2009年02月24日

牛尾梅林の春らんまん



少しだけ風の冷たい先日、小城の梅の名所である牛尾山に登って来た。といってもハイキングではなく、車で山頂の駐車場までちょっとドライブしたわけだが。実は遠いむかし筆者が桜岡小学校の生徒だったとき、遠足でここまで歩かされた遠い記憶がある。さすがにあのときは参ったが、お陰でそれ以来、牛尾はおそろしく遠い所というイメージが強いのだ。

さて山頂に来てみれば、おお、今年も順調にカレンダー通り、梅たちは見事な花を咲かせていた。平坦な牛尾山は山頂一帯や南側の斜面が、広大な梅林になっているのだが、それらの木々が一斉に花を付けた様はまさに壮観、白い海。一足早い春爛漫の空気が、ここにはあふれていた。



駐車場もすでに入口付近は渋滞のありさまで、ようやく中に入り車を止めてひと安心。それにしてもこの日は、天気の好いこともあり人も車も千客万来だ。モータリゼーションの発達と、放送・インターネットで情報収集が容易になったお陰で、牛尾梅林もいまや近隣に轟く観光地になったのだろう。並んだ露店を覗くとミカンやハチミツ、梅が枝餅など、美味そうなものが並んでいた。

ブラブラと梅林の中の小径を散策する。花の下で記念撮影する人や、敷物を広げて飲食を楽しむ家族連れがあり、中にはスケッチをしているグループの姿も。誰もが心から花を楽しんでいるようだ。



牛尾の梅はもともと実を採るために植えられたもので、いわばここは“梅の畑”。なので一本の木と木の間隔が狭く密集しており、こうして開花するとまさに“花の海”状態になる。そこが他所に無い、牛尾の梅の素晴らしいところなのだろう。

筆者は梅の名所で知られる太宰府天満宮や水戸市の偕楽園にも行ったことがあるが、こうした庭園の梅はもともと観賞を主としているので、牛尾とはずいぶん趣が違う。一本一本が上品で垢抜けした、いわば老成した木。まあ、向こうが枝振りの美しい盆栽の梅だとすると、こちらの梅は山野育ちのワイルド軍団という感じかな。つまりその分、牛尾梅林には野性のエネルギーが満ちている。

このエネルギーが太陽の恵みをいっぱいに受けると、やがて青く大きな実を結ぶ。牛尾の梅は「日本一早い梅」として、5月中旬から出荷されるのだという。小城は知る人ぞ知る“梅の名産地”でもあるわけだ。しかしこのこと、全国にもう少し大きくアピールしたいところだなあ。



山頂からは眼下に西・南・東の三方が見渡せるが、この日は遠くどこまでも佐賀平野の地平線が広がっていた。この空が徐々に白く霞むようになり、やがて黄砂なども飛来するようになると、小城にも本格的な春が訪れるのだろう。そしてついでに、花粉のシーズンの到来ともなるわけだ──。  

Posted by 桜乱坊  at 18:13Comments(2)TrackBack(0)身辺雑記

2009年02月19日

アニメ主題歌の三大名曲

アニメ主題歌の三大名曲

最近、テレビをあまり観なくなった。代わりによく観るようになったのが、インターネットのYouTube。昼夜入り浸っているという程ではないが、テレビ番組で面白そうなものがない晩(ほぼ毎晩だが)などは、このYouTubeで掘出し物を探す方がずっと楽しい。

なにしろそこには映画、音楽、スポーツからテレビのB級バラエティに自作ビデオまで、玉石混淆、世界中から投稿されたありとあらゆる映像コンテンツが詰まっている。つまりそこでは居ながらにして、世界中の人々と楽しさを共有出来るのだ。それも、自分で好きなジャンルを選びながら。こんな時代がやって来ようとは、つい数年前まで予想さえしなかったなあ。

時代遅れの筆者のお気に入りは、白雪姫だった頃の天地真理ちゃんやシンシア南沙織に、懐かしのニューミュージックなどの音楽だが、たまに古い日本のアニメなども観ることがある。そこではビデオテープが世の中にあまり普及してなかった時代からの、様々な人気者が顔を揃えている。不思議で仕方がないのは、いったい誰がどうやってこれらの映像を録画・保存していたかだが、マニアというのはきっと、いつの時代も金に糸目を付けない人種なのだろう。

投稿された動画には、誰もがそれに対しコメントを書き込めるようになっている。面白いのは日本のアニメへの、英語の書き込みが非常に多いことだ。日本で放映されたオリジナル版にもそうだが、海外から投稿された外国版などには、特にそう。アメリカにイギリス、オーストラリアなど、子供の頃にテレビでこのアニメを観てましたという、向こうの大人たちの懐旧の声がそこには溢れており、読んでいて何だか微笑ましい。日本のアニメはむかしから、ずいぶん海外で人気があったのだと改めて感じさせられる。

