2012年10月17日

浅草の映画館が消える



残念なニュースが聞こえて来た。東京・浅草の映画館街である通称「浅草六区」から、10月21日限りですべての映画館が消えてしまうのだという。建物の老朽化が最大の理由らしいが、それにしてもショッキングな話だ。かつてあの辺りをしょっちゅう徘徊し、いろんな映画館で映画を楽しんだ筆者としては、大事な思い出が消えて行くようで、なんだか寂しい。

まあ、映画はもはやデジタルシネマの時代だ。新しく清潔な映画館の座り心地の良い椅子で、高画質の画面をゆったり楽しむのが当たり前、というそんな世の中が到来しつつある。老朽化し採算の取れなくなった旧来型の映画館は、これからどんどん情け容赦なく取り壊されて行くのだろう。代わりにスマートでクリーンで何の匂いさえもしないような、ハイセンスなシアターが日本のあちこちに出来て行くはずだ。

しかしなあ、と筆者は言いたい。オシャレで大画面の映画館も悪くはないが、そればっかりになったらちょっと味気ない。というか面白くない。映画館にはやっぱりどこか人間臭く、怪し気で、多少薄汚く、ほんの少しいかがわしい雰囲気がある方が、魅力的だと筆者などは思うのだ。だいいち見ず知らずの老若男女が肩を並べ、泣いたり笑ったりときには性的興奮を覚えたりするのに、あまりにきれいでだだっ広い客席では、ちょっと気恥ずかしくもなるというもの。映画館にはやはり、それなりの雰囲気や空間が必要なんだよね。

筆者が惜しむのは、消えて行く浅草六区の映画館街には、そうした人間臭い空気が充満していたからだ。例えば、かつてそこで筆者が初めて入った映画館「東京クラブ」なんか、まさにそうだったものなあ。ここは昭和初期の建物で、外観からしてどこか有機的な形をした怪し気な美しさに満ちており、ひとくちで言えば“映画に出て来そうな映画館”という感じだった。

筆者が行ったときはすでに取り壊しが決まっていて、ちょうど最後の上映月間だったが、観る予定の『第三の男』の開始時間を窓口で訪ねると、切符売りの粋なおバアちゃんが、「はい『サードマン』は◯時◯分からね」と教えてくれたものだ。客席の木製の椅子は使い込まれてツルツルになっていたが、これも雰囲気があって良かったね。人影のないガランとした場内が暗くなり、小さなスクリーンに写し出されたモノクロ画面から、アントン・カラスのチターの音が聞こえて来たときは、筆者も心臓がドキドキしたのを思い出す。

あと、「東京クラブ」の並びには「浅草松竹」という映画館があり、ここにも何度か足を踏み入れたことがある。やはり古くて雰囲気のある映画館だったが、記憶にあるのは建物のあちこちに細密な装飾が施してあったこと。とにかくあれは印象的だった。ここでどんな作品を観たのか、筆者の記憶も定かではないが、ただスクリーンの両脇を彩ったデコラティブな彫刻だけは、今でもよく覚えている。
また、そこから少し離れた建物の2階には「浅草東宝」もあった。筆者はこの館にも、長いエスカレーターを昇って何度も通ったものだが、数々の伊丹十三監督の新作を観たり、東宝特撮シリーズの特集をオールナイトで観たりと、思い出は尽きない。

だが何といっても最高の空間だと思ったのが、やっぱり「浅草東映パラス2」かな。なにが良いといって、とにかくここは居心地が良かったね。まず客席がスタジアムのように傾斜式になっており、スクリーンが悠々と見下ろせるのが良かった。仮に前の座席に頭のでかい奴が座っても、何の心配もいらないのだから。それに小ぢんまりとした適度な狭さが、心を落ち着かせてくれる上、うまい具合にいつも場内はガラガラ。そこで寝ようが靴を脱ごうが、周りに気兼ねすることは何もない。これだけ好条件が揃った、リラックス出来る映画館も他になかったなあ…。

などといろいろ思い出を書き連ねてしまったが、これらの懐かしい映画館はすべてもう現存しないものばかり。そして最後に残った「浅草名画座」などの5館が、ついに終焉のときを迎えるというわけだ。なんだか、映画『ニュー・シネマ・パラダイス』のラストシーンを思い出してしまうが、主人公のように解体の場面を見なくてすむのは、筆者にとってせめてもの慰めなのかも知れないな。でもすべてが無くなる前にもう一度、浅草で映画を観てみたい気もするのだ。  


Posted by 桜乱坊  at 12:04Comments(0)本・映画・音楽など