2009年03月30日

小城公園桜情報(2)

このところの佐賀地方は週末になると天気が悪い。先週の日曜は土砂降りの雨で、今週はまた朝からどんよりとした曇り空だ。平日は晴れているのに休日になるとこうだから、巡り合わせが悪いとしか言いようがないが、せっかくの桜見物がこれでは台無しじゃないか──。ブツブツ言いながら3月最後の日曜日、薄暗く曇った花冷えの小城公園へ筆者は向かった。



それにしても、まあ見事に咲いたものだ。桜城館の前から小城公園に向かう通りは、すでに満開の桜で覆われている。遠く前方に見える公園内の桜もまた、ピンクの雲のように霞んでいる。4月を目前にして小城の桜の開花曲線は、すでにピークに達してしまったようだ。




惜しいなあ、しかし──。園内の桜はまさに今が盛り。なのにこの空の色のせいで、花の色はいまひとつ冴えない。行き交う花見客も、シートを敷いて酒盛りを楽しむ人々も、どこか少し肩をすぼめながら、とまどいがちに頭上を見上げている。今年は準備が間に合わなかったのか、例年流れて来るボートの堀からの、大音量の音楽も聞こえない。そういえば、スワンの姿だって見当たらないなあ。



早過ぎる満開、薄暗い空、そして肌寒い風。3月の花見というのは、どこかもう一つ盛り上がらない。花は咲いても、心のエンジンがまだ温もっていないのだ。やっぱり桜は咲くべき時期を見計らって花を付け、待ちに待った人々が満を持して駆けつける、というのが正しい花見というものなのだろう。今年は先走る花に、人の心が追いついていない感じ。



公園の西部にあるテニスコートでは、ソフトテニスの大会が開かれていた。この気温では、スポーツをしている選手たちが羨ましくも思える。観ている方は寒そうだ。コートの縁に植えられた桜もみな満開だが、この低温が続くようだと来週辺りまで花は保つんじゃないだろうか。そうあって欲しいね。  

Posted by 桜乱坊  at 11:50Comments(6)TrackBack(0)身辺雑記

2009年03月23日

小城公園桜情報(1)

今年も桜の季節がやって来た。テレビや新聞はすでに、日本各地で開花宣言がされたことを報じている。例年よりはずいぶんと早い開花だが、しかし心の中では半信半疑だ。いくら暖冬でも3月の半ばを過ぎたばかりのこの時期、そうそう桜が花を咲かせるものなのか。だいたいあれって、小学校の入学式あたりが普通じゃないの──?




気になった筆者はさっそく、日曜日の小城公園へと出かけた。外は土砂降りの雨、だが愛する桜を観るためならこのくらいの降りは屁でもない。で、傘を片手にやって来た公園入口で、おお、なんとびっくり。すでに園内の桜は、大半が5分咲きじゃないか。そんな馬鹿な!

岡山神社の入口にはすでに毎年お馴染みの露店が店を開いている。フランクフルトにどんぐりあめ、天津甘栗にやきとり…。この雨のせいでお客は一人もいないが、煌煌とした白熱灯の光がテントの外にあふれ、水たまりの表面をキラキラと輝かせている。花見の雰囲気だけは、もうすでにバッチリ出来上がっているのだ。



傘にあたる雨音を聞きながら、しばし園内を散策。むろん、どこにも人影など見当たらないが、こうしたたった一人のブラブラ歩きもまた良いものだ。すでにどの桜の枝えだも、半分はピンク色の花を付けており、残りの半分も蕾を大きく膨らませている。これはもう雨さえ上がれば、いつでも花見はOKということだな。いや驚いた。




この暖かさが続けば、満開は一週間後という感じだろうか。ということは3月最後の日曜日あたりが、小城公園の桜の見頃になりそうだなあ。なんという早さ。これはこれで嬉しいことだが、そうすると4月初旬にはすでに花が散り始めることになる。今年の季節のカレンダーは、何だか猛スピードで進んでいるようだ。  

