2008年05月31日
まさか負けるとは
よもやの完敗だった。ホームのベアスタでわがサガン鳥栖が、アウェイのアビスパ福岡に1−3とはね。しかもタレイだかタライだか知らないが、オーストラリアの選手に2ゴールを献上。九州ダービーを見ようとスタジアムに詰めかけた鳥栖サポーターも、テレビでNHKの中継を観ていたファンも、この結果にはガックリだったはずだ。いやあ、残念!
しかし、腐っても鯛ということか。福岡の戦いぶりは、しばらく連敗を続けていたチームとは思えないほど、動きが良くて巧妙だった。ロングボールを左右に巧く散らし、速攻で鳥栖の空いたスペースを突いて来る戦術が、今日は見事にはまっていた。一方で、高速パスをつないで前掛かりに攻めるものの、足元ばかりにボールが行き、決定的なチャンスがなかなか作れない鳥栖は、やってる方も観ている方もジリジリ感が募るばかり。筆者も血圧が上がったよ。

まあ、福岡のプレスが利いていたせいもあるが、鳥栖の選手の若さが出て、なんか精神的にイライラしたまま動きを封じられたという試合だったなあ。ベテランの多い福岡が、鳥栖の若さをうまく丸め込んだという感じ。ボクシングに例えれば、フットワークと速いパンチで攻め込む若いボクサーを、老獪なベテランがクリンチやフェイントで巧妙にかわし、機を見て放ったロングフックでダウンを奪ったようなもの。見事な判定負けだった。
リティ監督の首の皮もこれで少しは繋がったはずで、福岡にとってはしてやったりの勝利だったろう。さすがの熱血・岸野監督も、修羅場をくぐった老練・リティの前に、今日は脱帽といったところかな。筆者はなんだかその昔、若きジャンボ鶴田の挑戦をのらりくらりとかわして退けた、かつてのNWA世界チャンピオン、ドリー・ファンク・ジュニアの姿を思い出してしまったよ。
さて、肝心のJ2のリーグ戦だが、第17節を終ってサガン鳥栖は6位。もっとも勝点27は、3位の湘南ベルマーレの29とほとんど差はない。2位セレッソ大阪の勝点34とはやや開きがあるものの、現段階では好順位ともいえるのではないだろうか。このまま付かず離れずの位置をキープし、最終的に3位に滑り込めれば、筆者が願う入れ替え戦への出場が実現するのだが。頑張るのはこれからだ、サガン鳥栖!
しかし、腐っても鯛ということか。福岡の戦いぶりは、しばらく連敗を続けていたチームとは思えないほど、動きが良くて巧妙だった。ロングボールを左右に巧く散らし、速攻で鳥栖の空いたスペースを突いて来る戦術が、今日は見事にはまっていた。一方で、高速パスをつないで前掛かりに攻めるものの、足元ばかりにボールが行き、決定的なチャンスがなかなか作れない鳥栖は、やってる方も観ている方もジリジリ感が募るばかり。筆者も血圧が上がったよ。

まあ、福岡のプレスが利いていたせいもあるが、鳥栖の選手の若さが出て、なんか精神的にイライラしたまま動きを封じられたという試合だったなあ。ベテランの多い福岡が、鳥栖の若さをうまく丸め込んだという感じ。ボクシングに例えれば、フットワークと速いパンチで攻め込む若いボクサーを、老獪なベテランがクリンチやフェイントで巧妙にかわし、機を見て放ったロングフックでダウンを奪ったようなもの。見事な判定負けだった。
リティ監督の首の皮もこれで少しは繋がったはずで、福岡にとってはしてやったりの勝利だったろう。さすがの熱血・岸野監督も、修羅場をくぐった老練・リティの前に、今日は脱帽といったところかな。筆者はなんだかその昔、若きジャンボ鶴田の挑戦をのらりくらりとかわして退けた、かつてのNWA世界チャンピオン、ドリー・ファンク・ジュニアの姿を思い出してしまったよ。
さて、肝心のJ2のリーグ戦だが、第17節を終ってサガン鳥栖は6位。もっとも勝点27は、3位の湘南ベルマーレの29とほとんど差はない。2位セレッソ大阪の勝点34とはやや開きがあるものの、現段階では好順位ともいえるのではないだろうか。このまま付かず離れずの位置をキープし、最終的に3位に滑り込めれば、筆者が願う入れ替え戦への出場が実現するのだが。頑張るのはこれからだ、サガン鳥栖!
2008年05月26日
『血族』と『少年記』
紀行ものの作家で好きなのは、むかしは山口瞳でこのごろは野田知佑だと前回書いたが、二人には奇しき共通点があった。これは全くの偶然なのでちょっと驚いたのだが、その共通点とはともに父方が佐賀県人だということだ。二人の著作を読み返してみて、いまごろようやく気付いたしだいなので、迂闊といえば迂闊だった。

