2009年11月26日
「小城市」でよかった!
ニュースなどに登場する海上自衛隊の艦船には、たいてい平仮名の名前がついている。例えば、護衛艦「ひゅうが」とか「はるな」とか。そうそう先頃、関門海峡で事故に巻き込まれた上、マスコミに犯人呼ばわりまでされてしまった、「くらま」という運の悪い護衛艦もあったなあ。
これらは本来、漢字で書けば「日向」「榛名」であり「鞍馬」となるのだろうが、どういう理由か現在すべての艦名は平仮名で表すらしい。そのむかし東郷艦隊の旗艦「三笠」に始まり、戦艦「大和」や重巡「鳥海」「妙高」などの模型作りに熱中した、かつてのプラモ少年としては、軍艦の名前はやはり堂々と漢字で表記して欲しいところなんだけどね。やはり重さが違うのだ。別に平仮名にすれば世の中、平和になるわけでもあるまいし。
同じように地名にも、平仮名表記のものがこの頃けっこう目立つ。中でも、市町村合併により生まれた新しい市にこの傾向が強いようで、代表的なものでは埼玉県の県庁所在地「さいたま市」がある。「埼玉市」の方が普通にビシッと格好いいと思うのだが、なにやら歴史的な経緯や地理的齟齬などがありこうなったらしい。公募で1位だった「埼玉市」を名乗れないところに、合併の難しさがあるのだろうね。他にも香川県には「東かがわ市」や「さぬき市」が生まれているが、なぜ「東香川市」や「讃岐市」ではマズイのかという疑問は残る。
ちょっとこれは、というような新市名も誕生している。群馬県の「みどり市」や、栃木県の「さくら市」がそれだ。何だか筆者には、特急列車の愛称か幼稚園のクラス名みたいに思えて、思わず顔が赤くなる。というかこれって、平仮名か漢字かという以前に、あまりに個性が無さ過ぎじゃないのかな。歴史的な地名もあったはずなのに、それらを無視してこうした安直な名前を自分たちの土地につけてしまうのは、先人たちが築いて来たものへの冒涜のような気がしないでもない。

さて、小城町・牛津町・三日月町・芦刈町が合併して、「小城市」が誕生したのが2005年。このときの新市名決定についての経緯は、筆者は当時まだ東京に住んでいた為よく知らないが、妥当な判断をしてくれた人たちにまず感謝したい。「小城市」──風格があって良い名前じゃないか。これが仮に「おぎ市」や「てんざん市」だったら筆者は落ち込むところだったし、「西さが市」だったら泣いていただろう。もしも「あおぞら市」や「ふるさと市」だったら、「ふざけんな!」と市庁舎に抗議に行ったかも知れないなあ。
なんといっても「小城」という地名には歴史がある。和銅6年(713)に編纂された「肥前国風土記」の小城郡の条には、「土蜘蛛」と呼ばれる土着民が堡(おき=城塞)に隠れて抵抗したため、日本武尊により征伐されたという伝説が記されているという。この堡(おき)から小城(おぎ)の名が生まれたというのだから、これはもう誇っても良い歴史的地名じゃないのかな。読み難いからなどという理由で、安易に平仮名書きにしたり改名したりすれば、「土蜘蛛」の祟りがあるというものだ。
ことほど左様に地名には歴史があり、土地の文化や地形的特徴などとも深くかかわっている。いわば地域遺産だ。それを合併などの理由で、一朝一夕に表記を変えたり全く別の名前にしてしまうのは、やはり暴挙と言う他はないだろう。これは人名と同じで、「源義経」の表記を読み難いからといって一律「みなもとのよしつね」にしたり、「源氏」と「平氏」が婚姻を結んで「なかよし氏」に改名したりするようなもの。やはり、守るべきものは守り後世に伝えるのが、現代人に課せられた使命じゃなかろうか。
それにつけても思い出すのが、小城市よりやや遅れて誕生した「嬉野市」と「武雄市」。当初は嬉野町・塩田町に武雄市・山内町を加えて、新市名「湯陶里(ゆとり)市」で合併する予定だったのだが、やはりこの名称問題で揉めに揉めた結果、嬉野町・塩田町で「嬉野市」、武雄市・山内町に北方町が加わって「武雄市」が生まれたというわけ。やはり合併する市町村の数が多ければ、こうした問題が起きるのだな。
結果としては、これで良かったんじゃないだろうか。嬉野市は何といっても「嬉野温泉」「嬉野茶」という強力なブランドを抱えているし、武雄市にも名高い「武雄温泉」がある。地域名とブランド名が一致することは、町起こしの大きな武器ともなるはず。何より「嬉野」や「武雄」といった由緒ある名前を新市名に残したことで、地域の人々の見識の高さを示すことにもなった。「湯陶里市」を考えた人に悪意はなかったろうが、もしもこれが「ゆとり市」にでもなっていたらと思うと、筆者はちょっと笑えないんだよなあ。
