2010年02月03日
アバターを観て来た

久しぶりに映画を観る余裕ができたので、さっそくシネコンへと出掛けた。お目当てはいま話題の、ジェームズ・キャメロン監督作品『アバター』だ。何といってもあの『タイタニック』をぶち抜いて、世界の興行収入ランキングで歴代一位になったという作品だもの。どんな大作かと、期待で胸が膨らむじゃないか。
ときは西暦2154年、地球から遠く離れた惑星パンドラが物語の舞台だ。元海兵隊員で下半身不随のジェイクは、高額の報酬と足の治療を条件に、この未開の星でのプロジェクトに参加する。プロジェクトとは、パンドラの森の奥に埋もれる鉱物資源を手に入れることであり、ジェイクの任務は人間によく似た先住民ナヴィの中に“アバター”となって潜り込み、彼らの秘密を探るというものだった。
アバターとは、ナヴィと同じ肉体を持ちながら、意識は眠れるジェイクからリンクするという、自分の「異形の分身」。やがて森で出会った若い女ネイティリの導きにより、ナヴィの一族の一員となったジェイクだったが、美しいパンドラの大自然やそこでの彼らの生き方に、いつしか惹かれるようになる。そして、ネイティリとの間に生まれる愛。ジェイクは、開発を進めようとする人間と、自然を守ろうとするナヴィとの間で、徐々に板挟みになって行く…。
まあストーリーは、アメリカ映画にわりとあるパターンといえば、だいたいその通り。古い生き方を守ろうとする先住民に溶け込んだ一人の白人が、やがて侵略者である他の白人たちの非道に怒り心頭、先住民と共に敵の大軍と戦うというアレだ。かつてケビン・コスナーが主演した『ダンス・ウィズ・ウルブズ』がそうだったし、トム・クルーズの『ラスト・サムライ』も、同じ系列に入るんじゃないのかな。
なので、この映画のナヴィをインディアンに、人間を白人に置き換えれば、話はとても分かり易い。身長約3メートル、青い皮膚の有尾人であるナヴィの描き方をみると、キャメロン監督がアメリカインディアンを彼らのモデルにしていることは、容易に想像出来る。ナヴィの発する奇声や習俗、弓矢を武器にしているところなど、まるでそのまんまだ。つまり、この映画は舞台こそ未来に設定されてはいるものの、実は白人たちがかつて滅ぼして来た先住民たちの物語なのだ。その根っこには、彼らへの深い贖罪意識が流れているようでもある。
そんな分かり易いストーリーがベースだが、この映画を大ヒットさせた要因は、やはり3DCGで描かれた惑星パンドラの、超がつくほど美しい風景と、クライマックスの戦闘シーンのど迫力にありそうだ。いや、これはもう文句の付けようが無い。希代のヒットメーカー、ジェームズ・キャメロンの本領発揮ともいえそうな、映像表現の魔力がそこに凝縮されているのだ。
とにかく感心するのが、ジャングルや大渓谷や天空の島といった奇観満載のパンドラの世界。そこはまるでクリスチャン・リース・ラッセンのイラストか、はたまた宮崎駿描くアニメの情景を、巨大スクリーンで超リアルに再現したようなワンダーランドなのだ。これだけでも一見の価値があるというもので、未来の地球人ジェイクがそこに魅せられ、仲間を裏切ってでもナヴィの味方をしたくなるのがよく分かる。これは現代人に向けた環境保護のメッセージでもあるのだろう。
戦闘シーンの描き方やロボットのデザインなどはやや類型的な気もするが、わりとよく似た『スターウォーズ』や『マトリックス3』に比べても、その精密度はさらにアップしているようだ。3DCGの技術はいったいどこまで行くのだろう。筆者が観たこの映画は2Dだったが、メガネをかけて3Dで観た観客は、きっと「キャーッ」なんて絶叫したんじゃなかろうか。
そんなわけで見終わったときにはすっかり疲労を覚えてしまったが、むろんそれは満足感に包まれたもの。いやあ、面白かったね。ただし臍曲りの筆者が一つだけ違和感を覚えたのが、ナヴィの表情の描き方。人間とも豹ともつかぬ精悍な顔をした彼らのそれは、3DCGで実に精巧に作られていたが、どうもそんな表情や仕草のひとつひとつが、まるでアメリカ人そのものなのだ。そこはやっぱり伝統に則って、インディアンみたいに無表情でいって欲しかったなあ。
2009年11月12日
沈まぬ太陽
長い映画はどうも苦手だ。どんなに面白くても、3時間以上も画面を見続けるとやはりくたびれるし、だいいち途中でお尻が痛くなったりトイレに行きたくなったりする。なので筆者にとって良い映画とは、せいぜい1時間半から長くても2時間までのもの。それ以上の長さになると、どうも観る前にちょっと躊躇してしまうのだ。
そんな筆者が先日観た若松節朗監督の『沈まぬ太陽』は、なんと3時間22分の大長編映画。あまりに長いので最近の映画では珍しく、途中に10分間の休憩時間が設けられていた。つまり、ションベンタイム。しかしこんな休憩時間入りの映画は、2001年に銀座で観た『2001年宇宙の旅 新世紀特別版』以来じゃなかったかなあ。日本映画では他に黒澤監督の『赤ひげ』が、確かそうだったような気がするが…。
作品の舞台は、“日本のナショナルフラッグ”と呼ばれる国策会社「国民航空(NAL)」。主人公の恩地(渡辺謙)は1960年代に労組の委員長を務め、会社との団体交渉に辣腕を振るうが、そのため委員長を退いた後の報復人事により、中東やアフリカなどに転々と10年間も左遷される。で、やっと日本に戻った彼を待っていたのは、「国航ジャンボ墜落事故」の悲劇。死者の数、520人という大惨事だった。
救援隊遺族係を担当し、会社の信頼回復のため誠意を尽して働く恩地。やがて政府の肝いりで、国民航空の経営再建にと起用された国見会長の抜擢により、恩地は会長室部長に就任する。これまでの地道な努力が認められ、ようやく活躍の場が与えられたのだ。だが社内には、大胆な改革を押し進める国見や、労組時代の過去を謝罪しようとしない恩地を、快く思わぬ勢力が虎視眈々と巻き返しを狙っていた…。
まあ、フィクションと謳ってはいるものの、これは誰が見たって実在の企業や人物、そして実際に起きた事故をモデルにした作品だということが、すぐに分かる。傲慢な企業人、暗躍する政治家──。ははん、この役はあの男のことか、なんて想像もけっこう楽しめたりする。そこには昭和の高度経済成長時代の日本があり、一人の元労組委員長の生真面目な生き方を通して、企業や政治の世界のドロドロとした裏側がこれでもかと暴き出されている。そこがまたけっこうリアルなのだ。

一言でいえば、これはサラリーマン映画の大力作という奴だろうか。3時間22分の長さを感じさせないドラマの構成、そして緻密に描かれた様々な人間模様。渡辺謙をはじめ出演者の演技にもクサさがなく、カメラも音楽もセンスはグーだ。おかげで観客は自然にストーリーに惹き込まれ、飽きることはない。様々な嫌がらせや冷たい仕打ちに耐えながら、ひたすら会社のために一生を捧げる企業戦士・恩地の姿に、自分の人生を重ねた人も多かったのではなかろうか。日本映画の傑作がまた一つ、ここに生まれたともいえそうだ。
とまあ、ここまで褒めても何か貰えるわけではないが、恩地のような大企業のサラリーマンを務めた経験のない筆者には、ちょっと引っかかる部分がないこともない。それは、そこまで会社に疎まれるのならこの男、何でさっさと辞めちまわないのかな──という素朴な疑問だ。他の企業に移ったり自分で会社を起したり、恩地ほどの能力があれば、いくらでも他に選択肢はあったはず。たった一度の人生を、冷や飯食いのままただ一つの企業に捧げるのは、どう考えても理屈に合わない。まさか、封建時代の武士道じゃないんだから…。
そこまで考えてふと筆者が思い出したのが、1963年にベルリン国際映画祭で金熊賞を獲った、今井正監督の名作『武士道残酷物語』。残虐な藩主のこれでもかという仕打ちに耐え、ひたすら滅私奉公に励む飯倉家の男たちを描いた、辛く哀しいオムニバス映画だ。そこにはマゾじゃないかと思うくらい忍耐強く、ただただ藩主の為に自己を犠牲にするサムライたちの姿が、いくつも描かれている。だから、武士道なんてやめちまえ──というかなりメッセージ性の強い映画が、これだったなあ。
筆者が思わず重ねてしまったのは、そこに描かれたサムライたちの姿と、ひたすら会社のために自己を犠牲にする恩地の姿だ。冷血非道な組織と、じっと耐えながらやがて来る春を待つ使用人。その構図は、まるで瓜二つの双生児ではないか。そう、そこにある哀しい美のアナロジーを、筆者は発見してしまったのだ。つまり『沈まぬ太陽』が現代版『武士道…』、いや『サラリーマン残酷物語』だということを。
なんて勝手なことを書いてしまったが、別に筆者はこの映画をくさしているわけではない。『沈まぬ太陽』が傑作なのは、間違いないところだろう。つまり言いたいのは、この映画がきわめて日本的な色彩を持ったドラマだということだ。ただしそれは、昭和の時代で途絶えてしまった、もはや懐かしい色彩なのかも知れないが…。
そんな筆者が先日観た若松節朗監督の『沈まぬ太陽』は、なんと3時間22分の大長編映画。あまりに長いので最近の映画では珍しく、途中に10分間の休憩時間が設けられていた。つまり、ションベンタイム。しかしこんな休憩時間入りの映画は、2001年に銀座で観た『2001年宇宙の旅 新世紀特別版』以来じゃなかったかなあ。日本映画では他に黒澤監督の『赤ひげ』が、確かそうだったような気がするが…。
作品の舞台は、“日本のナショナルフラッグ”と呼ばれる国策会社「国民航空(NAL)」。主人公の恩地(渡辺謙)は1960年代に労組の委員長を務め、会社との団体交渉に辣腕を振るうが、そのため委員長を退いた後の報復人事により、中東やアフリカなどに転々と10年間も左遷される。で、やっと日本に戻った彼を待っていたのは、「国航ジャンボ墜落事故」の悲劇。死者の数、520人という大惨事だった。
救援隊遺族係を担当し、会社の信頼回復のため誠意を尽して働く恩地。やがて政府の肝いりで、国民航空の経営再建にと起用された国見会長の抜擢により、恩地は会長室部長に就任する。これまでの地道な努力が認められ、ようやく活躍の場が与えられたのだ。だが社内には、大胆な改革を押し進める国見や、労組時代の過去を謝罪しようとしない恩地を、快く思わぬ勢力が虎視眈々と巻き返しを狙っていた…。
まあ、フィクションと謳ってはいるものの、これは誰が見たって実在の企業や人物、そして実際に起きた事故をモデルにした作品だということが、すぐに分かる。傲慢な企業人、暗躍する政治家──。ははん、この役はあの男のことか、なんて想像もけっこう楽しめたりする。そこには昭和の高度経済成長時代の日本があり、一人の元労組委員長の生真面目な生き方を通して、企業や政治の世界のドロドロとした裏側がこれでもかと暴き出されている。そこがまたけっこうリアルなのだ。

一言でいえば、これはサラリーマン映画の大力作という奴だろうか。3時間22分の長さを感じさせないドラマの構成、そして緻密に描かれた様々な人間模様。渡辺謙をはじめ出演者の演技にもクサさがなく、カメラも音楽もセンスはグーだ。おかげで観客は自然にストーリーに惹き込まれ、飽きることはない。様々な嫌がらせや冷たい仕打ちに耐えながら、ひたすら会社のために一生を捧げる企業戦士・恩地の姿に、自分の人生を重ねた人も多かったのではなかろうか。日本映画の傑作がまた一つ、ここに生まれたともいえそうだ。
とまあ、ここまで褒めても何か貰えるわけではないが、恩地のような大企業のサラリーマンを務めた経験のない筆者には、ちょっと引っかかる部分がないこともない。それは、そこまで会社に疎まれるのならこの男、何でさっさと辞めちまわないのかな──という素朴な疑問だ。他の企業に移ったり自分で会社を起したり、恩地ほどの能力があれば、いくらでも他に選択肢はあったはず。たった一度の人生を、冷や飯食いのままただ一つの企業に捧げるのは、どう考えても理屈に合わない。まさか、封建時代の武士道じゃないんだから…。
そこまで考えてふと筆者が思い出したのが、1963年にベルリン国際映画祭で金熊賞を獲った、今井正監督の名作『武士道残酷物語』。残虐な藩主のこれでもかという仕打ちに耐え、ひたすら滅私奉公に励む飯倉家の男たちを描いた、辛く哀しいオムニバス映画だ。そこにはマゾじゃないかと思うくらい忍耐強く、ただただ藩主の為に自己を犠牲にするサムライたちの姿が、いくつも描かれている。だから、武士道なんてやめちまえ──というかなりメッセージ性の強い映画が、これだったなあ。
筆者が思わず重ねてしまったのは、そこに描かれたサムライたちの姿と、ひたすら会社のために自己を犠牲にする恩地の姿だ。冷血非道な組織と、じっと耐えながらやがて来る春を待つ使用人。その構図は、まるで瓜二つの双生児ではないか。そう、そこにある哀しい美のアナロジーを、筆者は発見してしまったのだ。つまり『沈まぬ太陽』が現代版『武士道…』、いや『サラリーマン残酷物語』だということを。
なんて勝手なことを書いてしまったが、別に筆者はこの映画をくさしているわけではない。『沈まぬ太陽』が傑作なのは、間違いないところだろう。つまり言いたいのは、この映画がきわめて日本的な色彩を持ったドラマだということだ。ただしそれは、昭和の時代で途絶えてしまった、もはや懐かしい色彩なのかも知れないが…。
2009年08月11日
プロレスは死なず

