2010年03月15日
小城公園桜情報(1)
気が付いたら今年ももう3月半ば。冬来たりなば春遠からじとはいうものの、このところまるで薄氷が溶けるように、日に日に春が近付いて来るのを感じる。そういえばサッカーのJリーグもすでに開幕だ。沈丁花の香りとともに、季節がいま大きく変わりつつあるのだな。
こうなるとじっとしてられないのが小城人の性(さが)という奴だ。その理由は、あの花の開花が気になって仕方がないから。そう、『日本さくら名所100選』に名を連ねる、小城公園の桜のことだ。何といっても小城の春は、この花の開花とともにやって来ることになっている。これがじっとしていられるはずがない。
そこで、気の早い筆者はさっそく3月の第2日曜日、公園に偵察に行ってみた。まあもちろんどの程度、蕾が膨らんだのかを確かめるためなのだが。でも、ひょっとしてやっぱり気の早い慌てものの木が、一本や二本はあるんじゃないかとも思ったりして…。

おお、すでに園内の散策路には赤いぼんぼりが建てられ、花見の準備は万端じゃないの──。やって来た小城公園は、人影こそまばらながら、すでに春を迎える用意だけは整っていた。さすがに手際がいい小城人。もっとも予想通り、ソメイヨシノの枝々はまだまだ蕾を閉ざしたままだ。考えてみれば、無理もない話だけどね。

しかし一歩近付いて良く見ると、中にはごく稀に数輪の花を咲かせた枝もある。おまけになんと蕾の大きさは、どれもかなり膨らんでいるじゃないか。キターッ。これはひょっとすると、来週あたり一斉に咲き始めるのかも知れないなあ──などと筆者の期待も大きく膨らむ。

お堀の周りをぐるりと歩いてみる。さすがにまだ宴会に興じるオッチョコチョイはいないが、どの木々も蕾がかなり膨らんでいる感じ。いいぞいいぞ、その調子。来週だったら、ポツポツ来園者も増えて来そうだな。グランウンドの方からは野球やサッカーをする少年たちの、大きな声が曇り空の下に響いていた。

ところで、中には満開を迎えた早咲きの桜もある。濃いピンクの花弁をつけたこの桜は、何という種類なのだろうか。ソメイヨシノとは明らかに違う姿形の桜が何本か、早くも園内のあちこちに春の訪れを告げていたっけ。後を追うようにやがてもうすぐ全山が、薄いピンクの花々で埋め尽くされることだろう。今年の桜もやはり、早咲き傾向ということなのかな?
こうなるとじっとしてられないのが小城人の性(さが)という奴だ。その理由は、あの花の開花が気になって仕方がないから。そう、『日本さくら名所100選』に名を連ねる、小城公園の桜のことだ。何といっても小城の春は、この花の開花とともにやって来ることになっている。これがじっとしていられるはずがない。
そこで、気の早い筆者はさっそく3月の第2日曜日、公園に偵察に行ってみた。まあもちろんどの程度、蕾が膨らんだのかを確かめるためなのだが。でも、ひょっとしてやっぱり気の早い慌てものの木が、一本や二本はあるんじゃないかとも思ったりして…。

おお、すでに園内の散策路には赤いぼんぼりが建てられ、花見の準備は万端じゃないの──。やって来た小城公園は、人影こそまばらながら、すでに春を迎える用意だけは整っていた。さすがに手際がいい小城人。もっとも予想通り、ソメイヨシノの枝々はまだまだ蕾を閉ざしたままだ。考えてみれば、無理もない話だけどね。

しかし一歩近付いて良く見ると、中にはごく稀に数輪の花を咲かせた枝もある。おまけになんと蕾の大きさは、どれもかなり膨らんでいるじゃないか。キターッ。これはひょっとすると、来週あたり一斉に咲き始めるのかも知れないなあ──などと筆者の期待も大きく膨らむ。

お堀の周りをぐるりと歩いてみる。さすがにまだ宴会に興じるオッチョコチョイはいないが、どの木々も蕾がかなり膨らんでいる感じ。いいぞいいぞ、その調子。来週だったら、ポツポツ来園者も増えて来そうだな。グランウンドの方からは野球やサッカーをする少年たちの、大きな声が曇り空の下に響いていた。

ところで、中には満開を迎えた早咲きの桜もある。濃いピンクの花弁をつけたこの桜は、何という種類なのだろうか。ソメイヨシノとは明らかに違う姿形の桜が何本か、早くも園内のあちこちに春の訪れを告げていたっけ。後を追うようにやがてもうすぐ全山が、薄いピンクの花々で埋め尽くされることだろう。今年の桜もやはり、早咲き傾向ということなのかな?
2009年12月22日
たかじんの“発見”

最近すっかり観なくなったテレビだが、筆者が唯一と言っていいほど、必ず観ている昼の番組がある。FBS福岡放送(日本テレビ系)で、毎週日曜日の午後1時半からやっている「たかじんのそこまで言って委員会」がそれだ。この番組、とにかく見始めるとクセになるほど面白い。たまに特番などと差し替えられたり、見損なったりした場合などは、日曜の午後がずいぶんつまらないものになる。
内容は、政治・経済・社会問題から世俗的なことまで、何でも扱うトーク番組なのだが、出演者の顔ぶれがまず強烈だ。司会は、歌手でタレントのやしきたかじんとアナウンサーの辛坊治郎。パネリストには評論家の三宅久之、落語家の桂ざこば、また勝谷誠彦、宮崎哲弥といった面々が並び、準レギュラーも田嶋陽子、金美齢、村田晃嗣など、一言居士ばかりだ。
この番組の最大のポイントは、制作が大阪の読売テレビということだろう。つまり何がスゴいかといって、とりすました東京のテレビ局では絶対に制作も放送も出来ない、過激でストレートな言論が遠慮のかけらも無く行き交うこと。アクの強い大阪風味が、この番組の麻薬のような魅力なのだ。独断と偏見、本音と毒舌──。上辺だけのきれいな言葉は、ここではたちまち論破され罵倒されてしまう。気の弱い出演者には、発言の機会さえないもんなあ。
なので、この番組を仕切る司会者の役割はとても重要だ。特に筆者が感心するのが、やしきたかじんの存在だ。実はこの番組、全国で放送されているにもかかわらず、関東地区は例外的に放送されていない。筆者がこの番組の存在を知ったのは、住んでいた東京から佐賀に移ってからだった。それがつまり、“たかじん発見!”のときだったってわけ。いや、オーバーな言い方ではなく、人は東京の文化圏を離れて初めて、やしきたかじんという才能と遭遇することになる。
それほど、たかじんは東京では無名の存在なのだが、むろん筆者も名前と顔だけは知っていた。ただし、あまりいいイメージじゃあない。柄の悪いコテコテ関西限定の毒舌タレント──どうせそんなものだと思っていた。ひょっとしたら半分ヤクザじゃないか、とも。だからこの番組を見始めるまでは、筆者もたかじんの顔や大阪弁に少なからぬ嫌悪感を持っていた。
だが、食わず嫌いとはこのことだろうか。この番組での彼は、意外にもクールな紳士だった。そればかりか、頭がキレてあんがい控えめで、ときに露悪的に開き直ってみせる度胸もある。なにより話が抜群に面白い。険悪になりがちな出演者間の舌戦も、まるで弄ぶがごとくコロコロと掌で転がし、スタジオを笑いの渦に巻き込んで行く。なるほど大阪弁はこういうとき便利だなあと、筆者は何度感心したことか。
むろん相方、辛坊治郎の進行の巧みさもあるのだろうが、この番組の醸し出すあけすけな爽快さは、たかじんのキャラクターに負うところが大きいと思う。硬軟両刀、緩急自在、清濁併呑──何というか、それがこのタレントの最大の魅力なのだろう。まさに“発見”だったなあ。
ところで、この「委員会」と同じようなトーク番組に、東京のテレビ朝日制作「ビートたけしのTVタックル」がある。こちらも人気番組であり、パネリストの顔ぶれも三宅久之氏を始めかなり重複している。にもかかわらず、トークの盛り上がりやスリル感という点で、まるで「委員会」に見劣りしてしまうのはなぜだろうか?
おそらく「TVタックル」の方は、局の縛りがきついのだろう。例えば、舌戦がヒートアップし発言者が本音を語ろうとすると、決まって司会役の阿川佐和子や大竹まことが茶々を入れて、話を横道にそらしてしまう。発言者も視聴者もそこでイライラをつのらせる羽目になるのだが、おそらくその辺りが東京の番組の限界なのだろう。ついでに言えばビートたけしも最近は毒性が薄れ、文化人的発言が鼻についてあまり面白くはなくなった。
この「委員会」という番組、もし関東地区で放送されればおそらく高視聴率を上げ、筆者と同じように人々はやしきたかじんという才能を“発見”することだろう。だがそうはならないのは、たかじん本人がそれを認めないからだという。分かるなあ、その気持ち。なぜなら、仮にこの番組が東京で放送されたとしても、キワドい話はすべてカットされてしまい、本来の面白さは半減されてしまうはずだから。毒にも薬にもならないテレビのつまらなさは、たかじんならずとも大人はみんな分かっているのだ。
2009年11月26日
「小城市」でよかった!
ニュースなどに登場する海上自衛隊の艦船には、たいてい平仮名の名前がついている。例えば、護衛艦「ひゅうが」とか「はるな」とか。そうそう先頃、関門海峡で事故に巻き込まれた上、マスコミに犯人呼ばわりまでされてしまった、「くらま」という運の悪い護衛艦もあったなあ。
これらは本来、漢字で書けば「日向」「榛名」であり「鞍馬」となるのだろうが、どういう理由か現在すべての艦名は平仮名で表すらしい。そのむかし東郷艦隊の旗艦「三笠」に始まり、戦艦「大和」や重巡「鳥海」「妙高」などの模型作りに熱中した、かつてのプラモ少年としては、軍艦の名前はやはり堂々と漢字で表記して欲しいところなんだけどね。やはり重さが違うのだ。別に平仮名にすれば世の中、平和になるわけでもあるまいし。
同じように地名にも、平仮名表記のものがこの頃けっこう目立つ。中でも、市町村合併により生まれた新しい市にこの傾向が強いようで、代表的なものでは埼玉県の県庁所在地「さいたま市」がある。「埼玉市」の方が普通にビシッと格好いいと思うのだが、なにやら歴史的な経緯や地理的齟齬などがありこうなったらしい。公募で1位だった「埼玉市」を名乗れないところに、合併の難しさがあるのだろうね。他にも香川県には「東かがわ市」や「さぬき市」が生まれているが、なぜ「東香川市」や「讃岐市」ではマズイのかという疑問は残る。
ちょっとこれは、というような新市名も誕生している。群馬県の「みどり市」や、栃木県の「さくら市」がそれだ。何だか筆者には、特急列車の愛称か幼稚園のクラス名みたいに思えて、思わず顔が赤くなる。というかこれって、平仮名か漢字かという以前に、あまりに個性が無さ過ぎじゃないのかな。歴史的な地名もあったはずなのに、それらを無視してこうした安直な名前を自分たちの土地につけてしまうのは、先人たちが築いて来たものへの冒涜のような気がしないでもない。