これらは本来、漢字で書けば「日向」「榛名」であり「鞍馬」となるのだろうが、どういう理由か現在すべての艦名は平仮名で表すらしい。そのむかし東郷艦隊の旗艦「三笠」に始まり、戦艦「大和」や重巡「鳥海」「妙高」などの模型作りに熱中した、かつてのプラモ少年としては、軍艦の名前はやはり堂々と漢字で表記して欲しいところなんだけどね。やはり重さが違うのだ。別に平仮名にすれば世の中、平和になるわけでもあるまいし。
同じように地名にも、平仮名表記のものがこの頃けっこう目立つ。中でも、市町村合併により生まれた新しい市にこの傾向が強いようで、代表的なものでは埼玉県の県庁所在地「さいたま市」がある。「埼玉市」の方が普通にビシッと格好いいと思うのだが、なにやら歴史的な経緯や地理的齟齬などがありこうなったらしい。公募で1位だった「埼玉市」を名乗れないところに、合併の難しさがあるのだろうね。他にも香川県には「東かがわ市」や「さぬき市」が生まれているが、なぜ「東香川市」や「讃岐市」ではマズイのかという疑問は残る。
ちょっとこれは、というような新市名も誕生している。群馬県の「みどり市」や、栃木県の「さくら市」がそれだ。何だか筆者には、特急列車の愛称か幼稚園のクラス名みたいに思えて、思わず顔が赤くなる。というかこれって、平仮名か漢字かという以前に、あまりに個性が無さ過ぎじゃないのかな。歴史的な地名もあったはずなのに、それらを無視してこうした安直な名前を自分たちの土地につけてしまうのは、先人たちが築いて来たものへの冒涜のような気がしないでもない。

さて、小城町・牛津町・三日月町・芦刈町が合併して、「小城市」が誕生したのが2005年。このときの新市名決定についての経緯は、筆者は当時まだ東京に住んでいた為よく知らないが、妥当な判断をしてくれた人たちにまず感謝したい。「小城市」──風格があって良い名前じゃないか。これが仮に「おぎ市」や「てんざん市」だったら筆者は落ち込むところだったし、「西さが市」だったら泣いていただろう。もしも「あおぞら市」や「ふるさと市」だったら、「ふざけんな!」と市庁舎に抗議に行ったかも知れないなあ。
なんといっても「小城」という地名には歴史がある。和銅6年(713)に編纂された「肥前国風土記」の小城郡の条には、「土蜘蛛」と呼ばれる土着民が堡(おき=城塞)に隠れて抵抗したため、日本武尊により征伐されたという伝説が記されているという。この堡(おき)から小城(おぎ)の名が生まれたというのだから、これはもう誇っても良い歴史的地名じゃないのかな。読み難いからなどという理由で、安易に平仮名書きにしたり改名したりすれば、「土蜘蛛」の祟りがあるというものだ。
ことほど左様に地名には歴史があり、土地の文化や地形的特徴などとも深くかかわっている。いわば地域遺産だ。それを合併などの理由で、一朝一夕に表記を変えたり全く別の名前にしてしまうのは、やはり暴挙と言う他はないだろう。これは人名と同じで、「源義経」の表記を読み難いからといって一律「みなもとのよしつね」にしたり、「源氏」と「平氏」が婚姻を結んで「なかよし氏」に改名したりするようなもの。やはり、守るべきものは守り後世に伝えるのが、現代人に課せられた使命じゃなかろうか。
それにつけても思い出すのが、小城市よりやや遅れて誕生した「嬉野市」と「武雄市」。当初は嬉野町・塩田町に武雄市・山内町を加えて、新市名「湯陶里(ゆとり)市」で合併する予定だったのだが、やはりこの名称問題で揉めに揉めた結果、嬉野町・塩田町で「嬉野市」、武雄市・山内町に北方町が加わって「武雄市」が生まれたというわけ。やはり合併する市町村の数が多ければ、こうした問題が起きるのだな。
結果としては、これで良かったんじゃないだろうか。嬉野市は何といっても「嬉野温泉」「嬉野茶」という強力なブランドを抱えているし、武雄市にも名高い「武雄温泉」がある。地域名とブランド名が一致することは、町起こしの大きな武器ともなるはず。何より「嬉野」や「武雄」といった由緒ある名前を新市名に残したことで、地域の人々の見識の高さを示すことにもなった。「湯陶里市」を考えた人に悪意はなかったろうが、もしもこれが「ゆとり市」にでもなっていたらと思うと、筆者はちょっと笑えないんだよなあ。
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