山口瞳の場合は、代表作『血族』の中にそのことが書いてある。これは作者の自伝的小説で、自分の出生について多くを語らぬまま死んだ母親のルーツをたどる、氏の“母を恋うる記”である。すべての母の秘密が解き明かされた後、最後に作者が訪れるのが父方の故郷、佐賀県藤津郡久間村。東京生まれの作者が夢に見た田舎の田園風景を歩きながらも、心の中で母への思いを募らせるというラストシーンにはグッときたのを覚えている。これは間違いなく名作だったなあ。
『血族』を読んだのはもう二十年以上も前のことだが、そんなわけで、山口氏の父方の血が佐賀人だということは何となく覚えていた。さっき読み返してみたら、佐賀の本家で親戚から「頭の恰好がですね、佐賀の頭です」と作者が言われる場面が出て来た。ふむふむ、そうだったか。そういえば子供のとき以来、久しぶりに会った親戚の伯父さんや伯母さんなんかは、たいてい似たようなことを言うものだ。

もう一人の野田知佑氏の場合は、最近購入した『少年記』という自伝に書いてあるのを発見した。氏の父親は佐賀の農家の生まれだったが、結婚を機に久留米に移り「若亀」という造り酒屋を起したらしい。氏とは不和だったようで、あまり父親についての詳しい記述がないが、事業に失敗して覇気をなくした晩年の父を、かなり冷めた目で見ているのが印象的だ。
ともあれ自分の好きな紀行ものの作家の中でも、特に気に入っている二人が、ともに父方に佐賀の血を持つというのは、たぶん偶然ではないだろう。それはどこか惹かれるもの、相通じるもの、を筆者が二人の作品の中に見ているからに違いない。修飾の極めて少ない男っぽい文体。根はどこか文弱なのに、女々しさを嫌うやせ我慢のサムライ気質。そして人と接する時の含羞の混じった率直さ、などなど…。
そこには素朴で人が好くて硬骨を好む、佐賀人の気風がどこかに流れている。だからこそ、読んでいて自然に共感してしまうのだろうな。小説より作為のない紀行ものには、たぶん作者の人間性やお里がストレートに現れるはず。読者は知らないうちに、それを嗅ぎ分けているのだろう。人間、自分の読書傾向をたどると、意外なものが見えて来たり発見があったりするものだ。

山口瞳の場合は、代表作『血族』の中にそのことが書いてある。これは作者の自伝的小説で、自分の出生について多くを語らぬまま死んだ母親のルーツをたどる、氏の“母を恋うる記”である。すべての母の秘密が解き明かされた後、最後に作者が訪れるのが父方の故郷、佐賀県藤津郡久間村。東京生まれの作者が夢に見た田舎の田園風景を歩きながらも、心の中で母への思いを募らせるというラストシーンにはグッときたのを覚えている。これは間違いなく名作だったなあ。
『血族』を読んだのはもう二十年以上も前のことだが、そんなわけで、山口氏の父方の血が佐賀人だということは何となく覚えていた。さっき読み返してみたら、佐賀の本家で親戚から「頭の恰好がですね、佐賀の頭です」と作者が言われる場面が出て来た。ふむふむ、そうだったか。そういえば子供のとき以来、久しぶりに会った親戚の伯父さんや伯母さんなんかは、たいてい似たようなことを言うものだ。