さて、小城町・牛津町・三日月町・芦刈町が合併して、「小城市」が誕生したのが2005年。このときの新市名決定についての経緯は、筆者は当時まだ東京に住んでいた為よく知らないが、妥当な判断をしてくれた人たちにまず感謝したい。「小城市」──風格があって良い名前じゃないか。これが仮に「おぎ市」や「てんざん市」だったら筆者は落ち込むところだったし、「西さが市」だったら泣いていただろう。もしも「あおぞら市」や「ふるさと市」だったら、「ふざけんな!」と市庁舎に抗議に行ったかも知れないなあ。
なんといっても「小城」という地名には歴史がある。和銅6年(713)に編纂された「肥前国風土記」の小城郡の条には、「土蜘蛛」と呼ばれる土着民が堡(おき=城塞)に隠れて抵抗したため、日本武尊により征伐されたという伝説が記されているという。この堡(おき)から小城(おぎ)の名が生まれたというのだから、これはもう誇っても良い歴史的地名じゃないのかな。読み難いからなどという理由で、安易に平仮名書きにしたり改名したりすれば、「土蜘蛛」の祟りがあるというものだ。
ことほど左様に地名には歴史があり、土地の文化や地形的特徴などとも深くかかわっている。いわば地域遺産だ。それを合併などの理由で、一朝一夕に表記を変えたり全く別の名前にしてしまうのは、やはり暴挙と言う他はないだろう。これは人名と同じで、「源義経」の表記を読み難いからといって一律「みなもとのよしつね」にしたり、「源氏」と「平氏」が婚姻を結んで「なかよし氏」に改名したりするようなもの。やはり、守るべきものは守り後世に伝えるのが、現代人に課せられた使命じゃなかろうか。
それにつけても思い出すのが、小城市よりやや遅れて誕生した「嬉野市」と「武雄市」。当初は嬉野町・塩田町に武雄市・山内町を加えて、新市名「湯陶里(ゆとり)市」で合併する予定だったのだが、やはりこの名称問題で揉めに揉めた結果、嬉野町・塩田町で「嬉野市」、武雄市・山内町に北方町が加わって「武雄市」が生まれたというわけ。やはり合併する市町村の数が多ければ、こうした問題が起きるのだな。
結果としては、これで良かったんじゃないだろうか。嬉野市は何といっても「嬉野温泉」「嬉野茶」という強力なブランドを抱えているし、武雄市にも名高い「武雄温泉」がある。地域名とブランド名が一致することは、町起こしの大きな武器ともなるはず。何より「嬉野」や「武雄」といった由緒ある名前を新市名に残したことで、地域の人々の見識の高さを示すことにもなった。「湯陶里市」を考えた人に悪意はなかったろうが、もしもこれが「ゆとり市」にでもなっていたらと思うと、筆者はちょっと笑えないんだよなあ。
これらは本来、漢字で書けば「日向」「榛名」であり「鞍馬」となるのだろうが、どういう理由か現在すべての艦名は平仮名で表すらしい。そのむかし東郷艦隊の旗艦「三笠」に始まり、戦艦「大和」や重巡「鳥海」「妙高」などの模型作りに熱中した、かつてのプラモ少年としては、軍艦の名前はやはり堂々と漢字で表記して欲しいところなんだけどね。やはり重さが違うのだ。別に平仮名にすれば世の中、平和になるわけでもあるまいし。
同じように地名にも、平仮名表記のものがこの頃けっこう目立つ。中でも、市町村合併により生まれた新しい市にこの傾向が強いようで、代表的なものでは埼玉県の県庁所在地「さいたま市」がある。「埼玉市」の方が普通にビシッと格好いいと思うのだが、なにやら歴史的な経緯や地理的齟齬などがありこうなったらしい。公募で1位だった「埼玉市」を名乗れないところに、合併の難しさがあるのだろうね。他にも香川県には「東かがわ市」や「さぬき市」が生まれているが、なぜ「東香川市」や「讃岐市」ではマズイのかという疑問は残る。
ちょっとこれは、というような新市名も誕生している。群馬県の「みどり市」や、栃木県の「さくら市」がそれだ。何だか筆者には、特急列車の愛称か幼稚園のクラス名みたいに思えて、思わず顔が赤くなる。というかこれって、平仮名か漢字かという以前に、あまりに個性が無さ過ぎじゃないのかな。歴史的な地名もあったはずなのに、それらを無視してこうした安直な名前を自分たちの土地につけてしまうのは、先人たちが築いて来たものへの冒涜のような気がしないでもない。

さて、小城町・牛津町・三日月町・芦刈町が合併して、「小城市」が誕生したのが2005年。このときの新市名決定についての経緯は、筆者は当時まだ東京に住んでいた為よく知らないが、妥当な判断をしてくれた人たちにまず感謝したい。「小城市」──風格があって良い名前じゃないか。これが仮に「おぎ市」や「てんざん市」だったら筆者は落ち込むところだったし、「西さが市」だったら泣いていただろう。もしも「あおぞら市」や「ふるさと市」だったら、「ふざけんな!」と市庁舎に抗議に行ったかも知れないなあ。
なんといっても「小城」という地名には歴史がある。和銅6年(713)に編纂された「肥前国風土記」の小城郡の条には、「土蜘蛛」と呼ばれる土着民が堡(おき=城塞)に隠れて抵抗したため、日本武尊により征伐されたという伝説が記されているという。この堡(おき)から小城(おぎ)の名が生まれたというのだから、これはもう誇っても良い歴史的地名じゃないのかな。読み難いからなどという理由で、安易に平仮名書きにしたり改名したりすれば、「土蜘蛛」の祟りがあるというものだ。
ことほど左様に地名には歴史があり、土地の文化や地形的特徴などとも深くかかわっている。いわば地域遺産だ。それを合併などの理由で、一朝一夕に表記を変えたり全く別の名前にしてしまうのは、やはり暴挙と言う他はないだろう。これは人名と同じで、「源義経」の表記を読み難いからといって一律「みなもとのよしつね」にしたり、「源氏」と「平氏」が婚姻を結んで「なかよし氏」に改名したりするようなもの。やはり、守るべきものは守り後世に伝えるのが、現代人に課せられた使命じゃなかろうか。
それにつけても思い出すのが、小城市よりやや遅れて誕生した「嬉野市」と「武雄市」。当初は嬉野町・塩田町に武雄市・山内町を加えて、新市名「湯陶里(ゆとり)市」で合併する予定だったのだが、やはりこの名称問題で揉めに揉めた結果、嬉野町・塩田町で「嬉野市」、武雄市・山内町に北方町が加わって「武雄市」が生まれたというわけ。やはり合併する市町村の数が多ければ、こうした問題が起きるのだな。
結果としては、これで良かったんじゃないだろうか。嬉野市は何といっても「嬉野温泉」「嬉野茶」という強力なブランドを抱えているし、武雄市にも名高い「武雄温泉」がある。地域名とブランド名が一致することは、町起こしの大きな武器ともなるはず。何より「嬉野」や「武雄」といった由緒ある名前を新市名に残したことで、地域の人々の見識の高さを示すことにもなった。「湯陶里市」を考えた人に悪意はなかったろうが、もしもこれが「ゆとり市」にでもなっていたらと思うと、筆者はちょっと笑えないんだよなあ。
2009年10月30日
移動したテレビ番組

このところ少しばかり多忙でブログの更新をサボっていたら、なんともう10月末。知らないうちにテレビも秋の改変期を過ぎていて、新番組ができたり、これまで見慣れていた番組の時間が変更になったりしている。まあ、近頃はもっぱら夜はネットに勤しむことが多く、テレビの視聴時間はめっきり減ったので、どうでも良いといえばどうでも良いのだが。
それでも、筆者にも数少ないお気に入りの番組があることはある。その一つが九州朝日放送が放映している「探偵!ナイトスクープ」だが、これがなんと慣れ親しんできた金曜午後11時15分開始から、土曜日深夜の12時30分に変更されているじゃないか! これには筆者もちょっと困った。なぜってその時間帯には、これまたお気に入りのサッカー番組「S☆1・スパサカ」が、すでに放送されていたのだから。
もっとも幸か不幸かどういう理由か、土曜深夜の45分枠を誇る人気番組だったTBSの「スパサカ」は、以前にそれまでの12時から30分遅れに開始時間がスライドしたおり、実質15分程度のサッカー番組に短縮されてしまっていた。なので、「ナイトスクープ」が「スパサカ」とかぶるのは、最初の15分だけということになる。筆者にとっての被害は軽くてすんだが、それでも数少ないお気に入りの番組の時間がかぶってしまうのは、かなり勿体ない話ではあるんだなあ。
思えばこの「ナイトスクープ」という番組、筆者がそのむかし大阪に出張して泊まったホテルのテレビで遭遇して以来、もう20年以上も贔屓にしているものなのだ。視聴者からのあらゆる依頼を、歴代のお笑い芸人の探偵たちが、とにかく真剣に調査・追求するというコンセプトが秀逸で、何年見ても飽きることがない。一見バカバカしい謎や疑問も、徹底して追求するとそこに意外な発見があり、感動的なドラマがあったりする。そこが何と言われようと、シンプルで面白い。
シニカルな毒舌が売り物だった上岡龍太郎から、優しくて泣き虫の西田敏行に探偵局長が代わっても、この面白さはちっとも変わることがない。いまどき家族揃って笑ったり泣いたり出来る、貴重な番組のひとつになっている。この番組こそ外国で放送したら、グッと日本人への親近感が湧くと思うんだがなあ(逆にバカにされる?)、どうだろうか。
もうひとつ、時間が変更になって困ったのが、やはり深夜番組の「タモリ倶楽部」。こちらの方はやはり九州朝日放送の金曜夜、1時39分からと決まっていたのだが、一日早まって木曜日の1時20分開始となっている。実はこれもちょっとまずいんだよなあ。なぜなら、筆者が木曜深夜の密かな楽しみにしていた、NHK総合1時10分からの「ビギン・ジャパノロジー」と、やはり若干かぶってしまうのだ。どちらも捨て難い好番組なので、これは本当に困る。
「タモリ倶楽部」のマニアックな面白さは、いまさら言うまでもないが、この「ビギン・ジャパノロジー」という番組も、なかなかに味わい深い番組だ。司会は音楽評論家のピーター・バラカン氏。日本に住む外国人向けに、日本の伝統文化や風俗などを、毎週一つずつテーマを絞りながら解説する、ちょっとした教養番組なのだが、これが日本人が観ていてもけっこう惹き込まれる。
なにしろ「箸」とか「剣道」とか、ときには「ラーメン」についてとか、日本人が知っているようで意外に知らない種々の情報を、司会者が外国人向けに分かり易く、しかも掘り下げて説明してくれるので、ちょっとした観光客気分で、客観的に「ジャパン」を視ることが出来るというわけ。つまり日本人が改めて、「へえ!」と“日本発見”が出来る面白さがあるのだ。しかも、英語の放送だが二重音声で日本語の放送を聴けるので、筆者のようなコテコテ日本人にも言葉の問題はない。
かくして木曜と土曜の深夜は、筆者にとってちょっと悩ましい時間となってしまった。まあザッピングしながら、両方を少しずつ観られないことはないんだけどね。むろん片方を録画するという手もあるのだが、録画した番組というのは往々にしてそれっきりになってしまうもの。今のテレビ番組は、筆者にとってはその程度の位置付けになってしまったのだ。なので木曜土曜の夜は、やっぱり悩ましく更けて行く…。
2009年08月30日
格好悪い唐津線の車両
JR唐津線に乗るたびに思うのは、運賃がいやに高いこと。筆者がよく利用するのは、佐賀駅から鍋島駅と久保田駅をはさんだ、小城駅までの3区間。時間にすればわずか15分ほどだが、これだけで切符代は270円も取られる。自販機にコインを投入するたびに、高いなあといつも思うのだ。
単純に比較は出来ないが、これがどれだけ高いかというと、例えば東京の新宿駅から小田急線に乗って、都下稲城市にある「読売ランド」に遊びに行ったとする。読売ランドの敷地内には、読売ジャイアンツや東京ヴェルディの練習場があるのだが、これはまあどうでも良い。新宿駅から「読売ランド前」駅までの切符を買うとすると、これが佐賀駅−小城駅間と同じ270円になる。だが驚くなかれ、新宿からスタートして読売ランド前は、なんと20番目の駅なのだ。
ちなみに距離で比較すると、佐賀駅−小城駅間が11.5kmなのに対し、新宿駅−読売ランド前駅は19.2km.。小田急線は唐津線に比べ距離で約2倍、区間の駅の数では17も多いのに、運賃は同じ270円なのだから、いかに唐津線が高いかが分かる。おまけにスマートで小ぎれいな小田急線の電車に比べると、唐津線のディーゼルカーのみすぼらしさには涙が出るよ。
とはいえ、神奈川県の小田原方面から新宿副都心へ大量の人間を運ぶ小田急線と、佐賀県の過疎地をのんびりと昼寝しながら走る唐津線では、所詮くらべることに無理がある。それは筆者も分かっている。両者の乗降客数には天と地ほどの開きがあり、自然、数の少ない唐津線では客単価が高くなるのは仕方がないことなのだ。仕方がないけど同じ民営の鉄道会社として、サービスにこんな格差があっていいのかなあ、などと筆者はつい思ってしまう。

