2023年05月31日

ヒバリよ、高く上がれ!

ヒバリよ、高く上がれ!

佐賀県の麦の生産量は、全国でも指折りのようだ。田植えが始まる前の今の季節、麦の収穫期を迎えた佐賀平野は、一面の枯草色に染まっている。なので農道などを散歩すると、これ以上はないほどの、長閑な景色にめぐり合えるのだ。いいねえ、この美しい風景。まるでミレーの『落穂拾い』のような広々とした平野に、空ではひっきりなしにヒバリがさえずり…。筆者はこの季節の農道を歩くたびに、心が癒される思いがするのだ。

しかし、そんなヒバリの声を聞いてふと空を見上げても、なかなかその姿を発見するのは難しい。声はすれども姿は見えず、だ。スズメやツバメなら、そこらにいくらでも飛んでいるのに、ヒバリよお前はどこにいる…? そう思って探した人も、彼らの姿を見つけたときには、ちょっとビックリするはずだ。なぜならヒバリは、とんでもなく高い空をホバリングしながら、声だけは大きくさえずり続けているのだから。そりゃあ、見えないのも無理はない。ヒバリを漢字で書くと「雲雀」だが、まさに名前の通り雲に隠れるようにして飛んでいるのだ。

とにかくヒバリで驚くのは、長時間高い空にとどまり鳴き続けること。実際のヒバリはスズメより少し大きい程度の小鳥なのに、どこにこんなエネルギーがあるのかと思うほどだ。もっとも、ヒバリの声はカラスなどと違って、可憐で耳障りがいい。まるで、小娘がお喋りしているようにも聞こえる。筆者がむかし読んだ太宰治の小説『乞食学生』は、主人公の小説家が井の頭公園の玉川上水の土手で、ヒバリの声を聞きながら見た夢の話だった。読んだのはずいぶん前なので、細かいストーリーは覚えていないが、うららかな川の土手であの声をのんびり聞いていたら、誰だってつい眠くなるのかも知れないな。

ただし、ヒバリの声を「小娘がお喋りしているよう」と筆者は書いたが、調べてみたらとんだ間違いだったことに気がついた。これは「ヒバリの高鳴き」と呼ばれるもので、さえずっているのは実はオス。つまりあの懸命のさえずりは、春の繁殖期にオスが縄張りを主張し、メスにアピールをしている行動なのだとか。なるほど、そこらのカラオケ親父のような、ただの喉自慢じゃなかったんだな。長時間上空でさえずり続けることを「揚げ雲雀」というらしいが、オスはその後ゆっくり降りて来て、また舞い上がる行動を繰り返すのだという。そのうち、そのカッコ良さに惹かれたメスが飛んできて、カップルが成立するんだとか。このあたりはヒバリも人間も、なんだかよく似ている。

それにしても高高度爆撃機じゃあるまいし、ヒバリはどうしてああも高い空まで、舞い上がる必要があるのだろうか? もうちょっと低い方が舞い上がるにも楽だし、声も地上に届きやすいだろうに、無理しやがってと筆者などはつい思ってしまう。だが、当然そこにはヒバリなりの理由があるのだろう。そもそも草原に巣を作り、草原でヒッソリと暮らすヒバリは、春の繁殖期だけ賑やかな声楽家になる。だが、ホームの草原には高い木がないため、外敵から身を守るためには、彼らの手の届かぬ高い空で歌を歌わねばならない…。どうやらそういうことらしい。だとすれば「揚げ雲雀」は、弱者のサバイバル戦術とも言えそうだ。

そんなヒバリの声は古来、春の風物詩として日本人に愛されて来た。なにしろ暖かく晴れた日に、草の上であの可憐な声を聞いていると、誰だって人生が楽しくなる。太宰治の『乞食学生』も、若さへの憧れがにじむ明るい小説だった。もっとも、万葉集には大伴家持の「うらうらに 照れる春日に ひばり上がり 心悲しも ひとりし思へば」という歌もある。うららかに晴れた春の空で、ヒバリが楽しげに歌っているのに、ひとり物思いにふけるオレの心は、なんか悲しいぜという意味だが、これなどは映画の「対位法」のように、明と暗を対比させた高等テクニックなのだろう。ここでもヒバリは明るさの象徴なのだ。

日本以外の国でもヒバリは、声の美しい「春告げ鳥」として愛されているようだ。ヒバリは英語でスカイラーク(skylark)というが、この言葉には他に「陽気に遊ぶ」と言う意味もあるという。高い空で陽気に歌うヒバリのイメージは、洋の東西を問わず似たようなものらしい。なので日本の歌人・大伴家持のように、英国の詩人たちもヒバリをモチーフにした詩をいくつも残している。やっぱり感性豊かな言葉のアーティストにとって、あの歌声は創造力を刺激するものなんだな。ちなみに外食チェーンの「すかいらーく」の社名は、創業地が東京の「ひばりが丘団地」だったことによるのだとか。ま、ただの豆知識だが…。

だが、多くの日本人にとってヒバリの歌といえば、昭和のレジェンド「美空ひばり」を、忘れるわけにはいかないはず。なんといっても彼女は、戦後日本に舞い降りた不世出の天才歌手だ。8歳のときに初舞台を踏み、11歳から少女歌手「美空ひばり」として活動し、メジャーデビュー後は歌手のほかに女優としても大活躍、長く芸能界に君臨し続けた。この人の存在を抜きにして、昭和史を語ることなど不可能なのだ。それにしても、「ひばり」という芸名はまさに彼女にピッタリ。これは、8歳の初舞台で名乗った「美空和枝」(本名・加藤和枝)の「美空」から、インスピレーションを受けたものに違いない。なんたってうららかな春の空には、ヒバリの声こそ相応しいからね。この命名のセンスは勲章ものだと思うが、どうだろう…?



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Posted by 桜乱坊  at 11:59 │Comments(1)身辺雑記

この記事へのコメント
雲雀の話、拝読いたしました。佐賀にいた少年時代、雲雀が空高く舞い上がるのを見ながら小川で魚捕りをしていました。実は、雲雀は点と鳴き声でしか知りませんでした。図鑑で雲雀の姿は見ていました。それが雀や燕との違いですね。雲雀の子を見たのは何と社会人として東京に出てからです。私は水上警察の幹部になっていました。今でこそ大田区と港区が商業地として土地争いをした埋め立ての島ですが、当時は「大井ふ頭」の外れの埋め立て地で草ボウボウの荒れ地でした。暴走族が出没する犯罪の温床でもあり、不埒なカップルが車の運転練習(無免許運転)をする場所でした。私はジープに同乗し指揮していました。波寄せ場に着いてジープが停車したら、草陰から夥しい数の小鳥が飛び出して来て驚きました。「これって全部が雲雀の子です」と言われ、親鳥は見ませんでしたが,煌々たるライトの中に跳ね交うヒナ鳥の姿に、これが雲雀の子かと茫然としました。田舎育ちの自分が東京に来て、初めて雲雀の子を見た皮肉な感情にしばし茫然としました。
Posted by 桜田靖 at 2023年06月19日 10:26
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