こうした古いアニメを見直しながら、主題歌の三大名曲というのを勝手に選んでみた。選んだからといって別にどうなるわけではないが、まあ筆者の自己満足という奴だ。で、時代順に行くと、まず谷川俊太郎作詞、高井達雄作曲の『鉄腕アトム』は外せない。「♪空を越えて、ラララ星の彼方〜」という出だしはあまりに有名だし、リズミカルな曲自体も心が沸き立つようで素晴らしい。東京にあるJR高田馬場駅では、電車の発車メロディーにこの曲が使われているが、“アトムの生まれた街”という矜持がそこにはあるのだろう。

つぎに来るのは前田武彦作詞、萩原哲晶作曲の『エイトマン』かな。とにかくこのアニメは、桑田次郎の絵も克美しげるの歌も、大人のテイストでとても格好いいのだ。「♪光る海、光る大空、光る大地〜」、この出だしのスピード感は抜群だし、その前に入る「Fight!、Fight!、Fight!」と「Eight!、Eight!、Eight!」という韻を踏んだ男声の掛け声も、高揚感を増幅させてくれる。スケールも大きいこの歌、格好よさではナンバーワンといえるんじゃなかろうか。

三つ目はやはり、テレビアニメ初のカラー大作『ジャングル大帝』だ。手塚治虫のイメージと富田勲の音楽という、奇跡のコラボレーションが生んだオープニング場面の素晴らしさは、この三大名曲の中でも文句なく一番だろう。アフリカの大自然の風が舞うようなシンフォニーに包まれ、「♪あ〜、あ〜、あ〜、あ〜」と歌うバリトンのスキャットが朗々と響き渡る。ケモノたちが躍動し大空を鳥が舞う動画は、この音楽と実に見事に融合していて感動的だ。観ているだけでも涙が出るよ。あの時代のテレビアニメの枠をはるかに超えたこのオープニング映像は、ディズニーの『ファンタジア』も真っ青の出来だと筆者は思うのだが。

ところで、海外から投稿された日本アニメの英語版には、それぞれに現地用のタイトルが付けられている。『鉄腕アトム』が『Astro Boy』なのは有名だが、『エイトマン』は『8th Man』に、『ジャングル大帝』は『Kimba The White Lion(白い獅子キンバ)』にといった具合だ。面白いのはオープニングの主題歌も、それぞれに現地用の違う歌が付けられていること。

『Astro Boy』はほぼ『鉄腕アトム』の英語バージョンといった感じだが、なぜか『8th Man』と『Kimba The White Lion』の主題歌は、全く別の知らない歌になっている。それも日本のオリジナル曲に比べると、ひどく子供向け風の作りなのだ。つまり、あまり格調は高くない。目指しているものが違うという印象を受ける。なので両者を比べると、日本の主題歌の方が圧倒的に格好いいのだ。あちらではやはり、アニメは子供向けという固定概念が強いのだろうか…。こうしてみると、世界を席巻する現代日本アニメのクオリティの花は、当時からすでに芽吹いていたということなんだろうな。  

Posted by 桜乱坊  at 17:42Comments(4)TrackBack(0)本・映画・音楽など

2009年02月13日

小春日和の小城公園

小春日和とでもいうのか、このところ日差しの暖かい穏やかな日が多くなった。おお、もうすぐ春なんだなあと心が浮き立つ。で、そんな休日にはぶらりと小城公園を散歩するのがいちばんだ。何といってもここは、広くて静かで心が落ち着く。おまけに無料。こんな素晴らしい公園がふるさとにあるのを、筆者などは感謝しないといけないだろう。

梅も桜もまだまだで人影の少ない園内。たまにすれ違うのは、犬の散歩に訪れた人くらいか。最近はマナーが良くなり、こうした犬の糞などはたいてい袋に入れて誰もが持ち帰るようだが、筆者の子供の時分はこうじゃなかったね。まさに無法状態。遊びに行くとあちこちにゴロンとした糞が転がっており、ときどき間違って踏んづけたりもした。そんなときは泣きたい気分になったものだが、近頃はどこに行ってもあのゴロンとした奴を見掛けなくなり、大変けっこう。良い世の中になったものだ。



岡山神社南側にある池の端の、そんな清々しい散策路を歩いていると、ふと視界の中を驚くほどの速さで横切ったものがある。それも、目眩くほど鮮やかな瑠璃色の輝きを放ちながら──。え、これってカワセミじゃないか! 筆者の心はたちまちざわめいた。