そこでせめて提案したいのは、唐津線の車両のデザインをもう少しなんとかすること。現在、唐津線を走るディーゼルカーの客車は、白っぽい車体の横に濃いブルーのラインが入った「キハ47」と、鮮やかな黄色い車体の「キハ125」の2種類が走っている。前者の方がややボディが長く、乗降用のドアが両開きなのに対し、後者はこぢんまりとした車体で乗降ドアも片開きだ。つまり二つは、かなり違うタイプの車両ということになる。
唐津線はたいてい2両編成の場合が多いが、ふつう見掛けるのは「キハ47+キハ47」か「キハ125+キハ47」という組合せだ。脱色したような不気味な白さが好きになれないが、まあ「キハ47」どうしの組合せは我慢しよう。筆者がどうにもひどいと思うのは、後者の「キハ125+キハ47」の連結だ。
とにかく、色も違えば形も違う二つの車両が並んだ様は、チグハグ過ぎてどうにも格好が悪過ぎる。これではまるで黄色い背広の下に、白い袴を穿いているようなものではないか。というより、こんなへんてこな組合せの車両を走らせて、何とも思わないセンスの無さが筆者には信じられない。格好なんかどうでもいいよ、と自分で白状しているようなものなのだ。JR九州って、客商売をやってる会社じゃなかったっけ?
何といっても唐津線の良さは、沿線の景色が美しいこと。佐賀から唐津を結ぶレールの両側には、緑豊かな田園風景が広がり、また変化に富んだ山々や清流もある。映画『東京日和』のワンシーンを飾った、厳木駅のホームも昔のままだ。そこには日本の農村の原風景を思わせる、懐かしい景色があふれている。その中を走るローカル鉄道・唐津線がこれでは、いくらなんでも恥ずかし過ぎる気がするなあ。
団塊世代が退職の時代を迎え、こうした“懐かしい風景”を求める旅行者は、これからきっと増えるはず。遠方から来る年配者のお客は、やはり車ではなくて鉄道なのだ。そうした人々へのもてなしの意味も込めて、いまこそ唐津線はイメージチェンジをすべき時だと、筆者は思う。美しい沿線の風景にしっくりと似合う、“佐賀らしい”デザインにね。
とりあえずはチグハグな「キハ125+キハ47」の組合せはやめて、「キハ125」どうしか「キハ47」どうしに決めてはどうだろう。あとは車体のカラーをオリジナルなものに統一し、唐津線の確立したイメージをアピールする。ボディに渋いイラストなどを描いてもいいんじゃないのかな。それだけでずいぶんスッキリし、路線の印象も変わるはずだ。とにかく、現状の高い運賃の上に格好悪い車両では、踏んだりけったりというもの。沿線の風景が泣くというものだ。
単純に比較は出来ないが、これがどれだけ高いかというと、例えば東京の新宿駅から小田急線に乗って、都下稲城市にある「読売ランド」に遊びに行ったとする。読売ランドの敷地内には、読売ジャイアンツや東京ヴェルディの練習場があるのだが、これはまあどうでも良い。新宿駅から「読売ランド前」駅までの切符を買うとすると、これが佐賀駅−小城駅間と同じ270円になる。だが驚くなかれ、新宿からスタートして読売ランド前は、なんと20番目の駅なのだ。
ちなみに距離で比較すると、佐賀駅−小城駅間が11.5kmなのに対し、新宿駅−読売ランド前駅は19.2km.。小田急線は唐津線に比べ距離で約2倍、区間の駅の数では17も多いのに、運賃は同じ270円なのだから、いかに唐津線が高いかが分かる。おまけにスマートで小ぎれいな小田急線の電車に比べると、唐津線のディーゼルカーのみすぼらしさには涙が出るよ。
とはいえ、神奈川県の小田原方面から新宿副都心へ大量の人間を運ぶ小田急線と、佐賀県の過疎地をのんびりと昼寝しながら走る唐津線では、所詮くらべることに無理がある。それは筆者も分かっている。両者の乗降客数には天と地ほどの開きがあり、自然、数の少ない唐津線では客単価が高くなるのは仕方がないことなのだ。仕方がないけど同じ民営の鉄道会社として、サービスにこんな格差があっていいのかなあ、などと筆者はつい思ってしまう。

そこでせめて提案したいのは、唐津線の車両のデザインをもう少しなんとかすること。現在、唐津線を走るディーゼルカーの客車は、白っぽい車体の横に濃いブルーのラインが入った「キハ47」と、鮮やかな黄色い車体の「キハ125」の2種類が走っている。前者の方がややボディが長く、乗降用のドアが両開きなのに対し、後者はこぢんまりとした車体で乗降ドアも片開きだ。つまり二つは、かなり違うタイプの車両ということになる。
唐津線はたいてい2両編成の場合が多いが、ふつう見掛けるのは「キハ47+キハ47」か「キハ125+キハ47」という組合せだ。脱色したような不気味な白さが好きになれないが、まあ「キハ47」どうしの組合せは我慢しよう。筆者がどうにもひどいと思うのは、後者の「キハ125+キハ47」の連結だ。
とにかく、色も違えば形も違う二つの車両が並んだ様は、チグハグ過ぎてどうにも格好が悪過ぎる。これではまるで黄色い背広の下に、白い袴を穿いているようなものではないか。というより、こんなへんてこな組合せの車両を走らせて、何とも思わないセンスの無さが筆者には信じられない。格好なんかどうでもいいよ、と自分で白状しているようなものなのだ。JR九州って、客商売をやってる会社じゃなかったっけ?
何といっても唐津線の良さは、沿線の景色が美しいこと。佐賀から唐津を結ぶレールの両側には、緑豊かな田園風景が広がり、また変化に富んだ山々や清流もある。映画『東京日和』のワンシーンを飾った、厳木駅のホームも昔のままだ。そこには日本の農村の原風景を思わせる、懐かしい景色があふれている。その中を走るローカル鉄道・唐津線がこれでは、いくらなんでも恥ずかし過ぎる気がするなあ。
団塊世代が退職の時代を迎え、こうした“懐かしい風景”を求める旅行者は、これからきっと増えるはず。遠方から来る年配者のお客は、やはり車ではなくて鉄道なのだ。そうした人々へのもてなしの意味も込めて、いまこそ唐津線はイメージチェンジをすべき時だと、筆者は思う。美しい沿線の風景にしっくりと似合う、“佐賀らしい”デザインにね。
とりあえずはチグハグな「キハ125+キハ47」の組合せはやめて、「キハ125」どうしか「キハ47」どうしに決めてはどうだろう。あとは車体のカラーをオリジナルなものに統一し、唐津線の確立したイメージをアピールする。ボディに渋いイラストなどを描いてもいいんじゃないのかな。それだけでずいぶんスッキリし、路線の印象も変わるはずだ。とにかく、現状の高い運賃の上に格好悪い車両では、踏んだりけったりというもの。沿線の風景が泣くというものだ。
2009年08月23日
蓮は神秘の花

先日、東京に住む友人の画家から残暑見舞いのハガキが届いた。ハガキの裏面には自筆の蓮の花の絵が描いてあり、「府中の古代蓮です」という説明がついていた。ピンク色の大きな花弁がポッカリと開き、中央には小さなハチノスのような、薄緑色のめしべも顔をのぞかせている。蓮とは、なんとも優雅な形の花なのだ。
この府中市の古代蓮の別名は「大賀蓮」。そのむかし昭和26年、千葉県にある東京大学グランドの土中から発見された、約二千年前の蓮の種子を発芽させ立派に開花させた、植物学者・大賀一郎博士の名前から来ている。大賀博士の蓮はその後、各地に移植されたようで、府中市の古代蓮もどうやらその子孫らしいが、なんとまあ植物の生命力とは凄いものだと感心させられる。
ところで、筆者はときどきJRの唐津線に乗る。佐賀から始発のディーゼルカーは、久保田駅を過ぎると長崎本線と分岐して北に進路を変える。その久保田駅を出た列車が次の小城駅に至る間の車窓には、両側に佐賀平野の青い田んぼが一面に広がっているが、ところどころに水をたたえたクリークなども点在する。そしてこの季節のそんなクリークは、たいてい大きな蓮の葉で覆われているんだなあ。いかにも佐賀らしいといえば佐賀らしい、のどかな風景じゃないか。
筆者がハッとするのは、その青々とした蓮の葉の中に小さなピンク色をした、いくつかの花を発見するときだ。走り行く列車の窓から見える一瞬の花の色は、それが遠くにあるせいかとても美しく見える。できれば近くに寄ってじっくり見物したいし、写真にも撮りたいと思うのだが、走る列車からではそうも行かないのが残念なのだ。
蓮の花が美しいのは、その形や色の優雅さもさることながら、やはり沼や池といったとても清冽とは言いがたい泥水の中から、まるで奇跡のように神々しい花弁を出現させるからだろう。掃き溜めに降りた鶴とでもいうのか、とにかくそのミスマッチはとても神秘的だ。古代からヒンドゥー教や仏教で聖なる花と看做されるのも、何となく分かるような気がする。
さらに大賀蓮でも分かるように、種子には人知の及ばない不思議な生命力も宿っている。何といっても二千年だもの。弥生人が見ていた花の種なのだ。
そう考えると、蓮とはなんとも神秘さと優雅さを兼ね備えた、魅力的な植物なのに気付かされる。筆者の子供の頃には、蓮の葉にたまった露を集めて墨をすると、習字がうまくなるなどと言われたものだ。おまけに根っこのレンコンは、天ぷらにして食べると抜群にうまいし…。そうだ、そうなのだ。やっぱり筆者は一度、唐津線の車窓から見えるあの蓮の花を、じっくり観に行かねばならないのかも知れないなあ。
2009年04月29日
歩かないと損をする
いよいよゴールデンウィークがやって来る。といっても別に旅行の計画があるわけじゃなし、特段ドキドキすることもないのだが。まあ健康のため、天気の好い日はせっせと歩こうかと思っている。何といってもこの時期は新緑の色がきれいだし、目や心のリフレッシュには持って来いなのでね。
しかし不思議なのは、佐賀県ではあまりこうしたハイカーの姿を見掛けないこと。筆者もたまに愛用のリュックに弁当を入れて、小城の山歩きなどをするが、同じ姿のハイカーと遭遇したことは一度もない。もっとも清水の集落付近で一度だけ、先生に連れられた小学生のグループとすれ違ったことがあるが、あれはハイキングというよりは課外授業の遠足という奴だろう。「こんにちは〜!」なんて、可愛い挨拶はしてくれたけど。