もう一人の野田知佑氏の場合は、最近購入した『少年記』という自伝に書いてあるのを発見した。氏の父親は佐賀の農家の生まれだったが、結婚を機に久留米に移り「若亀」という造り酒屋を起したらしい。氏とは不和だったようで、あまり父親についての詳しい記述がないが、事業に失敗して覇気をなくした晩年の父を、かなり冷めた目で見ているのが印象的だ。
ともあれ自分の好きな紀行ものの作家の中でも、特に気に入っている二人が、ともに父方に佐賀の血を持つというのは、たぶん偶然ではないだろう。それはどこか惹かれるもの、相通じるもの、を筆者が二人の作品の中に見ているからに違いない。修飾の極めて少ない男っぽい文体。根はどこか文弱なのに、女々しさを嫌うやせ我慢のサムライ気質。そして人と接する時の含羞の混じった率直さ、などなど…。
そこには素朴で人が好くて硬骨を好む、佐賀人の気風がどこかに流れている。だからこそ、読んでいて自然に共感してしまうのだろうな。小説より作為のない紀行ものには、たぶん作者の人間性やお里がストレートに現れるはず。読者は知らないうちに、それを嗅ぎ分けているのだろう。人間、自分の読書傾向をたどると、意外なものが見えて来たり発見があったりするものだ。
2008年05月16日
旅に出たくなったら
何回読み返しても面白い本というのは、そうはない。特に小説などは、ストーリーが分かってしまうと魅力も半減する。なので、ストーリーが分かっていてももう一度読みたくなる小説は、よほど作者の語り口がうまいか、ストーリーそのものが毒薬のように面白いものに限られる。
そこへ行くと紀行文は、何度も読み返しが利く。しかも、どこから読んでもスッと入れる。ストレスが溜まったときや、旅に出たくなったときなどに、お気に入りの本を開いて適当なページをめくると、たちまち目の前に大自然の風や異郷の町並みなどが現れ、ふさいだ心を癒してくれる。優れた本ほど現れる光景が明瞭なので、まるで心を預けるように、読者はそこにある世界にじっくり浸ることが出来る。これが実にいいんだなあ。
筆者のお気に入りの紀行文作家は、若い頃なら山口瞳。この人の紀行ものはずいぶん読んだが、『酔いどれ紀行』や『迷惑旅行』『草競馬流浪記』など、自由で八方破れな大人の旅に、あの頃はずいぶん憧れたものだ。なにより昼間っから酒を飲むという旅の仕方には、ちょっとばかり驚かされた。
他にも、開高健やつげ義春、椎名誠など、いろんな作家たちの旅の本を貪ったものだが、ここ十数年では、いちばん気に入った作家と言えば野田知佑かなあ。熊本県出身のカヌーイストで、エッセイスト。日本や世界中の川をカヌーで下りながら、気に入った土地で寝泊まりし人と出会う。本にはその風のような生き方が、これ以上はないほどの男っぽい筆致で綴られているが、これが一度読み出したら止まらなくなるほど面白い。

野田氏との最初の出会いの本は、『日本の川を旅する』だった。これも名著だが、やはりこの人の最高傑作と言えば、『北極海へ』と『ユーコン漂流』の二冊に尽きるんじゃないのかな。とにかく奇を衒ったところは一切なし。北米大陸の原野を流れるマッケンジー川やユーコン川という大河を、何ヶ月もかけて一人で悠々と下りながら、そこで出会う自然や人間たちとの触れ合いを、作者は簡潔な文章で淡々と語っている。実に骨太でスケールがでかい、男の世界。
で、けっこうユーモアのセンスもある人なのだが、考えてみればずいぶん危険な目にも会っているんだよな。嵐の中を漕いだり、グリズリーに出くわしたり。それを深刻そうに書かない所もまたいい。英語が堪能で、荒野で出会うインディアンや白人のマウンテンマン(山男)とも、分け隔てなく付き合い飯をご馳走になる──。小心翼々と日本の片隅で生きている人間にとっては、まるで夢のようなエピソードがここにはごく自然に書かれている。
その生き方はある意味、男の憧れであり羨ましい限りだ。しかし、誰もが簡単に作者の真似ができるわけではない。野田氏の本が売れるのは、通勤や住宅ローンに追われ、せいぜいテレビの前でゴロ寝が趣味の日本の男たちに、子供の頃に持っていた冒険心をつかの間、ユラユラと思い出させるからだろう。
むろん、筆者もその軟弱な日本の男の一人にすぎない。現在、また何度目かの『ユーコン漂流』を読み返し中なのだが、わずかな文庫本代でもう何度もその冒険談を聞かせて貰っているわけだから、おつりが来るくらい元は取っている。せめてここで宣伝くらいしとかないと、バチが当たりそうだな。
そこへ行くと紀行文は、何度も読み返しが利く。しかも、どこから読んでもスッと入れる。ストレスが溜まったときや、旅に出たくなったときなどに、お気に入りの本を開いて適当なページをめくると、たちまち目の前に大自然の風や異郷の町並みなどが現れ、ふさいだ心を癒してくれる。優れた本ほど現れる光景が明瞭なので、まるで心を預けるように、読者はそこにある世界にじっくり浸ることが出来る。これが実にいいんだなあ。
筆者のお気に入りの紀行文作家は、若い頃なら山口瞳。この人の紀行ものはずいぶん読んだが、『酔いどれ紀行』や『迷惑旅行』『草競馬流浪記』など、自由で八方破れな大人の旅に、あの頃はずいぶん憧れたものだ。なにより昼間っから酒を飲むという旅の仕方には、ちょっとばかり驚かされた。
他にも、開高健やつげ義春、椎名誠など、いろんな作家たちの旅の本を貪ったものだが、ここ十数年では、いちばん気に入った作家と言えば野田知佑かなあ。熊本県出身のカヌーイストで、エッセイスト。日本や世界中の川をカヌーで下りながら、気に入った土地で寝泊まりし人と出会う。本にはその風のような生き方が、これ以上はないほどの男っぽい筆致で綴られているが、これが一度読み出したら止まらなくなるほど面白い。

