2022年10月31日

さらば、アントニオ猪木

さらば、アントニオ猪木

アントニオ猪木が亡くなってからしばらく経つが、いまだに喪失感にとらわれているファンも多いのではなかろうか。筆者もその一人で、なんだか昭和のプロレスそのものが燃え尽き、消えてしまったような寂しさを感じるな。アントニオ猪木は間違いなくその中心にいて、輝き続けたプロレス界の巨星だった。晩年は難病との闘いでずいぶん痩せてしまったが、その姿をさらけ出して堂々と動画配信するなど、最後までカッコ良さを貫いた強い男でもあった。もっとも筆者などは、見るのがちと辛い動画だったけどね…。

思い出すのは、1998年4月4日の猪木の引退試合だ。あの日は筆者も、プロレスファンの友人たちと東京ドームに駆けつけ、客席から声援を送ったものだった。その引退試合の猪木の相手は、トーナメントで小川直也を破って勝ち進んだドン・フライ。え、直弟子の小川じゃないの?と誰もが思ったが、そこはアメリカUFCチャンピオンのドン・フライの方が、真剣勝負らしい緊迫感が生まれるという筋書きだったのだろう。事実、会場はおおいに盛り上がった。ただし筋骨隆々のフライに比べれば、すでに55歳で筋肉も落ちた猪木の肉体は、どこかほっそりと頼りなくも見えたっけ。

だが観客をハラハラさせ、最後に勝つというのが猪木の真骨頂だ。この試合では、猪突猛進する相手を得意のプロレス技で痛めつけ、フィニッシュは電光石火のグランドコブラでギブアップ勝ちという、見事な試合を見せてくれた。まあ引き立て役のフライも大変だったろうが、やられっぷりは悪くなかった。というか猪木のリードで無事に大役を果たし、ホッとしたというのが真相だろう。なにしろ世界的レスラー・猪木の最後の相手として、プロレス史に名前が刻まれるのだから、フライとしても悪い話ではなかったはずだ。

振り返ってみれば、全盛期の猪木ほど名勝負を生み出したレスラーもいないだろう。日本プロレス時代の対ドリー・ファンク・ジュニア戦やジャック・ブリスコ戦もよかったが、なんと言っても印象的なのは日プロを飛び出し、新日本プロレスを設立してからの熱戦の数々だ。なにしろ金もなければテレビ中継もなく、招聘する外人ルートもロクにない中の船出。対戦相手となる外人は、無名の選手を発掘し自分で育てなければならなかった。そんな中で生まれた最初のスターが、タイガー・ジェット・シンだったな。

有名な〝新宿伊勢丹事件〟で世間の注目を集めたシンは、たちまち新日本プロレスの外人エースとして売り出してゆく。なんたって〝インドの狂虎〟だ。狂ったようにサーベルを振り回して試合場に乱入し、猪木を血だるまにして暴れまわる姿は、日本中のプロレスファンの度肝を抜いた。あのコブラ・クローは恐ろしかったね。だがもともとシンは、フレッド・アトキンス(G・馬場のコーチも務めた人物)に手ほどきを受けた実力派レスラー。地元カナダでは、ベビーフェイスだったというから驚きだ。

そのシンを大悪党レスラーに育て上げたのは、むろん他ならぬアントニオ猪木だった。素顔はジェントルマンのシンに、〝インドの狂虎〟のキャラクターを与え、試合では血だるまになって技を受ける。むろん最後は猪木が勝つのだが、社長レスラーとはかくも大変な仕事なのだな。シンも期待に応え、つねに伯仲した好勝負を見せてくれた。おかげで新日は、営業的にウハウハだったはず。実はシンにサーベルを持たせるアイデアは、猪木の発案だったと言われている。自分が発案した凶器で血だるまにされる姿は、かつて〝吸血鬼〟フレッド・ブラッシーに額を噛まれては大流血していた、師匠の力道山の姿を彷彿させる。ブラッシーはヤスリで歯を磨くパフォーマンスが得意だったが、その発案者は実は力道山だったというわけ。プロレスはこういうところが面白い。

シンの他にも猪木は、アメリカで一流未満だったスタン・ハンセンやハルク・ホーガンといった大型レスラーを、新日のリングで外人のエースに育て上げている。そこにはビッグバン・ベイダーも入るだろう。ハンセンのウエスタン・ラリアットに吹っ飛ばされ、ホーガンのアックスボンバーにKOされ、ベイダーの巨体に押し潰され、猪木の体はよく壊れなかったものだ。だが、そこが猪木の猪木たる所以なのだろう。多くの日本人レスラーを弟子として育成しながら、また対戦相手の外人レスラーも数多く育てたところに、この男の真価があると言えそうだ。彼の死を悼み懐かしむ声は、内外のマット界から聞こえてくる。

とにかく猪木は、レスラーとして優れた才能に恵まれていたと同時に、対戦相手の能力を引き出すことにかけても、類い稀な才能を持っていた。新日旗揚げ以降の名勝負を数えても、とても筆者の10本の指では数えきれない。対ハンセンやホーガン戦の他にも、ビル・ロビンソン戦、ウィレム・ルスカ戦、アンドレ・ザ・ジャイアント戦、ブルーザー・ブロディ戦など、枚挙にいとまがない。またストロング小林戦や大木金太郎戦、ラッシャー木村戦など、日本人対決にもシビれさせて貰った。そういえば、ヨーロッパ遠征でのローラン・ボック戦というのもあったなあ…。

忘れられないのがプロレスの埒外の、モハメド・アリ戦やアクラム・ペールワン戦、ウィリー・ウィリアムス戦といった真剣勝負だ。これらはプロレスファンをヒリヒリさせ、すべての格闘技ファンに夢を見させてくれたものだ。いまではプロレスは、明るいエンタメとして定着した感があるが、もうあの頃の血が沸騰するような興奮は、二度と戻って来ないんだろうなあ。筆者的にはそこが寂しいのだ。さらば、アントニオ猪木! 後にも先にも、もうこんなレスラーは出て来ないよね。



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Posted by 桜乱坊  at 11:55 │Comments(0)スポーツ

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