ハイカーの代わりに多いのは、やはり車だ。ここではどこへ行くのも車。カップルや家族連れなどを乗せ、新緑の山道を走り去るそんな車を見るたびに、筆者は本当に勿体ないと思う。鮮やかな新芽の色や風の匂いを満喫しながら歩くときの、心地好い疲労感と汗。ときどき休憩しては喉に流し込む、ペットボトルのお茶のなんという美味さよ…。歩くことの楽しさを知らないのは、人生の大きな損失だと思うんだけどなあ。
例えばこれが高尾山とか房総あたり、東京近郊の田舎の駅ではまずどこへ行っても、リュックを背負った熟年ハイカーのグループに行き当たる。子育てを終ったオバさんたちや、定年退職したオジさんたち。時間に余裕のある都会の住人たちは、休日ともなるとこぞってこうした郊外のハイキングを楽しんでいるのだ。ごく当然のようにね。
まあ、周囲に緑の少ない都会の住人が、休日に自然を求めて郊外へ行くのは、ある意味当然なのかもしれない。逆に普段から緑に囲まれた生活をしている佐賀県人にすれば、何を今さら休みの日に山の中を歩かにゃならんのか…。たしかに、そう言われればそうなんだが。

しかし、内閣府がまとめた「2008年版食育白書」なるものによると、東京・神奈川・兵庫といった都市部では、男女ともに運動量(1日あたりの歩行数)が多く、これらの地域では肥満者の割合が、運動量の少ない地域に比べて10〜20%も下回っているのだとか。意外や意外だが、都会人の方がまめによく歩き、健康的な生活をしているようなのだ。
これにはやはり、地下鉄やバス・電車などの公共交通機関が発達した都会と、それらがないためコンビニに行くのも車を使わざるを得ない田舎との、決定的な差がある。佐賀ではラーメン一杯食べに行くのも車だものなあ。なので駅で降りてからは歩くことの多い都会に比べ、車社会の田舎では当然ながら歩く機会が少なくなる。結果として、地方の方が肥満が多いということになるらしい。男女とも肥満率が一番高いのは、鉄道のない沖縄県だというのも頷ける。
こうしてみると生活習慣とは恐ろしいものだが、やはり歩くことは大事なんだなあ。ならば、いっそのこと佐賀でもノーカーデーなどを作って、月に一度くらいはみんなで歩く楽しさを、再認識するのはどうなんだろうか。そうなれば健康にも環境にも良いし、おまけにゴーストタウンの商店街に、人が戻って来ることだってあるだろうし…。
しかし不思議なのは、佐賀県ではあまりこうしたハイカーの姿を見掛けないこと。筆者もたまに愛用のリュックに弁当を入れて、小城の山歩きなどをするが、同じ姿のハイカーと遭遇したことは一度もない。もっとも清水の集落付近で一度だけ、先生に連れられた小学生のグループとすれ違ったことがあるが、あれはハイキングというよりは課外授業の遠足という奴だろう。「こんにちは〜!」なんて、可愛い挨拶はしてくれたけど。

ハイカーの代わりに多いのは、やはり車だ。ここではどこへ行くのも車。カップルや家族連れなどを乗せ、新緑の山道を走り去るそんな車を見るたびに、筆者は本当に勿体ないと思う。鮮やかな新芽の色や風の匂いを満喫しながら歩くときの、心地好い疲労感と汗。ときどき休憩しては喉に流し込む、ペットボトルのお茶のなんという美味さよ…。歩くことの楽しさを知らないのは、人生の大きな損失だと思うんだけどなあ。
例えばこれが高尾山とか房総あたり、東京近郊の田舎の駅ではまずどこへ行っても、リュックを背負った熟年ハイカーのグループに行き当たる。子育てを終ったオバさんたちや、定年退職したオジさんたち。時間に余裕のある都会の住人たちは、休日ともなるとこぞってこうした郊外のハイキングを楽しんでいるのだ。ごく当然のようにね。
まあ、周囲に緑の少ない都会の住人が、休日に自然を求めて郊外へ行くのは、ある意味当然なのかもしれない。逆に普段から緑に囲まれた生活をしている佐賀県人にすれば、何を今さら休みの日に山の中を歩かにゃならんのか…。たしかに、そう言われればそうなんだが。

しかし、内閣府がまとめた「2008年版食育白書」なるものによると、東京・神奈川・兵庫といった都市部では、男女ともに運動量(1日あたりの歩行数)が多く、これらの地域では肥満者の割合が、運動量の少ない地域に比べて10〜20%も下回っているのだとか。意外や意外だが、都会人の方がまめによく歩き、健康的な生活をしているようなのだ。
これにはやはり、地下鉄やバス・電車などの公共交通機関が発達した都会と、それらがないためコンビニに行くのも車を使わざるを得ない田舎との、決定的な差がある。佐賀ではラーメン一杯食べに行くのも車だものなあ。なので駅で降りてからは歩くことの多い都会に比べ、車社会の田舎では当然ながら歩く機会が少なくなる。結果として、地方の方が肥満が多いということになるらしい。男女とも肥満率が一番高いのは、鉄道のない沖縄県だというのも頷ける。
こうしてみると生活習慣とは恐ろしいものだが、やはり歩くことは大事なんだなあ。ならば、いっそのこと佐賀でもノーカーデーなどを作って、月に一度くらいはみんなで歩く楽しさを、再認識するのはどうなんだろうか。そうなれば健康にも環境にも良いし、おまけにゴーストタウンの商店街に、人が戻って来ることだってあるだろうし…。
2009年04月06日
小城公園桜情報(3)
この季節、お天気の神様の気まぐれで、週末と晴れのマークが重なる確率は、おそろしく低いんじゃないだろうか。そんな中、ようやく好天に恵まれた4月最初の日曜日。それにしても暖かい日だ。うららかな日差しに無風ときては、やはりまたまた小城公園に出かけねばなるまい。

おお、今年の花は長持ちだなあ! 先週の日曜には満開を迎えた小城公園の桜だが、一週間経っても花はまだ待っていてくれた。見たところ5割くらいだろうか。このところ続いた花冷えのせいなのか、木々の枝には散らずに残った花弁の数が目につく。なんという健気さ。これならもう少しだけ、花見を楽しめそうじゃないか!

それでも池の水面には、びっしりと撒いたような花びらが浮かび、園内の散策路を覆ったピンクの雪で、下の地面が見えないほど。まさに花吹雪。しかしこうした花の名残を楽しむのも、また日本人って好きなんだよなあ。そこに人生の儚さを重ねたりして…。

藤棚の近くで売っていたのが「おぎにり」。名産の小城羊羹とおにぎりをドッキングさせたアイディア食品らしいが、売れ行きはどうなんだろうか。個人的にはどうもという気もするが、あんがい甘いもの好きな女性には、和菓子感覚で受入れられるのかも知れないなあ。ネーミングセンスはなかなかグーだ。ちなみに東京の友人からのメールによると、むこうのニュースでもこれが紹介されたらしい。

岡山神社の近くに並んだ露店にも、もはや人影はポツリポツリ。店番の人たちも手持ち無沙汰といった風だ。そろそろこの小さな商店街にも、店じまいの時が近付いているのだろう。金魚すくいの店を覗くと、珍しく少年二人がチャレンジしていたが、なぜかボウルの中の獲物は黒い出目金ばかり。これが好きなのかな?

遠目にはまだピンクの色が濃い、ボートの堀の周りの桜並木。どういうわけか今年はついに、この水面にスワンの姿を見ることがなかったが、ちょっと寂しい感じは否めない。あの白い鳥たちはどこへ行ったのだろう。しかしこうして見ると、桜並木の向こうに見える楠の新緑の色が、僅かの間にずいぶんと鮮やかさを増したようだ。

おお、今年の花は長持ちだなあ! 先週の日曜には満開を迎えた小城公園の桜だが、一週間経っても花はまだ待っていてくれた。見たところ5割くらいだろうか。このところ続いた花冷えのせいなのか、木々の枝には散らずに残った花弁の数が目につく。なんという健気さ。これならもう少しだけ、花見を楽しめそうじゃないか!

それでも池の水面には、びっしりと撒いたような花びらが浮かび、園内の散策路を覆ったピンクの雪で、下の地面が見えないほど。まさに花吹雪。しかしこうした花の名残を楽しむのも、また日本人って好きなんだよなあ。そこに人生の儚さを重ねたりして…。

藤棚の近くで売っていたのが「おぎにり」。名産の小城羊羹とおにぎりをドッキングさせたアイディア食品らしいが、売れ行きはどうなんだろうか。個人的にはどうもという気もするが、あんがい甘いもの好きな女性には、和菓子感覚で受入れられるのかも知れないなあ。ネーミングセンスはなかなかグーだ。ちなみに東京の友人からのメールによると、むこうのニュースでもこれが紹介されたらしい。

岡山神社の近くに並んだ露店にも、もはや人影はポツリポツリ。店番の人たちも手持ち無沙汰といった風だ。そろそろこの小さな商店街にも、店じまいの時が近付いているのだろう。金魚すくいの店を覗くと、珍しく少年二人がチャレンジしていたが、なぜかボウルの中の獲物は黒い出目金ばかり。これが好きなのかな?

遠目にはまだピンクの色が濃い、ボートの堀の周りの桜並木。どういうわけか今年はついに、この水面にスワンの姿を見ることがなかったが、ちょっと寂しい感じは否めない。あの白い鳥たちはどこへ行ったのだろう。しかしこうして見ると、桜並木の向こうに見える楠の新緑の色が、僅かの間にずいぶんと鮮やかさを増したようだ。
2009年03月30日
小城公園桜情報(2)
このところの佐賀地方は週末になると天気が悪い。先週の日曜は土砂降りの雨で、今週はまた朝からどんよりとした曇り空だ。平日は晴れているのに休日になるとこうだから、巡り合わせが悪いとしか言いようがないが、せっかくの桜見物がこれでは台無しじゃないか──。ブツブツ言いながら3月最後の日曜日、薄暗く曇った花冷えの小城公園へ筆者は向かった。

それにしても、まあ見事に咲いたものだ。桜城館の前から小城公園に向かう通りは、すでに満開の桜で覆われている。遠く前方に見える公園内の桜もまた、ピンクの雲のように霞んでいる。4月を目前にして小城の桜の開花曲線は、すでにピークに達してしまったようだ。


惜しいなあ、しかし──。園内の桜はまさに今が盛り。なのにこの空の色のせいで、花の色はいまひとつ冴えない。行き交う花見客も、シートを敷いて酒盛りを楽しむ人々も、どこか少し肩をすぼめながら、とまどいがちに頭上を見上げている。今年は準備が間に合わなかったのか、例年流れて来るボートの堀からの、大音量の音楽も聞こえない。そういえば、スワンの姿だって見当たらないなあ。

早過ぎる満開、薄暗い空、そして肌寒い風。3月の花見というのは、どこかもう一つ盛り上がらない。花は咲いても、心のエンジンがまだ温もっていないのだ。やっぱり桜は咲くべき時期を見計らって花を付け、待ちに待った人々が満を持して駆けつける、というのが正しい花見というものなのだろう。今年は先走る花に、人の心が追いついていない感じ。

公園の西部にあるテニスコートでは、ソフトテニスの大会が開かれていた。この気温では、スポーツをしている選手たちが羨ましくも思える。観ている方は寒そうだ。コートの縁に植えられた桜もみな満開だが、この低温が続くようだと来週辺りまで花は保つんじゃないだろうか。そうあって欲しいね。

それにしても、まあ見事に咲いたものだ。桜城館の前から小城公園に向かう通りは、すでに満開の桜で覆われている。遠く前方に見える公園内の桜もまた、ピンクの雲のように霞んでいる。4月を目前にして小城の桜の開花曲線は、すでにピークに達してしまったようだ。


惜しいなあ、しかし──。園内の桜はまさに今が盛り。なのにこの空の色のせいで、花の色はいまひとつ冴えない。行き交う花見客も、シートを敷いて酒盛りを楽しむ人々も、どこか少し肩をすぼめながら、とまどいがちに頭上を見上げている。今年は準備が間に合わなかったのか、例年流れて来るボートの堀からの、大音量の音楽も聞こえない。そういえば、スワンの姿だって見当たらないなあ。

早過ぎる満開、薄暗い空、そして肌寒い風。3月の花見というのは、どこかもう一つ盛り上がらない。花は咲いても、心のエンジンがまだ温もっていないのだ。やっぱり桜は咲くべき時期を見計らって花を付け、待ちに待った人々が満を持して駆けつける、というのが正しい花見というものなのだろう。今年は先走る花に、人の心が追いついていない感じ。

公園の西部にあるテニスコートでは、ソフトテニスの大会が開かれていた。この気温では、スポーツをしている選手たちが羨ましくも思える。観ている方は寒そうだ。コートの縁に植えられた桜もみな満開だが、この低温が続くようだと来週辺りまで花は保つんじゃないだろうか。そうあって欲しいね。
2009年03月23日
小城公園桜情報(1)
今年も桜の季節がやって来た。テレビや新聞はすでに、日本各地で開花宣言がされたことを報じている。例年よりはずいぶんと早い開花だが、しかし心の中では半信半疑だ。いくら暖冬でも3月の半ばを過ぎたばかりのこの時期、そうそう桜が花を咲かせるものなのか。だいたいあれって、小学校の入学式あたりが普通じゃないの──?