東京ドームでアントニオ猪木の引退試合を観たのは、1998年の4月4日のことだった。あれからすでに10年以上が経つが、そんな月日の長さに比例するように、筆者のプロレスに対する興味も薄れてしまったようだ。かつてあれほど好きだったプロレスのテレビ中継も、このごろさっぱり観なくなってしまったもの。というより、プロレスというスポーツ自体が、いまではすっかり衰退してしまったのを感じる。
しかし、何のかんのといってもプロレスには、捨てがたい独特の味があるのも確かだ。客席の観衆とリング上のレスラーが、一体となって作り上げる狂乱の祝祭空間というのか。または殺伐とした総合格闘技のリングにはない、約束されたカタルシスの世界とでもいうのか。とにかく、スポーツと芝居とレスラーたちの人生が一体となったような、なんともいえないごった煮の味の深さがそこにはあるんだなあ。
先日、シアター・シエマで観たミッキー・ローク主演の映画『レスラー』は、久々にそんなプロレスの味を思い出させてくれる佳作だった。ミッキー・ロークといえば1992年6月に来日して、著名な俳優ながらボクシングの試合にシースルーのトランクスで登場し、「猫手チョップ」で相手をKOした茶番劇を思い出す。あのときはさんざん酷評されたものだったが、この男、根はやはり格闘技が好きだったんだな。それから幾星霜、この映画で主役のレスラーを演じたロークの肉体は、とても俳優がにわか仕立てでこしらえたとは思えない、みごとな中年レスラーのそれだった。
──20年前には、マジソン・スクエア・ガーデンで主役を張ったこともあるレスラー・ランディも、いまでは年老いてトレーラーハウス住まいをしながら近所のスーパーでアルバイトをする身の上。それでも週末にはマイナーな団体のリングに上がり、現役レスラー生活を続けている。しかし肉体はすでにボロボロで、おまけに薬漬けという最悪パターン。とうとうある日ランディは、試合の後の控え室で心臓発作を起し倒れてしまう。
心臓のバイパス手術を受けたランディだったが、医者からはプロレスはもう無理だと宣告される。そして、思いを寄せる酒場のストリッパー・キャシディや、別れて暮らす一人娘ステファニーのために、ついに引退を決意して堅気の生活に入ろうとするのだが──。話としてはよくあるパターン通りだし、結末もやっぱりなあという感じ。だがこの映画の優れたところは、レスラーの世界を温かな目でリアルに描いた点であり、そこにロークの実像が見事にはまっている点だろう。
ハンディカメラでランディの背中を追う、ドキュメンタリー・タッチの画面。全編を通してスピーカーの底から流れる、中年オヤジのしぶい息づかい。そして、試合の場面の迫真力──。ベビーフェイスとヒールの試合前の打ち合せや、試合後の称え合いなど、控え室での様子も実にうまく描いてある。プロレスの正体をあからさまにひん剥きながらも、そこにはプロレスへのリスペクトと、そこにうごめく男たちへの深い愛情が感じ取れるのだ。
だいいち見た目とは違い、出て来るレスラーは皆いい奴ばかりで、誰もがいたわり合いながら生きている(試合中でさえも!)。過酷な現実の堅気の社会や、辛辣な言葉を並べる女たちに比べれば、そこはなんとも優しい“男の世界”なのだな。ラストシーンで宿敵との試合にカムバックし、好きな女も家庭も自分の命さえも捨てて、コーナーロープの最上段に立つレスラー・ランディの姿には、筆者も感動のあまりついホロリとしてしまったよ。
ここに描かれたプロレスの世界は、おそらくいまの日米マット界の現実に近いものなのだろう。そのむかし国民が熱狂し隆盛を誇ったわが国のプロレスも、K-1や総合格闘技といった勝ち負けのみを追い求める、シリアスな競技の台頭と入れ替わるように、表舞台からはすっかり姿を消してしまった。はっきりいえば、いまやプロレスは斜陽スポーツ。筋書きのあるドラマだということも、すでに公然の秘密だ。力道山や馬場、猪木等がつくりあげた、強い男の象徴でありビッグマネーを手にするプロレスラーのイメージなど、いまでは遠い過去のものになってしまった。
まあ、時の流れといってしまえばそれまでだが、しかしそこには我々が現代社会で忘れかけた、古き良き大事な何かが残っている。そんな気がする。たぶんそれは、日本人にもアメリカ人にも共通したものなのだろう。忘れかけた大事な何か──それをわれわれに思い出させてくれるのが、ボロボロの肉体に鞭打って闘うゴツく優しい男たちなのだ。レスラーって哀しくも美しい奴らじゃないか。このプロレス映画は、そんな彼らへ捧げる熱いオマージュになっている。
2009年07月29日
人間とロボットの愛

図書館で偶然、手塚治虫原作の映画『メトロポリス』のDVDを見つけたので、たまにはアニメでもと思い借りて来た。原作が刊行されたのは1949年(昭和24年)。筆者は手塚治虫の少年マンガに、大きな影響を受けて育った世代なのだが(『鉄腕アトム』『ジャングル大帝』など)、さすがにこの『メトロポリス』は時代が古過ぎて読んではいない。その伝説のマンガを、脚本・大友克洋に監督・りんたろうのコンビでアニメ化(公開は2001年)した作品というので、ちょっと興味をそそられたのだ。
物語の舞台は、近未来の科学都市「メトロポリス」。人間とロボットが暮らす巨大な街にやって来たのが、私立探偵ヒゲオヤジと甥のケンイチ。二人は国際指名手配のロートン博士を探すうち、世界制覇を企むレッド公の陰謀に巻き込まれて行く。博士の秘密研究所の火事の現場から、ケンイチが助け出した謎の美少女ティマこそ、実はレッド公が自分の野望の為に造らせた、恐るべきロボットだったのだ…。
登場人物は手塚マンガのオールスター。主人公のヒゲオヤジやケンイチを始め、ロックやランプ、ハムエッグなど、お馴染みの顔ぶれが総出演だ。だが背景の描き方は、レトロな大友克洋風とでもいうようなタッチであり、ストーリーもセリフもそしてラストの破壊シーンも、やはり大友ワールドのにおいが濃厚に漂っている。しかもそれらが不思議に一体化し、完成度の高いものになっている。この映画を手塚治虫に捧げた大友克洋とりんたろうの情熱が、ひしひしとこちらに伝わって来るというものだ。音楽の選び方もいい。
なによりこの映画には、ケンイチとティマの悲劇的な愛が見事に描かれている。純粋にこの少女を救おうとするケンイチと、自分の運命を悟り自ら破滅の道を選ぶティマ。その別れは、あまりに切な過ぎて泣ける。これはもう、ディズニーなどが足元にも及ばない大人のための愛のドラマであり、世界に誇れる日本アニメの傑作というべきだろう。こんな作品、他の国じゃ作れないよ。筆者もアニメで泣いたのは初めてだったものなあ。
ところで、このアニメが公開された2001年には、スティーヴン・スピルバーグ監督の映画『A.I.』も公開されている。単なる偶然なのだろうが、この映画も人間とロボットとの「愛」がテーマになっている。筆者が子供の頃から手塚治虫が描き続けて来たテーマに、ほぼ半世紀後にようやくアメリカ映画も追いついたということだろうか。だとすればやはり、手塚治虫は偉大なりだ。
現代の日本が世界に冠たるロボット大国である理由は、たぶん間違いなくこの手塚マンガの影響なのだろう。『メトロポリス』にしろ、『鉄腕アトム』そして『マグマ大使』にしろ、そこに登場する魅力的なヒューマノイドの活躍を、子供時代に見て育った日本の科学者たちが、いつか自分の手でと意欲を燃やすのはごく自然な流れだ。そしてロボットの理想像を、ついこうした「人間そっくり」の形に求めてしまうのも、無理はないのだろう。
近年は二足歩行ロボットも進化して、お茶を運んだりサッカーをしたりと、動きだけはまるで人間くさいものも登場している。一方では金属の上を人工皮膚で覆ってカツラを被せ、おしゃべりをしたり表情を変えたりという、見た目までが人間っぽい女性ロボットも開発されている。だがさすがにここまで来ると、筆者もちょっと気持ちが悪い。こんなものが進化して将来、人間の男が恋を語るようになったとしたら、それはもう心の病気というものだ。
はっきりいうと日本のロボット学者が、ヒューマノイド型ロボットの開発に血道を上げるのを、筆者はどうも理解出来ない。ロボットに二足歩行をさせることに、どれだけの意義があるのだろうと考えてしまう。それが五本足だろうが十本足だろうが、あるいはキャタピラ型でも一輪車型でも、目的に最もかなう形であれば、どんな姿でもいいんじゃないのと思ってしまうのだ。二足歩行開発にかけるエネルギーと時間を、こうした目的に合った形の開発に向けたら、もっと実用性の高い成果が得られるはずなのに──。これって、夢がなさ過ぎる話かな?
実は、2001年公開時の『メトロポリス』を筆者が観なかったのは、1927年に公開されたドイツ映画で、フリッツ・ラング監督の同名作品と比べたくなかったからだ。あの大傑作と同じタイトルのアニメ映画を作るなんてけしからん、などと当時は思ったわけだが、まあそれほど筆者はラングの『メトロポリス』に思い入れが深い。おそらくアニメ版はこの映画を下敷きに作られているが、しかし、そこに出て来るヒロイン(ロボット)の描き方はまるで正反対だ。
ラング版『メトロポリス』に登場する女性型ロボット・マリアは、マッドサイエンティストが造った、人間を惑わせる“悪の化身”として描かれている。そこには神以外のものが人間を造ることに対する、キリスト教の国らしい罪悪感が根底に見え隠れする。そしてその意識は、今でも欧米には深く根強くあるのだろう。日本以外の先進国がヒューマノイド開発にあまり熱心ではないのも、ひとつにはこうした宗教的な背景があるからではないだろうか。そういえばシュワちゃんの「ターミネーター」だって、もともとは悪役だったし。
それに比べて、万物に神宿る国・日本。手塚治虫が創出したヒューマノイドたちの、なんと健気でいきいきと魅力的なことか。人間のために尽くし、人間のために戦い、人間の不正を正し、そしてときには人間との悲劇的な愛に泣く…。しかも、みんな目が大きくて可愛いのだ。日本がロボット大国になるわけだ。科学者たちが夢を追いたくなる気持ちもよく分かる。だがしかし、だからこそこんな素敵なロボットたちは、永遠に物語の中のロマンのままでいて欲しいと、筆者などは思うんだよね。
2009年06月22日
美空ひばりは永遠に
早いもので、6月24日はあの美空ひばりの20回目の命日だ。彼女が亡くなったのは平成元年(1989)だったから、まさに昭和と運命を共にした人だったわけだなあ。それにしても享年52歳とは、いま改めて思えばあまりに若過ぎる。本来なら歌手として、最も脂の乗り切る年齢のはずだったのだが…。
20年前のあの日のことは、いまでも筆者は良く覚えている。6月23日に、クリエイター仲間の会のちょっとした催し物があり、お昼に浅草に集まって夕方から渋谷に移動、パルコ劇場でみんなで渡辺えり子の芝居を見て、その後は夕食をかねての飲み会。お開きの後、地下鉄の終電で自宅に帰り着いたときが、すでに翌日の午前2時頃だったかな。
寝る前に何の気なしにテレビのスイッチを入れると、どこの局だったかは忘れたが、画面では美空ひばりが何かの歌を歌っていたっけ。へえ、こんな時刻にとは思ったものの、特に興味を感じたわけでもなかったので、筆者の指はすぐにチャンネルを他に切り替えた。するとどういう偶然か、その局でもひばりが歌っている。こんなこともあるのかと、また別の局にチャンネルを回すと、おお、なんとそこでも彼女が歌っているではないか──。
脳がマヒした酔っぱらい男も、さすがにそこで初めて異変に気がついた。もしやひょっとして、あの美空ひばりの身に何かが? 急いでリモコンのボタンをフル稼働し、深夜の各局をザッピング。すると思った通り、どの画面も彼女の歌う歌ばかり。それも、かなり若い頃の映像なども混じっている。ああ、これは間違いないのだな──心臓がドキドキし始め、たちまち酔いが醒めるのを筆者は感じていた。
彼女の死を確認したのは、直後に流されたNHKのニュースによるものだったろうか。後で知ったのだが亡くなったのは、日付が変わったばかりの午前0時28分だったらしい。死因は間質性肺炎による呼吸不全。とにかくそのときは、大きなショックを受けたのを覚えている。何といっても彼女は、筆者の子供の頃から日本の歌謡界に君臨し続けた、時代のシンボル的歌手だったのだから。しかもつい一年前には東京ドームで、長い闘病からの大々的な復活コンサートを、成功させたばかりだったじゃないか…。

もともと筆者は特に、美空ひばりのファンというわけではなかった。だが彼女にはどこかに捨て難い魅力があり、密かに応援する気持ちがあったのも事実だ。なので上前淳一郎の『イカロスの翼』なども、文庫本で読んだりしていた。たぶんそこには、昭和という時代を常に照らし続けながら、華やかだった前半生とは対照的に、御難続きの後半生を迎えてしまった、この大歌手への少しばかりの同情と、その天与の才能を本当の意味で大きく開花させて欲しい、という一音楽ファンとしての願いがあったのだろう。というのもその頃の美空ひばりが、歌手としての大きな転換期を迎えていたからだ。
筆者が子供の頃にラジオからよく流れていた彼女の歌は、「リンゴ追分」や「港町十三番地」などといった清純派の歌謡曲。それが1960年代の「柔」「悲しい酒」などの演歌の大ヒットをピークに、「真赤な太陽」の最後の輝き以降は、徐々に人気が停滞して行く。さらには実弟と暴力団との関係をマスコミにバッシングされるなどして、NHKの紅白歌合戦への出場も出来なくなる。そして、追いかけるような実母や二人の弟の死。70年代から80年代に掛けては、まさにそんなひばりの“どん底時代”といってもよかっただろう。
だいいちその頃の彼女には、記憶に残る曲がない。歌謡曲や演歌のみならず、小唄・民謡からジャズのスタンダードナンバーまで楽々と歌いこなせる実力を持ちながら、なぜかこの頃の彼女のイメージは演歌歌手。どうしてそんなつまらない曲ばかり歌うのか、と筆者にはまるで理解が出来なかった。ステージ衣装のセンスもあまり良いとは言えず、少し小太りになったこの頃の彼女は、すでに時代からズレた元大物歌手という感じだったかなあ。とにかく筆者には、ダサいオバサンにしか見えなかった。
イメージが変わったのは、1986年に小椋桂の「愛燦燦」を歌った頃からだろうか。確かテレビで「味の素」のCMに使われた曲だったと思うが、初めて聴いたとき、「おお、あのひばりが!」という衝撃を受けたのを覚えている。それは、これまでの彼女の脂ぎったオバサンのイメージを劇的に変える、清浄で美しい天からの歌声のように聴こえたのだ。「やっと彼女も、久々に良い曲に巡り会ったか」と、そのときは少し嬉しかったね。
思えばその頃から彼女の容姿も、大きく様変わりして行った。大病を患ったこともあり、すっきりと痩せて脂っ気が抜けた美空ひばりは、下町の厚化粧のオバサン風から、いつの間にかノーブルな雰囲気の貴婦人へと変身していたのだ。服や髪型のセンスもグッと良くなった。まるで何かから解放され、憑き物が落ちたような彼女の笑顔は、それまでとは別人のように輝いていたなあ。
そんな直後に彼女がリリースした新曲が「みだれ髪」。これは星野哲郎作詞、船村徹作曲という歌謡曲の最強コンビによるものだが、それまで彼女が歌って来た通俗的な演歌などとは違い、詞も曲も叙情性溢れる素晴らしい作品だった。二人の気持ちに応えるように、彼女が衰えぬ高音でこの歌を歌い上げたテレビ映像を観たときは、これで美空ひばりも完全復活したなと筆者も確信したのだが…。
彼女の死は、再起が軌道に乗り始めたそんな矢先のことだった。様々な苦労を乗り越え、幾多のしがらみから解放されて、やっとこれから歌手美空ひばりの本当の才能をフル回転させるのだという、まさにその時期だったのだ。歌謡曲でもジャズでもニューミュージックでも、何でも歌いたいものを歌えばいい。神様だって、もうすべてを許してくれるはずだから──そんな時期だっただけに、筆者には本当に惜しまれてならない。
なので彼女の最後の絶唱は何かと問われたら、やはり筆者はこの「みだれ髪」と答えたい。よく「川の流れのように」が彼女の代表曲のように取り上げられるが、これはどちらかと言えば彼女の死後にヒットした曲。葬儀の席でこの歌を多くの歌手仲間が斉唱したとき、筆者にはあまり馴染みのない曲だったのを覚えている。「みだれ髪」こそは美空ひばりが歌手生命を賭け、渾身の力を込めてヒットさせた名曲だと思うのだが。
20年前のあの日のことは、いまでも筆者は良く覚えている。6月23日に、クリエイター仲間の会のちょっとした催し物があり、お昼に浅草に集まって夕方から渋谷に移動、パルコ劇場でみんなで渡辺えり子の芝居を見て、その後は夕食をかねての飲み会。お開きの後、地下鉄の終電で自宅に帰り着いたときが、すでに翌日の午前2時頃だったかな。
寝る前に何の気なしにテレビのスイッチを入れると、どこの局だったかは忘れたが、画面では美空ひばりが何かの歌を歌っていたっけ。へえ、こんな時刻にとは思ったものの、特に興味を感じたわけでもなかったので、筆者の指はすぐにチャンネルを他に切り替えた。するとどういう偶然か、その局でもひばりが歌っている。こんなこともあるのかと、また別の局にチャンネルを回すと、おお、なんとそこでも彼女が歌っているではないか──。
脳がマヒした酔っぱらい男も、さすがにそこで初めて異変に気がついた。もしやひょっとして、あの美空ひばりの身に何かが? 急いでリモコンのボタンをフル稼働し、深夜の各局をザッピング。すると思った通り、どの画面も彼女の歌う歌ばかり。それも、かなり若い頃の映像なども混じっている。ああ、これは間違いないのだな──心臓がドキドキし始め、たちまち酔いが醒めるのを筆者は感じていた。
彼女の死を確認したのは、直後に流されたNHKのニュースによるものだったろうか。後で知ったのだが亡くなったのは、日付が変わったばかりの午前0時28分だったらしい。死因は間質性肺炎による呼吸不全。とにかくそのときは、大きなショックを受けたのを覚えている。何といっても彼女は、筆者の子供の頃から日本の歌謡界に君臨し続けた、時代のシンボル的歌手だったのだから。しかもつい一年前には東京ドームで、長い闘病からの大々的な復活コンサートを、成功させたばかりだったじゃないか…。

