2012年03月26日

菜の花をおひたしにする



最近はずいぶん明るい時間が長くなり、日ごとに春らしさが増して来た。太陽の光も、すっかり優しくなったのを感じる。つまり、散歩には最適な季節の到来というわけだ。ふだん運動不足の筆者も、このままでは中性脂肪や血糖値がヤバいことになりそうなので、週末はなるべく外に出て歩くようにしている。

そこで目につくのが、散歩コースの川べりや田んぼのあぜ道を埋め尽くした、黄色い菜の花の群生だ。これが実に美しい。どこまでも続く鮮やかなレモンイエローの花の群れが、風を受けてあわあわと揺れるさまは、まるでファンタジーの世界をさえ思わせる。日本の春の色はと聞かれて誰もがイメージするのは、やはりこの菜の花の黄色と桜の花の薄いピンクじゃないだろうか。

もっとも、今でこそ菜の花の群生といえば川べりか田んぼのあぜ道が相場だが、筆者の子供の時分はそうじゃなかったね。小城の田んぼという田んぼが一面、春には菜の花の色で埋め尽されていたのだ。そう、♪菜の花畑に入り日薄れ〜、という唱歌『朧月夜』に歌われたあの「菜の花畑」だ。当時は水田の裏作として農家が菜種油用にアブラナを栽培していたため、佐賀平野の田んぼは春の到来とともに、鮮やかな黄色一色に染められたというわけ。いま思えばあれは、夢のような風景だったんだなあ。

そんな菜の花だが、日本原産と思いきやどうもそうではないらしい。原産地は地中海沿岸といい、農林水産省のウェブサイトによると、日本へは弥生時代に中国から渡来したのだとか。どうやらこの花は、ずいぶん大昔から日本の春の景色を彩っていたようだが、だとすれば弥生人も風に揺れるあの黄色い花のウェーブに、きっと感嘆の声を上げたことだろう。

ただし、もともと菜の花は食用の野菜として栽培されていたようで、その実から油を搾るようになったのはずっと後の時代からだ。司馬遼太郎の小説『国盗り物語』を読むと、主人公の油商人・松波庄九郎(後の斎藤道三)の商うのはもっぱら荏胡麻油で、それが菜種油に取って代わられたのは、道三の死後のこと。筆者には史実はよく分からないが、いずれにしても菜の花が油を採る目的で、本格的に日本中の田んぼで栽培されるようになるのは、どうやら江戸時代になってかららしい。

そんなわけで筆者もわが国の先人に敬意を表し、もっぱら菜の花を食べるようにしている。というか、この時期の菜の花のおひたしは、とにかく美味い。これを食べずしてもう日本の春は語れないほど、季節感に富んだ絶妙の味と香りと歯触りなのだ。まあ、一度はまるとクセになるという奴かな。

なので筆者はこのところ、散歩に出るたびに菜の花の群生を見付けては、まだ花の咲く前の蕾のついた茎を摘み、持ち帰るようにしている。なにしろ数は無尽蔵だし、野草なので誰からも料金は取られないし、言うことなしだ。若々しい茎は、指先でちょっと曲げるだけで簡単に折れてしまうほど柔らかい。ただし花の咲いたものや、太くなり過ぎて容易に折れない茎などは、食べない方が無難だろう。

こいつを片手いっぱい集めると、ちょうどおひたし一椀の分量だろうか。春の野に出て若菜を摘めば、時間はあっという間に過ぎてしまう。なんだか古代の歌人にでもなったような優雅な気分だが、わが衣手やズボンはたちまち黄色の花粉だらけになってしまうので、ちょっと注意が必要だ。

持ち帰ったものをおひたしにするときは、とにかく茹で過ぎないことが肝心。サッとゆがいたらすぐに冷水にさらし、しっかり水気を切ったものじゃないと、あのシャキシャキした食感や独特の苦味は味わえない。これをだし汁に浸したものが「おひたし」で、誰でも出来る簡単料理の完成だ。古代人になった気分で口に入れると、舌の上にパァッと春の息吹が広がるようで、また次の散歩が楽しみになるというわけ。東京時代には味わえなかった、健康的なサイクルだなこれは。  


Posted by 桜乱坊  at 15:54Comments(0)食べ物など