気になった筆者はさっそく、日曜日の小城公園へと出かけた。外は土砂降りの雨、だが愛する桜を観るためならこのくらいの降りは屁でもない。で、傘を片手にやって来た公園入口で、おお、なんとびっくり。すでに園内の桜は、大半が5分咲きじゃないか。そんな馬鹿な!
岡山神社の入口にはすでに毎年お馴染みの露店が店を開いている。フランクフルトにどんぐりあめ、天津甘栗にやきとり…。この雨のせいでお客は一人もいないが、煌煌とした白熱灯の光がテントの外にあふれ、水たまりの表面をキラキラと輝かせている。花見の雰囲気だけは、もうすでにバッチリ出来上がっているのだ。

傘にあたる雨音を聞きながら、しばし園内を散策。むろん、どこにも人影など見当たらないが、こうしたたった一人のブラブラ歩きもまた良いものだ。すでにどの桜の枝えだも、半分はピンク色の花を付けており、残りの半分も蕾を大きく膨らませている。これはもう雨さえ上がれば、いつでも花見はOKということだな。いや驚いた。


この暖かさが続けば、満開は一週間後という感じだろうか。ということは3月最後の日曜日あたりが、小城公園の桜の見頃になりそうだなあ。なんという早さ。これはこれで嬉しいことだが、そうすると4月初旬にはすでに花が散り始めることになる。今年の季節のカレンダーは、何だか猛スピードで進んでいるようだ。


気になった筆者はさっそく、日曜日の小城公園へと出かけた。外は土砂降りの雨、だが愛する桜を観るためならこのくらいの降りは屁でもない。で、傘を片手にやって来た公園入口で、おお、なんとびっくり。すでに園内の桜は、大半が5分咲きじゃないか。そんな馬鹿な!
岡山神社の入口にはすでに毎年お馴染みの露店が店を開いている。フランクフルトにどんぐりあめ、天津甘栗にやきとり…。この雨のせいでお客は一人もいないが、煌煌とした白熱灯の光がテントの外にあふれ、水たまりの表面をキラキラと輝かせている。花見の雰囲気だけは、もうすでにバッチリ出来上がっているのだ。

傘にあたる雨音を聞きながら、しばし園内を散策。むろん、どこにも人影など見当たらないが、こうしたたった一人のブラブラ歩きもまた良いものだ。すでにどの桜の枝えだも、半分はピンク色の花を付けており、残りの半分も蕾を大きく膨らませている。これはもう雨さえ上がれば、いつでも花見はOKということだな。いや驚いた。


この暖かさが続けば、満開は一週間後という感じだろうか。ということは3月最後の日曜日あたりが、小城公園の桜の見頃になりそうだなあ。なんという早さ。これはこれで嬉しいことだが、そうすると4月初旬にはすでに花が散り始めることになる。今年の季節のカレンダーは、何だか猛スピードで進んでいるようだ。
2009年03月20日
落語という名のドラマ

古典落語が好きなので、よくCDやテープを聴いたりする。好きになったきっかけは若い時分に、山本文郎アナの司会に榎本滋民氏の解説で、かつてTBSテレビが深夜に放送していた「落語研究会」という番組を観ていたからだ。これは月に一度、夜中にじっくり名人たちの噺(はなし)を聴かせてくれるもので、テレビの“古き良き時代”を思わせる、まさに珠玉のような番組だった。
筆者がこの番組で最初に出会った名人が、故・三遊亭円生師匠。あのときの「らくだ」は衝撃だったなあ。“笑いのつぼにはまる”とはこのことで、とにかくストーリーが面白く、可笑しく、次々と出て来る登場人物をイキイキと演じ分ける円生師匠の名人芸に、ただただ圧倒されたことを覚えている。古典落語ってこんなに面白かったのか──!
以来、この番組を良く観るようになり、落語の魅力にすっかりはまってしまった。古今亭志ん朝、柳家小三治、三遊亭円楽、林家正蔵(後の彦六)などなど、円生師匠の他にも錚々たる名人たちが登場しては、ここでいろんな噺を聴かせてくれたものだ。これがきっかけでラジオや市販のテープなども聴くようになり、お陰で筆者にもお気に入りの演目が出来てしまったというわけ。
「らくだ」はもちろんだが、「船徳」「愛宕山」「明烏」などは何度聴いても面白い。それも、いろんな噺家が独自の工夫を凝らして語るのを聴き比べると、それぞれまた違った味があって、同じ噺でもまるで別物のように感じられたりする。端正さと絶妙な惚け方が同居するのが円生師匠なら、情景描写に独特の味わいがあるのが小三治師匠で、弾けるようなテンポと口跡の良さで客をグイグイ引き込むのが志ん朝師匠、という具合に…。これなんか同じクラシックの名曲でも、指揮者によってえらく演奏の仕方が違うのとよく似ている。
そんな筆者の好きな演目の中でも、ドラマ的な面白さがあるのが「鼠穴」という出し物。これは聴く者をハラハラさせ、涙ぐませ、最後にホッと安心して笑わせるという、まるで客のハートを左右に揺さぶって弄ぶような噺なのだ。つまりそれだけ、噺家の洞察力や表現力が試されるというわけ。なにしろ、メインの登場人物は二人だけなので。だがこの二人の心理描写や人物造形が、この落語の面白さを左右する大きな要素となっている。
茶屋酒遊びで財産をなくした竹次郎が、商売で成功した兄を頼って田舎から出て来るが、兄は弟に奉公よりは商売をしろと元手の金を渡す。だが帰りに包みを開けてみると、なんと中身はわずか三文。チクショー!とケチな兄を恨んだ竹次郎だったが、その三文を元手に必死の働きの甲斐あって、ついに十年後には浅草蛤町に蔵が三つもある店を構えるまでに…。
ある風の強い日、竹次郎は番頭に近所で火が出たら蔵の鼠穴を塞ぐよう言いつけ、兄の元へ出かける。借りた三文の金に二両の利息をつけて返すと喜んだ兄は、あのときは貸した三文を一分にでも増やしてきたら、今度は五十両でも貸すつもりだったと本心を語る。打ち解けた兄弟はその晩ふとんを並べて眠るが、深夜に半鐘がジャンと鳴りなんと浅草蛤町の竹次郎の店が蔵ごと全焼。番頭め、鼠穴を塞いでなかったんだなあ。
丸裸となった竹次郎、兄に五十両の借金を申し出ると、身代を無くしたお前に大金は貸せないと今度は冷たい仕打ち。なんという鬼のような兄なんだ! 泣く泣く娘のお芳を吉原に売り二十両の金をこしらえるが、その帰りに大切な金をすられてしまい、あわれ竹次郎はとうとう絶望の崖っぷちに──。なんとも悲惨で、目の前が暗くなるようなストーリーじゃないか。こんな悲劇的な落語があっていいのかという、PTAからの抗議の声も聞こえそうだが、むろんこの噺には落ちがある。
だがこの物語の面白さは、何より兄弟二人の心の機微に尽きるだろう。兄を信じたい弟と、弟を思いやる兄。そこに金という現実の魔物がからみ、二人の心に様々な疑心や憎しみが生まれる。そこのところの巧妙な描き方が、このドラマを魅力的かつリアルなものにさせている。だから、何度聴いてもついつい惹き込まれてしまうのだ。
筆者が思うにこの噺のポイントは特に、兄の光と影の描き方にありそうだ。つまり金に細かい冷たい男なのか、実は思慮深い人情家なのか、最後までどうにも尻尾を掴ませないところに、この人物の真骨頂があるのではないか、と。なのでこの男を巧く演じ切るには、かなりの力量がないと務まらない。その点では、筆者が聴いた円生・小三治両師匠は、それぞれ実に見事だったなあ…。
2009年02月24日
牛尾梅林の春らんまん

少しだけ風の冷たい先日、小城の梅の名所である牛尾山に登って来た。といってもハイキングではなく、車で山頂の駐車場までちょっとドライブしたわけだが。実は遠いむかし筆者が桜岡小学校の生徒だったとき、遠足でここまで歩かされた遠い記憶がある。さすがにあのときは参ったが、お陰でそれ以来、牛尾はおそろしく遠い所というイメージが強いのだ。
さて山頂に来てみれば、おお、今年も順調にカレンダー通り、梅たちは見事な花を咲かせていた。平坦な牛尾山は山頂一帯や南側の斜面が、広大な梅林になっているのだが、それらの木々が一斉に花を付けた様はまさに壮観、白い海。一足早い春爛漫の空気が、ここにはあふれていた。

駐車場もすでに入口付近は渋滞のありさまで、ようやく中に入り車を止めてひと安心。それにしてもこの日は、天気の好いこともあり人も車も千客万来だ。モータリゼーションの発達と、放送・インターネットで情報収集が容易になったお陰で、牛尾梅林もいまや近隣に轟く観光地になったのだろう。並んだ露店を覗くとミカンやハチミツ、梅が枝餅など、美味そうなものが並んでいた。
ブラブラと梅林の中の小径を散策する。花の下で記念撮影する人や、敷物を広げて飲食を楽しむ家族連れがあり、中にはスケッチをしているグループの姿も。誰もが心から花を楽しんでいるようだ。

牛尾の梅はもともと実を採るために植えられたもので、いわばここは“梅の畑”。なので一本の木と木の間隔が狭く密集しており、こうして開花するとまさに“花の海”状態になる。そこが他所に無い、牛尾の梅の素晴らしいところなのだろう。
筆者は梅の名所で知られる太宰府天満宮や水戸市の偕楽園にも行ったことがあるが、こうした庭園の梅はもともと観賞を主としているので、牛尾とはずいぶん趣が違う。一本一本が上品で垢抜けした、いわば老成した木。まあ、向こうが枝振りの美しい盆栽の梅だとすると、こちらの梅は山野育ちのワイルド軍団という感じかな。つまりその分、牛尾梅林には野性のエネルギーが満ちている。
このエネルギーが太陽の恵みをいっぱいに受けると、やがて青く大きな実を結ぶ。牛尾の梅は「日本一早い梅」として、5月中旬から出荷されるのだという。小城は知る人ぞ知る“梅の名産地”でもあるわけだ。しかしこのこと、全国にもう少し大きくアピールしたいところだなあ。

山頂からは眼下に西・南・東の三方が見渡せるが、この日は遠くどこまでも佐賀平野の地平線が広がっていた。この空が徐々に白く霞むようになり、やがて黄砂なども飛来するようになると、小城にも本格的な春が訪れるのだろう。そしてついでに、花粉のシーズンの到来ともなるわけだ──。
2009年02月13日
小春日和の小城公園
小春日和とでもいうのか、このところ日差しの暖かい穏やかな日が多くなった。おお、もうすぐ春なんだなあと心が浮き立つ。で、そんな休日にはぶらりと小城公園を散歩するのがいちばんだ。何といってもここは、広くて静かで心が落ち着く。おまけに無料。こんな素晴らしい公園がふるさとにあるのを、筆者などは感謝しないといけないだろう。
梅も桜もまだまだで人影の少ない園内。たまにすれ違うのは、犬の散歩に訪れた人くらいか。最近はマナーが良くなり、こうした犬の糞などはたいてい袋に入れて誰もが持ち帰るようだが、筆者の子供の時分はこうじゃなかったね。まさに無法状態。遊びに行くとあちこちにゴロンとした糞が転がっており、ときどき間違って踏んづけたりもした。そんなときは泣きたい気分になったものだが、近頃はどこに行ってもあのゴロンとした奴を見掛けなくなり、大変けっこう。良い世の中になったものだ。