もともと筆者は特に、美空ひばりのファンというわけではなかった。だが彼女にはどこかに捨て難い魅力があり、密かに応援する気持ちがあったのも事実だ。なので上前淳一郎の『イカロスの翼』なども、文庫本で読んだりしていた。たぶんそこには、昭和という時代を常に照らし続けながら、華やかだった前半生とは対照的に、御難続きの後半生を迎えてしまった、この大歌手への少しばかりの同情と、その天与の才能を本当の意味で大きく開花させて欲しい、という一音楽ファンとしての願いがあったのだろう。というのもその頃の美空ひばりが、歌手としての大きな転換期を迎えていたからだ。
筆者が子供の頃にラジオからよく流れていた彼女の歌は、「リンゴ追分」や「港町十三番地」などといった清純派の歌謡曲。それが1960年代の「柔」「悲しい酒」などの演歌の大ヒットをピークに、「真赤な太陽」の最後の輝き以降は、徐々に人気が停滞して行く。さらには実弟と暴力団との関係をマスコミにバッシングされるなどして、NHKの紅白歌合戦への出場も出来なくなる。そして、追いかけるような実母や二人の弟の死。70年代から80年代に掛けては、まさにそんなひばりの“どん底時代”といってもよかっただろう。
だいいちその頃の彼女には、記憶に残る曲がない。歌謡曲や演歌のみならず、小唄・民謡からジャズのスタンダードナンバーまで楽々と歌いこなせる実力を持ちながら、なぜかこの頃の彼女のイメージは演歌歌手。どうしてそんなつまらない曲ばかり歌うのか、と筆者にはまるで理解が出来なかった。ステージ衣装のセンスもあまり良いとは言えず、少し小太りになったこの頃の彼女は、すでに時代からズレた元大物歌手という感じだったかなあ。とにかく筆者には、ダサいオバサンにしか見えなかった。
イメージが変わったのは、1986年に小椋桂の「愛燦燦」を歌った頃からだろうか。確かテレビで「味の素」のCMに使われた曲だったと思うが、初めて聴いたとき、「おお、あのひばりが!」という衝撃を受けたのを覚えている。それは、これまでの彼女の脂ぎったオバサンのイメージを劇的に変える、清浄で美しい天からの歌声のように聴こえたのだ。「やっと彼女も、久々に良い曲に巡り会ったか」と、そのときは少し嬉しかったね。
思えばその頃から彼女の容姿も、大きく様変わりして行った。大病を患ったこともあり、すっきりと痩せて脂っ気が抜けた美空ひばりは、下町の厚化粧のオバサン風から、いつの間にかノーブルな雰囲気の貴婦人へと変身していたのだ。服や髪型のセンスもグッと良くなった。まるで何かから解放され、憑き物が落ちたような彼女の笑顔は、それまでとは別人のように輝いていたなあ。
そんな直後に彼女がリリースした新曲が「みだれ髪」。これは星野哲郎作詞、船村徹作曲という歌謡曲の最強コンビによるものだが、それまで彼女が歌って来た通俗的な演歌などとは違い、詞も曲も叙情性溢れる素晴らしい作品だった。二人の気持ちに応えるように、彼女が衰えぬ高音でこの歌を歌い上げたテレビ映像を観たときは、これで美空ひばりも完全復活したなと筆者も確信したのだが…。
彼女の死は、再起が軌道に乗り始めたそんな矢先のことだった。様々な苦労を乗り越え、幾多のしがらみから解放されて、やっとこれから歌手美空ひばりの本当の才能をフル回転させるのだという、まさにその時期だったのだ。歌謡曲でもジャズでもニューミュージックでも、何でも歌いたいものを歌えばいい。神様だって、もうすべてを許してくれるはずだから──そんな時期だっただけに、筆者には本当に惜しまれてならない。
なので彼女の最後の絶唱は何かと問われたら、やはり筆者はこの「みだれ髪」と答えたい。よく「川の流れのように」が彼女の代表曲のように取り上げられるが、これはどちらかと言えば彼女の死後にヒットした曲。葬儀の席でこの歌を多くの歌手仲間が斉唱したとき、筆者にはあまり馴染みのない曲だったのを覚えている。「みだれ髪」こそは美空ひばりが歌手生命を賭け、渾身の力を込めてヒットさせた名曲だと思うのだが。
2009年05月18日
船と親友と別れ
偶然とは妙なもので、近ごろレンタルのDVDでたまたま観た2本の映画に、ちょっとした共通点があり驚いた。それはどちらも「船」と「親友」と「別れ」が、物語の大きなキーワードだったことだ。それぞれ何の脈絡もなく、全く偶然に別ルートから借りて来たものだが、どちらも心に残る良い作品だったので、少し不思議な気がしたなあ。
1本は近くの図書館の書架で見付けた、古いフランス映画『商船テナシチー』。監督があの『望郷』を撮ったジュリアン・デュヴィヴィエという、1934年製作の古色蒼然たるモノクロ映画だ。誰も借り手がないのかポツンと棚に残されていたものを、何の気なしに借りて来て観たのだが、これが意外に“当たり!”だった。同年の「キネマ旬報優秀映画推薦1位」と銘打ってあったので、てっきり退屈な映画だと思っていたのだが。
パリの失業者バスチアンとセガールが、職を求めカナダへ移住するためル・アーヴル港へやって来る。乗船する予定だったオンボロ貨物船「テナシチー」が故障して足止めを食ううち、港のホテルで働くテレーズに恋をするセガール。だが短い滞在の日々の終わり近く、彼女と結ばれたのは真面目でシャイなセガールではなく、陽気なプレイボーイのバスチアンの方だった。やがて故障が直り船が出航する日の朝、二人の男に苦く辛い別れが訪れる…。
わずか71分の短い映画。どこにもありそうな若い男女の恋を描いたものだが、しかしそこにはホロ苦い人間ドラマが凝縮されており、ラストは切ない気分にさせられる。こうした三角関係の場合、たいてい貧乏くじを引くのはセガールのようなタイプ。この映画はそのあたりの恋の行方や人情の機微、彼らを取り巻く人間模様などがよく描かれており、ちょっと作り話に思えないんだよなあ。まあ、人生は最後までどう転ぶか分からないけど、それにしても罪作りな貨物船ではある。あと、港の情景描写もいい。

もう1本の映画は、町のレンタルショップで借りたジュゼッペ・トルナトーレ監督の『海の上のピアニスト』。名匠による1999年の作品だが、これまでついつい見逃してきたものだ。何といってもこの監督は、『ニュー・シネマ・パラダイス』や『マレーナ』『題名のない子守唄』などの名作を次々と生み出した、現代映画を代表するストーリーテラー。この『ピアニスト』を今まで観なかったこと自体、大きな間違いだったのだが。
1900年、大西洋を行く豪華客船「ヴァージニアン」内に捨てられた赤ん坊は、生まれた年にちなんで「ナインティーン・ハンドレッド」と名付けられ、機関士ダニーにより船底で育てられる。やがて成長した彼は、船のバンドでピアノの才能が開花。トランぺッターの親友マックスの前で、伝説的ピアニストとして一時代を築いたものの、ついに一度として船から降りることはなかった。やがて時は流れ、いまは廃船となった「ヴァージニアン」が爆破されることを知ったマックスが再び船を訪れたとき、その船底にはなんと一人の男の姿が…。
船の缶焚きに育てられた子供が、どうやってピアノの腕を磨いたのか? 廃船となり屑鉄状態となった「ヴァージニアン」の中で、どうやって彼が暮らしていたのか…? 突っ込みどころは数々あれど、野暮なことは言いっこなしだ。なによりこれは、ジュゼッペ・トルナトーレの映画なのだから。船の中で一生を終える伝説のピアニスト──。まずはこのプロットを聞いただけで、観客はグッと心を掴まれ、次にハンカチを用意させられる。ドラマとはやっぱり、着想からしてすでにドラマなのだ。
この映画の見せ場は何といっても、主人公の弾く数々のピアノの演奏シーンだが、彼を演じるティム・ロスの表情がまたいいんだな。決して美男ではないが、どこか飄々とした職人風とでもいうのか。無欲で純粋で、船とピアノに一生を捧げた男の悲しさが、嫌み無く淡々と演じられているのがいい。だが何よりこの映画の巧妙なところは、物語全体の語り部であるマックスの存在だろうか。
親友の伝説を語るしょぼくれた元トランぺッターと、彼の話の聞き役である楽器店の親父、そのやりとり自体がひとつの小さなドラマを構成しており、話の中で躍動するピアニストの姿や生き方は、自然と美しく偶像化されて行く。つまりドラマの二重構造だ。こうして観客の心の中に一人の男の伝説が深く刻み込まれ、同時に彼との最後の別れを味わったマックスの悲哀が、より増幅されて伝わるというわけ。なんとまあ憎い構成だが、じつに深い余韻の残る映画だったなあ。
しかしこうして見ると、「船」「親友」「別れ」の三つを合わせると、それだけで一つのドラマが何となく見えて来るから不思議だ。ひょっとしてこれって、作り手側にはあんがい必殺の「三題噺」なのかも。筆者はまだ調べたことはないが、探してみると世界中にこの組合せのドラマ、けっこう多いのかも知れないな…。
1本は近くの図書館の書架で見付けた、古いフランス映画『商船テナシチー』。監督があの『望郷』を撮ったジュリアン・デュヴィヴィエという、1934年製作の古色蒼然たるモノクロ映画だ。誰も借り手がないのかポツンと棚に残されていたものを、何の気なしに借りて来て観たのだが、これが意外に“当たり!”だった。同年の「キネマ旬報優秀映画推薦1位」と銘打ってあったので、てっきり退屈な映画だと思っていたのだが。
パリの失業者バスチアンとセガールが、職を求めカナダへ移住するためル・アーヴル港へやって来る。乗船する予定だったオンボロ貨物船「テナシチー」が故障して足止めを食ううち、港のホテルで働くテレーズに恋をするセガール。だが短い滞在の日々の終わり近く、彼女と結ばれたのは真面目でシャイなセガールではなく、陽気なプレイボーイのバスチアンの方だった。やがて故障が直り船が出航する日の朝、二人の男に苦く辛い別れが訪れる…。
わずか71分の短い映画。どこにもありそうな若い男女の恋を描いたものだが、しかしそこにはホロ苦い人間ドラマが凝縮されており、ラストは切ない気分にさせられる。こうした三角関係の場合、たいてい貧乏くじを引くのはセガールのようなタイプ。この映画はそのあたりの恋の行方や人情の機微、彼らを取り巻く人間模様などがよく描かれており、ちょっと作り話に思えないんだよなあ。まあ、人生は最後までどう転ぶか分からないけど、それにしても罪作りな貨物船ではある。あと、港の情景描写もいい。