野田氏との最初の出会いの本は、『日本の川を旅する』だった。これも名著だが、やはりこの人の最高傑作と言えば、『北極海へ』と『ユーコン漂流』の二冊に尽きるんじゃないのかな。とにかく奇を衒ったところは一切なし。北米大陸の原野を流れるマッケンジー川やユーコン川という大河を、何ヶ月もかけて一人で悠々と下りながら、そこで出会う自然や人間たちとの触れ合いを、作者は簡潔な文章で淡々と語っている。実に骨太でスケールがでかい、男の世界。
で、けっこうユーモアのセンスもある人なのだが、考えてみればずいぶん危険な目にも会っているんだよな。嵐の中を漕いだり、グリズリーに出くわしたり。それを深刻そうに書かない所もまたいい。英語が堪能で、荒野で出会うインディアンや白人のマウンテンマン(山男)とも、分け隔てなく付き合い飯をご馳走になる──。小心翼々と日本の片隅で生きている人間にとっては、まるで夢のようなエピソードがここにはごく自然に書かれている。
その生き方はある意味、男の憧れであり羨ましい限りだ。しかし、誰もが簡単に作者の真似ができるわけではない。野田氏の本が売れるのは、通勤や住宅ローンに追われ、せいぜいテレビの前でゴロ寝が趣味の日本の男たちに、子供の頃に持っていた冒険心をつかの間、ユラユラと思い出させるからだろう。
むろん、筆者もその軟弱な日本の男の一人にすぎない。現在、また何度目かの『ユーコン漂流』を読み返し中なのだが、わずかな文庫本代でもう何度もその冒険談を聞かせて貰っているわけだから、おつりが来るくらい元は取っている。せめてここで宣伝くらいしとかないと、バチが当たりそうだな。
2008年05月07日
万緑叢中百花撩乱
連休の一日を利用して、新緑の中を歩いて来た。小城の低い山に登り、少しばかり傾斜のきつい道を歩いたのだが、あたりは瑞々しい緑が一面にあふれ、気分は爽快だった。やっぱりこの季節のレクリエーションは、弁当を持ってのハイキングに限るなあ。
コースは北浦から枝道を北東に進み、長崎自動車道の高架下経由でミカン山を登り、県道44号を左折して清水の滝に至るという、昨年11月の紅葉見物と同じもの。滝の下で昼食をとり、帰りは見瀧寺にお参りした後、ゆるい山道をだらだらと清水川沿いに下って行く。これ、行きはきついが帰りは楽という先憂後楽型なので、筆者は気に入っているのだ。幸い薄曇りで気温も低く、暑さの心配がなかったのは良かった。
この日のテーマは、新緑の中に花を探すこと。「万緑叢中紅一点」という中国宋代の詩があるが、この季節の小城の山道で出会う花々にはどんなものがあるのか、たまには風流な探索をしてもバチは当たらないはずだ。ま、筆者に不似合いと言ってしまえば、その通りなのだが…。

で、さっそく出会ったのがキイチゴの白い花。これはけっこう山道脇の茂った薮の中に、比較的よく見掛けた。白く小さな花弁が群れになっているのですぐにそれと分かったが、どこにでも咲いているところをみると、きっと繁殖力が強い植物なのだろう。こいつが赤いラズベリーの実をつけた頃、また採りに来るのも良いなあ。

これは何という花だろう? 県道44号を左折して清水の集落に入る辺りの、民家の石垣からまるで滝のようにしだれ落ちる白い花。細い枝いっぱいにぎっしりと集まった花弁の群れは、とてもゴージャスな印象だ。街灯のないこの道だが、夜でもここだけはほんのりと薄明るいんじゃないだろうか。でも、ちょっと怖いかな?