岡山神社南側にある池の端の、そんな清々しい散策路を歩いていると、ふと視界の中を驚くほどの速さで横切ったものがある。それも、目眩くほど鮮やかな瑠璃色の輝きを放ちながら──。え、これってカワセミじゃないか! 筆者の心はたちまちざわめいた。
池の小魚でも狙っているのか、美しい小鳥は桜の枯れ枝にとまると、じっと水面を見つめている。間違いなくカワセミだ。ライトブルーの光がキラリと目映い。写真だ、写真──。慌ててデジカメを取り出しシャッターを切るが、どうも手元がぶれてアングルが定まらない。これだから素人はダメなのだ。そうこうしているうちにカワセミは、どこかへパッと飛び去ってしまった。まさに一瞬のできごと。しかし“水辺の宝石”と呼ばれるその美しい姿を、瞬時でも拝むことが出来たのはラッキーだったな。

鳥といえば話が前後するが、烏森稲荷の方から入る公園の入口近くに松屋の堀がある。実はこの小さな堀の北側にある古木が、いつの頃からかサギのコロニーになっているのだ。いつ見てもそこには十羽以上のサギが翼を休めており、彼らの落とす糞が常にこの古木の葉を白く汚している。すぐそばには民家があるというのに。
糞はそのまませり出した枝から水面に落ちるので、いまのところ迷惑する人はいないようだが、こんな人家のすぐ近くにもサギは居着くものかと、筆者は以前から不思議に思っていた。まあ、佐賀平野では水田や町なかの小川など、至る所にサギの姿を見掛ける。そういう意味では、誰も気に留めようとしないこのコロニーは、人間とサギの自然な共存の表れであり、平和な小城の一面を象徴しているのかも知れないが…。

おっと、散歩の最後に出会った可愛い奴を紹介しよう。公園の北側、そのむかし金比羅さんの祠があった辺りの帰り道、筆者の歩くすぐ前方を、ゆうゆうと横切ったのは一匹の小さな猫。茶色の毛に暖かな日差しがあたり、のんびりと気持ちが良さそうだ。猫はそのまま筆者を気にする風もなく、ゆったりとサザンカの咲く石段を降りて行ったが、その軽やかな足取りの向こうから、春のかすかな足音が聞こえて来そうだったなあ。
梅も桜もまだまだで人影の少ない園内。たまにすれ違うのは、犬の散歩に訪れた人くらいか。最近はマナーが良くなり、こうした犬の糞などはたいてい袋に入れて誰もが持ち帰るようだが、筆者の子供の時分はこうじゃなかったね。まさに無法状態。遊びに行くとあちこちにゴロンとした糞が転がっており、ときどき間違って踏んづけたりもした。そんなときは泣きたい気分になったものだが、近頃はどこに行ってもあのゴロンとした奴を見掛けなくなり、大変けっこう。良い世の中になったものだ。

岡山神社南側にある池の端の、そんな清々しい散策路を歩いていると、ふと視界の中を驚くほどの速さで横切ったものがある。それも、目眩くほど鮮やかな瑠璃色の輝きを放ちながら──。え、これってカワセミじゃないか! 筆者の心はたちまちざわめいた。
池の小魚でも狙っているのか、美しい小鳥は桜の枯れ枝にとまると、じっと水面を見つめている。間違いなくカワセミだ。ライトブルーの光がキラリと目映い。写真だ、写真──。慌ててデジカメを取り出しシャッターを切るが、どうも手元がぶれてアングルが定まらない。これだから素人はダメなのだ。そうこうしているうちにカワセミは、どこかへパッと飛び去ってしまった。まさに一瞬のできごと。しかし“水辺の宝石”と呼ばれるその美しい姿を、瞬時でも拝むことが出来たのはラッキーだったな。

鳥といえば話が前後するが、烏森稲荷の方から入る公園の入口近くに松屋の堀がある。実はこの小さな堀の北側にある古木が、いつの頃からかサギのコロニーになっているのだ。いつ見てもそこには十羽以上のサギが翼を休めており、彼らの落とす糞が常にこの古木の葉を白く汚している。すぐそばには民家があるというのに。
糞はそのまませり出した枝から水面に落ちるので、いまのところ迷惑する人はいないようだが、こんな人家のすぐ近くにもサギは居着くものかと、筆者は以前から不思議に思っていた。まあ、佐賀平野では水田や町なかの小川など、至る所にサギの姿を見掛ける。そういう意味では、誰も気に留めようとしないこのコロニーは、人間とサギの自然な共存の表れであり、平和な小城の一面を象徴しているのかも知れないが…。

おっと、散歩の最後に出会った可愛い奴を紹介しよう。公園の北側、そのむかし金比羅さんの祠があった辺りの帰り道、筆者の歩くすぐ前方を、ゆうゆうと横切ったのは一匹の小さな猫。茶色の毛に暖かな日差しがあたり、のんびりと気持ちが良さそうだ。猫はそのまま筆者を気にする風もなく、ゆったりとサザンカの咲く石段を降りて行ったが、その軽やかな足取りの向こうから、春のかすかな足音が聞こえて来そうだったなあ。
2009年01月21日
新種の生物、発見?

先日、ちょっとした冬のドライブと洒落込んで、唐津市の肥前町にある「いろは島」まで行って来た。小城から国道203号で北上し、途中から県道52号に乗り換え曲折した山道を辿り、所要時間約1時間半。起伏に富んだ山々に包まれて、光る小さな湾が目の前に現れたときには感動したなあ。おお、佐賀県にもこんな美しい所があったのか!
さっそく、砂浜の近くの無料駐車場に車を止め、あたりを散策する。どうやらここは、海水浴場やキャンプ場として夏場は賑わうようで、近くには売店やトイレなど様々な施設が設けられている。むろん今はガランとして人影はないが、陽気が良くなったらもう一度来てみようかな、と思わせるほど景色も雰囲気も素晴らしい。
目の前にあるオランダ風跳ね橋を渡り、対岸の島に上陸。ここは「花と冒険の島」という名前らしい。この島にも様々な散策コースが設けられているらしいが、気持ちがいいのでブラブラと長い砂浜を歩いてみた。波のない海の向こうには、まるで多島海を思わせる島々がゆったりと浮かんでいる。汀に打ち寄せる波は弱く、靴が濡れる心配もまるでないのがいい。
と、そのときだ、筆者が白い砂の上に謎の物体を発見したのは──! 澄んだ波がいままさに砂を洗って引いて行ったあたり、まるでゼリーの固まりのような透明なものが転がっている。大きさは、直径3〜4センチといったところだろうか。何なんだ、これは?


靴の先でつつくとブヨブヨした感触で、まさにゼリーそのもの。丸っこい形だが、一つの生き物のようでもあり、何かの断片のようでもある。だがとにかく、気持ちの悪い物体なのは間違いない。
不気味なので、知らん顔して通り過ぎ2メートルほど行くと、ふたたび水際に同じようなものを発見。そしてさらにその先に、またその先にも発見だ。気がつけば、おお、目の前の砂浜には2〜3メートル間隔でこの透明ゼリーが、どこまでもどこまでも波に洗われ転がっているではないか! これはいったい、いったいこれは?
とにかくその日以来、この透明ゼリーの正体が気になって仕方がない。何かの自然現象なのか、それとも新種の生物、はたまた宇宙からの使者? まさか誰かが食べ残しのゼリーを、大量に海に捨てていったとも思えないし。そこで、写真を見て“なあんだ、あれか!”と答えをご存知の方は、教えて頂ければ嬉しいのですが…。
2008年10月11日
語尾上げ言葉かよ?

夕方などに佐賀駅発のJR唐津線に乗ると、下校の高校生でひしめいていることがある。佐賀の高校生は、小生意気だが垢抜けした東京の連中に比べれば、誰もがわりと田舎風純朴さを保っていて、髪を赤く染めたような特別変な生徒はあまり見掛けない。まあ、あの話し声がやたらでかいのと、車内でパンや菓子などを食べるマナーの悪いところには、ちょっと首をひねるけど。
先日、車内でそんな佐賀の女子高生の甲高いおしゃべりをたまたま聞いていたら、いま全国を覆っている例の若者言葉が聞こえて来た。「◯◯じゃね?」とか「格好よくね?」とか、イントネーションの語尾を上げる疑問形だ。この意味は「◯◯じゃないの?」や「格好いいと思わない?」になる。流行ってるんだよなあ、この使い方。ああ、佐賀の高校生もこんな言葉を使うようになったんだな、と筆者は軽い驚きを感じたりしたものだ。
この場合、疑問や同調を促す「ね?=ない?」の部分のイントネーションを上げるのが決まりだが、独特なのは上げる音が「ね?」だけではないこと。音階でいえば「♪ドレミファソラシド=格好よくね?」のように、全体で徐々に語尾に向かって上げて行くのが特徴なのだ。なので最後の「ね?」はかなり高い音になる。
むろんこれは、彼女らがテレビなどから習得した話し方なのだろう。バラエティ番組などに登場する渋谷系の女子高生が、よくこういう言葉の使い方をするので、地方に住む若者たちがこれがいまの流行りなのかと考えるのも、まあ無理はない。シブヤのファッションに憧れる田舎の若者にとって、この「ドレミファ」疑問形はきっととても格好いい話し方なのだろう。
だが、筆者はどうもこの話し方が好きになれない。というか、とても田舎臭い話し方に聞こえてしまう。なぜか──? はっきり言ってしまえば、この「〜〜ね?」という「ドレミファ」疑問形は、実は関東の北の端にある茨城県独特の方言なのだ。つまり茨城弁。筆者の知っている東京生まれの友人たちで、こんな変なイントネーションで話す人間は一人もいない。
もちろん九州の人にとっては、茨城弁がどういうものかピンと来ないのも無理はない。だが、若い時期に茨城県にほど近い千葉県の柏市に長く住んだ筆者の経験からいうと、おそらく日本でも最も訛りのきつい方言のひとつが、この茨城弁なのではないかと思う。語尾を上げて行く独特のしゃべり方は、関東各県の中でも特に個性的で、東京人などからはすぐにその出自を見破られてしまうほど、アクの強い言葉なのだ。そういえばタレントのタモリが番組で、よくこの茨城弁の真似をしてお客を笑わせたりもしているが…。
といっても、筆者は別に茨城県を誹謗しているわけではない。若い頃の記憶からか、今でも茨城弁を聞くと何となく懐かしさを覚えてしまうし、その当時知り合った同県生まれの友人から貰った本(なんと『葉隠』!)は、今も大事にしている。むしろ純朴で保守的な茨城の県民性は、佐賀県人とよく似ているなあとも思うほどだ。むろん名産の水戸納豆は大好物。
だが、それとこの変な若者言葉の氾濫とは、話が別だ。どういう経緯からこの「ドレミファ」疑問形が、渋谷の若者の間でトレンドになりおおせたか、筆者には謎でしかないが、あまりこれが上品な話し言葉でないのは間違いない事実だろう。つまり、ハッキリいうと品がない。そこを分かっているとは到底思えない女子高生などが、この言葉を嬉々として使っているところに、筆者などは奇妙さと滑稽さを感じてしまうのだ。何でこうなるの?とね──。
2008年09月25日
江里山の彼岸花
小城で花の名所といえば、春なら桜の小城公園、秋なら彼岸花の江里山、とだいたい決まっている。そう、江里山の棚田を彩る彼岸花が、いまの時期ちょうど見頃なのだ。で、愛用のリュックに弁当とお茶のボトルを入れて、ブラリと花を見に山道を登ることにした。
江里山へのコースはいろいろあるのだが、筆者はいつも祇園川沿いの遊歩道を上流に向かって歩き、天山酒造の少し手前にある浪松橋を右に折れて北上することにしている。なによりこの辺りはのどかな景色が素晴らしい上、遠くに岩蔵寺の屋根や天山神社の大きな鳥居が望めるなど、どことなく古い時代の香りがするのが良い。のんびりと橋の付近に差し掛かると、川の両側には青々とした山塊が迫り始め、北にコースを変えた道の傾斜が急にきつくなった。