もう1本の映画は、町のレンタルショップで借りたジュゼッペ・トルナトーレ監督の『海の上のピアニスト』。名匠による1999年の作品だが、これまでついつい見逃してきたものだ。何といってもこの監督は、『ニュー・シネマ・パラダイス』や『マレーナ』『題名のない子守唄』などの名作を次々と生み出した、現代映画を代表するストーリーテラー。この『ピアニスト』を今まで観なかったこと自体、大きな間違いだったのだが。
1900年、大西洋を行く豪華客船「ヴァージニアン」内に捨てられた赤ん坊は、生まれた年にちなんで「ナインティーン・ハンドレッド」と名付けられ、機関士ダニーにより船底で育てられる。やがて成長した彼は、船のバンドでピアノの才能が開花。トランぺッターの親友マックスの前で、伝説的ピアニストとして一時代を築いたものの、ついに一度として船から降りることはなかった。やがて時は流れ、いまは廃船となった「ヴァージニアン」が爆破されることを知ったマックスが再び船を訪れたとき、その船底にはなんと一人の男の姿が…。
船の缶焚きに育てられた子供が、どうやってピアノの腕を磨いたのか? 廃船となり屑鉄状態となった「ヴァージニアン」の中で、どうやって彼が暮らしていたのか…? 突っ込みどころは数々あれど、野暮なことは言いっこなしだ。なによりこれは、ジュゼッペ・トルナトーレの映画なのだから。船の中で一生を終える伝説のピアニスト──。まずはこのプロットを聞いただけで、観客はグッと心を掴まれ、次にハンカチを用意させられる。ドラマとはやっぱり、着想からしてすでにドラマなのだ。
この映画の見せ場は何といっても、主人公の弾く数々のピアノの演奏シーンだが、彼を演じるティム・ロスの表情がまたいいんだな。決して美男ではないが、どこか飄々とした職人風とでもいうのか。無欲で純粋で、船とピアノに一生を捧げた男の悲しさが、嫌み無く淡々と演じられているのがいい。だが何よりこの映画の巧妙なところは、物語全体の語り部であるマックスの存在だろうか。
親友の伝説を語るしょぼくれた元トランぺッターと、彼の話の聞き役である楽器店の親父、そのやりとり自体がひとつの小さなドラマを構成しており、話の中で躍動するピアニストの姿や生き方は、自然と美しく偶像化されて行く。つまりドラマの二重構造だ。こうして観客の心の中に一人の男の伝説が深く刻み込まれ、同時に彼との最後の別れを味わったマックスの悲哀が、より増幅されて伝わるというわけ。なんとまあ憎い構成だが、じつに深い余韻の残る映画だったなあ。
しかしこうして見ると、「船」「親友」「別れ」の三つを合わせると、それだけで一つのドラマが何となく見えて来るから不思議だ。ひょっとしてこれって、作り手側にはあんがい必殺の「三題噺」なのかも。筆者はまだ調べたことはないが、探してみると世界中にこの組合せのドラマ、けっこう多いのかも知れないな…。
2009年05月06日
連休中に観た映画
「ゴールデンウィーク」という和製英語は、もともと映画業界で作られた言葉のようだ。4月末から5月初めにかけての連休を、映画界のかき入れどきにするためのキャッチフレーズらしいが、確かにそう聞いただけで何となくお尻がムズムズして、どこかへ出掛けたくなるから不思議だ。そこで筆者も心ウキウキ、早速出掛けてしまったというわけ、映画館へ。
最初に観たのは、ドイツ映画『わが教え子、ヒトラー』。シアター・シエマで上映中だったので、ふらり立ち寄ったという感じだが、この映画を選んだのは、主演のウルリッヒ・ミューエがどんな演技を見せてくれるのか、ちょっと興味があったからだ。なにしろ、この人の前作『善き人のためのソナタ』が、ベラボーに感動的な映画だったのでね。とにかく、あれは良かったなあ!
今回の『わが教え子、ヒトラー』は、連合軍との戦いで連戦連敗、自信喪失したナチス・ドイツの総統ヒトラーに、戦意高揚のための演説を指導するユダヤ人俳優のお話。監督・脚本はダニー・レヴィ。奇抜なアイディアのコメディだが、『ソナタ』ではシリアスな役を演じたミューエが、ここではしたたかで少しとぼけたユダヤ人俳優・グリュンバウム教授を絶妙に演じていて、思わず笑わされる。
だがこの映画でいちばん笑いをとるのは、徹底的に戯画化されたヒトラーだろう。孤独で不眠症で心身ともに疲れ切った独裁者は、ただのお人好しの哀れな男として描かれる。彼を操っているのはゲッペルスなどの側近であり、熱狂的な支持を寄せる国民の声なのだ。ユダヤ人グリュンバウムが、最後に彼の吹き替えを演じるという設定にも、ヒトラーは実は腹話術の人形にすぎないのではという、スウィフト風の辛辣な皮肉が込められているようだ。向こうではたぶんこれ、問題作なのだろうな。

もう一本見た映画が、ご存知クリント・イーストウッド監督・主演の『グラン・トリノ』。これはいかにも現代のアメリカを描いた作品で、銃社会の殺伐さと移民国家の現状を暴き出したような、社会派ドラマになっている。もっとも、老いたりとはいえ主演がイーストウッドなので、全編に渋いオヤジのダンディズムがビンビン横溢していて、眠くなるようなことは決してない。
妻を亡くし独りになった老自動車工・コワルスキーの隣家に、アジアからの移民一家が引っ越して来る。頑固一徹で朝鮮戦争の元兵士だったコワルスキーは有色人種嫌いだったが、不良グループに絡まれた同家の長男タオを銃で救ったことから、彼ら家族との交流が始まる。やがて少しずつ彼らに、実の家族以上の愛を感じてゆくコワルスキー。しかしついに、凶悪な不良グループはタオの姉スーに魔手を伸ばし、老兵士が復讐に立ち上がるときが来る…。
この設定やストーリーが、まず観客を惹き付ける。時代や家族と噛み合ない孤独な白人の老人、アメリカに生活の場を求める異国からの移民たち、そして社会に蔓延する銃と犯罪──。ここにはアメリカが抱える様々な問題が凝縮されていて、それらがまるで化学反応でも起すように次々と物語を動かして行く。これはきっとアメリカ人には、リアル過ぎて目が離せない映画なのだろう。さらにはイーストウッド演じる老ヒーローの、なんというアナクロ的な格好良さよ!
また、初めは頑に接触を拒んでいたコワルスキーが、徐々にタオ一家に心を開き、彼らのアジア的暖かさに惹かれて行く様子も、観ていて微笑ましい。いわゆる情が移るという奴だが、このプロセスがうまく描かれており、ストーリーに違和感はない。そのきっかけとなったのが、つまり「グラン・トリノ」だったというわけだ。
映画はこの国の銃社会や移民社会へのメッセージを発しながら、この監督らしいしんみりした余韻を残して終っている。ま、それはそれで美しい終り方であり、作品としての完成度は高いのだろう。しかし、ここでネタをばらすわけには行かないが、個人的にはちょっときれい過ぎる結末のような気がしないでもない。筆者としては『荒野の用心棒』のような、最後の大花火を期待していたんだけどなあ…。
最初に観たのは、ドイツ映画『わが教え子、ヒトラー』。シアター・シエマで上映中だったので、ふらり立ち寄ったという感じだが、この映画を選んだのは、主演のウルリッヒ・ミューエがどんな演技を見せてくれるのか、ちょっと興味があったからだ。なにしろ、この人の前作『善き人のためのソナタ』が、ベラボーに感動的な映画だったのでね。とにかく、あれは良かったなあ!
今回の『わが教え子、ヒトラー』は、連合軍との戦いで連戦連敗、自信喪失したナチス・ドイツの総統ヒトラーに、戦意高揚のための演説を指導するユダヤ人俳優のお話。監督・脚本はダニー・レヴィ。奇抜なアイディアのコメディだが、『ソナタ』ではシリアスな役を演じたミューエが、ここではしたたかで少しとぼけたユダヤ人俳優・グリュンバウム教授を絶妙に演じていて、思わず笑わされる。
だがこの映画でいちばん笑いをとるのは、徹底的に戯画化されたヒトラーだろう。孤独で不眠症で心身ともに疲れ切った独裁者は、ただのお人好しの哀れな男として描かれる。彼を操っているのはゲッペルスなどの側近であり、熱狂的な支持を寄せる国民の声なのだ。ユダヤ人グリュンバウムが、最後に彼の吹き替えを演じるという設定にも、ヒトラーは実は腹話術の人形にすぎないのではという、スウィフト風の辛辣な皮肉が込められているようだ。向こうではたぶんこれ、問題作なのだろうな。

もう一本見た映画が、ご存知クリント・イーストウッド監督・主演の『グラン・トリノ』。これはいかにも現代のアメリカを描いた作品で、銃社会の殺伐さと移民国家の現状を暴き出したような、社会派ドラマになっている。もっとも、老いたりとはいえ主演がイーストウッドなので、全編に渋いオヤジのダンディズムがビンビン横溢していて、眠くなるようなことは決してない。
妻を亡くし独りになった老自動車工・コワルスキーの隣家に、アジアからの移民一家が引っ越して来る。頑固一徹で朝鮮戦争の元兵士だったコワルスキーは有色人種嫌いだったが、不良グループに絡まれた同家の長男タオを銃で救ったことから、彼ら家族との交流が始まる。やがて少しずつ彼らに、実の家族以上の愛を感じてゆくコワルスキー。しかしついに、凶悪な不良グループはタオの姉スーに魔手を伸ばし、老兵士が復讐に立ち上がるときが来る…。
この設定やストーリーが、まず観客を惹き付ける。時代や家族と噛み合ない孤独な白人の老人、アメリカに生活の場を求める異国からの移民たち、そして社会に蔓延する銃と犯罪──。ここにはアメリカが抱える様々な問題が凝縮されていて、それらがまるで化学反応でも起すように次々と物語を動かして行く。これはきっとアメリカ人には、リアル過ぎて目が離せない映画なのだろう。さらにはイーストウッド演じる老ヒーローの、なんというアナクロ的な格好良さよ!
また、初めは頑に接触を拒んでいたコワルスキーが、徐々にタオ一家に心を開き、彼らのアジア的暖かさに惹かれて行く様子も、観ていて微笑ましい。いわゆる情が移るという奴だが、このプロセスがうまく描かれており、ストーリーに違和感はない。そのきっかけとなったのが、つまり「グラン・トリノ」だったというわけだ。
映画はこの国の銃社会や移民社会へのメッセージを発しながら、この監督らしいしんみりした余韻を残して終っている。ま、それはそれで美しい終り方であり、作品としての完成度は高いのだろう。しかし、ここでネタをばらすわけには行かないが、個人的にはちょっときれい過ぎる結末のような気がしないでもない。筆者としては『荒野の用心棒』のような、最後の大花火を期待していたんだけどなあ…。
2009年03月03日
チェンジリング

話題の映画『チェンジリング』を観て来た。監督はクリント・イーストウッド、主演女優がアンジェリーナ・ジョリー。テレビCMで興味をそそられ、以前から楽しみにしていた映画だったが、それにしても公開中の「109シネマズ佐賀」まではずいぶん遠かったね。ここは車以外ではまずアクセス不可能な、典型的な地方型シネコンなのだ。佐賀の市街地がかつてのように人であふれ、こうしたメジャーな映画が気軽に街角の映画館で観られるようになる日は、いったいいつのことだろうか…。
物語の舞台は1920年代のロサンゼルス。電話交換手をしながら一人息子のウォルターを育てる、シングルマザーのクリスティンがある日、暗くなって帰宅すると、留守番をしていたはずの息子の姿が消えていた。いったい、これは──? 慌てて警察に通報するクリスティン。だがその5ヶ月後、発見したとして警察が連れて来たウォルターを名乗る少年は、息子とはまるで違う別人だった。
そんな馬鹿な、とクリスティンは警察に抗議をするが、ここから先の彼らの対応がまるで常識外。担当のジョーンズ警部は彼女の話を聞き入れないばかりか、心に異常があるという理由で精神病院送りにしてしまう。あまりといえばあまりな話じゃないか。クリスティンはやがて彼女を助ける牧師の働きで救い出されるが、彼ら対警察権力の戦いはやがて法廷の場へと舞台を移して行く。そして、本物のウォルターの行方を知る少年が、意外な所から現れる…。
大きな目にタラコ唇のアンジェリーナ・ジョリーが、内気だが息子を捜し警察権力と戦ううち、やがて強い女へと変わって行く一人の母親を熱演している。まさしく「女は弱し、されど母は強し」だ。ひと昔前の浅丘ルリ子か緑魔子といった顔のジョリーだが、大きな目のショボショボ具合が、女の弱さと強さをよく表していたなあ。“寡黙な男のダンディズム”を描いて定評のあるイーストウッド監督、ここでは女性を描いても冴えを見せた。
もっとも彼女の、あの目の縁を真っ黒に塗ったパンダ化粧や、食べると確実に体を悪くしそうな真っ赤なタラコ唇の色は、いったいどういう意味があったのだろう? 筆者には最後までその意味が分からなかったが、それとも単にあれは女優のメイクの好みなのだろうか? イーストウッド監督らしい重厚な画面の中で、そこだけが終始浮いていたような気がしたのだが、教えて!ジョリーさん。
ところで、「チェンジリング」とは「取り替え子」という意味らしい。元々は西洋のおとぎ話から来た言葉のようだが、わが国にもさらわれた息子を追う母親の悲劇を描いた、能の名作『隅田川』がある。そうそう、一人息子ではないが『安寿と厨子王』というのもあったっけ。どの国でもいつの時代でも、失われた我が子を思う母の姿は哀しく、そして永遠に気高いということなのだろう。そういえばこの映画の客席にも、女性の姿が多かったね。
そんな「わが子探し」がこの映画のメインテーマだとすれば、イーストウッド監督はそこに警察権力の腐敗やそれと戦う市民の勇気、そしてウォルター失踪のドキドキする謎解きなどをからませ、上等のコース料理のようなエンタテインメントに仕上げている。いつものようにその手捌きは鮮やかで、丁寧かつ抑制の利いた演出はすでに名人芸の域だ。しんみりとした余韻の残る終り方も、この監督らしくて好かったね(音楽のつけ方も)。ただしそれでも筆者には、アンジェリーナ・ジョリーの厚化粧の謎だけは残ったが…。
2009年02月19日
アニメ主題歌の三大名曲

最近、テレビをあまり観なくなった。代わりによく観るようになったのが、インターネットのYouTube。昼夜入り浸っているという程ではないが、テレビ番組で面白そうなものがない晩(ほぼ毎晩だが)などは、このYouTubeで掘出し物を探す方がずっと楽しい。
なにしろそこには映画、音楽、スポーツからテレビのB級バラエティに自作ビデオまで、玉石混淆、世界中から投稿されたありとあらゆる映像コンテンツが詰まっている。つまりそこでは居ながらにして、世界中の人々と楽しさを共有出来るのだ。それも、自分で好きなジャンルを選びながら。こんな時代がやって来ようとは、つい数年前まで予想さえしなかったなあ。
時代遅れの筆者のお気に入りは、白雪姫だった頃の天地真理ちゃんやシンシア南沙織に、懐かしのニューミュージックなどの音楽だが、たまに古い日本のアニメなども観ることがある。そこではビデオテープが世の中にあまり普及してなかった時代からの、様々な人気者が顔を揃えている。不思議で仕方がないのは、いったい誰がどうやってこれらの映像を録画・保存していたかだが、マニアというのはきっと、いつの時代も金に糸目を付けない人種なのだろう。
投稿された動画には、誰もがそれに対しコメントを書き込めるようになっている。面白いのは日本のアニメへの、英語の書き込みが非常に多いことだ。日本で放映されたオリジナル版にもそうだが、海外から投稿された外国版などには、特にそう。アメリカにイギリス、オーストラリアなど、子供の頃にテレビでこのアニメを観てましたという、向こうの大人たちの懐旧の声がそこには溢れており、読んでいて何だか微笑ましい。日本のアニメはむかしから、ずいぶん海外で人気があったのだと改めて感じさせられる。
こうした古いアニメを見直しながら、主題歌の三大名曲というのを勝手に選んでみた。選んだからといって別にどうなるわけではないが、まあ筆者の自己満足という奴だ。で、時代順に行くと、まず谷川俊太郎作詞、高井達雄作曲の『鉄腕アトム』は外せない。「♪空を越えて、ラララ星の彼方〜」という出だしはあまりに有名だし、リズミカルな曲自体も心が沸き立つようで素晴らしい。東京にあるJR高田馬場駅では、電車の発車メロディーにこの曲が使われているが、“アトムの生まれた街”という矜持がそこにはあるのだろう。
つぎに来るのは前田武彦作詞、萩原哲晶作曲の『エイトマン』かな。とにかくこのアニメは、桑田次郎の絵も克美しげるの歌も、大人のテイストでとても格好いいのだ。「♪光る海、光る大空、光る大地〜」、この出だしのスピード感は抜群だし、その前に入る「Fight!、Fight!、Fight!」と「Eight!、Eight!、Eight!」という韻を踏んだ男声の掛け声も、高揚感を増幅させてくれる。スケールも大きいこの歌、格好よさではナンバーワンといえるんじゃなかろうか。
三つ目はやはり、テレビアニメ初のカラー大作『ジャングル大帝』だ。手塚治虫のイメージと富田勲の音楽という、奇跡のコラボレーションが生んだオープニング場面の素晴らしさは、この三大名曲の中でも文句なく一番だろう。アフリカの大自然の風が舞うようなシンフォニーに包まれ、「♪あ〜、あ〜、あ〜、あ〜」と歌うバリトンのスキャットが朗々と響き渡る。ケモノたちが躍動し大空を鳥が舞う動画は、この音楽と実に見事に融合していて感動的だ。観ているだけでも涙が出るよ。あの時代のテレビアニメの枠をはるかに超えたこのオープニング映像は、ディズニーの『ファンタジア』も真っ青の出来だと筆者は思うのだが。
ところで、海外から投稿された日本アニメの英語版には、それぞれに現地用のタイトルが付けられている。『鉄腕アトム』が『Astro Boy』なのは有名だが、『エイトマン』は『8th Man』に、『ジャングル大帝』は『Kimba The White Lion(白い獅子キンバ)』にといった具合だ。面白いのはオープニングの主題歌も、それぞれに現地用の違う歌が付けられていること。
『Astro Boy』はほぼ『鉄腕アトム』の英語バージョンといった感じだが、なぜか『8th Man』と『Kimba The White Lion』の主題歌は、全く別の知らない歌になっている。それも日本のオリジナル曲に比べると、ひどく子供向け風の作りなのだ。つまり、あまり格調は高くない。目指しているものが違うという印象を受ける。なので両者を比べると、日本の主題歌の方が圧倒的に格好いいのだ。あちらではやはり、アニメは子供向けという固定概念が強いのだろうか…。こうしてみると、世界を席巻する現代日本アニメのクオリティの花は、当時からすでに芽吹いていたということなんだろうな。
2008年12月16日
幕末佐賀のドラマ
NHKの大河ドラマ『篤姫』がついに終った。ビデオリサーチの調べでは、最終回の視聴率が28.7%(関東地区)で年間平均視聴率も24.5%だというから、近年の大河ドラマの中では一番のヒットということになる。筆者もこの番組を毎回観ていたが、時代の荒波に翻弄されながらも明るさを失わない主人公と、「家族の絆」に焦点を当てた、なかなか好いドラマだったと思う。けっこう泣かされたもの。
ブームに沸いた篤姫の故郷・鹿児島はこの一年で観光客が急増したといい、いまや彼女は西郷・大久保に続く薩摩のニューヒロインらしい。同じ「薩長土肥」に名を連ねる佐賀としては羨ましいが、しかし、考えてみればこちらにだって幕末・明治に活躍した偉人はたくさんいる。佐賀神社には「七賢人」の碑だってある。ここらでそろそろNHKも、こうした佐賀の偉人を主人公にした大河ドラマを、作ってくれても良いんじゃないの──?