著莪(シャガ)は、清水の滝壺から流れ落ちた水がやや下に下ったあたりの、道のほとりに群生していた。湿地の木陰に咲く地味な花だが、よく見ると白地に薄紫とオレンジの上品な色使いだ。「胡蝶花(コチョウカ)」の別名もあるらしいが、シャガよりこっちの方がそれらしい名前じゃないのかね。子供の頃遊んだ薮の中で、よく見掛けた花のような気がする。

清水の滝は、溢れんばかりの樹々の緑にすっかり埋もれていた。両側から伸びた楓の枝葉が、まるで滝を覆い隠すように包んでいる。この緑の色の美しいこと。“山中の秘滝”という呼び名がピッタリの清水の滝だが、この季節はさらにそんな感じが増すなあ。気分がいいので、でかいオニギリを思い切り食った。

このきれいな花の名は? ミズバショウによく似ていたので調べてみたら、和蘭海芋(オランダカイウ)というそうな。清水からの帰り道、脇を流れる小川の中に咲いていた花だが、近くの民家の人が植えたのかな。サトイモの仲間だというが、どこか造花のように見えるのは、ルーツが南アフリカという出自のせいなのかも知れない。

おお、黄色いサクランボ! 枝いっぱい実をつけた道端のサクランボに、懐かしいハマクラさんのヒット曲を思い出した。ただし誰も食べる人がいないのか、まるで手つかず状態。近ごろの子供は、こういうものを食べないのだろうか。せっかくなので筆者が2〜3個口に入れてみたところ、う〜ん甘くて酸っぱい思い出の味。歩き疲れた体にちょうどいいサプリを貰ったよ。考えてみれば、これが本当の桜乱坊日誌なのだった。
コースは北浦から枝道を北東に進み、長崎自動車道の高架下経由でミカン山を登り、県道44号を左折して清水の滝に至るという、昨年11月の紅葉見物と同じもの。滝の下で昼食をとり、帰りは見瀧寺にお参りした後、ゆるい山道をだらだらと清水川沿いに下って行く。これ、行きはきついが帰りは楽という先憂後楽型なので、筆者は気に入っているのだ。幸い薄曇りで気温も低く、暑さの心配がなかったのは良かった。
この日のテーマは、新緑の中に花を探すこと。「万緑叢中紅一点」という中国宋代の詩があるが、この季節の小城の山道で出会う花々にはどんなものがあるのか、たまには風流な探索をしてもバチは当たらないはずだ。ま、筆者に不似合いと言ってしまえば、その通りなのだが…。

で、さっそく出会ったのがキイチゴの白い花。これはけっこう山道脇の茂った薮の中に、比較的よく見掛けた。白く小さな花弁が群れになっているのですぐにそれと分かったが、どこにでも咲いているところをみると、きっと繁殖力が強い植物なのだろう。こいつが赤いラズベリーの実をつけた頃、また採りに来るのも良いなあ。

これは何という花だろう? 県道44号を左折して清水の集落に入る辺りの、民家の石垣からまるで滝のようにしだれ落ちる白い花。細い枝いっぱいにぎっしりと集まった花弁の群れは、とてもゴージャスな印象だ。街灯のないこの道だが、夜でもここだけはほんのりと薄明るいんじゃないだろうか。でも、ちょっと怖いかな?

著莪(シャガ)は、清水の滝壺から流れ落ちた水がやや下に下ったあたりの、道のほとりに群生していた。湿地の木陰に咲く地味な花だが、よく見ると白地に薄紫とオレンジの上品な色使いだ。「胡蝶花(コチョウカ)」の別名もあるらしいが、シャガよりこっちの方がそれらしい名前じゃないのかね。子供の頃遊んだ薮の中で、よく見掛けた花のような気がする。

清水の滝は、溢れんばかりの樹々の緑にすっかり埋もれていた。両側から伸びた楓の枝葉が、まるで滝を覆い隠すように包んでいる。この緑の色の美しいこと。“山中の秘滝”という呼び名がピッタリの清水の滝だが、この季節はさらにそんな感じが増すなあ。気分がいいので、でかいオニギリを思い切り食った。

このきれいな花の名は? ミズバショウによく似ていたので調べてみたら、和蘭海芋(オランダカイウ)というそうな。清水からの帰り道、脇を流れる小川の中に咲いていた花だが、近くの民家の人が植えたのかな。サトイモの仲間だというが、どこか造花のように見えるのは、ルーツが南アフリカという出自のせいなのかも知れない。

おお、黄色いサクランボ! 枝いっぱい実をつけた道端のサクランボに、懐かしいハマクラさんのヒット曲を思い出した。ただし誰も食べる人がいないのか、まるで手つかず状態。近ごろの子供は、こういうものを食べないのだろうか。せっかくなので筆者が2〜3個口に入れてみたところ、う〜ん甘くて酸っぱい思い出の味。歩き疲れた体にちょうどいいサプリを貰ったよ。考えてみれば、これが本当の桜乱坊日誌なのだった。