水分を補給しながらうねった山道を登り続ける。それにしても後ろから追い越す車の数の多いこと。みんな彼岸花目当てのドライブなのだろう。だが、せまい日本そんなに急いでどこへ行く、だ。見渡しても筆者以外、他にハイカーの姿など見当たらないが、これは本当に勿体ないと思う。美しい山里風景を堪能できておまけにメタボ対策にもなる、こんな安上がりのレクリエーションを、楽しまない手はないと思うんだけどね。

少し息が上がりかけた午後1時頃、ついに棚田が連なる江里山の集落に到着。見上げれば、おおう!と感嘆するくらい深紅の色が、あたり一帯を覆っている。これは美しい。天気は少しどんよりしているがその分、花の色にも沈んだ深みが出ているようだ。

それにしても驚いたのは、山道を埋め尽くした車の群れ。この山の上では駐車場がほとんどないため、みんなそこらの道にそのまま停めているのだ。あたりを闊歩するドライブ客の姿も多い。ナンバーを見ると、佐賀と並んで福岡の車が多いのかな。江里山もいまや有名観光地になりつつあるようで、それはそれで結構だが、しかしこの静かで美しい山里の景観を最も邪魔しているのが、これらの車であることもひとつの現実だろう。
そんなドライブ客の来ない清流を見つけ、汗だらけの手と顔を洗う。冷たい水のなんと気持ち良いことか。弁当のおにぎりにかぶりつくと、それまでの疲れが一瞬で吹き飛んだ。これも、歩いたからこその喜びなんだなあ。

満腹したら、あたりをブラブラ散策。下から上へと幾重にも重なった棚田には、今年もぎっしりと実った稲穂がついている。それらの黄色い田の周りを取り囲むのが、畦に植えられた真っ赤な彼岸花の帯。今年の花は特に数が多いようにも思えるが、うまい具合に最高の時期にめぐり合ったのかな?
田んぼの畦に彼岸花を植えるのは、その鱗茎にある毒を利用して、モグラなどの小動物が穴を掘るのを防ぐためだとも、鱗茎自身が救荒食になるからだとも言われている。その彼岸花がいまでは人を集める観光資源とは、世の中は分からない。いずれにしてもこの集落は今、一年中でいちばんの豊穣のときを迎えているというわけだ。しかし江里山、本当にいい所だなあ!
江里山へのコースはいろいろあるのだが、筆者はいつも祇園川沿いの遊歩道を上流に向かって歩き、天山酒造の少し手前にある浪松橋を右に折れて北上することにしている。なによりこの辺りはのどかな景色が素晴らしい上、遠くに岩蔵寺の屋根や天山神社の大きな鳥居が望めるなど、どことなく古い時代の香りがするのが良い。のんびりと橋の付近に差し掛かると、川の両側には青々とした山塊が迫り始め、北にコースを変えた道の傾斜が急にきつくなった。

水分を補給しながらうねった山道を登り続ける。それにしても後ろから追い越す車の数の多いこと。みんな彼岸花目当てのドライブなのだろう。だが、せまい日本そんなに急いでどこへ行く、だ。見渡しても筆者以外、他にハイカーの姿など見当たらないが、これは本当に勿体ないと思う。美しい山里風景を堪能できておまけにメタボ対策にもなる、こんな安上がりのレクリエーションを、楽しまない手はないと思うんだけどね。

少し息が上がりかけた午後1時頃、ついに棚田が連なる江里山の集落に到着。見上げれば、おおう!と感嘆するくらい深紅の色が、あたり一帯を覆っている。これは美しい。天気は少しどんよりしているがその分、花の色にも沈んだ深みが出ているようだ。

それにしても驚いたのは、山道を埋め尽くした車の群れ。この山の上では駐車場がほとんどないため、みんなそこらの道にそのまま停めているのだ。あたりを闊歩するドライブ客の姿も多い。ナンバーを見ると、佐賀と並んで福岡の車が多いのかな。江里山もいまや有名観光地になりつつあるようで、それはそれで結構だが、しかしこの静かで美しい山里の景観を最も邪魔しているのが、これらの車であることもひとつの現実だろう。
そんなドライブ客の来ない清流を見つけ、汗だらけの手と顔を洗う。冷たい水のなんと気持ち良いことか。弁当のおにぎりにかぶりつくと、それまでの疲れが一瞬で吹き飛んだ。これも、歩いたからこその喜びなんだなあ。

満腹したら、あたりをブラブラ散策。下から上へと幾重にも重なった棚田には、今年もぎっしりと実った稲穂がついている。それらの黄色い田の周りを取り囲むのが、畦に植えられた真っ赤な彼岸花の帯。今年の花は特に数が多いようにも思えるが、うまい具合に最高の時期にめぐり合ったのかな?
田んぼの畦に彼岸花を植えるのは、その鱗茎にある毒を利用して、モグラなどの小動物が穴を掘るのを防ぐためだとも、鱗茎自身が救荒食になるからだとも言われている。その彼岸花がいまでは人を集める観光資源とは、世の中は分からない。いずれにしてもこの集落は今、一年中でいちばんの豊穣のときを迎えているというわけだ。しかし江里山、本当にいい所だなあ!
2008年09月17日
黄色い自己主張

キバナコスモスがあちこちで咲いている。キク科コスモス属の仲間で、鮮やかな黄色の花弁が美しい。ピンクや赤紫の花を咲かせる一般でいうコスモスによく似ているが、どうやら彼らとは種類が少し違うらしい。コスモスが「秋桜」と呼ばれるように秋のイメージがあるのに対し、キバナコスモスは晩夏のイメージとでもいうべきか。つまり、けっこう暑さに強い。
それに、コスモスの花がピンクや赤紫系といった、どちらかといえばノーブルな色調なのに対し、キバナコスモスの強烈なオレンジ系の黄色は、ワイルドな自己主張に充ちている。なので日の光の中でよく目立つ。この季節にあちこちで見掛けるような気がするのは、たぶんこの自己主張の強い色のせいなのだろう。
黄色がよく目立つ色なのは、知られている通りだ。小学生が登下校時にかぶる帽子や、工事現場のヘルメットなどはたいていこの色だし、タクシーなども黄色系の車体のものが多い。これらは他者に対して視認性を高め、自分はここにいるから注意してね、あるいは早く呼んでくれよという、一つの信号になっている。女性でも黄色い服を好む目つきのキツい人は、きっと自己主張の強い人なのだろう。筆者はこういうタイプを、わりと苦手としているが。
ちなみに黄色い色の食べ物といえば、筆者の世代だとまずカレーライスが思い浮かぶなあ。これ、カレーライスというよりライスカレーと言った方がピッタリするのだが、要するにわれわれが子供時代のカレーは強烈な黄色だったのだ。家庭で食べても大衆食堂に行っても、カレーはまず黄色いものと相場が決まっていた。
つまり、ターメリックの鮮やかな黄色とクミンの刺激的な香りがシンプルに混じり合って、われわれ世代のカレーのイメージは出来上がっている。脇に赤い福神漬があれば、さらに完璧だ。なので、いつの頃からかカレーは茶色いものと世間では決まってしまったが、どうもあれはちょっと違うと筆者などはどこかで思っている。
だいいち福神漬との色の相性は、黄色いカレーの方が抜群に良い。茶色のカレーの脇ではさすがの福神漬も同化してしまい、視覚的なアピールがどうにもいまいちなのだ。それにもともと黄色は、バナナや卵黄を見ても感じる通り、人間の食欲を増進させる色でもある。確かに現代の茶色いカレーはむかしより味こそ良くなったが、視覚的な自己主張という点では、あの頃の黄色いカレーに遠く及ばないんじゃないだろうか。
そういえば、花から蜜を集めるミツバチも、黄色い色が好きらしい。彼らは赤い色は見えないものの、黄色から紫外線までの光の色を見ることができるという。花の花粉がたいてい黄色なのは、彼らを誘導するためのおそらくサインなのだろう。人間とミツバチは、組織の中で必死に働く点と黄色い色に弱い点で、あんがいよく似ているのかも知れないな。
2008年08月09日
懐かしい闇

近頃は、夜でもずいぶん周りが明るくなった。だいいち小城のような田舎の町でも、夜空には星があまり見えないのだ。これは地上の建物の照明や車のライトなどの反射で夜空が明るくなり、そのため見えにくくなっているのだろう。「光害」という奴だ。季節にもよるのだろうが、筆者が子供の時分には空一面に星が輝き、その圧倒的な数の多さに思わず恐怖感を覚えたほどだったのに。時代はずいぶん変わったなあ。
以前、祇園川の源氏ボタルを観に出かけたことがあるが、あのときも川のすぐそばを通る車のライトに辟易したことを思い出す。とにかく、ひっきりなしに目映いライトがやって来るので、すっかり興醒め。ホタルもあれでは求愛どころではないだろう。後で人に聞いたらもっと上流まで行かなければと言われたが、岩蔵の先あたりまで歩かないとダメなのかな、あれは?
とにかく現代は、闇というものが少なくなった。誰かに鼻をつままれても分からないほどの“真の闇”は、少なくとも筆者の周りからは消えたようだ。深夜に外に出てもあたりは街灯や看板、車のライト等で十分に明るいし、室内で照明を消してもパソコンやテレビなどのデジタル機器のLEDがいくつも点いていて、方角だけはちゃんと分かる。むろん小城でも佐賀でも、行く所に行けばそうではないのだろうが。
そういえば若い頃に一度だけ、筆者も屋外で“真の闇”の恐怖を経験したことがある。千葉県の農村にある友人の実家に遊びに行ったときのことだが、あのときバスが着いたのがすでに夜。バス停には明りが点いていたものの、友人の後を歩いているうち辺りはたちまち真っ暗に。おお、これは──?
どうやら木々の茂った道を歩いていたらしいのだが、慣れている彼はスタスタと先を歩いて行く。こちらは一寸先も見えない闇の中を、その声をたよりに追って行くしかない。すぐ近くには小川らしい水の流れる音も聞こえ、落ちたらと思うともう冷や汗たらたら。ほどなく友人の家に無事着いたが、あのときは本当に恐怖だったなあ。とにかく何も見えない世界は、人を不安にさせる。
人工の闇といえば、思い出すのが長野県は善光寺の床下にある「戒壇巡り」。これは外光の入らぬ迷路のような地下回廊で、来観者は念仏を唱えながら進み、中央部にある「極楽の錠前」に触れることで、ご利益があるというもの。同寺の名所の一つだ。まあ細い通路なので、片手で壁伝いに歩けば迷う心配はないのだが、やはりあの真っ暗闇は誰でも一瞬ひどく不安になるはず。独身の男は彼女の手を引いてあげれば、きっと頼りにされるはずだ。
筆者の味わった変わった体験では、十数年前に山梨県のある金山のミュージアムを設計した際、リサーチで戦国時代に甲州の金掘り衆が掘った、山奥の金の採掘坑に入ったことを思い出す。そこは武田氏の隠し金山の一つで、佐渡金山など江戸期の坑道とは違い、人間一人がしゃがんでやっと通れるほどの狭い穴。地元の案内者を含め計4人で入ったのだが、試しに携帯したライトを消すとあたりは全くの闇。まるで地獄の底にいるような、圧迫された恐怖感を味わった。往時は金掘り衆が一人でコツコツ掘ったのだろうが、つくづくこんな所で死ぬのはいやだなあと思ったものだ。
まあ、押入れに入って戸を閉めれば、現代でも闇は容易に手に入る。だが、それではあまりに面白くない。現代文明に慣れすぎたわれわれだが、やはりときには自然界にぽっかりと存在する闇の深さに、あらためて浸ってみるのも良いんじゃないだろうか。それが自然への畏敬の念にも繋がるだろうし、ヒーリング効果だって期待できるはずだし。案外、これからは「暗闇浴」なんてのが流行ったりして…。
2008年07月10日
活気のない佐賀
東京から佐賀に戻ってみれば、いきなり35度の猛暑が待っていた。むこうもジリジリ暑かったが、やっぱり九州の暑さは本格的だ。なんか空港に降り立ったときから、空気全体がボワッと温気を孕んでいたものなあ。
しかし、久しぶりの東京は良かった。わずか5日間の滞在だったが、仕事の打合せの合間に友人達と会い、毎晩のように酒を飲み、ブラリと懐かしい街を歩いたりしてきた。やっぱり気心の知れた連中と、映画や音楽やサブカルチャー論などを肴に飲んでるときが、筆者にはいちばんの幸せなのだな。こんな体験、佐賀ではずっとなかったもの。もっともサミットの警備のせいで、新宿や池袋といった大きな駅が軒並み、防弾チョッキを着た警官で溢れていたのには、ちょっと驚いたけど。