池の小魚でも狙っているのか、美しい小鳥は桜の枯れ枝にとまると、じっと水面を見つめている。間違いなくカワセミだ。ライトブルーの光がキラリと目映い。写真だ、写真──。慌ててデジカメを取り出しシャッターを切るが、どうも手元がぶれてアングルが定まらない。これだから素人はダメなのだ。そうこうしているうちにカワセミは、どこかへパッと飛び去ってしまった。まさに一瞬のできごと。しかし“水辺の宝石”と呼ばれるその美しい姿を、瞬時でも拝むことが出来たのはラッキーだったな。



鳥といえば話が前後するが、烏森稲荷の方から入る公園の入口近くに松屋の堀がある。実はこの小さな堀の北側にある古木が、いつの頃からかサギのコロニーになっているのだ。いつ見てもそこには十羽以上のサギが翼を休めており、彼らの落とす糞が常にこの古木の葉を白く汚している。すぐそばには民家があるというのに。

糞はそのまませり出した枝から水面に落ちるので、いまのところ迷惑する人はいないようだが、こんな人家のすぐ近くにもサギは居着くものかと、筆者は以前から不思議に思っていた。まあ、佐賀平野では水田や町なかの小川など、至る所にサギの姿を見掛ける。そういう意味では、誰も気に留めようとしないこのコロニーは、人間とサギの自然な共存の表れであり、平和な小城の一面を象徴しているのかも知れないが…。



おっと、散歩の最後に出会った可愛い奴を紹介しよう。公園の北側、そのむかし金比羅さんの祠があった辺りの帰り道、筆者の歩くすぐ前方を、ゆうゆうと横切ったのは一匹の小さな猫。茶色の毛に暖かな日差しがあたり、のんびりと気持ちが良さそうだ。猫はそのまま筆者を気にする風もなく、ゆったりとサザンカの咲く石段を降りて行ったが、その軽やかな足取りの向こうから、春のかすかな足音が聞こえて来そうだったなあ。  

Posted by 桜乱坊  at 14:57Comments(0)TrackBack(0)身辺雑記

2009年02月02日

「宮地亨展」を観て来た

宮地亨展

先日、久しぶりに時間が出来たので、小城市立中林梧竹記念館で開催中の「宮地亨展」を観て来た。筆者にとってはそのむかし、怖い美術教師だった宮地先生とのウン十年ぶりの再会だ。休日だったが館内は人影も少なく、じっくり絵を鑑賞するにはちょうど良い雰囲気だ。しかし、いつ来てもここは静かな時間が流れているなあ。

いつもは梧竹さんの書が掛かっている展示場に入ると、ウォールケースの中には大小の油絵がズラリと並んでいる。ずいぶん印象が変わるもので、まるで普段とは別のミュージアムに来たようだ。貰った作品一覧表によると、全部で38点の作品が展示されているというが、こうして観るとなかなか壮観だな。

宮地亨展

ウォールケースに顔を近づけ、ひとつひとつ丹念に絵を観て行く。大作の「神苑閑日」や「和」などから静物を描いた小品まで、モチーフや大きさは様々だが、大胆な構図と力強いタッチの作品がそこには並んでいた。どれもひどく男っぽい絵の具の塗り方だ。例えてみれば、うまく描くことよりとにかくそこにあるものの本質を掴み取ろう、とでもいうような──。鳩の群を描いた荒々しくも繊細な絵からは、まるでじっと対象を見つめる、作者の鬼気迫る視線さえ感じられる。なるほど、これが“精神のマチュエール(質感)”という奴か…。

思えば華奢な体躯だった宮地先生だが、だいたいこうした人ほど、男性的で力強さにあふれた作品を描くものなのだろう。そういえば東京に住む筆者の画家の友人の一人も、ふだんはナヨナヨしているが、描いたものを見るとまるで心中のストレスを発散するように、強烈で荒々しい自己主張に満ちているものなあ。芸術家の心の中は、分からないものだ。

ひとつ意外だったのは、色の使い方だ。筆者が高校で美術を習っていた頃の宮地先生の絵は、押し並べてダークグレー系の絵の具を使った、暗い色彩のものが多かったような気がする。例えば展示された「群鳩」の連作のような色だ。しかしここで観たその他の作品の多くは、筆者が驚くほど色彩に満ち満ちていた。これは、“へえ!”だったね。

原色ではないが、どこか憂愁を含んだような独特の色がどの作品にも使われており、それらはどれも美しかった。残念なのはそうした作品の多くが「年代未詳」で、宮地先生の絵がどの時代からどう変貌して行ったのかを辿れないことだ。画家の作風は年齢とともに徐々に変化して行くものだが、筆者が高校を卒業した後も先生は弛まず研鑽を積まれ、きっと新しい境地を拓かれたのだろう。その到達点が、晩年のヨーロッパでの成功だったというわけだな…。
(『精神のマチュエール・宮地亨展』2月8日まで)  

Posted by 桜乱坊  at 22:02Comments(2)TrackBack(0)イベント