルを作ってしまう日本人の得意技は、昔からちっとも変わらないんだなあ。
現在、日本の柿の産地には和歌山県や奈良県、福岡県などいろいろあるようだが、筆者にはその一つ、岐阜県にちょっとした思い出がある。というのも、そのむかし関ヶ原の古戦場を訪ねた歴史好きの筆者が、帰りに大垣駅の売店で見付けたのがなんと「柿羊羹」。これは半割にした孟宗竹に、柿でつくった羊羹を流し込んだもの。竹の容器ごと売られており、珍しかったので筆者はさっそく買って帰ったというわけ。
あの辺りが富有柿の産地だということをそのとき初めて知ったのだが、しかし持ち帰って食べたあの独特の味も、ちょっとしたカルチャーショックだったね。何というのか見た目は羊羹なのだが、味や香りは干し柿そのもの…。世の中、こんな羊羹があったのか!なんて、「小城羊羹」大好きの筆者はそこで“新しい天体”を発見したのだった。ちなみに容器の孟宗竹はその後、しばらく竹踏み用に使ったっけ。