それにしても東京は相変わらず人が多い。街も駅も電車の中も人間で溢れ、活気とやる気が熱いガスのようにパンパンに膨らんでいる。佐賀を波風のない小さな水たまりとすれば、東京は怒濤渦巻く大海原のようなものだ。まあ静かな城下町・佐賀には佐賀の良さがあるのだが、街の活気という点ではもう別世界と言ってもいいだろう。そこが大きな問題なのだが。
たとえば安いTシャツを一枚買うとして、佐賀の唐人町通りを歩いてみようとは筆者は思わない。気取ったブティックやジーンズショップが数こそはあるが、どこも閉鎖的で高そうで品数も多いようには見えない。だいいち入口を常にガラスドアで閉め切ってあるため、気軽に中の商品を覗くことも出来ないのだ。これ、東京なら青山通りか表参道のような店の作り方だが、通りを歩いているのはオジサン・オバサンに高校生ばかりという佐賀では、完全にミスマッチじゃないのかな。
なので筆者のような庶民は、仕方なくTシャツを買うにも、市内のスーパーか郊外のショッピングセンターに行くことになる。そこならまあ店員の顔色を窺うことなく、自由に多くの商品を選べるからね。佐賀の駅通りに活気がないのは、こうした街作りにも一因があると筆者は思う。

それに引き換え活気に溢れているのが、東京の庶民向けの商店街だ。上野や浅草、あるいは原宿の竹下通りといった街の店みせは、完全にオープンな作りに徹している。入口は開放的で商品は表に溢れ出し、通りを行く人々は歩きながら自然に商品を手に取り、ショッピングを楽しむことが出来る。金がなくともTシャツなんか、つい何枚でも買いたくなってしまうのだ。やっぱり、街はこうでなくてはなあ。
佐賀はいったいセレブの街なのか、それとも庶民の街なのか? 答えは既にハッキリしている。バブルの時代はとうに終わっているのだから。ならば活気に満ちた庶民の街を目指して、佐賀の商店はもっとオープンになってほしい。そして、誰もがつい無駄遣いをしたくなるような、安くて魅力ある商品を揃えてほしい。これは不便な街なかに住む庶民の、切なる願いなのだが…。
しかし、久しぶりの東京は良かった。わずか5日間の滞在だったが、仕事の打合せの合間に友人達と会い、毎晩のように酒を飲み、ブラリと懐かしい街を歩いたりしてきた。やっぱり気心の知れた連中と、映画や音楽やサブカルチャー論などを肴に飲んでるときが、筆者にはいちばんの幸せなのだな。こんな体験、佐賀ではずっとなかったもの。もっともサミットの警備のせいで、新宿や池袋といった大きな駅が軒並み、防弾チョッキを着た警官で溢れていたのには、ちょっと驚いたけど。

それにしても東京は相変わらず人が多い。街も駅も電車の中も人間で溢れ、活気とやる気が熱いガスのようにパンパンに膨らんでいる。佐賀を波風のない小さな水たまりとすれば、東京は怒濤渦巻く大海原のようなものだ。まあ静かな城下町・佐賀には佐賀の良さがあるのだが、街の活気という点ではもう別世界と言ってもいいだろう。そこが大きな問題なのだが。
たとえば安いTシャツを一枚買うとして、佐賀の唐人町通りを歩いてみようとは筆者は思わない。気取ったブティックやジーンズショップが数こそはあるが、どこも閉鎖的で高そうで品数も多いようには見えない。だいいち入口を常にガラスドアで閉め切ってあるため、気軽に中の商品を覗くことも出来ないのだ。これ、東京なら青山通りか表参道のような店の作り方だが、通りを歩いているのはオジサン・オバサンに高校生ばかりという佐賀では、完全にミスマッチじゃないのかな。
なので筆者のような庶民は、仕方なくTシャツを買うにも、市内のスーパーか郊外のショッピングセンターに行くことになる。そこならまあ店員の顔色を窺うことなく、自由に多くの商品を選べるからね。佐賀の駅通りに活気がないのは、こうした街作りにも一因があると筆者は思う。

それに引き換え活気に溢れているのが、東京の庶民向けの商店街だ。上野や浅草、あるいは原宿の竹下通りといった街の店みせは、完全にオープンな作りに徹している。入口は開放的で商品は表に溢れ出し、通りを行く人々は歩きながら自然に商品を手に取り、ショッピングを楽しむことが出来る。金がなくともTシャツなんか、つい何枚でも買いたくなってしまうのだ。やっぱり、街はこうでなくてはなあ。
佐賀はいったいセレブの街なのか、それとも庶民の街なのか? 答えは既にハッキリしている。バブルの時代はとうに終わっているのだから。ならば活気に満ちた庶民の街を目指して、佐賀の商店はもっとオープンになってほしい。そして、誰もがつい無駄遣いをしたくなるような、安くて魅力ある商品を揃えてほしい。これは不便な街なかに住む庶民の、切なる願いなのだが…。
2008年07月03日
コンビニが少ない
今週末に所用で東京に行くことになり、ちょっと準備に忙しい。なんといっても3年ぶりの東京だものなあ。旧い友人達に電話をしたり、土産の焼酎(天山酒造「小城」)を先に発送したり。仕事のついでだが、昔からの仲間と久しぶりに会えるのは、本当に楽しみだ。
ふだん電話やメール、それにスカイプなどでは連絡を取り合っていたものの、やはり実際に会って話をするのはまるで違う。握手をし、お互いの少し老けた顔を見つめながら、腹の底から馬鹿話で盛り上がれるのは、やはり血の通った実物ならではのこと。なにより、共に酒を酌み交わせるのがいい。

で、久しぶりに航空機のチケットを手配したのだが、インターネットを使えばこれがなんと手軽なこと。画面で都合のいい便を選び、クリックして予約を申し込んだ後は、三日間のうちにもよりのコンビニで支払いをするだけでオーケー。あとはその受領証を当日、空港のカウンターに提示すれば良いのだから、何という便利さだろう。筆者もこれには感心した。指定のコンビニはどこにでもあるので、この方法で日本中どこからでもチケットが買えるというわけだ。
いやはや世の中、便利になったものだ。こうなるとコンビニは、様々な機能を備えた市民のための何でも受付センターみたいなもの。もはや、深夜でも開いているただの何でも屋ではないのだなあ。コンビニにこういう機能を持たせることを考えた人は、時代の先を読むとても頭の良い人だったのだろう。
そう考えると、佐賀市内のコンビニはいかにも数が少ない。筆者が東京から佐賀に移って来た3年前に感じたいちばんの不便さは、このコンビニが近くにないということだった。なにしろメインストリートの唐人町通りを歩いても、一軒も見付からないのだもの。夜中に急に肉まんやいなり寿司を食べたくなった人は、これではどうすることも出来ないよな。
まあ最近は、佐賀のコンビニは中心市街地にではなく、広い駐車場を持った郊外の国道沿いなどに多い、ということにようやく筆者も気付いて来た。それに少しずつではあるが、中心市街地にも徐々にコンビニの数が増えて来たような気がする。といっても、東京みたいに犬も歩けばコンビニに当たる、というほどではないが。
このところの佐賀市内は、空前のマンション建設ラッシュだ。大通りに面して十数階建ての巨大なマンションが、次々と誕生している。だが、これらの建物は表通りに面しているにもかかわらず、たいがい1階部分はガランとした駐車場になっているんだなあ。
これは、ちょっと理解できない。これだとマンションが完成すればするほど、下の通りはゴーストタウン化が進むばかり。佐賀の悲願である中心市街地の活性化というベクトルにも、これは完全に逆行していることになる。そのためにも1階は駐車場ではなく、種々の商店を入れるべきなんじゃないだろうか。なかでもコンビニなんかは通りも明るくなるし、マンションの住民にとっても便利だと思うんだけどなあ。
ふだん電話やメール、それにスカイプなどでは連絡を取り合っていたものの、やはり実際に会って話をするのはまるで違う。握手をし、お互いの少し老けた顔を見つめながら、腹の底から馬鹿話で盛り上がれるのは、やはり血の通った実物ならではのこと。なにより、共に酒を酌み交わせるのがいい。

で、久しぶりに航空機のチケットを手配したのだが、インターネットを使えばこれがなんと手軽なこと。画面で都合のいい便を選び、クリックして予約を申し込んだ後は、三日間のうちにもよりのコンビニで支払いをするだけでオーケー。あとはその受領証を当日、空港のカウンターに提示すれば良いのだから、何という便利さだろう。筆者もこれには感心した。指定のコンビニはどこにでもあるので、この方法で日本中どこからでもチケットが買えるというわけだ。
いやはや世の中、便利になったものだ。こうなるとコンビニは、様々な機能を備えた市民のための何でも受付センターみたいなもの。もはや、深夜でも開いているただの何でも屋ではないのだなあ。コンビニにこういう機能を持たせることを考えた人は、時代の先を読むとても頭の良い人だったのだろう。
そう考えると、佐賀市内のコンビニはいかにも数が少ない。筆者が東京から佐賀に移って来た3年前に感じたいちばんの不便さは、このコンビニが近くにないということだった。なにしろメインストリートの唐人町通りを歩いても、一軒も見付からないのだもの。夜中に急に肉まんやいなり寿司を食べたくなった人は、これではどうすることも出来ないよな。
まあ最近は、佐賀のコンビニは中心市街地にではなく、広い駐車場を持った郊外の国道沿いなどに多い、ということにようやく筆者も気付いて来た。それに少しずつではあるが、中心市街地にも徐々にコンビニの数が増えて来たような気がする。といっても、東京みたいに犬も歩けばコンビニに当たる、というほどではないが。
このところの佐賀市内は、空前のマンション建設ラッシュだ。大通りに面して十数階建ての巨大なマンションが、次々と誕生している。だが、これらの建物は表通りに面しているにもかかわらず、たいがい1階部分はガランとした駐車場になっているんだなあ。
これは、ちょっと理解できない。これだとマンションが完成すればするほど、下の通りはゴーストタウン化が進むばかり。佐賀の悲願である中心市街地の活性化というベクトルにも、これは完全に逆行していることになる。そのためにも1階は駐車場ではなく、種々の商店を入れるべきなんじゃないだろうか。なかでもコンビニなんかは通りも明るくなるし、マンションの住民にとっても便利だと思うんだけどなあ。