そんな思いで最近読んだ本が、毛利敏彦著『幕末維新と佐賀藩(中公新書)』だ。毛利先生の著作は以前にも『江藤新平』や『明治六年政変』などを読んでいたが、この本は今年の夏に出版されたばかりで、新しい研究成果なども多く盛り込まれている。で、一気に読んでしまったが、これが実に面白かった。なによりこの人の書くものには、いつも佐賀への“愛”が感じられて嬉しい(「毛利」なのに…)。
本著には、幕末の佐賀藩主・鍋島閑叟の存在の大きさと、彼の“秘蔵っ子”である江藤新平が新政府で果たした役割が、詳細に描かれている。閑叟さんは写真で見るとヌーボーとした印象だが、実は薩摩の島津斉彬と並ぶ開明的名君だったんだな。幕末佐賀藩を日本随一の科学先進国に改革し、多くの有能な人材を育て上げた指導力は、やはりたいしたもの。その期待を最も大きく集めたのが、江藤という男だったわけだ。

この本はそうした閑叟と江藤の緊密な関係をまさぐりながら、結果としてそれが、明治新政府における江藤の大きな業績に繋がったと述べている。そうなんだよなあ、江藤新平ほど短期間に目覚ましい仕事を成し遂げ、あっという間に消えて行った人間も珍しい。維新の政治家では最も惜しまれる人物だが、いかんせん最期があまりに悲劇的過ぎる。筆者がテレビプロデューサーなら、ドラマの主人公として閑叟さんはちょっと地味過ぎだし、江藤なら二の足を踏むという感じかな。う〜ん、困った…。
では「七賢人」の中で誰が良いかと問われれば、筆者が独断と偏見で選ぶなら、ドラマ的に面白そうなのはやはり大隈重信か佐野常民じゃなかろうか。副島種臣は立派な人物だが少し堅い印象だし、大木喬任では影が薄い。島義勇も佐賀と札幌以外では知名度が低そうだ。その点、キャラクター的な面白さといい成し遂げた業績といい、大隈か佐野の二人ならどちらでも、魅力のあるドラマが出来そうな気がするがどうだろうか? NHKさん、ぜひご検討を!
それにしても、この時代の佐賀は光り輝いていた。現在の停滞とはまさに雲泥の差だ。「薩長土」の改革派たちが、頭の固い上層部の説得に苦労しながら、ボトムアップ式に漸進せざるを得なかった時期、ひとり佐賀だけは藩主のトップダウンの元、一丸となってはるか先頭を走っていたのだ。その独走ぶりには佐賀県人として胸がすく思いだが、もっともそれが後に、何ごとも行政に頼る県民性を生んでしまった遠因かも知れないなあ。
ブームに沸いた篤姫の故郷・鹿児島はこの一年で観光客が急増したといい、いまや彼女は西郷・大久保に続く薩摩のニューヒロインらしい。同じ「薩長土肥」に名を連ねる佐賀としては羨ましいが、しかし、考えてみればこちらにだって幕末・明治に活躍した偉人はたくさんいる。佐賀神社には「七賢人」の碑だってある。ここらでそろそろNHKも、こうした佐賀の偉人を主人公にした大河ドラマを、作ってくれても良いんじゃないの──?

そんな思いで最近読んだ本が、毛利敏彦著『幕末維新と佐賀藩(中公新書)』だ。毛利先生の著作は以前にも『江藤新平』や『明治六年政変』などを読んでいたが、この本は今年の夏に出版されたばかりで、新しい研究成果なども多く盛り込まれている。で、一気に読んでしまったが、これが実に面白かった。なによりこの人の書くものには、いつも佐賀への“愛”が感じられて嬉しい(「毛利」なのに…)。
本著には、幕末の佐賀藩主・鍋島閑叟の存在の大きさと、彼の“秘蔵っ子”である江藤新平が新政府で果たした役割が、詳細に描かれている。閑叟さんは写真で見るとヌーボーとした印象だが、実は薩摩の島津斉彬と並ぶ開明的名君だったんだな。幕末佐賀藩を日本随一の科学先進国に改革し、多くの有能な人材を育て上げた指導力は、やはりたいしたもの。その期待を最も大きく集めたのが、江藤という男だったわけだ。

この本はそうした閑叟と江藤の緊密な関係をまさぐりながら、結果としてそれが、明治新政府における江藤の大きな業績に繋がったと述べている。そうなんだよなあ、江藤新平ほど短期間に目覚ましい仕事を成し遂げ、あっという間に消えて行った人間も珍しい。維新の政治家では最も惜しまれる人物だが、いかんせん最期があまりに悲劇的過ぎる。筆者がテレビプロデューサーなら、ドラマの主人公として閑叟さんはちょっと地味過ぎだし、江藤なら二の足を踏むという感じかな。う〜ん、困った…。
では「七賢人」の中で誰が良いかと問われれば、筆者が独断と偏見で選ぶなら、ドラマ的に面白そうなのはやはり大隈重信か佐野常民じゃなかろうか。副島種臣は立派な人物だが少し堅い印象だし、大木喬任では影が薄い。島義勇も佐賀と札幌以外では知名度が低そうだ。その点、キャラクター的な面白さといい成し遂げた業績といい、大隈か佐野の二人ならどちらでも、魅力のあるドラマが出来そうな気がするがどうだろうか? NHKさん、ぜひご検討を!
それにしても、この時代の佐賀は光り輝いていた。現在の停滞とはまさに雲泥の差だ。「薩長土」の改革派たちが、頭の固い上層部の説得に苦労しながら、ボトムアップ式に漸進せざるを得なかった時期、ひとり佐賀だけは藩主のトップダウンの元、一丸となってはるか先頭を走っていたのだ。その独走ぶりには佐賀県人として胸がすく思いだが、もっともそれが後に、何ごとも行政に頼る県民性を生んでしまった遠因かも知れないなあ。
2008年12月03日
トウキョウソナタ

佐賀の街が暗いせいもあるが、このところ夕暮れの訪れが早い。午後6時30分スタートの映画を観るため、その10分前にシアターシエマに駆けつけたとき、もうあたりはすっかり暮れていた。1階の自販機で温かい紅茶のボトルを買い、コートのポケットに入れてエレベーターで3階に上がる。
この日のお目当ては黒沢清監督の「トウキョウソナタ」。タイトルの響きがいいのと、今年のカンヌ映画祭で「ある視点」部門審査員賞を受賞した作品だというので、ちょっとだけ興味があったのだ。ま、ちょっとだけだけど。
ひとことで言えば、これは暗い映画。健康機器メーカーの総務課長を務める主人公・佐々木(香川照之)が、ある日突然、会社をリストラされるところから物語は始まる。だが彼はそのことを妻(小泉今日子)を始め家族の誰にも告げられず、次の日からは会社に行くふりをしてハローワーク通い。しかし、世の中には似たような境遇の男達があふれており、希望するような仕事はなかなか見付からない…。
夫と心の離れはじめた妻、そしてまるで会話のない大学生と小学生の二人の息子。誰もが秘密を抱えながら暮らす佐々木家の家族は、父親のリストラをきっかけにやがて徐々に崩壊し始めて行く──。この辺りまで映画は実にリアルに、どこかにありそうな東京の中流家庭の実態を描いている。他人事ではない思いで、これを見た人も多いはずだ。
だが、途中から映画の方向は急カーブ。小学生の次男がピアノの天才だと分かったり、大学生の長男が唐突に米軍に入隊したり、佐々木家に突然、ハンサムな強盗(役所広司)が押し入り妻を誘拐したり…。まるでスラップスティックの様相を呈し始める。ようやく清掃員の仕事を見つけた主人公・佐々木が、仕事中のトイレで札束を拾うシーンでは、ウソだろうと言いたくもなった。
ウソくさい──。そう、前半リアルで後半ウソくさいこの暗い映画、実は笑えないコメディだとようやく途中で気が付く仕組みなのだ。そんな白けたドタバタ劇の末に、佐々木家はようやく静けさを取り戻し、暖かな曙光が見えたところで映画は終る。ウソくさいけど、終り方の余韻は悪くはない。黒沢監督はこの映画を、そんな奇妙な印象の残るちょっと不思議な作品に仕上げている。
面白いのはこの映画に、全く笑顔のシーンがないこと。誰もが疑心暗鬼で冷淡で、自分を見失い社会に絶望しているように見える。それだけにラストシーンの救いが、よけい明るく感じられるのだろう。
あと、家庭での食事のシーンが多いのも特徴的かな。なんだかそこにはまるで、“一緒に飯さえ食えれば、それで良いじゃないか”とでも、メッセージが込められているようだ。ま、それが家族の基本という奴だろうけど。それにしても、キョンキョンことあの小泉今日子が、こんな演技派女優になるとはね!
2008年11月14日
『月光仮面』誕生秘話
いやあ面白かったなあ、この本。筆者のような世代には涙が出そうなタイトルだったので、迷わずネットで取り寄せて手に入れたのだが、あっという間に読み終えてしまった。本の名は『月光仮面を創った男たち(樋口尚文著・平凡社新書)』。そう『月光仮面』は昭和33年に生まれてたちまち一世を風靡した、あの国産初の連続テレビドラマだ。
この本はまさにわが国のテレビ草創期に制作された、大ヒットドラマの誕生秘話を克明に描いたドキュメンタリー。関係者への綿密な取材により、当時の制作現場の実態が活写されている。また当時、娯楽の王者だった映画が、テレビというニューメディアに取って代わられる分水嶺だったのが、この昭和33年だったという指摘も頷けるなあ。なにしろ巨大な電波塔・東京タワーが出現したのがこの年だったし、ここを境に映画の観客動員数は急速に下降して行くのだから。本には、このドラマが後のテレビ業界に与えた大きな影響なども、丁寧に書かれている。

筆者はこの『月光仮面』を毎週ドキドキしながら観ていた少年の一人だったのだが、それにしてもこの本を読めば読むほど、制作現場のお寒い実態に驚かされた。つまり何もかもまるで手探りだったのだ。
制作した宣弘社自体が、なにしろテレビの連続ドラマは初めて。演出した船床定男も監督初体験なら、東映の大部屋俳優だった大瀬康一も主演は初体験。おまけに超低予算で、最初は手巻きの16ミリカメラで撮っていたというのだから、もう驚くばかりだ。出て来るシーンが寂しい原っぱや、人気のない住宅地に郊外の一般道ばかりというのも、スタジオ撮影の出来ない裏事情があったからなんだな。
つまりこのドラマは、当時全盛を誇った映画界からはみ出して、業界の底辺でくすぶっていた貧しく無名の若者たちが、テレビという新しい乗り物に飛び乗り、無我夢中のうちに道を切り拓いて出来た代物だったのだ。そう考えるとこの本は、一種の冒険物語でありサクセスストーリともいえそうだ。
しかし、何もかも手探りでゼロから新しいものを創り上げるというのは、閉塞的で飽和感のある現代から見ればどこか羨ましい話でもある。いわば無人の荒野の開拓者とでもいうのかな。月光仮面のあの颯爽とした格好よさは、きっとそうした若者たちの熱いエネルギーが、そこに凝縮されているからに違いない。何も知らない筆者は当時ボンヤリこのドラマを観ていたが、現場ではスタッフも出演者も、全員が必死でアイディアや肉体をぶつけ合っていたのだろう。今さらながら感動したよ。
ところで、主演の大瀬康一をはじめこのドラマの出演者は、当時は無名の人たちばかり。大瀬氏はこのドラマをきっかけに有名になり、さらに『隠密剣士』などの大ヒットを飛ばす。後にはOT企画という企画会社の社長になり、筆者は過去にひょんなことから一度だけこの会社にお邪魔し、大瀬氏とお会いしたこともあったっけ(ああ身に余る光栄!)。
他にこのドラマを経て後に有名になった俳優といえば、祝十郎探偵の助手・五郎八を演じた谷幹一くらいしか思い浮かばない。あとは『マンモス・コング』篇でこの怪獣の着ぐるみを着たのが、黒澤明監督の映画『七人の侍』の野武士役を演じた、高木新平という役者だったというのをこの本で知ったくらい。それほど『月光仮面』は、無名役者で固められていたのだ。
そんなわけで懐かしくなり、以前買ったままだった『マンモス・コング』のDVDを再生してみたところ、筆者は画面の中に意外な人物を発見して驚いた。いや正直、わが目を疑ったね。それはこのシリーズの第3話、国際暗殺団に蘇生させられたマンモス・コングが、大日本銀行の東山総裁を襲うシーンだ。
身の丈15メートルの巨大ゴリラに車を踏みつぶされ、必死の形相で逃げ惑う総裁。その顔はなんと、あの松竹映画『男はつらいよ』の“おいちゃん”で知られ、黒澤映画『まあだだよ』に主演した名優、松村達雄そっくりじゃないか! まさか他人のそら似、それともまさか…? オープニングの配役にはレギュラー陣の名前しかないし、どうにも気になって仕方がない。誰か真相を知っている方は、教えて欲しいものだ。
この本はまさにわが国のテレビ草創期に制作された、大ヒットドラマの誕生秘話を克明に描いたドキュメンタリー。関係者への綿密な取材により、当時の制作現場の実態が活写されている。また当時、娯楽の王者だった映画が、テレビというニューメディアに取って代わられる分水嶺だったのが、この昭和33年だったという指摘も頷けるなあ。なにしろ巨大な電波塔・東京タワーが出現したのがこの年だったし、ここを境に映画の観客動員数は急速に下降して行くのだから。本には、このドラマが後のテレビ業界に与えた大きな影響なども、丁寧に書かれている。