Posted by 桜乱坊  at 11:51Comments(2)TrackBack(0)身辺雑記

2009年03月20日

落語という名のドラマ



古典落語が好きなので、よくCDやテープを聴いたりする。好きになったきっかけは若い時分に、山本文郎アナの司会に榎本滋民氏の解説で、かつてTBSテレビが深夜に放送していた「落語研究会」という番組を観ていたからだ。これは月に一度、夜中にじっくり名人たちの噺(はなし)を聴かせてくれるもので、テレビの“古き良き時代”を思わせる、まさに珠玉のような番組だった。

筆者がこの番組で最初に出会った名人が、故・三遊亭円生師匠。あのときの「らくだ」は衝撃だったなあ。“笑いのつぼにはまる”とはこのことで、とにかくストーリーが面白く、可笑しく、次々と出て来る登場人物をイキイキと演じ分ける円生師匠の名人芸に、ただただ圧倒されたことを覚えている。古典落語ってこんなに面白かったのか──!

以来、この番組を良く観るようになり、落語の魅力にすっかりはまってしまった。古今亭志ん朝、柳家小三治、三遊亭円楽、林家正蔵(後の彦六)などなど、円生師匠の他にも錚々たる名人たちが登場しては、ここでいろんな噺を聴かせてくれたものだ。これがきっかけでラジオや市販のテープなども聴くようになり、お陰で筆者にもお気に入りの演目が出来てしまったというわけ。

「らくだ」はもちろんだが、「船徳」「愛宕山」「明烏」などは何度聴いても面白い。それも、いろんな噺家が独自の工夫を凝らして語るのを聴き比べると、それぞれまた違った味があって、同じ噺でもまるで別物のように感じられたりする。端正さと絶妙な惚け方が同居するのが円生師匠なら、情景描写に独特の味わいがあるのが小三治師匠で、弾けるようなテンポと口跡の良さで客をグイグイ引き込むのが志ん朝師匠、という具合に…。これなんか同じクラシックの名曲でも、指揮者によってえらく演奏の仕方が違うのとよく似ている。

そんな筆者の好きな演目の中でも、ドラマ的な面白さがあるのが「鼠穴」という出し物。これは聴く者をハラハラさせ、涙ぐませ、最後にホッと安心して笑わせるという、まるで客のハートを左右に揺さぶって弄ぶような噺なのだ。つまりそれだけ、噺家の洞察力や表現力が試されるというわけ。なにしろ、メインの登場人物は二人だけなので。だがこの二人の心理描写や人物造形が、この落語の面白さを左右する大きな要素となっている。

茶屋酒遊びで財産をなくした竹次郎が、商売で成功した兄を頼って田舎から出て来るが、兄は弟に奉公よりは商売をしろと元手の金を渡す。だが帰りに包みを開けてみると、なんと中身はわずか三文。チクショー!とケチな兄を恨んだ竹次郎だったが、その三文を元手に必死の働きの甲斐あって、ついに十年後には浅草蛤町に蔵が三つもある店を構えるまでに…。

ある風の強い日、竹次郎は番頭に近所で火が出たら蔵の鼠穴を塞ぐよう言いつけ、兄の元へ出かける。借りた三文の金に二両の利息をつけて返すと喜んだ兄は、あのときは貸した三文を一分にでも増やしてきたら、今度は五十両でも貸すつもりだったと本心を語る。打ち解けた兄弟はその晩ふとんを並べて眠るが、深夜に半鐘がジャンと鳴りなんと浅草蛤町の竹次郎の店が蔵ごと全焼。番頭め、鼠穴を塞いでなかったんだなあ。

丸裸となった竹次郎、兄に五十両の借金を申し出ると、身代を無くしたお前に大金は貸せないと今度は冷たい仕打ち。なんという鬼のような兄なんだ! 泣く泣く娘のお芳を吉原に売り二十両の金をこしらえるが、その帰りに大切な金をすられてしまい、あわれ竹次郎はとうとう絶望の崖っぷちに──。なんとも悲惨で、目の前が暗くなるようなストーリーじゃないか。こんな悲劇的な落語があっていいのかという、PTAからの抗議の声も聞こえそうだが、むろんこの噺には落ちがある。