筆者はこの『月光仮面』を毎週ドキドキしながら観ていた少年の一人だったのだが、それにしてもこの本を読めば読むほど、制作現場のお寒い実態に驚かされた。つまり何もかもまるで手探りだったのだ。
制作した宣弘社自体が、なにしろテレビの連続ドラマは初めて。演出した船床定男も監督初体験なら、東映の大部屋俳優だった大瀬康一も主演は初体験。おまけに超低予算で、最初は手巻きの16ミリカメラで撮っていたというのだから、もう驚くばかりだ。出て来るシーンが寂しい原っぱや、人気のない住宅地に郊外の一般道ばかりというのも、スタジオ撮影の出来ない裏事情があったからなんだな。
つまりこのドラマは、当時全盛を誇った映画界からはみ出して、業界の底辺でくすぶっていた貧しく無名の若者たちが、テレビという新しい乗り物に飛び乗り、無我夢中のうちに道を切り拓いて出来た代物だったのだ。そう考えるとこの本は、一種の冒険物語でありサクセスストーリともいえそうだ。
しかし、何もかも手探りでゼロから新しいものを創り上げるというのは、閉塞的で飽和感のある現代から見ればどこか羨ましい話でもある。いわば無人の荒野の開拓者とでもいうのかな。月光仮面のあの颯爽とした格好よさは、きっとそうした若者たちの熱いエネルギーが、そこに凝縮されているからに違いない。何も知らない筆者は当時ボンヤリこのドラマを観ていたが、現場ではスタッフも出演者も、全員が必死でアイディアや肉体をぶつけ合っていたのだろう。今さらながら感動したよ。
ところで、主演の大瀬康一をはじめこのドラマの出演者は、当時は無名の人たちばかり。大瀬氏はこのドラマをきっかけに有名になり、さらに『隠密剣士』などの大ヒットを飛ばす。後にはOT企画という企画会社の社長になり、筆者は過去にひょんなことから一度だけこの会社にお邪魔し、大瀬氏とお会いしたこともあったっけ(ああ身に余る光栄!)。
他にこのドラマを経て後に有名になった俳優といえば、祝十郎探偵の助手・五郎八を演じた谷幹一くらいしか思い浮かばない。あとは『マンモス・コング』篇でこの怪獣の着ぐるみを着たのが、黒澤明監督の映画『七人の侍』の野武士役を演じた、高木新平という役者だったというのをこの本で知ったくらい。それほど『月光仮面』は、無名役者で固められていたのだ。
そんなわけで懐かしくなり、以前買ったままだった『マンモス・コング』のDVDを再生してみたところ、筆者は画面の中に意外な人物を発見して驚いた。いや正直、わが目を疑ったね。それはこのシリーズの第3話、国際暗殺団に蘇生させられたマンモス・コングが、大日本銀行の東山総裁を襲うシーンだ。
身の丈15メートルの巨大ゴリラに車を踏みつぶされ、必死の形相で逃げ惑う総裁。その顔はなんと、あの松竹映画『男はつらいよ』の“おいちゃん”で知られ、黒澤映画『まあだだよ』に主演した名優、松村達雄そっくりじゃないか! まさか他人のそら似、それともまさか…? オープニングの配役にはレギュラー陣の名前しかないし、どうにも気になって仕方がない。誰か真相を知っている方は、教えて欲しいものだ。
2008年11月08日
イントゥ・ザ・ワイルド

このところ歩くのに快適な気温が続くので、約ひと月ぶりにまたシアター・シエマまでブラブラ脚を伸ばし、楽しみにしていた映画を見て来た。今回の作品はショーン・ペン監督の「イントゥ・ザ・ワイルド」。あまり知られた映画ではないが、歌手マドンナの元夫で演技派俳優として名高い、あのショーン・ペンが脚本・監督を手がけた作品というので、少し興味があったのだ。
当たりかはずれかちょっと心配しながら、館内の椅子に腰を下ろす。見回しても、どうも客の入りはあまり良くはない。というかガラガラじゃないか。これは若い奴らにもあまり人気がないのかな、などと考えているうちに照明が暗くなり映画が始まった。
物語はクリスというアメリカ人青年が、大学卒業後にアラスカを目指して一人旅に出るところから始まる。一見、何不自由のない家庭に育ち、優秀な成績を残して卒業したクリス。だが彼は就職もせず、物質文明や社会の古くさいルールから逃れ、自由を求めて勇躍アラスカへと向かい、そして最後はそのたどり着いた北の原野で、飢えと病のため衰弱死する…。なんだか1960年代風ロードムービーのようなプロットだが、こうした映画を現代ハリウッドの大スターが、大真面目に作るところがアメリカらしい。
言ってみればこの映画、荒野に憧れ荒野の魅力を人に説き、ひたすら荒野を目指した“荒野教”の青年が、最後は荒野に命を奪われるという皮肉なもの。こんな暗い話のどこが面白いのとも言われそうだが、ショーン・ペン監督はしたたかな視点と腕で主人公のクリスやその家族、また旅の途中で彼が出会う様々な人物の表と裏を、リアルかつ丁寧に描いている。また大自然の景観やそこでの冒険譚も魅力的だ。なので最後まで飽きることはない。
まあしかし、野田知佑氏のカヌー紀行を読むと、アラスカの原野で一人で生きる“マウンテンマン”の話が出て来るが、彼らはやはり頭でっかちのクリスとは違うのだ。身を守るための銃やナイフを自在に使いこなし、住む家は自分で造り、川でサケを捕らえて食料にし、ワナで獲った小動物の毛皮を売って現金に換える…。つまり自由を得るには、自給自足の能力が必要なのだな。
この映画の要諦はつまり、憧れのアラスカにたどり着いた未熟な青年が得たものは結局、荒野からの啓示ではなく、家族や旅の途中で出会った人間たちの「愛」だった、ということかな。求めるものは荒野にではなく、実は人間の心の中にある──なんてね。なんだかメーテルリンクの「青い鳥」を思わせるような寓話だが、そういう意味ではクリスの旅は無駄ではなかったと作者は言いたいのだろう。
それにしても、主人公のクリスを演じたエミール・ハーシュの、最後のやつれ具合は凄まじい。やせ衰え下痢便を垂れ流しながら死んで行く主人公の姿は、とても芝居とは思えないほどリアル。物語の初めの頃の姿と比べるとまるで別人だ。かつて観た「キャスト・アウェイ」という映画でも、漂流者を演じたトム・ハンクスの痩せ具合が話題になったが、こういうところを徹底している点が、やっぱり日本などと違うアメリカ映画の凄みだな。
そんなわけで、筆者のこの映画への評価は「当たり」だ。それほど期待してなかった分だけ、制作者の大真面目な作り方に好感が持てたという感じ。だけどシアター・シエマの作品の選び方は、けっこう良い線行ってるんじゃないのかな。また次回が楽しみだ。
2008年10月21日
ピアニシモの美学

番組名はちょっと忘れてしまったが、以前観たテレビの中で紹介された、一人の女性音楽家の話が何となく記憶に残っている。その人は作曲家の故・山田耕筰にかつて師事し、いまも現役で歌唱指導を続けているという元気なおばあさん。師・山田耕筰の遺した“日本の心”を受け継いで、クラシックの若い歌手などに、歌唱法とともにその精神を伝えているのだそうだ。筆者の記憶に彼女の話が残っているのは、なるほどなあというある具体的なエピソードを聞いたからだ。
山田耕筰といえば、「赤とんぼ」や「ペチカ」といった童謡からオペラ・交響曲まで作曲し、明治から昭和まで活躍したわが国を代表する作曲家の一人。中でも彼の代表的な作品のひとつに「からたちの花」という歌曲がある。テレビの中で彼女が語ったエピソードというのは、その「からたちの花」に関する歌唱法のことだった。
「♪からたちの花が咲いたよ」で始まる北原白秋作詞のこの歌、たいていの日本人なら最低でも一度は聞いたことがあるはずで、垣根に咲いた花から遠い日の思い出をたどる、詩情あふれる名曲として現在もよく歌われている。歌詞の内容はシンプルだ。「♪からたちの花が咲いたよ 白い白い花が咲いたよ」という、情景を詠んだ一番の歌詞に始まり、また同じ言葉の六番の歌詞で終っている。あいだの計四番の歌詞の中に、詩人の郷愁のようなものがほのかに投影されるという構成だ。
なので、曲の方も歌詞のアクセントを活かした、シンプルで美しいメロディーラインながら、一番から六番まで歌い進むうちに、静かだがそこに小さなドラマを感じ取れる構成となっている。憎いなあ、このつくり。で、特徴的なのがこの同じ詞の一番と六番の、曲のつけ方の違いだ。前出のおばあさんによれば、起句である一番の最後「咲いたよ」の「よ」は朗々と歌うのに対し、結句である六番の最後の高音「よ」には、ピアニシモの記号が付いているのだという。ピアニシモ──つまり、最も弱く歌って終るということだ。
彼女の話では、イタリアなどの歌曲ならば最後の部分は最も盛り上げるため、たいていフォルテシモ(最も強く)で歌うのだが、そこを逆に力を抜いて最も弱く歌うところに、山田耕筰の日本的な心が表されているのだという。つまりこれ見よがしのストレートな表現よりも、抑制の中に密かに感情を込めることにこそ、日本人の美学があるのだと──。なるほどこれが「侘び・さび」の心かと、筆者もちょっと感心したものだ。いわれてみればこの最後の「咲いたよ」には、日本人の琴線に触れるリリシズムが秘められているようだ。
そういえばと思い出したのが、やはりテレビで聞いたある女性歌手の言葉だった。その人の名は、キム・ヨンジャ。韓国出身でいまは日本の第一線で活躍する歌謡曲の歌手だが、来日したての頃はあまり日本での受けは良くなかったらしい。彼女によれば、韓国式にこれでもかと歌い上げるパワフルな歌唱法が、日本人にはなぜか敬遠されたのだとか。これはちょっと悩むところだね。
そんなとき、先輩歌手・都はるみの言ったひとことが転機になったのだという。いちばん盛り上げたい歌の山場の部分を、“逆に力を抜いて歌ってごらん”と先輩はアドバイスしてくれたのだ。そこでお客の前でその歌い方で歌ったところ、反応がグッと良くなった。しかも自分でもその方が、秘めた情感のようなものが表現できて、憂いが増すような気がする…。なるほどこれかと、そのとき膝を叩いたかどうかは知らないが、キム・ヨンジャが日本人の心を掴んだ瞬間だったのは、間違いないところだろう。
まあ、考えてみれば悲しみの表現の仕方でも、隣同士の日本と韓国とではえらく違う。まして欧米人や中国人に比べれば、日本人はむかしから、ずいぶん繊細で独特な感情表現を得意としてきた。歌や小説もそうだし、演劇もそう。でもひょっとしてこれからはこれが、映画や音楽やアニメなどで、「クール・ジャパン」として外国人の心を掴むことになるかも知れないなあ──。
2008年10月02日
歩いても歩いても

10月1日は映画の日。久しぶりにブラリと松原まで歩いて、シアター・シエマで上映中の映画を観てきた。爽やかな風が吹き、ちょっとくらい歩いてももう汗をかかないのが嬉しい。しかし、相変わらず佐賀の繁華街は、シャッターを降ろした店が多いなあ。
この日のお目当ては、是枝裕和監督の『歩いても歩いても』。東京に住む友人たちが異口同音に“あの映画は良かった”というのを聞いてはいたが、佐賀のシネコンではなかなか上映ラインナップに載らなかった作品だ。東京から少し遅れて、このたびようやくシエマで公開されると聞いて、さっそく出掛けたというわけ。友人たちが観たものを、自分だけ観ないというのもしゃくだからね。
しかし、人の言うこともたまには聞くものだ。『歩いても歩いても』は筆者にとっても“当たり”だった。泣いたり笑ったりという映画ではないが、観る者の心を始めから終わりまでじんわり掴んで放さない、なかなか味わいの深い佳品という感じだったなあ。
特にストーリーらしいストーリーのない映画で、神奈川県は三浦海岸あたりの、閑静な住宅地にある老医者の家が舞台。長男の命日に久しぶりに集まった家族の夏の一日を、淡々とさりげなく、それでいてリアルに描写したという作りが出色だ。よく似た光景はたぶん日本中、いたる所に無数にあるのだろう。家族──これほど普遍的なテーマもないものだ。
老夫婦役に原田芳雄と樹木希林、次男役が阿部寛で長女役にはYOUが出演している。誰もがテレビでもよく見掛ける顔なのに、それぞれの役にサラリと溶け込んでごく自然に見えるのは、やはり是枝監督の演出力のたまものなのだろうか。そういえば同監督の前作『誰も知らない』も、主演の子供たちの演技とも思えない自然な演技が、印象的だったなあ。
しかしこの監督、作為がまるでなさそうに見えてその実、裏でこれでもかというほど細かくディテールを構築しているところがスゴい。家族というものの実体やその運命、人間一人ひとりの抱え込んだ業や欲望などというものを、まるで点描画でも描くように実に丁寧に描いている。ときには残酷なほど客観的に。ゆえになおさらリアリティがある。この映画を観た人はおそらく誰もが、この一家を自分の家族や自分自身と重ねて見ることだろう。そして苦笑いしたり、重い気分になったり…。
まあ、家族はそれでも生きて行く、そして受け継がれて行く。叶う夢もあれば、叶わない夢もある──。予定調和もなければドンデン返しもないが、そんな仏教的無常感をさえ匂わせながら、家族とは何か?という問いをズドンと投げ掛けた静かな終り方も、いかにもこの監督のものらしい。でも、決して暗いジ・エンドじゃないところが救いかな。そうそう、場面場面で流れてくるゴンチチのギターがまたいい。ただしシエマのスピーカーは、相変わらず音が割れるのが難点なんだけどなあ。
2008年05月26日
『血族』と『少年記』
紀行ものの作家で好きなのは、むかしは山口瞳でこのごろは野田知佑だと前回書いたが、二人には奇しき共通点があった。これは全くの偶然なのでちょっと驚いたのだが、その共通点とはともに父方が佐賀県人だということだ。二人の著作を読み返してみて、いまごろようやく気付いたしだいなので、迂闊といえば迂闊だった。

山口瞳の場合は、代表作『血族』の中にそのことが書いてある。これは作者の自伝的小説で、自分の出生について多くを語らぬまま死んだ母親のルーツをたどる、氏の“母を恋うる記”である。すべての母の秘密が解き明かされた後、最後に作者が訪れるのが父方の故郷、佐賀県藤津郡久間村。東京生まれの作者が夢に見た田舎の田園風景を歩きながらも、心の中で母への思いを募らせるというラストシーンにはグッときたのを覚えている。これは間違いなく名作だったなあ。
『血族』を読んだのはもう二十年以上も前のことだが、そんなわけで、山口氏の父方の血が佐賀人だということは何となく覚えていた。さっき読み返してみたら、佐賀の本家で親戚から「頭の恰好がですね、佐賀の頭です」と作者が言われる場面が出て来た。ふむふむ、そうだったか。そういえば子供のとき以来、久しぶりに会った親戚の伯父さんや伯母さんなんかは、たいてい似たようなことを言うものだ。

もう一人の野田知佑氏の場合は、最近購入した『少年記』という自伝に書いてあるのを発見した。氏の父親は佐賀の農家の生まれだったが、結婚を機に久留米に移り「若亀」という造り酒屋を起したらしい。氏とは不和だったようで、あまり父親についての詳しい記述がないが、事業に失敗して覇気をなくした晩年の父を、かなり冷めた目で見ているのが印象的だ。
ともあれ自分の好きな紀行ものの作家の中でも、特に気に入っている二人が、ともに父方に佐賀の血を持つというのは、たぶん偶然ではないだろう。それはどこか惹かれるもの、相通じるもの、を筆者が二人の作品の中に見ているからに違いない。修飾の極めて少ない男っぽい文体。根はどこか文弱なのに、女々しさを嫌うやせ我慢のサムライ気質。そして人と接する時の含羞の混じった率直さ、などなど…。
そこには素朴で人が好くて硬骨を好む、佐賀人の気風がどこかに流れている。だからこそ、読んでいて自然に共感してしまうのだろうな。小説より作為のない紀行ものには、たぶん作者の人間性やお里がストレートに現れるはず。読者は知らないうちに、それを嗅ぎ分けているのだろう。人間、自分の読書傾向をたどると、意外なものが見えて来たり発見があったりするものだ。

山口瞳の場合は、代表作『血族』の中にそのことが書いてある。これは作者の自伝的小説で、自分の出生について多くを語らぬまま死んだ母親のルーツをたどる、氏の“母を恋うる記”である。すべての母の秘密が解き明かされた後、最後に作者が訪れるのが父方の故郷、佐賀県藤津郡久間村。東京生まれの作者が夢に見た田舎の田園風景を歩きながらも、心の中で母への思いを募らせるというラストシーンにはグッときたのを覚えている。これは間違いなく名作だったなあ。
『血族』を読んだのはもう二十年以上も前のことだが、そんなわけで、山口氏の父方の血が佐賀人だということは何となく覚えていた。さっき読み返してみたら、佐賀の本家で親戚から「頭の恰好がですね、佐賀の頭です」と作者が言われる場面が出て来た。ふむふむ、そうだったか。そういえば子供のとき以来、久しぶりに会った親戚の伯父さんや伯母さんなんかは、たいてい似たようなことを言うものだ。

もう一人の野田知佑氏の場合は、最近購入した『少年記』という自伝に書いてあるのを発見した。氏の父親は佐賀の農家の生まれだったが、結婚を機に久留米に移り「若亀」という造り酒屋を起したらしい。氏とは不和だったようで、あまり父親についての詳しい記述がないが、事業に失敗して覇気をなくした晩年の父を、かなり冷めた目で見ているのが印象的だ。
ともあれ自分の好きな紀行ものの作家の中でも、特に気に入っている二人が、ともに父方に佐賀の血を持つというのは、たぶん偶然ではないだろう。それはどこか惹かれるもの、相通じるもの、を筆者が二人の作品の中に見ているからに違いない。修飾の極めて少ない男っぽい文体。根はどこか文弱なのに、女々しさを嫌うやせ我慢のサムライ気質。そして人と接する時の含羞の混じった率直さ、などなど…。
そこには素朴で人が好くて硬骨を好む、佐賀人の気風がどこかに流れている。だからこそ、読んでいて自然に共感してしまうのだろうな。小説より作為のない紀行ものには、たぶん作者の人間性やお里がストレートに現れるはず。読者は知らないうちに、それを嗅ぎ分けているのだろう。人間、自分の読書傾向をたどると、意外なものが見えて来たり発見があったりするものだ。
2008年05月16日
旅に出たくなったら
何回読み返しても面白い本というのは、そうはない。特に小説などは、ストーリーが分かってしまうと魅力も半減する。なので、ストーリーが分かっていてももう一度読みたくなる小説は、よほど作者の語り口がうまいか、ストーリーそのものが毒薬のように面白いものに限られる。
そこへ行くと紀行文は、何度も読み返しが利く。しかも、どこから読んでもスッと入れる。ストレスが溜まったときや、旅に出たくなったときなどに、お気に入りの本を開いて適当なページをめくると、たちまち目の前に大自然の風や異郷の町並みなどが現れ、ふさいだ心を癒してくれる。優れた本ほど現れる光景が明瞭なので、まるで心を預けるように、読者はそこにある世界にじっくり浸ることが出来る。これが実にいいんだなあ。
筆者のお気に入りの紀行文作家は、若い頃なら山口瞳。この人の紀行ものはずいぶん読んだが、『酔いどれ紀行』や『迷惑旅行』『草競馬流浪記』など、自由で八方破れな大人の旅に、あの頃はずいぶん憧れたものだ。なにより昼間っから酒を飲むという旅の仕方には、ちょっとばかり驚かされた。
他にも、開高健やつげ義春、椎名誠など、いろんな作家たちの旅の本を貪ったものだが、ここ十数年では、いちばん気に入った作家と言えば野田知佑かなあ。熊本県出身のカヌーイストで、エッセイスト。日本や世界中の川をカヌーで下りながら、気に入った土地で寝泊まりし人と出会う。本にはその風のような生き方が、これ以上はないほどの男っぽい筆致で綴られているが、これが一度読み出したら止まらなくなるほど面白い。

野田氏との最初の出会いの本は、『日本の川を旅する』だった。これも名著だが、やはりこの人の最高傑作と言えば、『北極海へ』と『ユーコン漂流』の二冊に尽きるんじゃないのかな。とにかく奇を衒ったところは一切なし。北米大陸の原野を流れるマッケンジー川やユーコン川という大河を、何ヶ月もかけて一人で悠々と下りながら、そこで出会う自然や人間たちとの触れ合いを、作者は簡潔な文章で淡々と語っている。実に骨太でスケールがでかい、男の世界。
で、けっこうユーモアのセンスもある人なのだが、考えてみればずいぶん危険な目にも会っているんだよな。嵐の中を漕いだり、グリズリーに出くわしたり。それを深刻そうに書かない所もまたいい。英語が堪能で、荒野で出会うインディアンや白人のマウンテンマン(山男)とも、分け隔てなく付き合い飯をご馳走になる──。小心翼々と日本の片隅で生きている人間にとっては、まるで夢のようなエピソードがここにはごく自然に書かれている。
その生き方はある意味、男の憧れであり羨ましい限りだ。しかし、誰もが簡単に作者の真似ができるわけではない。野田氏の本が売れるのは、通勤や住宅ローンに追われ、せいぜいテレビの前でゴロ寝が趣味の日本の男たちに、子供の頃に持っていた冒険心をつかの間、ユラユラと思い出させるからだろう。
むろん、筆者もその軟弱な日本の男の一人にすぎない。現在、また何度目かの『ユーコン漂流』を読み返し中なのだが、わずかな文庫本代でもう何度もその冒険談を聞かせて貰っているわけだから、おつりが来るくらい元は取っている。せめてここで宣伝くらいしとかないと、バチが当たりそうだな。
そこへ行くと紀行文は、何度も読み返しが利く。しかも、どこから読んでもスッと入れる。ストレスが溜まったときや、旅に出たくなったときなどに、お気に入りの本を開いて適当なページをめくると、たちまち目の前に大自然の風や異郷の町並みなどが現れ、ふさいだ心を癒してくれる。優れた本ほど現れる光景が明瞭なので、まるで心を預けるように、読者はそこにある世界にじっくり浸ることが出来る。これが実にいいんだなあ。
筆者のお気に入りの紀行文作家は、若い頃なら山口瞳。この人の紀行ものはずいぶん読んだが、『酔いどれ紀行』や『迷惑旅行』『草競馬流浪記』など、自由で八方破れな大人の旅に、あの頃はずいぶん憧れたものだ。なにより昼間っから酒を飲むという旅の仕方には、ちょっとばかり驚かされた。
他にも、開高健やつげ義春、椎名誠など、いろんな作家たちの旅の本を貪ったものだが、ここ十数年では、いちばん気に入った作家と言えば野田知佑かなあ。熊本県出身のカヌーイストで、エッセイスト。日本や世界中の川をカヌーで下りながら、気に入った土地で寝泊まりし人と出会う。本にはその風のような生き方が、これ以上はないほどの男っぽい筆致で綴られているが、これが一度読み出したら止まらなくなるほど面白い。

野田氏との最初の出会いの本は、『日本の川を旅する』だった。これも名著だが、やはりこの人の最高傑作と言えば、『北極海へ』と『ユーコン漂流』の二冊に尽きるんじゃないのかな。とにかく奇を衒ったところは一切なし。北米大陸の原野を流れるマッケンジー川やユーコン川という大河を、何ヶ月もかけて一人で悠々と下りながら、そこで出会う自然や人間たちとの触れ合いを、作者は簡潔な文章で淡々と語っている。実に骨太でスケールがでかい、男の世界。
で、けっこうユーモアのセンスもある人なのだが、考えてみればずいぶん危険な目にも会っているんだよな。嵐の中を漕いだり、グリズリーに出くわしたり。それを深刻そうに書かない所もまたいい。英語が堪能で、荒野で出会うインディアンや白人のマウンテンマン(山男)とも、分け隔てなく付き合い飯をご馳走になる──。小心翼々と日本の片隅で生きている人間にとっては、まるで夢のようなエピソードがここにはごく自然に書かれている。
その生き方はある意味、男の憧れであり羨ましい限りだ。しかし、誰もが簡単に作者の真似ができるわけではない。野田氏の本が売れるのは、通勤や住宅ローンに追われ、せいぜいテレビの前でゴロ寝が趣味の日本の男たちに、子供の頃に持っていた冒険心をつかの間、ユラユラと思い出させるからだろう。
むろん、筆者もその軟弱な日本の男の一人にすぎない。現在、また何度目かの『ユーコン漂流』を読み返し中なのだが、わずかな文庫本代でもう何度もその冒険談を聞かせて貰っているわけだから、おつりが来るくらい元は取っている。せめてここで宣伝くらいしとかないと、バチが当たりそうだな。
2008年04月03日
『葉隠』とは?
東京に住んでいた頃は、否応無しに自分が佐賀の人間だということを自覚させられた。なにしろ周りはみな、日本各地から集まって来た地方出身者ばかり。無口な東北人に、コテコテの大阪人、どんくさい名古屋人もいれば、どことなく似たもの同士の九州人も。むろん、そんな田舎者を冷笑的にみている、少数派の東京人の存在もあったなあ。まあ、付き合ってみればみんな良い奴ばかりだったけど。
何度か訊かれたのが、「佐賀県人の歩いた後は草も生えないというけど、なんで?」という質問。これには筆者も答えようがなかったが、へえ、この言葉はけっこうみんな知っているんだな、と思ったりしたものだ。ただしそこに、佐賀県人に対するあまり良いイメージが含まれていないことは、何となく感じていた。なので、適当に笑って誤摩化すことが多かったかな。
で、佐賀といえばよく出た話題が『葉隠』に関するもの。やはり佐賀といえば一般的には、サムライの気風を残す九州の田舎の県というイメージが強いが、『葉隠』はそのイメージの源泉ともいえる古典だ。だから東京に出た佐賀県人は、『葉隠』について知らないと意外に恥をかいたりする。あれこれ質問されたりするからね。筆者がその昔この本を読んだのも、二十歳を過ぎてようやくそのことに気付いてからだった。

そんな筆者に、今さら『葉隠』についてえらそうに解説する資格などないが、どういう因果か神様のいたずらか、『葉隠研究』という佐賀の地元から出ている季刊誌に、今号からごく短文のコラムを連載することになった。テーマは古今東西の名作映画の中に、『葉隠』に書かれるサムライの生き方との、共通点を見付けようというもの。厚顔無恥とはこのことだが、誰もやってなさそうな企画なので、ちょっとは面白いんじゃないのかな、と思った次第。でもまあ、視野を広げれば『葉隠』はけっこう楽しく読めるのだ。
むろん、この雑誌の基本は『葉隠』を地道に解読する研究の書。なのでメインは研究者の方々の論文であり、筆者の短文はあくまで箸休めにすぎない。ま、頭が疲れたらどうぞ、という位置付けだ。というわけで、佐賀県人なら一度は『葉隠』に触れてみたいという方は、書店においてあるそうなので『葉隠研究』をぜひご一読ください。
何度か訊かれたのが、「佐賀県人の歩いた後は草も生えないというけど、なんで?」という質問。これには筆者も答えようがなかったが、へえ、この言葉はけっこうみんな知っているんだな、と思ったりしたものだ。ただしそこに、佐賀県人に対するあまり良いイメージが含まれていないことは、何となく感じていた。なので、適当に笑って誤摩化すことが多かったかな。
で、佐賀といえばよく出た話題が『葉隠』に関するもの。やはり佐賀といえば一般的には、サムライの気風を残す九州の田舎の県というイメージが強いが、『葉隠』はそのイメージの源泉ともいえる古典だ。だから東京に出た佐賀県人は、『葉隠』について知らないと意外に恥をかいたりする。あれこれ質問されたりするからね。筆者がその昔この本を読んだのも、二十歳を過ぎてようやくそのことに気付いてからだった。

そんな筆者に、今さら『葉隠』についてえらそうに解説する資格などないが、どういう因果か神様のいたずらか、『葉隠研究』という佐賀の地元から出ている季刊誌に、今号からごく短文のコラムを連載することになった。テーマは古今東西の名作映画の中に、『葉隠』に書かれるサムライの生き方との、共通点を見付けようというもの。厚顔無恥とはこのことだが、誰もやってなさそうな企画なので、ちょっとは面白いんじゃないのかな、と思った次第。でもまあ、視野を広げれば『葉隠』はけっこう楽しく読めるのだ。
むろん、この雑誌の基本は『葉隠』を地道に解読する研究の書。なのでメインは研究者の方々の論文であり、筆者の短文はあくまで箸休めにすぎない。ま、頭が疲れたらどうぞ、という位置付けだ。というわけで、佐賀県人なら一度は『葉隠』に触れてみたいという方は、書店においてあるそうなので『葉隠研究』をぜひご一読ください。
2008年02月25日
東京裁判と地球防衛軍
近くの図書館に行ったついでに、映画のDVDを借りて来た。小林正樹監督の『東京裁判』。2枚組で計277分という大作ドキュメンタリーだ。1983年の公開だが、当時なぜかこの話題作を見逃していた筆者にとり、25年目の巡り会いとも言うべき作品なのだ。
長い、しかし面白い。アメリカ国防総省の記録フィルムをベースに、種々のニュース映像等を集めて編集したこの映画は、実に淡々と冷静に極東国際軍事裁判を描いている。思想的に偏ったところがないので観ていて疲れないし、裁判に関わった人間たちの内面までが深く描かれており、思わず惹き込まれてしまう。それに、学校の社会の時間には習わなかった、日本の近現代史がよく分かる構成なのもいい。