だがこの物語の面白さは、何より兄弟二人の心の機微に尽きるだろう。兄を信じたい弟と、弟を思いやる兄。そこに金という現実の魔物がからみ、二人の心に様々な疑心や憎しみが生まれる。そこのところの巧妙な描き方が、このドラマを魅力的かつリアルなものにさせている。だから、何度聴いてもついつい惹き込まれてしまうのだ。

筆者が思うにこの噺のポイントは特に、兄の光と影の描き方にありそうだ。つまり金に細かい冷たい男なのか、実は思慮深い人情家なのか、最後までどうにも尻尾を掴ませないところに、この人物の真骨頂があるのではないか、と。なのでこの男を巧く演じ切るには、かなりの力量がないと務まらない。その点では、筆者が聴いた円生・小三治両師匠は、それぞれ実に見事だったなあ…。  

Posted by 桜乱坊  at 12:11Comments(0)TrackBack(0)身辺雑記

2009年03月10日

どうなる?今年のサガン鳥栖



ついに2009年のJリーグが開幕した。すぐにACLやヤマザキナビスコ杯も始まり、いよいよ今季のサッカーシーズンの到来だ。10年ほど前までの筆者ならこの時期になると、迫り来るプロ野球の開幕に胸をドキドキさせていたものだが、いまではすっかり興味がサッカーの方に移ってしまった。

筆者の心がプロ野球から離れてしまった原因はいろいろあるが、やはりマスコミのあまりの過剰報道と選手の浮世離れした高給に、嫌気がさしたせいかも知れないなあ。あるいは応援していたスワローズが、一つの時代を終えてしまったからというのもある。しかし何よりいちばんの理由は、やっぱりJリーグが面白いせいだろう。

だいいち、リーグ戦を争うチームの数がプロ野球に比べても圧倒的に多いし、しかもチームごとに4-4-2や4-2-3-1、3-5-2など基本陣形が違う。その上、コツコツつなぐパスサッカーが信条のチームがあれば、縦にロングボールを入れた速攻を得意とするチームもあるなど、戦術も様々だ。なので、試合の面白さのバリエーションも多種多様。いろんな“組合せの妙”を楽しめるのだ。

さらには外国人の監督が多いため、ブラジルスタイルのチーム作りをするところもあれば、ドイツやイングランド、東欧などヨーロッパ型サッカーを目指すところもある。つまり日本にいながらにして、いろんな国のサッカーに触れられるというわけ。むろんやってくる助っ人外国人選手も、世界各国からスカウトされた、様々な言語とプレースタイルを身につけた若者たち。こうした「異文化」の対決を観ることができるのも、Jリーグ観戦の楽しみの一つなのだな。

そんな中、3月8日にJ2の開幕戦を迎えたサガン鳥栖だったが、アウェイでセレッソ大阪に1-4で敗れ、黒星からのスタートとなってしまった。大いに残念だ。筆者も長居スタジアムまで応援に行ったわけではないので、えらそうなことは言えないが、しかしこの4失点というのはちょっと気になるなあ。

今年の鳥栖は、昨年までのエースストライカー藤田祥史がJ1の大宮に移籍し、攻撃の軸がいない。急遽ブラジルからトジンというFWを獲得したものの、チームにフィットするにはまだ時間がかかるだろうし、その実力も今の時点では未知数だ。つまり攻めに関しては、昨年より不安要素が大きいということ。

一方で、DFに柳沢将之と山田卓也という実力のあるベテラン選手を加入させ、守りに関しては層が厚くなった。これは、若い選手を育てながらこれまでスピードと運動量で戦って来た、サガン鳥栖としては異例のこと。悲願のJ1昇格のためにはベテランの力も必要だという、松本GMの今年に賭ける決意の表れだとも思えるが、さて、こうした選手の入れ替えが吉と出るか凶と出るか、ぜひとも吉と出て欲しいね。

今季のサガン鳥栖の対戦相手は、セレッソ大阪(A)に始まってコンサドーレ札幌(H)、次にベガルタ仙台(A)と、いきなりJ2の優勝争いにからんできそうな強敵との3連戦だ。鳥栖にとっては試練だが、しかしここで怯んではいられない。少しでも勝ち点を稼いで、うまく大空へと飛翔したいところだ。先はまだ長いが、後になって勝ち点1に泣くようなことだけは、したくないものな。今年もがんばれ、サガン鳥栖!  

Posted by 桜乱坊  at 13:31Comments(0)TrackBack(0)スポーツ

2009年03月03日

チェンジリング



話題の映画『チェンジリング』を観て来た。監督はクリント・イーストウッド、主演女優がアンジェリーナ・ジョリー。テレビCMで興味をそそられ、以前から楽しみにしていた映画だったが、それにしても公開中の「109シネマズ佐賀」まではずいぶん遠かったね。ここは車以外ではまずアクセス不可能な、典型的な地方型シネコンなのだ。佐賀の市街地がかつてのように人であふれ、こうしたメジャーな映画が気軽に街角の映画館で観られるようになる日は、いったいいつのことだろうか…。

物語の舞台は1920年代のロサンゼルス。電話交換手をしながら一人息子のウォルターを育てる、シングルマザーのクリスティンがある日、暗くなって帰宅すると、留守番をしていたはずの息子の姿が消えていた。いったい、これは──? 慌てて警察に通報するクリスティン。だがその5ヶ月後、発見したとして警察が連れて来たウォルターを名乗る少年は、息子とはまるで違う別人だった。

そんな馬鹿な、とクリスティンは警察に抗議をするが、ここから先の彼らの対応がまるで常識外。担当のジョーンズ警部は彼女の話を聞き入れないばかりか、心に異常があるという理由で精神病院送りにしてしまう。あまりといえばあまりな話じゃないか。クリスティンはやがて彼女を助ける牧師の働きで救い出されるが、彼ら対警察権力の戦いはやがて法廷の場へと舞台を移して行く。そして、本物のウォルターの行方を知る少年が、意外な所から現れる…。

大きな目にタラコ唇のアンジェリーナ・ジョリーが、内気だが息子を捜し警察権力と戦ううち、やがて強い女へと変わって行く一人の母親を熱演している。まさしく「女は弱し、されど母は強し」だ。ひと昔前の浅丘ルリ子か緑魔子といった顔のジョリーだが、大きな目のショボショボ具合が、女の弱さと強さをよく表していたなあ。“寡黙な男のダンディズム”を描いて定評のあるイーストウッド監督、ここでは女性を描いても冴えを見せた。

もっとも彼女の、あの目の縁を真っ黒に塗ったパンダ化粧や、食べると確実に体を悪くしそうな真っ赤なタラコ唇の色は、いったいどういう意味があったのだろう? 筆者には最後までその意味が分からなかったが、それとも単にあれは女優のメイクの好みなのだろうか? イーストウッド監督らしい重厚な画面の中で、そこだけが終始浮いていたような気がしたのだが、教えて!ジョリーさん。

ところで、「チェンジリング」とは「取り替え子」という意味らしい。元々は西洋のおとぎ話から来た言葉のようだが、わが国にもさらわれた息子を追う母親の悲劇を描いた、能の名作『隅田川』がある。そうそう、一人息子ではないが『安寿と厨子王』というのもあったっけ。どの国でもいつの時代でも、失われた我が子を思う母の姿は哀しく、そして永遠に気高いということなのだろう。そういえばこの映画の客席にも、女性の姿が多かったね。

そんな「わが子探し」がこの映画のメインテーマだとすれば、イーストウッド監督はそこに警察権力の腐敗やそれと戦う市民の勇気、そしてウォルター失踪のドキドキする謎解きなどをからませ、上等のコース料理のようなエンタテインメントに仕上げている。いつものようにその手捌きは鮮やかで、丁寧かつ抑制の利いた演出はすでに名人芸の域だ。しんみりとした余韻の残る終り方も、この監督らしくて好かったね(音楽のつけ方も)。ただしそれでも筆者には、アンジェリーナ・ジョリーの厚化粧の謎だけは残ったが…。  

Posted by 桜乱坊  at 11:41Comments(2)TrackBack(0)本・映画・音楽など