ちょっと喜劇的なのは、なんとか天皇を訴追しようとする裁判長ウェッブ(オーストラリア)と、天皇の訴追だけは避けよというマッカーサーの密命を帯びた鬼検事キーナン(アメリカ)との駆け引き。日本側の被告たちを火のように追い詰めながらも、なんとか天皇だけは護ろうと誘導尋問するキーナンに対し、空気の読めない東條が失言をして、ウェッブを喜ばせてしまう場面などは笑える。事前の打ち合わせが足りなかったのだろうが、つまりはこの裁判は初めから極めて政治的なものだったのだな。小林監督は勝者が敗者を裁くこのイベントを、シニカルな目で見ている。
それにしても、日本側被告についたアメリカ人弁護人たちの、堂々の論陣には感心する。特にこの裁判自体に異議を唱えたブレークニーの「戦争が国際法で認められている以上、戦争での殺人の罪を個人に問うことはできない。それはヒロシマに原爆投下を命じた者の、個人の罪をここで問わないのと同じように」という指摘は正しい。アメリカ人でありながら勇気のある発言だ。概して清瀬一郎など日本人弁護士に比べて、アメリカの弁護人の方が声が大きく舌鋒も鋭い。一つには腹から声を出す発声法など、身体的な能力の違いもありそうだ。
ところで、こうした日本側被告のために尽力したアメリカ人弁護人の一人に、ジョージ・A・ファーネスの姿を見付け、筆者は大いに感動した。何といってもあのファーネスだ。裁判では、裁判官は戦勝国ではなく中立国の代表が当たるべき、という至極もっともな主張をしてくれたが、この人は後に日本に定住し法律家として働くかたわら、映画俳優としても活躍した不思議な人なのだ。

この人が登場する作品で筆者のお気に入りなのは、東宝の特撮映画『地球防衛軍』。土地と女をよこせといって地球に侵入してきた異星人ミステリアンに対し、地球防衛軍を組織した人類が科学の粋を集めて立ち向かい、富士の裾野で大攻防戦を繰り広げるというスペクタクル映画だ。監督が本多猪四郎で特技監督円谷英二、そして音楽は伊福部昭。黄金トリオが生み出したこの総天然色大作は、おそらく東宝特撮映画の金字塔ともいうべき作品だろうな。う〜ん、なんか力が入る。
ファーネスはこの映画で科学者リチャードソン博士を演じているが、なるほどインテリ風の容姿や話し方は堂に入っている。彼はまた同じ特撮映画の『妖星ゴラス』のほか、『クレージー黄金作戦』やTVドラマ『私は貝になりたい』などにも出演。主に科学者や弁護士役などで活躍しているが、必ずしもシリアスドラマ専門ではないところが面白い。きっと頭の柔らかい人だったのだろう。ファーネス氏、東京裁判では日本のために闘い、地球防衛軍では地球のために闘う、ずいぶん活動の幅の広い人だったのだなと感心した。
長い、しかし面白い。アメリカ国防総省の記録フィルムをベースに、種々のニュース映像等を集めて編集したこの映画は、実に淡々と冷静に極東国際軍事裁判を描いている。思想的に偏ったところがないので観ていて疲れないし、裁判に関わった人間たちの内面までが深く描かれており、思わず惹き込まれてしまう。それに、学校の社会の時間には習わなかった、日本の近現代史がよく分かる構成なのもいい。

ちょっと喜劇的なのは、なんとか天皇を訴追しようとする裁判長ウェッブ(オーストラリア)と、天皇の訴追だけは避けよというマッカーサーの密命を帯びた鬼検事キーナン(アメリカ)との駆け引き。日本側の被告たちを火のように追い詰めながらも、なんとか天皇だけは護ろうと誘導尋問するキーナンに対し、空気の読めない東條が失言をして、ウェッブを喜ばせてしまう場面などは笑える。事前の打ち合わせが足りなかったのだろうが、つまりはこの裁判は初めから極めて政治的なものだったのだな。小林監督は勝者が敗者を裁くこのイベントを、シニカルな目で見ている。
それにしても、日本側被告についたアメリカ人弁護人たちの、堂々の論陣には感心する。特にこの裁判自体に異議を唱えたブレークニーの「戦争が国際法で認められている以上、戦争での殺人の罪を個人に問うことはできない。それはヒロシマに原爆投下を命じた者の、個人の罪をここで問わないのと同じように」という指摘は正しい。アメリカ人でありながら勇気のある発言だ。概して清瀬一郎など日本人弁護士に比べて、アメリカの弁護人の方が声が大きく舌鋒も鋭い。一つには腹から声を出す発声法など、身体的な能力の違いもありそうだ。
ところで、こうした日本側被告のために尽力したアメリカ人弁護人の一人に、ジョージ・A・ファーネスの姿を見付け、筆者は大いに感動した。何といってもあのファーネスだ。裁判では、裁判官は戦勝国ではなく中立国の代表が当たるべき、という至極もっともな主張をしてくれたが、この人は後に日本に定住し法律家として働くかたわら、映画俳優としても活躍した不思議な人なのだ。

この人が登場する作品で筆者のお気に入りなのは、東宝の特撮映画『地球防衛軍』。土地と女をよこせといって地球に侵入してきた異星人ミステリアンに対し、地球防衛軍を組織した人類が科学の粋を集めて立ち向かい、富士の裾野で大攻防戦を繰り広げるというスペクタクル映画だ。監督が本多猪四郎で特技監督円谷英二、そして音楽は伊福部昭。黄金トリオが生み出したこの総天然色大作は、おそらく東宝特撮映画の金字塔ともいうべき作品だろうな。う〜ん、なんか力が入る。
ファーネスはこの映画で科学者リチャードソン博士を演じているが、なるほどインテリ風の容姿や話し方は堂に入っている。彼はまた同じ特撮映画の『妖星ゴラス』のほか、『クレージー黄金作戦』やTVドラマ『私は貝になりたい』などにも出演。主に科学者や弁護士役などで活躍しているが、必ずしもシリアスドラマ専門ではないところが面白い。きっと頭の柔らかい人だったのだろう。ファーネス氏、東京裁判では日本のために闘い、地球防衛軍では地球のために闘う、ずいぶん活動の幅の広い人だったのだなと感心した。
2008年02月11日
ヒーローは月光仮面
「♪月の光を背に受けて…」。ラジカセを持って歩いていたわけではないだろうが、月光仮面が登場する場面では必ず、何処からともなくこの歌声が聞こえて来たものだ。悪人たちはそれを聞いて、思わずあたふたと動揺する。
あれはテレビの黎明期、筆者がまだ小学校低学年だった頃のことだ。とにかく月光仮面は子供たちの圧倒的ヒーローだった。なので、番組を提供していた武田薬品のマークを見ると、筆者などはいまでも心臓がドキドキしてしまう。
そんな『月光仮面』がDVDになって帰って来た。昭和30年代のテレビドラマシリーズを全編復刻したもので、販売しているのはファーストトレーディングという会社。画質は悪いが当時の思い出がそのまま蘇る上、1枚が500円というから涙の出るような商品じゃないか。筆者も早速入手してときどき繰り返し観ているが、やっぱり胸がジンと熱くなるなあ。

しかし、今見ると色々と感じるところも多い。ちょっと格闘すればすぐに外れてしまいそうな主人公のターバンや、見ている方が気恥ずかしくなるようなモッコリタイツは置いといても、全編を覆うこのもっちゃりしたテンポは、やはり現代のドラマを見慣れた目にはひどくスローに映る。全体の構成も、仮面のヒーローが華々しく活躍するアクションシーンよりは、事件に関わる人々の人間関係や情愛といった部分に多くを割いている。いわば、まるでメロドラマといった作りなのだ。
おまけに、舞台となる当時の東京の街の侘しいこと。予算やロケ地の関係もあったのだろうが、出て来るのは寂しげな住宅街や草ぼうぼうの空き地ばかりで、月光仮面が白いバイクにまたがって颯爽と賊の車を追うのは、もうもうと土ぼこりが舞う未舗装の道路。これじゃ月光のおじさんも苦労をしたはずだ。あのサングラスとマスクは、目や喉を守る必須アイテムだったんだね。
それでも、そんな追跡場面のひとつに、建設途中の東京タワーが映ったときには感動したなあ。そう、あの映画『ALWAYS 三丁目の夕日』に出て来た、半分までしか出来ていない東京タワーだ。昭和33年の暮れに開業した高さ333mのテレビ塔は、復興日本のシンボルであり、また時代を刻むシンボルでもあった。『三丁目の夕日』のタワーはCGだったが、このドラマに映っていたのはまぎれもなく本物。つまり『月光仮面』こそがわれわれ世代にとっては、まさにひとつの時代のシンボルなのだな。
ところで、自慢話をひとつ。このドラマで月光仮面と名探偵・祝十郎役を主演した大瀬康一さんに、筆者は一度だけお会いしたことがある。もう二十数年前だが、大瀬さんは当時すでに俳優から実業家に転身しておられた。その事務所がインテリアのリニューアルをするというので、妙なつながりからそのデザイン案を持って、六本木のビルの一室に伺うことになったのだ。そのとき、そばには夫人で元女優の高千穂ひづるさんもいたなあ。
おお、本物の大瀬康一だ! 自分で描いたデザイン案を説明しながら、若かった筆者は思わずまじまじと相手の顔を見てしまった。大瀬さんは黙って話を聞いていたが、この年代の奴はどうもなあなどと感じていたのかな。昔よりちょっぴり太って、鷹揚な感じの人だったのを覚えている。どういうわけかリニューアルの話はそれっきりになってしまったが、それにしてもあのとき名刺を貰っておけばよかったと悔やまれる。
さらに、因縁話をひとつ。このドラマのオープニングを観ていて驚いたのは、助監督に都成潔さんの名があったこと。都成さんとは、今から十三、四年前に筆者が横浜市内の小さな企業ミュージアムを設計した際、一緒に仕事をしたことがあったのだ。展示場の一角にミニ劇場を作り、等身大の人形や映像、光の効果などでちょっとしたドラマを展開するという趣向だったのだが、そのときのシナリオと演出を担当して頂いたのがこの方だったというわけ。
あの頃すでに人の好さそうな初老の紳士だった都成さん、年齢を逆算してみれば、『月光仮面』の当時はたぶんバリバリの若手助監督だったのだろう。そうだったのか。そうと知ってればあのとき、もっと話を聞いておけばよかったと悔やまれる。つまり今になってこのドラマを観ていると、いろいろと悔やまれることが多いのだな。
あれはテレビの黎明期、筆者がまだ小学校低学年だった頃のことだ。とにかく月光仮面は子供たちの圧倒的ヒーローだった。なので、番組を提供していた武田薬品のマークを見ると、筆者などはいまでも心臓がドキドキしてしまう。
そんな『月光仮面』がDVDになって帰って来た。昭和30年代のテレビドラマシリーズを全編復刻したもので、販売しているのはファーストトレーディングという会社。画質は悪いが当時の思い出がそのまま蘇る上、1枚が500円というから涙の出るような商品じゃないか。筆者も早速入手してときどき繰り返し観ているが、やっぱり胸がジンと熱くなるなあ。

しかし、今見ると色々と感じるところも多い。ちょっと格闘すればすぐに外れてしまいそうな主人公のターバンや、見ている方が気恥ずかしくなるようなモッコリタイツは置いといても、全編を覆うこのもっちゃりしたテンポは、やはり現代のドラマを見慣れた目にはひどくスローに映る。全体の構成も、仮面のヒーローが華々しく活躍するアクションシーンよりは、事件に関わる人々の人間関係や情愛といった部分に多くを割いている。いわば、まるでメロドラマといった作りなのだ。
おまけに、舞台となる当時の東京の街の侘しいこと。予算やロケ地の関係もあったのだろうが、出て来るのは寂しげな住宅街や草ぼうぼうの空き地ばかりで、月光仮面が白いバイクにまたがって颯爽と賊の車を追うのは、もうもうと土ぼこりが舞う未舗装の道路。これじゃ月光のおじさんも苦労をしたはずだ。あのサングラスとマスクは、目や喉を守る必須アイテムだったんだね。
それでも、そんな追跡場面のひとつに、建設途中の東京タワーが映ったときには感動したなあ。そう、あの映画『ALWAYS 三丁目の夕日』に出て来た、半分までしか出来ていない東京タワーだ。昭和33年の暮れに開業した高さ333mのテレビ塔は、復興日本のシンボルであり、また時代を刻むシンボルでもあった。『三丁目の夕日』のタワーはCGだったが、このドラマに映っていたのはまぎれもなく本物。つまり『月光仮面』こそがわれわれ世代にとっては、まさにひとつの時代のシンボルなのだな。
ところで、自慢話をひとつ。このドラマで月光仮面と名探偵・祝十郎役を主演した大瀬康一さんに、筆者は一度だけお会いしたことがある。もう二十数年前だが、大瀬さんは当時すでに俳優から実業家に転身しておられた。その事務所がインテリアのリニューアルをするというので、妙なつながりからそのデザイン案を持って、六本木のビルの一室に伺うことになったのだ。そのとき、そばには夫人で元女優の高千穂ひづるさんもいたなあ。
おお、本物の大瀬康一だ! 自分で描いたデザイン案を説明しながら、若かった筆者は思わずまじまじと相手の顔を見てしまった。大瀬さんは黙って話を聞いていたが、この年代の奴はどうもなあなどと感じていたのかな。昔よりちょっぴり太って、鷹揚な感じの人だったのを覚えている。どういうわけかリニューアルの話はそれっきりになってしまったが、それにしてもあのとき名刺を貰っておけばよかったと悔やまれる。
さらに、因縁話をひとつ。このドラマのオープニングを観ていて驚いたのは、助監督に都成潔さんの名があったこと。都成さんとは、今から十三、四年前に筆者が横浜市内の小さな企業ミュージアムを設計した際、一緒に仕事をしたことがあったのだ。展示場の一角にミニ劇場を作り、等身大の人形や映像、光の効果などでちょっとしたドラマを展開するという趣向だったのだが、そのときのシナリオと演出を担当して頂いたのがこの方だったというわけ。
あの頃すでに人の好さそうな初老の紳士だった都成さん、年齢を逆算してみれば、『月光仮面』の当時はたぶんバリバリの若手助監督だったのだろう。そうだったのか。そうと知ってればあのとき、もっと話を聞いておけばよかったと悔やまれる。つまり今になってこのドラマを観ていると、いろいろと悔やまれることが多いのだな。


